GAKi

さばよみ

首都高

20xx年。

 稀に見る円高の余波を受けた島国、Nは90年代以来となる第二次バブル景気を迎えていた。

 人々に暮らしが豊かになるとは比例して犯罪係数が増加していた。

 その多くは、少年少女らによる暴走行為であった。

 知的化する生活に野生化する子供達。

 その首都園では、今日もまた若人たちが冷めない夢を求めて自身の快楽とスリルと、そして温かい声援を求めてアクセルペダルを踏む。

 たとえその道が破滅に向かおうとも彼らはやめない。

 世界が滅亡しようとも。




『立ち入りを禁ずる』

 片足がもげた看板を蹴破り、一台の車が侵入する。何度もエンジンを吹かし遂に発進させた。頼れる光がヘッドライトしかない腐った首都高を踏みしめる鉄の獣たちは、少年だった。

「ひゃーほうっ」

 首都高に響き渡る雷鳴を駆る少年、光岡ケンは歓喜していた。

 自分の声さえ分からないほどにけたたましく吠えるクルマは、稲妻に歯をつけたようなステッカーを背中に背負っている。この首都高を縄張りとする暴走族の一員だとわかる。

 アナログなキーの挿しこみ口は粗さが目立つピッキングの跡がついている。それも一台だけではない。殆んどの車両が盗難車なのである。

 しかしマシンは待ち望んでいたかのように少年光岡を受け入れた。

 それほど、扱いが簡単なマシンなのだ。

 荒れた路面を器用に避けて爆走する少年一族たちは走る。

 高速道路は三十年以上前に閉鎖されて、いまは文化遺産のような扱いを受けてきたが暴走族にとっては絶好の遊び場だ。

 でかでかとリアウィンドウにはっつけたステッカー。

 古臭い小ぶりの白黒の車。

 古風なリトラクタブルヘッドライトにツードア。

 華奢な体型に似合わず豪快に緩いコーナに突っ込むその車のドライバーは、ニヒルな笑みを浮かべてステアリングを握りしめていた。

(さすがだぜTOTOMi! この4AG-typeTはまさに俺が求めていたFR車だ!)

 グングン上る速度計に比例してうねりをあげるエキゾーストは歌うように吠える。

 ぐぉん!!

 水を差すように何者かが背後から迫ってきた。光岡はサイドミラーを見て、眉を顰める。

「松田かよ……くそ。新入りのくせに」

 松田と呼ばれる光岡と同い年の少年。彼が駆るマシンは、メーカーの倒産危機を救った再来のピュアスポーツカーと名があるモノだった。

 MAKUMA製の、FDF-ONIGIRI。

 その高い運動性能と美しいビジュアルで多くのクルマ好きを虜にした罪なクルマ。四半世紀以上にこの世から生み出されて以来、ファンとメーカーの努力によって現代まで生き延びた稀機なクルマ。

 ロングボンネットにスタイリッシュなテールランプ。MAKUMA製のウィングはカーボンニュートラルで組み立たてられ車体重量一.五トン切りの軽量化を実現させている。

 光岡が嫌いなクルマだ。光岡は、クルマはもっとトゲトゲしたものがカッコイイと信じているのだ。

 FDFはふっ、と力んだように一瞬リアを落とす。

 直後、頭を貫くような咆哮を皮切りにぞろぞろと金魚の糞のように引っ張られていく仲間を見て、光岡は思わず舌打ちを打った。

「一番は俺でなきゃダメなんだよ」

 ギアを上げる。

 光岡はモータースポーツの入れ知恵を思い出した。スリップストリームに入る。そして、目の前の車を小突いた。

「邪魔だ! そこどけ!」

 リアを小突かれて慌てたドライバーはハンドルを右に切って離脱する。

 ガリガリとボディを壁に押し付け力を分散しているのだ。後輪駆動ならバランスを失ってそのままあの世に走る羽目になっただろう。なんとか静止したメンバーを光岡は嗤い、先を急ぐ。

 野郎どもを押し込み、じわじわと差をつめていく光岡。

 名器typeTを首都高で攻めると、カーステなどもちろん聞こえなくなる。

 会話なぞままならない。

 車内立ち込める快楽、愉悦、緊張、脳内麻薬アドレナリン。

 単純化する思考に麻痺する速度感覚。

 理性を失う危険な領域へ、アクセルペダルを踏み込む。

 潜るようなトンネルに差し掛かり、ついに光岡の車は130キロに達した。下りに差し掛かり自重によるで勢いをつけて何台ものクルマを抜かすも、それでもFDFに追いつけない。

 執拗にパッシングを繰り返す。

「俺に恥かかせやがって。新人だからって調子のんじゃねーぞ」

 やがてFDFはハザードをだし、待ち構えるようにシフトを上げる。

 80キロ台に両車並走して、タイミングを見計らう。

 ゴーサインはない。

 崩れつつある高速道路にゴールはない。

 終わりのない道で勝負を決める方法は幾つかある。

 一つは限られた区間を走行してタイムを競うタイムアタック。

 二つはどちらかが動けなくなるまで車体をぶつけ合うデスマッチ。

 三つ目は最もオーソドックスで親しみのあるルール。

 根負けだ。

 我慢比べを制するものマシンを制する。

 残暑の影響もあってか水温計は平均より高い。構わず光岡はマシンをしごく。防音壁にボディを押し付け火花を散らしながらもコーナーを先行する光岡。松田のマシンは優雅に安定した走りでコーナーを走り抜ける。実直と破天荒が織りなすバトルは三十分あるいは十分もしかしたら五分と続いた。

 灰色に染まったレインボーブリッジを渡り、タイヤ、水温が狂ったように熱くなったマシン。醒めない情熱と執念がようやく収まった時はすでに勝敗を決していた。

 激しいドックファイドを制したのは、光岡だった。

 経験でもインスピレーションでもない。どれだけ我慢できるかが勝利の鍵だった。

 松田はビビったのだ。他人を傷つけることに。愛車を壊すリスクを避けるために。

 その点、光岡は松田の慈悲に漬け込んで勝利を勝ち取ったのだ。

 FDFは屈したかのようにアクセルを緩める。激しいエンジン音も疲れ切ったかのように後退していく。


 強ばる顔面とは裏腹に光岡は優越感に浸る。

「ぷふぁ〜〜!」

 緊張が解れたのか体の熱い空気を抜くように光岡はため息をついた。冷や汗が止まらないシャツは背中が冷たくなるほど濡れている。

 光岡は熱夢のようなストリートレースに光岡は勝ったのだ。

(ハハハ! 今日の奢りは豪勢に行こうぜ!)

 全身の血が脈々と全身を巡る感覚に冷たい背筋。

 光岡はとっさにブレーキペダルを踏んだ。

 FDFが目の前に飛び出してきたのだ。

 小さい車窓から松田が少しだけ身を乗り上げて、狙いを定めている。

 手に持っているのは二十センチほどの、発煙筒。

「おわっ」

 煙幕だ。

(あぁ! 汚ねぇぞてめ)

 ボンネットに乗っかった筒は白煙を噴き出す。フロントガラスを覆う目隠しはヘッドライトの光しか反射しない。光岡はアクセルを閉じるしかない状況に、はにかむ。

 そして光岡は、スロットルバルブを開けた。落ちた速度計が水を入れたコップのように満ちていく。古臭い電子速度計はグングンと上げ、エンジンの回転数は

荒れた凸凹の路面に足がとられても臆さない光岡はたった一言。

「舐め腐りやがって。ぶっ殺す」

 一寸先の見えない恐怖に、頬に冷や汗が伝う。

 煙幕が、晴れる。

 FDFはずっと先を走っていた。

(もうあんなとこまで……)

 光岡は、アクセルを閉じる。

 悟ったのだ。自分が死ぬほど頑張っても追いつけないことに。

(俺だって、性能のイイクルマに乗ればあんなやつなんかに……)

 そんな慰めにもならないことを思いながら。


「ぎゃっ」


 聞こえるはずのない声に、自分ではない声に光岡は不審に思う。

 幻聴だろうと思いながら走っていると優雅の塊、FDFが、バランスを崩した。大きく振りかぶる車体にけたたましく鳴るブレーキ音。タイヤが擦れて、何かに引っ張られるかのように壁に激突した。金属が擦れる音に宙を舞う部品。


「あぁー事故ったぁ!」


 交差する轍は事故の凄惨を物語っている。

 光岡は慌ててマシンを停めて、駆け寄る。

 フロントはぐちゃぐちゃに押し潰され、あらぬ方向にひん曲がったサスペンション。自慢のヘッドライトは面影をなくしている。くの字に折れ曲がったボンネットからはエンジンがはみ出てぷすぷすと小さな音を立てている。車体から漏れ出る真っ黒の液体は小さな池が出来上がっている。機械が焦げるような匂いに光岡は息を飲んだ。

 光岡は、松田が死んだと思った。

 しかし車外からオイルと血まみれになって這いつくばる松田を見て、光岡はホッとした。

 自分より弱い生き物を目の当たりにして安心したのだ。光岡はゆっくりと松田に近づき肩を貸した。

「あーあ。やっちまったな松田。ま、運が悪かったってことだ。ざまぁねぇけどな。ぎゃはは! これぞいんがなんちゃらってやつだ。おぼえておくよーにー」

「あ、あう……み、つ……先輩」

「あ? 聞こえねぇよ腹から声出せ」

「あ、あれ」

「あん?」

 光岡は訝しげに松田が指を刺した方に目を向ける。


 子供だ。ガキだ。


「……お前ガキなんかのために命出したとかバカじゃねぇの?」

「う、うぅ……FD、F。俺のFDF」

 項垂れることしかできない松田はとてつもなく惨めに見える。

「心配すんな。てめーのFDFは明日にでも引っ張てきてやっからよ」

 続々と追いついてくるメンバーの面々は松田そっちのけで大破したマシンに群がる。


「あーあー派手にやってんのぉネットにアップしたろー」

「あ、これ俺欲しかったパーツ。松田ぁ! もういらねーだろぉ」

「ギャハハ。撮ったれ盗ったれ」

「リィダァーぶつけた分べんしょーしてくださいヨォ」

「てめぇらほどほどにしねーとよー松田クンが可哀想だぜぇ。へへっ」


 ジャッカルのような野郎どもを可愛く思いながら次に光岡は立ち尽くす子供の心配をする。

「おーいガキ! 大丈夫かぁ」


「?」


 地面が、ズズズと、割れた。

 稲妻のように早く、谷よりも深い

 最初、光岡は老朽化による倒壊だと思っていた。

 違ったのだ。

 子供は、ガキは、泣いていた。

 驚いたのか、容姿にびびったのか、意味なんてにあったのか。

 分からなかった。判らなかった。

 解ったのは、その地割れが自分たちを飲み込もうと迫っていたのだ。

 切れ目は、弧を描くように拡がった。

 悲鳴をあげて逃げる少年たち。

 逃げる術のない巻き込まれたFDFは助手席に積んでいた火炎瓶が鋭い刺激を受けて、爆発。さらにはエンジンに積まれた燃料に引火した。

 直後、空気を飲み込むような爆発が起きた。重もしく、吹き抜ける熱気に思わず光岡はたじろいだ。

 一番近いガキは空気を吸えないはずなのに泣いている。迷子になった子供のようにないていた。溢れる涙を何とかぬぐい金切声をあげて泣いていた。

 呼応するようにFDFは宙に浮かんだ。

 クルマを潰すには約三百トンの力を要するプレス機が必要だ。

 それが、目の間に起こっている。

 目に見えない何かによって、スクラップ同然となっている。

 松田は、視線を上げて、絶句した。

 光岡は少し、理解できた。

 あれは近づいてはいけないものだと。

 光岡は振り返って、立ち尽くす野郎どもに向かって叫んだ。

「逃ィげろぉ!」

 悲鳴にも似た声に次々と野郎どもは蜘蛛の子を散らすようにマシンへと乗り込んだ。あるものは躓き、あるものはマシンを棄て助手席に乗り込む奴もいた。立ち尽くす奴は叩かれ、走り出しションベンを撒き散らしながらその場から撤退した。

 光岡もマシンに逃げけもうと腰に力を入れるが、

 ずっ、と。

 何かがそれを拒んだ。

 満身創痍の松田が腰に力を入れて立っていたのだ。骨にヒビが入っているかもしれない激痛の渦中にいる松田が、愛車を潰されて呆然しているはずがない。

「おい松田! なにほけっとしてんだ逃げるぞ」

「お、おれのマシンが……、助けないと」

「あれはもう死んだ! マシンなんざいつでも手に入れられる!」

 腰の抜けた松田を車内に突っ込んで光岡はリバースに入れる。すかさずサイドブレーキを引いて、一速を打ち込む。もと来た道を全速力で走るtypeTはボンネットの内から唸りを上げて轍を刻む。速度が乗ってどんどん小さくなる背後の炎は赤く、灯火のように夜空を淡く照らした。

 光岡がバックミラーを覗くと、燃えたFDFをバックに『ガキ』は立ち尽くしていた。シルエットからして、光岡たちを見送っているようだ。睨んでいるようにも見える。

 その時、光岡は背筋を冷たく這う何かを憶えた。

 光岡はまだ知らなかった。それを表現する言葉を。

 戦慄、というものに。

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