バー

 首都から少し離れた貧困街。数年前のデモ騒動で一時戦場と化したこの土地も今では落ち着きを取り戻しつつある。それでも麻薬取引の現場、銃火器の違法取引ストリートチルドレンが縄張りにする危険地帯であることは変わりない。

 めちゃくちゃにされた車の残骸に

 バー、秋田屋。雑居ビルの二階に腰を据えるアダルトバー。しかし実態は社会のはみ出しものがたむろうションベン臭い待ち合わせ場所となっている。

 鬱屈とした空気。立ち込める紫煙にゲロ臭いトイレ。狭っ苦しいテーブルには安酒とこんもり灰皿が閉めている。センチメンタルなジュークボックスの前には十四歳程度の少年少女が各々の選曲を巡ってあぐらをかいてたむろっている。落書きだらけのコンクリは卑猥と下劣な言葉で埋め尽くされている。

「なんだよあのガキ」

「しらねーよ」

「てめ汚したシート弁償しろぉこのやろー」

「あーくそっ負けたぁ。ソウオンササキのバカヤロォ! 俺の愛馬を返せぇ」

「リィダーいい加減修理代出してくださいよぉ一千万キッチリ!」

「るっせんだよぉこちとらFDFの通夜の真っ最中なんだよ」

「おいロン毛マスターっ! 酒もってこい! ドンペリだァ!」

 首都高で松田のFDFが破壊されてから一週間が経った。

 幸い怪我人が出なかったが、突然の襲撃にいっぱい食わされた光岡たち。

 腹の虫が治らなかった彼らは対抗策を考えようとお気に入りのバーで落ち合ったのだが、まとまりのない会話に振り回されて何日も無駄に過ごした。

 光岡は危機感を抱いたが、肝心の松田は、意気消沈とまるで人形のように座っていた。

 会話はできるようになったのだが退院を境に何かが抜け落ちたように。

 一心胴体のFDFを失って松田は心に穴が空いたかのように全身の力が抜けていた。両手に持つ澱んだビールは静かに揺れている。

 松田の視線が落ちる。

「おい松田しょぼくれてる暇ねーぞ」

「あっ、はい……」

「てめーどうしたいんだ」

 ぐっと、松田の拳に力が入る。

 震える声色に混じる怒りは自然と緊張を生んだ。光岡は背筋を正し、耳を傾ける。

 喧騒に興じるメンバーを一喝そして、聴く。

「FDFは、俺が初めて盗った大切なクルマでした。それを、あいつはめちゃくちゃにして……許せません」

「その心がお前を救う糧となる。……ヨォーし。野郎ども聞きやがれ!」

「「「「「「?」」」」」」

「FDFの仇とんぞぉ!」

 一瞬の静寂。そして、滲みよる楽観的な享楽。

 それは、ある種の宣戦布告であったのかもしれない。

「ぃよーやく重い腰あげたかぁみっちゃん」

「此処までされて黙ってられっかヨォ」

「可愛い後輩のために一皮剥いてヤローじゃねーかよ」

「ガキだからって甘く見るな!」

「つっても数日前にチームできたばかりでしょーが」

「細かいことはいいんだよぉ」

「そうと決まれば飲むぞぉー」

「マスタービール追加でぇー」

 その夜は、酒に溺れた少年たちが火炎瓶を投げまくってその日を終幕を迎えた。

 アルコールと麻薬に頭を潰された少年たちはゴミ捨て場で目覚め、身動きが動けないほど臭い体だった。風呂嫌いな彼らは酔いを覚ます為に一旦解散となった。

 自堕落な生活が身についた彼らは登校しない。彼らを育てたのは親ではない。路地裏であった。臭い飯とゲロとクソに囲まれてなお生き残った彼らは幸運にも国の援助プログラムで進学できた。しかし劣悪な生活基準をもとに暮らしてきた彼らにとって道具の扱い方は未知なものであった。最初は優しくしてくれていた教官も歳を追うごとに、瞳の輝きが澱んだ。

 少年たちが見てきた両親と、同じ目だった。

 行き場を見出せなくなった彼らは次第にあるジレンマに目覚めた。

 似たような境遇の者たちと巡り会える、奇跡のようなジレンマ。

 共鳴だ。

 そこから連鎖するように各地で若者を中心とした暴走が発生した。

 暴動に参加、加担した若者、そのほとんどが国からの援助プログラムに参加した生徒であることが判明した。大学の研究結果に大臣は否定の意思を見せて紙面電子共々炎上。

 大臣は謝罪したのちに辞任。もぬけの殻となった対策組織が対応に追われる中、記者は視聴者は、新たな火種に飛び込んでいた。

 誰も少年たちを見ていない。

 彼らは、不適合者。

 健康で、優良なはずの不良少年たち。

 少年たちは、今も生きている。


 煌びやかなビル群。完全防音の個室は耳が痛くなるほど静かで木の色を模した壁はセラピー効果もあると宣伝されたが、どこまでか本当なのか松田は興味がない。親が勝手に用意したモノだ。松田は幼少の頃から病弱で一人では何もできなかった。飯を食うにせよ排泄するにせよ。他人の手を借りなければ生きていけなかった。

 なんども脳手術、神経手術、筋肉移植を繰り返された体は松田は自分のものじゃないように感じていた。体を巡る血も誰からの貰い物。脳も、神経も陰茎、なにもかも誰からの貰い物。幻の痛みに何度も嗚咽にまみれた夜に狼狽した松田はセラピーを頼ったが、精神安定剤をくれるだけだった。

 なんとか自分の足で学校に行けるようになった頃、たった一人の少年に出会った。

 ありもしないタバコをたかりに来た少年は、光岡といった。

 質の良いベッドに横たわる少年松田は、寝っ転がっていた。寝相のせいか右腕を枕にして寝息を立てている。

 起き上がって、自身の腕の感覚がないことに気がついた。自分の腕が自分のものじゃないように感じる、大きな肉の塊をくっつけられたようだった。

 橈骨神経麻痺。

 神経が圧迫されて一時的に麻痺することを松田は思い出した。時間が経てばすぐに感覚が戻る。

 寝ぼけた顔にボサボサの髪。重い頭に肩を落として項垂れる松田。指を交差させて、立ち上がる。一件の未読メールが届いていることに気がついた。浮き上がるウィンドウにタッチして、開く。

 

 秋田屋ニテ集会。

 刻ハ夕刻。

 光岡ヨリ。


 読みづらい文字に面を食らった松田だった。

 でも読めなくはない。むしろかっこいいとさえ思える。

 松田が生まれる半世紀以上のものが人々の関心の対象になりつつある。

 時代に逆行するようなコンテンツが急激に増える。クルマ、バイク、服、食事、映画、小説、漫画、アニメ……あげればキリがない。

 松田はそんなコンテンツを提供する業界に憤りを感じていた。

 いつか自分はこの世界を変えてみせる。

 そう志した意思表示は、モノにすり替わった。3年前に盗んだ現金で買った執筆用デバイスは埃をかぶって文鎮と化している。そろそろ処分しなければならないと考え始めていたが、心がそれを拒んでいるのだ。この心のうちをどうにかして消かせたかった。数年前に流行った動画サイト、アプリは膨大な管理システムプログラムはサーバー拠点が空爆の被害に遭って未だにメンテナンスしている。

 模したサービスは星の数ほどあるが適性がないと削除の対象になる。

 唯一の発信源は、本であった。本であればあとは誰かが勝手に伝播してくれるはずだ。

 いつか、いつかやると考えて尻目に松田はジャケットを羽織る。

 ふと、松田は疑問に思った。

 自分は何を期待して外に出る?

 人々は未来に何を期待しているのだろうか。

 今はただ、あの頃の自分に戻りたい。

 夕陽を背にして帰り道を歩く、電車に乗る、青空を見上げて走る。

 そんな日常に帰りたいのかもしれない。

 とくにこんな、ほこりっぽい街にいる人間とかは。

 松田は超高層マンションから駐輪場に向かう。このあたりは警備ロボが厳しく巡回しているので下手なチンピラは近付きもしない。

 親父のダサいバイクに跨り松田は街へ出た。

 光岡たちと落ち合うのだ。



「よくもこんな犬のションベンみたいな飲みもん売れるな? 衛生局に言いつけてやるぞ!」

「テメェの垢が入っただけだろーが」

「んだとこのやろぉ」

「よせ柳田」

「いーや。いくら豊臣さんでも俺は酒に関しちゃ妥協しないスタンスなんで」

「うぃーす」

「……来たか松田。みっちゃんは遅れるってよ」

 騒ぐ柳田を尻目に松田と豊臣は誰かが店に入る気配を感じた。見慣れたジャケットに悪人のような目つき臭い口と猫背な少年。


「……どこで油売ってたんだみっちゃん」


「へへっ。ちょいといいトコ」


「けっ。どうなんだか。色ボケも大概にしとけよ、みっちゃん」


「ピーナッツだよ。ピーナッツの面倒見てんの!」


「……阪田と山内は奥にいる」


「おっけー。マスター。奥のテーブル借りるぜぇ。あと、人数分のビール用意して」


「金は?」


「ツケでヨロシク」


 どうせ返さないと思いマスターはため息をついた。


 どかっと腰を下ろす光岡はしけったタバコを咥えて仰ぐ。

「守備はどうよ」

「だめだぜみっちゃん。あの夜のコト、老朽化が原因の倒壊としてカタがついている。どこの新聞にもあのガキのことは載ってない。ネットにも目撃者はゼロ」

「まぁあんなとこ出入りするやつなんざ俺たちくらいしかいねーですもんね」

「……豊臣はそこら辺を縄張りにしているチームに当たってくれ。柳田、お荷物になんなよ」

「りょーかいみっちゃん。柳田、お前たしかヨコバ線近くを縄張りにしているスーパーキーに友達いたよな」

「え? あぁ、はい」

「頼むぜぇ。俺デリカシーないからよ。じっくり聞き込みすんぞ」

「う、うす。努力します」

 バタバタと慌ただしく降りていく二人を見送って光岡は

「俺と松田。あと、阪田と山内はスクラップ置き場から使えるもん探すぞ。足がなけりゃ、どこにも行けないからな」

「テメェ阪田! いつまで泣いてんだ! とっとといくぞゴラァ」

「畜生ソウオンササキのバカヤロー!」

「それと山内、てめーのクルマは松田が弁償するから安心しろ」

 松田は寝耳に水だ。

 安心し切った山内は上機嫌にバーを出て行った。

「おい山内」

「あい!」

「ついでにオレのクルマも用意しといてくれや」

「あーい!」



 「人気者だな」と、マスター。

「人望があると言ってくれよ」

「おおぉ。昼間っから上等な酒くれんのか。とうとうマスターも俺の才覚に惚れ込んだってわけだ」

「違う。それと礼ならそこの嬢ちゃんに言いな」

 カウンター席の片隅に腰を下ろす少女。しかもただの少女じゃない。美少女だ。むさっ苦しい空間には不釣り合いなほど美しい童心を思い出すような底の見えない碧眼。染めたような艶のある黒髪。ボディラインがくっきり判る服。悪環境育ちではない整った顔立ちに余裕の笑み。

 光岡はゆっくり近づき隣に時間を共有する。仄かに彼女を彩る香水は甘酸っぱくて、どことなく腹の中が見えないミステリアスな匂いだ。まるで物語に出てくるようなヒロインに光岡は心の臓の高鳴りが止まらない。

「君の瞳に、乾杯」

「いいの? ほっぽりだしちゃって。何か大事な話をしていたようだけど」

 透き通るような声色に心拍数が上がる。しかしそんなウブなところ見せてはいけないと考える光岡は冷静に対応する。

「べっつにー。君との時間を過ごせるならどうでもいいしぃ」

 震える声色はかくせていない。


「貴方が光岡勝太郎さん?」


「君みたいなべっぴんさんに名前覚えてもらうなんて俺は幸せもんだなぁ」


「怖くないの?」

「ぜぇんぜん」

「なら、よかった」


 ザクっ。


「………、?」

 腹部に深く食い込む鋭く硬い違和感。潤った喉がじわじわと渇いていくような感覚に、光岡は立てなくなった。椅子から転げ落ちて、傾く視界。

「あれぇ」

 間抜けにも、脂汗が噴き出る光岡は唸った。

 少女は、後退りしてヒールを鳴らしてバーから去っていった。

 「バチが当たったな」と、マスター。崩れる光岡を尻目にマスターはコップを磨き上げ、憐れむように言った。

 ゆっくりと、手を腹に当てて指先が滑る感触に光岡は目を疑った。

 血だ。

 腹には折りたたみ式ナイフがぶっすりと突き刺さっている。

 動けば鋭利な刃が血管を傷つけ鮮血が漏れ出る。

「おい光岡、どうしたn」

「刺されちまった」

「…………おぉー。みんなーみろぉ! 光岡が通り魔に遭ってんぞぉ」

「なにぃ? じゃ、さっきの女が」

「あんのアマ……柳田追うぞ」

「すまん松田。お前のバイクパクられた。 あの女が盗んで逃げやがった!」

 出血がひどい。じわじわと染まりつつある鮮血に朦朧とする視界の中、光岡は笑っていた。

 仲間が笑うのに釣られたのか、それとも刺された女が美人だったからラッキーと思ったのか。

 はたまた恐怖を誤魔化すためだったのか。

 意識が、右に落ちる。

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