第三章

カニバルの爪あと

 村を出てから二度目の朝が来る。ようやく深緑に染められた森の出口が見えてきた。

 これまではずっと村と森との生活だけで暮らしてきた。外の世界には一体何が待っているのか――高鳴る胸を抑えきれずに、二人は森の出口へ向かってかけ出した。

「見て! 森が終わる! すごい!」

 森の外は一面、緑の平原だった。ただひたすらに広い。所々に大きな岩が転がっている。遠くには連綿とした山々が見えた。どこまでも続くすき通る青空と、配下に広がる緑の絨毯――その二層のコントラストがきれいだ。二人は暫く心を奪われた。

 その草原に風が吹く。あまりにも広くて、吹いていく風の路が目に見えるようだ。ノアがはしゃいで風とたわむれる。ふとネジ式がいないのに気づいてタテガミが後ろをふり向くと、ネジ式はまだ森の切れ目にとまってかがみこんで何かしていた。

「ノア、ネジ式の様子がおかしい。行ってみよう」

 二人が森まで戻ると、ネジ式の横に少年が倒れていた。

「木のほらに倒れこむようにしてぐったりしていたのです」

 傷だらけになった獣人の少年だった。細かい傷が多数あったが致命傷になるほどの深手はなく、ただ気を失っているようだった。背はノアよりも少し大きく、体つきはがっしりとしている。成長すれば屈強な戦士となるだろう。

 色黒な少年の全身を覆う体毛は薄茶色で、特徴的なのは歯と髪型だった。下唇からつき出した二本の太い犬歯が、上唇に向かって鼻まで伸びている。焦げ茶色の髪は長めのモヒカンで、一本一本が太くて硬い。背中の真ん中辺りまでふさふさと生えそろっている。

「とにかく傷の手当をしよう。さっき水の流れる音が聞こえたんだ。きっと川が流れてるはずだからその辺りで薬草を探そう」

 二人が水の音を頼りに斜面をおりていくと、流れの緩やかな小川があった。タテガミは川辺におりると薬草を探し始める。ノアは腰にぶらさげていたグースーの革で作った袋を川に浸し、水で満たした。

「そろそろ戻ろうぜ」

 薬草と木の実を拾ってタテガミが戻ると、ノアが川辺で花をつんでいた。

「そんなもんつんでどうするんだ? たぶん食わないと思うぞ」

「匂いがよいのよ。気持ちが落ち着くわ」

 ネジ式は少年の傷を丹念に調べた。ノアは摘んできた花をそっと周りに散りばめた。

「どう? 気がついた?」

「お帰りなさい。まだ意識はありません」

 タテガミは薬草を並べると葉で覆い、石を使って叩くようにすり潰している。

「爪痕のような傷ばかりです。人を襲う獣に心当たりはありますか?」

「おいら達も村を出るのは初めてだからわからないけど、まれに村を訪れた旅人からカニバルっていう魔物に襲われたって話を聞くな」

 長老も言っていた、最近ではその名の魔物が出ると。カニバルの全身は真っ白で短く固い体毛に覆われ、背丈は二メートルを超すものもいるらしい。肉づきがよく、目は燃え盛るように赤い。

「群れをくんでいて必ずリーダーがいるらしいぜ。囲いこむように獲物を追い詰めて、鋭い爪でゆっくり弱らせていくんだってさ。動かなくなった所をようやく喰らうって。ぞっとするよな!」

「食べる、のですか?」

「うん。お爺ちゃんから聞いた話ではカニバルは私達に姿が似てるんだって」

 それを聞いてネジ式は考えこんでしまった。

「私がこの地を調査していた頃は微生物以外の生体は確認できませんでした。散らばっていた他の仲間からもそのような生体情報は入っていません」 

 少年の体に薬草をぬりながらノアが訊く。「つまり、何が言いたいの?」

「マザーに会うまでは何とも言えませんが、カニバルもあなた達と〝同じ生まれ〟である可能性が高いと言うことです」

 結局その日は先に進むことなく森で過ごすことになった。

 すっかり日も傾き沈みかけた頃、少年が意識を取り戻した。

「皆! 気がついたぞ!」

 タテガミの声に、ノアとネジ式も集まる。

「ここは? 俺はどうしてここに?」

「初めまして、私はノア、タテガミにネジ式よ」

 ぼんやりと視線を泳がせていた少年は、ネジ式の姿を見ると驚いて飛びあがった。腰に差していた長い弓なりの木刀を勢いよく抜くと、ネジ式に向かって突き出す。抜いた木刀の周りに、ノアが散りばめた香りのよい花びらが舞った。

「うっ……!」痛みからか、少年の顔が歪む。

 つき出された木刀と腕を、タテガミが優しく掴むと下へ向けておろした。

「落ち着けって、おいら達は敵じゃないよ。おまえは森で倒れてたんだ」

 木刀を握る少年の手が小さく震えた。伏せた瞳は宙を睨み、体は今にも震え出しそうだ。意識を失う前の記憶が蘇るにつれて顔色が青ざめていく。

「一体何があったのですか?」

 少年は眉一つ動かさなかった。余程のことがあったのだろうとノアは思った。

「助けてくれて感謝する。俺はモヒ。森をぬけ二日歩いた草原に住んでた」

「住んでた、とは?」

 暫く沈黙を置いてから、モヒは重い口を開けた。

「襲われたんだ……カニバルに……」

 草原からの冷たい風が、森の中へと吹いた。モヒは涙声で続けた。

「俺らは元々別の村で暮らしてたんだ。前の村は人数が増えて手狭となって、俺の両親はその村を離れようと考えた。そして十数人を連れて草原へ移り住んだ。巨大な岩場を背に幕屋を張って、俺らの新しい暮らしは始まったばかりだった」

 いざ村を興そうとしていた矢先、幕屋を悲劇が襲った。

 五人のカニバルが幕屋を襲ったのだ。モヒの一家が暮らす幕屋は小さく、居住用と寝室の二つの幕屋を組み合わせてあった。カニバルは幕屋に入るなり、所構わず引き裂いた。両親の真ん中にはさまれるように眠っていたモヒは、致命傷を受けずにすんだが両親は助からなかった。

「逃げろ! 逃げて生きてくれ!」

 カニバルの餌食にされ、今にも事切れそうな父親が最後の力をふり絞って叫んだ。

 そこで暮らす皆が、叫び声をあげながら逃げまどった。モヒは恐怖に震え、自由のきかない体をばたつかせながら、右も左もわからぬまま走った。ふり返ると幕屋の背にある大きな岩の上に、ひときわ大きなカニバルが立って、幕屋の様子を見おろしている。その姿が月明かりに照らし出され、真っ白な体と燃えるような赤い目が暗闇の中に浮かびあがる。

 無我夢中で逃げ続けたモヒは、この森の端で力つき、そのまま気を失った。

 モヒが話し終えると、森につかの間の静けさが暗く淀んだ。

 ノア達は言葉を失って黙りこんだ。目の前で両親の死にゆく瞬間をつきつけられることなど想像もできない。彼を慰める言葉は何一つ浮かばなかった。

「俺は必ず、両親の仇をとる!」

 両親を失った無念と、幸せな時間を躊躇なく奪い去った仇への憎悪がひしひしと感じられた。その強い決意に誰も何も言えないまま、ノアは木筒に詰めたオリーブ油を黙ったままのモヒの傷口に丁寧に塗った。

 モヒはまだ動けなかった。怒りに目を覚ましても、またすぐに意識を失うようにして眠りこむ。ほっておけずにその日、皆はその場に留まって夜を明かした。

 モヒの啜り泣く声で、ノアは夜中に何度も目を覚ました。静まりかえった森の中を啜り泣く音だけが響き渡っている。暗闇がいつもよりも暗く感じられた。モヒの憎しみと悲しみが森へ紛れこみ、その夜の色をさらに深く染めているようだった。

 翌日、森に朝日が差しこむ。

「ねえ、モヒ、あなたはこれからどうするの?」

「俺はもう一度、幕屋あとに戻ろうと思っている。生き残った仲間もいるかもしれないし、両親の形見もあるかもしれないからな」

 モヒは自分が逃げてきた平原の方角を目で指した。

「私達もこの平原をまっすぐ進む予定です。〝カニバル〟とやらが現れた以上、あなたも一人で行動するのは危険でしょう。一緒に来ませんか?」

 モヒは少し考えると、ネジ式を見て答えた。

「方向は同じだ。じゃあそうさせてもらううよ」

 こうして皆は森を出発し平原へと出た。

 緑の草原は森に比べれば遥かに歩きやすい。吹きぬける風に草花が一斉にゆれ、とても心地よかった。ただ強い日差しを遮ってくれる木はあまりなく、長く歩いていると暑さで体力を消耗してしまう。見晴らしのよいということは、逆をいえば狙われれば逃げ場がない。モヒは最後尾につき、辺りを警戒しながら歩いた。もし身を隠す場所もないこんな平原の真ん中で敵に鉢合わせしたら、大変なことになる。

 早くここをぬけたい――モヒはそう考えていた。

 心なしかネジ式の歩くペースが早い。ノアは小走りでネジ式に近づいた。

「ねえ、歩く速度をもう少し落とさない?」

「モヒも怪我してるんだ。もう少しゆっくり歩いてやろうぜ」

「これは失礼しました」

 ネジ式は二人にそう言われて、歩くペースをあげていたことに気がついた。

 陽が真上で一層強い光を放って地上を照らす。皆は少し陽が陰るまで休息をとることにした。平原の中を風が吹きぬけていく。気持ちのよい大きな木の下で皆が体を横たえる。ネジ式が風にゆれる草花をながめている。

 ノアはネジ式が歩く速度を早めていたことが気になっていた。

「どうしたの? 何か考えごと?」

「カニバルの行動は異常です。私は一刻も早くノアに戻り真相を知りたい」

 ネジ式は珍しく頭を動かさずにじっとしていた。

 無表情で、無動作のその姿に、ノアにはネジ式が不安を感じているように見えた。

「でもさ、私達だってグースーを殺してその肉を食べるわ」

 それは自然の摂理よ――ノアはそう思っていた。

 長老を含め、村の誰もが命を食べることを禁じてはいない。カノンの民は、木の実や果実だけでなく、虫や動物の命を奪って自分達の命を繋いできた。

「あなた達が、虫や動物を食べるのは知っています。しかしカニバルが、あなた達と同じ〝マザー〟から生まれ、人間がベースの〝キメラ〟だとしたら?」

「あなたの言っていることがわからないわ」

「では、もしこの世界から〝グースー〟がいなくなったら、あなたは〝タテガミ〟を食べますか?」

 ネジ式のその言葉は、ノアの心に重く届いた。絶対にそんなことはありえない! ノアは心の中でそう叫んだ。けれども人が人を殺し、その肉で命を繋ぐという行為の恐ろしさに、初めて気づいたのだ。衝撃を受けたノアは、複雑な面持で視線を泳がした。ネジ式は、ノアが理解したのを知るとさらに続ける。

「食物連鎖は生物にとって避けては通れない道ですが、人が人を、同族が同族を食べるという連鎖は存在してはならないのです。それは倫理面からだけではなく、生物のDNAを破滅へと繋げると、歴史が語っているのです」

「でも……」

 ノアは口を開きかけたが、なんと言っていいかそれ以上わからなかった。ただ、ネジ式が一刻も早くマザーに会いたい理由がノアにもわかった気がした……もし自分達が全てマザーを起とする子孫だとすれば私達は兄弟みたいなものだ。それを同族と呼ぶならどうして似たような姿の同族を食べる者達が生まれたのか――ネジ式はそこを知りたいのだろう。

「傷、大丈夫か?」タテガミがモヒに声をかける。

「殺された両親に比べたら、こんな傷なんともないよ」

 モヒは座りこんだまま遠く一点を見ていた。カニバルへの復讐心がその目に宿っている。

 タテガミは見てはいけないものを見てしまった気がして、戸惑いながら目を逸らした。

 休息を終え、再び平原を移動する皆の目前に、せせらぐ小川が現れた。

「やった! 晩飯は魚にありつけるかも!」

 タテガミは早くも小川に飛びこみはしゃいでいる。汗をかいて疲れていたノアも、浅瀬に両手を浸して水の冷たさを楽しんだ。元気よく泳ぐ魚が流れに逆らうようにして岩場の影に隠れている。魚を追いかけながら、ノアとタテガミが無邪気にはしゃぐ。

 そんな二人を、モヒはただ黙って見ていた。そんなモヒの隣で、ネジ式が嬉しそうに愚痴をこぼす。

「やれやれ、困った人達だ。早く〝ノア〟に帰りたいというのに」

「ノア? そんなものが本当にあるのか?」

 忘却の都ノア、カノンに暮らす者達の伝説――そこからやって来たと言われるカノンの民の祖先が二度と帰り着くことがなかったという忘れ去られた都……。

 もちろんその伝説をモヒも知っていた。

「実在しますよ。あなたも一緒に行きませんか? 復讐心など忘れて……」

 モヒは何も言わなかった。ただ唇をかみしめ瞼を閉じ、あの夜のことを思い出し、拳を固く握りしめていた。

 平原の上を流れる青空は、モヒの心とは裏腹に穏やかだった。

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