村上家の人々(弐)




 逆鉾。


「親父がこの山に残したと聞いている。深雪と駆け落ちする時に、比良坂の名を冠した逆鉾を託したはずだ」


 恫喝ではない。事実を確認する口調で文彦は聖羅に尋ねた。


「あれは、今もこの山にあるか」


 返事はない。


「持ち去ったのは神楽か」


 聖羅が驚いたように表情を変えて文彦を凝視し、無言を通す。驚きも落胆もせず文彦はそれを確認し、面倒くさそうに頭をかいた。文彦を倒そうという血気盛んな若者が時折術を組み立てるが、それらは全て即座に術式を解除されあるいは強烈なしっぺ返しを喰らう。名家を自称する村上の一族は文彦にとってはカキワリの背景に等しく、その扱いに彼らはこれ以上ない屈辱を覚えた。


(あの野郎、本気で三叉山の龍脈を暴走させる気か)


 と考える余裕さえある。なぜならば村上一族の総本山ともいうべき山は霊山としての価値はあるかもしれないが整然とした霊脈の支配下にあり、犬上のように混沌とした力の奔流に飲み込まれてはいない。普段は霞がかかったように把握しにくい個々の魔力霊力の流れが完璧に近い形で理解できるのだ。だから特異点都市である犬上と異なり、それぞれの術師や人間が抱える正負の感情や精気の流れを文彦は精確に知覚している。現時点に限っては視覚よりも信頼の出来る感覚が彼ら一族の行動や運動能力を理解し、さらに文彦自身理解していないことだが、犬上の霊脈により抑圧されていた文彦の力そのものも膨大化していた。

 たとえ百に迫る術師が同時に何かを仕掛けたとしても今の文彦は冷静に全ての攻撃に対処できるだろう。

 真に優れた術師は物量の差を圧倒し単騎で戦局を引っくり返すだけの力を有する。それは単に誇張された噂話ではなく、幾つかの活ける伝説として術師たちの間で認識されている事実である。


「あの逆鉾にはいかなる力が?」

「犬上の地の龍脈暴走を抑え続けていた封印の要だよ、当主殿」


 声は別の方向から。

 漆黒の法衣に身を包んだ青年が、竜巻に吹き飛んだ門の残骸に腰掛けている。


「……華門、さま」


 息を呑む聖羅。村上の一族は更に慌て、ルディは悲鳴を上げ文彦の背後に逃げ込んだ。過去に攻撃を仕掛けた体験、そして今も感じる圧倒的な魔力の強さに恐怖している。術師としての訓練を受けていない小雪でさえ、隠すことをやめた青年の魔力に生理的な拒絶感を抱いていた。美しい青年には違いない、しかしそれはまさしく人外の美に通じるのかもしれない。


「さて、これで犬上の特異点暴走を食い止める鍵の全てが神楽一派に独占されたわけだ。影法師、これは厄介な展開だとは思わないか?」

「本当に厄介だったら、あんたがこんな面倒なお膳立てするわけねえだろ」


 ただ一人だけ平然と青年に向かい、文彦は断言する。

 青年は最初から全てを知っているのだ。特異点が半年も保たないと気付いた時には、それへの対処法を何通りも考えたのだろう。力任せでそれを解決できるだけの力量を有しながら、それ以外の手段を求め、解答を得ているのだ。

 力技での解決方法は、文彦にも幾つか心当たりはある。青年ならばそれを実行できるのも、文彦は理解している。


(霊脈の書き換え、特異点そのものの消滅)


 文字通り地形を変え自然の流れに干渉するような行為だ。たとえ特異点の暴走を未然に防げたとしても、そこは人間の居住に適さない可能性さえある。いや、特異点を消滅させるというのは、まさにそういう行為に他ならない。


「これは最大限の譲歩だ。地を残し人を残し、思いつく限り最小の犠牲で最善の結果を得る方法を僕は君に提示したつもりだけど」

「嘘つけ、あんた重要なことを隠してる」


 沈黙。


「うん」


 あっさりと青年は事実を認め、直後、風を文彦に向けて解き放った。

 轟。

 ハヤテが放ったものより格段に鋭く強い風が文彦を襲う。村上の山を文字通り崩壊させるような、自然界にあるまじき風の刃だ。速度こそ遅いが、逃げればより多くの被害が出るのは確実である。村上一族は息を呑み文彦を見る。


 僅かな間、そして激突。


 恐るべき風は上方に弾き飛ばされ、大きなつむじ風となって消えた。文彦の手には、金銅色に輝く一振りの金属棒。古寺の仏法守護者塑像が持つ金剛杵に極めてよく似た、小型の槍だ。大脇差と呼ぶには柄が長く、刀身は両刃で反りがない。梵字は刻まれていないが、大陸の造りを思わせる大胆さと緻密さが随所に見られる代物だ。文彦はそれを左の懐より引き出すと回転させるようにしてつむじ風を弾き飛ばした。いかなる術も行使していないが、その過程で鉛筆程度の大きさだった金剛杵は小槍ほどの長さに拡張している。

 どよめきと歓声が共にあがる。青年は満足そうに金剛杵を眺め、


「やはり君の方がそれを上手に扱えそうだ」


 と頷いた。


「世に名を残す神器ほどの力はないが、先代の影法師が使っていたその金剛杵、功を焦り野望に我を見失いつつある神楽を牽制する役には立つだろう」


 青年は姿を消し、文彦は溜息をつくと金剛杵を懐に消す。


(あの野郎、余計なお膳立てを)


 振り返らずとも背中に刺さってくる視線が全てを物語っている。

 魂を喰らうもの、華門と呼ばれる術師と親しげに言葉を交わし、その実力を認められたのだ。まして彼が放った術を、それがどれほど抑えられたものか知らなかったとはいえ弾き返した。もちろん並大抵の術師にはできないことだし、村上一族でも無理だ。


「あの、文彦……殿?」

「帰るぞ。深雪、小雪、ルディ!」


 聖羅が余計なことを言い出さないうちに、文彦は家族を一箇所にまとめると車ごと転移して消えた。




◇◇◇




 虚空を掴み文彦を逃してしまった聖羅は宙を泳ぐ指を動かし、やがて拳を握る。


「あの血を一族に取り込む」


 一族郎党を前に聖羅は高らかに宣言した。


「異存のあるものはおらぬか」


 全員が沈黙を守り、それが彼らの意思を代弁した。

 かくして文彦は一族の協力を獲得する代わりに一層の厄介事を抱え込むことになる。



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