自転車を見つけたときの話
本当にいい天気だった。ボクは屋上のフチに座った。もしバランスを崩して滑り落ちても平気なように、換気ダクトの出口が背中にくるようにしてね。それからリュックをお腹側に回してラップで包んだお弁当を出した。
朝つくってきたんだ。手作りのレーズンパンにキッシュを挟んであった。
レーズンパンのほうはママの見様見真似でやったわりには大成功だったかな。レーズンを砂糖水につけて酵母を起こして、澱と一緒に小麦粉の生地に混ぜこんで焼くだけだよ。それでうまくいったんだから、人や動物のいないこの世界にも菌はいるってことだ。
キッシュは乾燥全卵粉をつかって、スライスベーコンと缶詰のほうれん草を混ぜて焼いた。しょうじき、ちょっと味が薄いっていうか、なにか足らない感じ。
でも、食べる場所が地上七十五メートルなら最高になるんだ。
飲み物はなんかよくわからない黄緑色の炭酸ジュース。キャップをちょっとずつ開けるんだよ。プシュって音がして泡が立ったらすぐ閉める。落ち着いたら、またちょっと開ける。階段を登ってきたからね。レモンとかライムに似た味なんだけど、いつもよりさっぱりしてるような気がしたかな。
最後にプルタブつきの缶に入った野菜の煮物。この世界は――日本だけなのかな? 詳しくわからないけど、こういう食べ物がいっぱいあって、お店さえ見つければ食べる物には困らなかった。
ご飯を食べ終わったら、ボクは映画で学んだ通りに日本語をいった。
「ごちそうさまー」
両手をあわせていうんだ。感謝の祈りみたいなものだね。
で、それから――ちょっと失敗した。
ボクはいい気になってたんだ。大きな仕事を成し遂げたような気分にね。
だから、食べ終えた空き缶を思いっきりうしろに投げちゃったのさ。振り向かずにね。結婚式で花束を投げるみたいなものだよ。
空き缶はけっこう離れたところでカーンと鳴って、コロコロ転がる音が響いて、フッと音が消えた。しばらくボーっとしてたけど落ちた音は聞こえなかった。遠すぎるし、小さすぎたんだと思う。
いくら世界がぐちゃぐちゃになってても、やっぱり良くないことをしたからだろうね。なんだか空き缶のことがすごく気になった。いまでも覚えてるくらいだもんね。
見つけたショッピングセンターまでの角度を測って大まかな距離を出して、地図の方角を揃えて点を書き入れるんだけど、そのときも空き缶が気になって気になってしかたないんだ。
たぶん、ボクはこの世界で生きていくのに向いてないんだろうなって、そのとき思った。
人のいた痕跡はあっても人はいない。どれだけ悪いことをしても咎められたりしない。
それなのに、ボクはボクの暮らしていた世界の常識に引っ張られて好き勝手にできない。高層アパートのうえから空き缶を投げたことすら引きずっちゃう。もしかしたらを気にして持ってこれるものをぜんぶとったりできないんだよ。
この世界でそんなことを気にするのはボクだけだ。
――本当は、ボクが元いた世界でもそうだったのかもしれない。
ある日とつぜん何年も仲良くしてた友だちから背中を蹴られたとしようか。ボクはなんで蹴ったのか聞いたりできない。事情があった? そうかもしれない。理由はなかった? そうかもしれない。でも答えがあったら悲しいし、理由がなかったら怖いだけだ。
だから聞けなかったんだ。ため息ばっかりだよ。
ボクは人と関わるのが苦手なんだと思いこもうとしてきたけど、けっきょく人がいなくてもおんなじだったんだ。単に上手に生きられないんだと思う。
やめてといっても笑われるだけだしね。
まぁいいや、つづきを話そうか。
ボクはいくつか見つけたショッピングセンターのうち、一番ちかいところを選んだ。だいたい五キロくらいだったかな。わりと大きな道を挟んでいたり、崩れた立体交差の道があったりして、想定よりもずっと時間がかかった。
変わった名前だったね。
スーパービバホームっていうんだ。ぜんぶアルファベットで、スーパーとホームは白でビバだけ赤い文字だった。下にはカタカナでスーパービバホーム。スーパーは超で、ホームは家でしょ? それはわかるんだ。でもビバってなんだろうって思ったよ。
あとになって万歳って意味だと知って、ますます変な顔になったね。
だって、超万歳家だよ? ハハ。意味わかんないけど、すごく楽しそうだよね。ボクが暮らしてた街にも変な名前のお店はあったけどさ。とびきり変に思えたよ。
でも、お店の中身はすごかったな。
感動とはちょっとちがうけど、商店街が丸々つっこんであるようなお店でさ。
まぁ、変震の影響なのか棚はぐちゃぐちゃだったけどね。
園芸用品を並べてるところの観葉植物は枯れちゃってたし、棚から落ちた洗剤で床はつるつるになってたし……ケージもあった。どう見ても動物用のケージだったし、コーナーのうえに犬とか猫の写真があって、ボクはすごく嫌な気分になった。
だってほら、こういう状況だし、最悪の想像をしてマスクをつけたよ。
でも安心して。心配無用さ。
ケージはみんな空っぽだった。この世界になにが起きたのかはわからないけど、きっとペットは無事だ。痕跡がないからそうだろうと思うしかないよ。そのほうが気が楽になるし。
できればお店のものをぜんぶもってかえりたいくらいだったけど、やっぱりそこは、さっきの話だよ。必要な分だけをもらって、メモを残すのがボクのルールだ。
そして、目的のものといったらそう!
自転車だよ!
すごくたくさん、いろんな種類の自転車があったんだ!
――ほぼぜんぶ壊れてたけどね。
まったく。この世界はボクに楽をさせてくれないよ。
でもまぁ、ホームセンターのなかにあったのは本当に運がよかった。
あそこにはいくらでも工具があったし、材料も、それに自転車のパーツもあった。ボクの家にあるパパのガレージよりずっと大きな即席ガレージさ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます