~エピソード3~ ② 駆け出しの寮長。
陽葵と寮長になった経緯を話していて、今は午後9時45分。
恭治の塾の迎えまで20分ぐらいの余裕はあるか?。
俺は陽葵が用意した暖かいココアに目を落としながら20年近く前の思い出にふけっていた。陽葵はダイニングの椅子に座って何やら考え事でもしてるような俺に声を掛けた。
もう少し陽葵にあの時の事を語っても時間はあるだろう。
「新島さんが休学した時の経緯を具体的に聞くのは初めてだわ。あの状況なら、あなたしか適任がいないのもよく分かるわ。」
俺は陽葵の言葉に苦笑いをしながら答える。
「まぁ…ね。松尾さんに難色を示しても、棚倉先輩に説得されて終わりだからなぁ。それすら拒否した場合、あの先輩は、あの手この手で俺のことを追い込んでやらせようとする。もう逃げ場がなかったんだよ。」
再び、あの時の事を思い出しながら陽葵に語り始める。
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-その夜-
新島先輩が結核で入院したことや、俺が寮長代理なったことが寮内で徐々に広まった。
そして、全寮生が食堂に集められた。
食堂には皆が見える位置にお立ち台が置かれて、俺と棚倉先輩や松尾さんは共に並んで立っていた。
寮生が集まると、松尾さんがマイクを持った。
「皆さんにお伝えしたいことがあります。寮長の新島君が病気で入院することになり、残念ながら休学することになりました。」
知らなかった寮生から驚きと動揺の声が食堂に響いた。
その後、松尾さんは新島先輩が参加していたサークルの合宿先で結核に感染し、合宿先で発熱して倒れて救急車に運ばれた状況から寮内での感染はないことも伝えられた。
それらが告げられたところで松尾さんは動揺してざわついた寮生を抑えるように声をあげた。
「みんな、落ち着いてくれ!!」
その事態を見かねた前寮長の棚倉先輩も声を出した。
「おいっ!。少し落ち着け!!!」
大柄な棚倉先輩の声はマイクがなくても広い食堂でよく響いている。
それに比べたら俺は…小柄だし、あのような大きい声は出せない。
「松尾さん、私からいいですか?。」
棚倉先輩は松尾さんからマイクを渡されると、寮生にこう告げた。
「新島の代わりに寮長は副寮長の三上がやることになった。」
ふたたび寮生がざわくつ。
『おい、三上は副寮長はいえども、3年じゃなくて2年で大丈夫か?』
『三上なんかで大丈夫か?』
それを遮るように棚倉先輩は言葉を続ける。
「これは俺からの推薦だ。三上は確かに見かけは頼りないかも知れないが、彼の外見に囚われてはいけない。この危機的状況で、寮長の責務を果たせるのは俺が見る限り三上しかいない。」
棚倉先輩はそこまで話すと、少し思考を巡らせ、寮生達に語りかけて動揺を抑えようとしている。
「前に起きた寮内窃盗事件を覚えているか?。」
以前、寮内で相次いで貴重品が盗まれる事件があった。
幾人かの寮生が疑われる中で、新島先輩と共に被害があった寮生や、疑いがかけられた寮生に対して丹念にアリバイを聞いて、寮生同士の誤解を解いていった。
新島先輩は寮生達のアリバイから外部の犯行を疑い、数日間、寮内の出入りを自主休校してまで見張った。俺も副寮長としての責務として、担当委員の教授に事情を説明して自主休校をして共に見張っていたのだ。
結果から言うと新島先輩が睨んだ通り外部の犯行だった。
寮生が犯人である友人を部屋に残してコンビニでお菓子や飲み物を買いに行く隙を狙った犯行だった。俺が見張りをしていた際に、寮生の友人の動きが怪しい事に気付いて新島先輩と共に現行犯で捕まえた。
その後、落とせない単位も絡んでいて大切な時期の自主休校は辛かったが、事前に教授に話して置いたお陰で補講や追試、レポート等で済ませてくれて助かった。
学生課でその件は賞賛を持って迎えられて教授達にも伝わったので、それのご褒美もあったかも知れない。新島先輩も一部の教授から同様の措置がとられたと聞いている。
その後、寮生が外部から友人などを迎え入れる際は、寮内を出てはいけないという規則が設けられた。
棚倉先輩の言葉で寮生たちは窃盗事件の経緯を思い出したのか、落ち着きが戻った。
「新島が4年になった時点で次期寮長は三上だった。それが半年ぐらい早まっただけだ。まだ、三上は経験が浅いので未熟な点が目立つが、そこは俺がカバーする。」
棚倉先輩が言うべきことを言ったという感じで俺にマイクを渡した。
高校時代の生徒会でこういう挨拶は慣れているが緊張しないと言えばウソだ。俺はできる限り謙虚な気持ちで挨拶をすることに徹した。
「この度、新島先輩のピンチヒッターとして寮長代理になった三上恭介です。新島先輩に及ばない点があるかと思いますが、私に不手際があれば何なりと気軽に言って下さい。」
お立ち台の上から寮生達の様子を見ると、俺にかなり注目をして見ている。
さらに俺は言葉を続けた。
「皆様が寮生活を快適に過ごせるように、できる限りの努力をしていきます。頼りない私であっても新島先輩と同様に何かあればご相談下さい。皆様の叱咤も含めて、それを糧として責務を果たせるように頑張っていきます。」
俺は壇上で深くお辞儀をした。
最初は1つ、2つの拍手から、それが大勢の強い拍手になって食堂内に強く響いた。
頼りない挨拶だったと思うが、自分の趣旨が寮生に伝わったようだ。
棚倉先輩は優しげな目差しで俺を見て独り言をつぶやいた。
「三上はやればできる子だ。」
『先輩。それが口癖だけど…いろいろな語弊があるぞ…。』
俺はこれから相当に忙しくなることが安易に想像できて少し憂鬱になっていた。
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ここまで陽葵に語って時間は午後9時55分。
『恭治を迎えにいくまで、あと10分か…。』
陽葵は、その先の付き合った頃の事を思い出しているのか…顔を赤らめてウジウジし始めている。その姿が可愛すぎて俺は悶えそうだ。
『陽葵が可愛いすぎる、陽葵成分をあますことなく吸収したい…』
そう思いつつも、時間と睨めっこしながら、陽葵にその時の事を再び語り始めた。
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