またですか、お嬢様。

蕩船坊(トーセンボー)

またですか、お嬢様。


「アール、出かけるわよ!」


 元気いっぱいの大声と共に、小さな人影が使用人部屋の扉を力強く開け放った。部屋にいた全員の視線が集まる。


「またですか、お嬢様」


「ええ、街外れの湖でピクニックだわ!!」


 リサお嬢様は自分の発案に自信たっぷりといった様子で、腰に手を当て胸を張っている。勘弁してほしい。


 この八歳の少女、リサお嬢様は僕の雇い主である旦那様の三女だ。僕は去年、十歳になった頃に屋敷に来たので知らないが、二年ほど前までは重い病気でベッドからロクに起き上がれないような子だったという。今ではこの通り元気いっぱい、使用人を振り回すおてんば娘になったが。


 旦那様はお嬢様の事が可愛くて仕方がないらしく、使用人達は『出来る限り要望を叶えるように』と言われている。まぁ可愛い末娘が病気も治って元気になって、やりたい事が何でも出来るようになったのだから仕方ないか。


 だとしてもこの、思いつきを即実行という悪癖はご勘弁願いたい。予定の調整とか食事の見直しとか、我々使用人が走り回らされるのだ。しかも今みたいに他に大勢使用人がいる場でも、毎度僕を名指しする。そこは普通執事長とかでしょう。なぜわざわざ使用人見習いの僕を指名するのか。


「ホッホ!本日はお天気もよろしいですから、ピクニックには申し分ありませんね。すぐお昼のサンドイッチをお作りいたします」


 執事長が朗らかに笑い、お嬢様に答える声で我に帰った。僕も自分の仕事をしなくては。



「はい!?」


 続く執事長の言葉があまりに予想外で、思わず大声を出してしまった。待ってくれ、料理はまだ僕の仕事ではないはずだ。


「本日の課題は『お嬢様にご満足いただけるサンドイッチを作る事』です、厨房には私から話しておきますので。完成次第ピクニックに同行し、自分の目でお嬢様の反応を確認してください」


 言うが早いか、執事長は使用人部屋から出て行った。他の使用人の先輩方も、何事もなかったかのように各々の仕事に戻った。これである。お嬢様が暴走したとき、僕は確実に割を食う。本来だったら今日はメイド長からテーブルマナーを教わるはずだったのに、どうやらご破産になりそうだ。


 使用人見習いとして屋敷に来てから、故郷の村で食べていたのよりずっと美味しいものを食べられるようになった。向こうの食事が不味いというより、屋敷の食事が美味しすぎるのだ。そしてテーブルマナーの日には、昼食後の時間を使って使用人の食事よりもさらに美味しいものを味わえる。だというのに。おのれリサお嬢様、食べ物の恨みは深いぞ。


 だが申し付けられた以上、仕事はしなければ。非常に、非常に不服ではあるけど、美味しい食事にありつけるのは僕がこの屋敷で働く使用人見習いだからなんだ。


「楽しみにしてるわね、アール!」


 そう言って、お嬢様は満面の笑みを僕に向けた。ふと、実家にいた頃に親父に言われた言葉を思い出した。


『男子というのはな。女の子に心の底からの無邪気な笑顔を向けられてしまっては、負けるしか道は残されていないんだよ』


 はぁ。豪華な食事は諦めて、サンドイッチを作ろう。せめて厨房の皆さんにしっかり教わって、できるだけ美味しいサンドイッチを作ろう。ピクニックの参加者全員の昼食になるだろうから。




 特に問題なく、いやちょっと問題はあったが、厨房のみなさんに教えてもらってサンドイッチは無事に完成した。


「サンドイッチ、とっても美味しかったわ!でも包丁を使う仕事をするのはまだ早いかもね。だってアール、怪我しちゃうもん」


 お嬢様はそう言いながら、ケガをした僕の手を両手で握った。農村にいた頃は剪定バサミや草刈り用の小さい鎌は使ってたけど、包丁を握ることも、台所に立つこともなかったおかげで少し指を切ってしまった。笑顔で美味しいと言ってもらえたものの、料理を習うのはまだ先になりそうだ。



 屋敷の庭。ミモザの花が見頃を迎えた花壇のそばで、こちらを振り返ったリサお嬢様は声を潜めて楽しげに笑った。


「うふふ。アール、サプライズよ」


 これは『あなたにサプライズがある』という意味ではない。この言葉の意味は『悪戯サプライズの片棒を担げ』だ。


「またですか、お嬢様」


「ええ、今回のターゲットはメイド長よ!」


 去年に十歳の誕生日を迎えてから、リサお嬢様の趣味はサプライズになった。この国では子供が十歳の誕生日を迎えると、盛大にお祝いをする風習がある。そしてそこで、商人である旦那様がたいそう張り切ってしまったのが原因だ。


 可愛い娘の十歳記念に加え、その頃は商売が軌道に乗り、国の御用商人の座も夢ではないとまで言われ始めた時期。いろいろと抑えが効かなかったのだろう、盛大なサプライズを敢行した。お嬢様はそれにひどく喜び、『自分もやりたい!』となった結果がこれである。


 家族や使用人を始め、旦那様のお得意様、果てはお得意様の家の赤ん坊や飼い犬にまで。とにかく何かしらのサプライズを実行し、プレゼントを渡す。これが、去年からのリサお嬢様のブームだ。以前と比べれば無茶振りの幅こそ狭まった。しかし、毎度プレゼント選びに付き合わされるのは勘弁してほしい。何ならサプライズの内容を考えるのも、実行するのも僕だ。僕の負担、むしろ増えてない?


 最近、お嬢様にと伝えた時に執事長が浮かべる困ったような笑顔を見るのがとても辛い。『リサの望みは可能な限り聞け』という使用人への言いつけは相変わらず有効なので、僕の仕事は執事長が調整して、他の方に回してもらっている。自分のせいじゃないのに、頭が上がらないどころか更に下がる一方だ。


「プレゼントの目星はつけておいでですか?」


「最近街に新しい雑貨屋さんができたでしょ。あそこで選びたいわ!」


「かしこまりました。すぐに外出の用意をしましょう」


「くれぐれも、メイド長にはバレないようにね!」


 すごく楽しそうにしてるけど、無理なんじゃないかな。誕生日とかが近づいた人はそわそわし始めるし、今からお嬢様の身支度をお世話するの、多分メイド長だし……。皆気づかないフリしてくれるけど。


「何してるの、行くわよアール!」


「ちょっと!?」


 やるせなさを噛み締めていたら、リサお嬢様が僕の手をとって屋敷へと走り始めた。


「怒られますよ!」


「そんなのいいから!」


 最近の旦那様の商売はすこぶる調子がいい。その影響か貴族の方とお会いする機会も多く、十歳を越えたこともあって、淑女として振る舞うように言われる事が多くなった。将来的には、貴族の子弟と結婚させるつもりなのかもしれない。


 大体僕がお側にいるときに暴走するので、こちらにまでお説教が飛び火してくる。ああ、これはまた怒られるな。僕はもう成人目前なのに、正座で怒られるのは心に来るんだけどな……。




「ねぇアール、このペンダント。すっごく可愛いわ、これ欲しい!」


「えぇ、よくお似合いですよ。ところで、メイド長に渡すプレゼントを選びにきたのでは……?」


 自分の為のプレゼント選びに出かけるのを知っているからか、メイド長からのお説教は幸運にも回避された。お嬢様はプレゼントそっちのけで欲しいものを見てるけど。


「同じペンダントでも、メイド長に渡すならこちらのロケットがよろしいかと。もうじきお孫さんが生まれるそうですし、肖像を入れておけばいつでも顔を見られます」


「それってすごく素敵だわ、そうしましょ!」


 無事にプレゼントは決まった。……お嬢様が気に入ったペンダントのお買い上げも決まった。ロケットのラッピングを待つ間、自分のペンダントはつけて帰りたいと言うのでつけて差し上げた。星空をモチーフにしたもので、お嬢様の深いブルーのドレスとよく合っている。そのことを伝えたら、よっぽど嬉しかったのか頬を紅潮させて喜んでいた。


 後日、ささやかな悪戯サプライズと共にロケットプレゼントはメイド長の手に渡り、そこにはお孫さんの肖像が納められた。あれ以来メイド長が食事の支度をすると、僕の分だけちょっと多めになっている気がする。気のせいかもしれないけど。



 机に向かって勉強をしていたリサお嬢様が、ひとつ伸びをして椅子から立ち上がった。


「アール、劇場に行きましょう」


 こちらを振り向いたお嬢様は、私の予想通りの言葉を発した。


「またですか、お嬢様」


「ええ、ソワレ夜公演にはまだ間に合うでしょう?」


 十五歳の成人を来年に控えたお嬢様は演劇に、より正確にはとある演目に異常なまでにハマっていた。回数は五十を超えたあたりで数えるのをやめた。半年ほど前、旦那様がめでたく国の御用商人の一角となり、そのお祝いに使用人含む周りの人間全員を連れて劇場へ来たのが最初だった。その時お嬢様は大層喜んで、涙まで流して旦那様に感謝していた。以来、少しでも都合がつけば劇場に足を運ぶようになった。何がそこまで気に入ったのだろう、私にはごく普通の恋物語に見えたのだが。


「ほらアール、あなたも座りなさい」


 そう言って、リサお嬢様は自分の隣の席をポンポンと叩いた。お嬢様は毎回必ず個室の席で観劇されるのだが、他に誰も見ていないのだからいいじゃない、と私を毎度隣に座らせるのだ。


「ありがとうございます、お嬢様」


 正直ちょっとありがたい。使用人は主人の側では馬車に乗る時くらいしか座れない……いや待て。見習い時代からずっと屋敷の内外を引き摺り回されてるけど、これは使用人の仕事なのか?なんかちょっと違う気がするんだけど。……まぁいいか。


 劇が始まった。繰り返し見た演目だが面白いもので、何度も見たことで劇の楽しみ方がわかるようになった。その日の客層や役者の都合などで要所要所が意外と変わる。今も一人ミスしたが、カバーするようにアドリブを重ねた。


 これが面白くて見ているのだろうか?ふとそう思い、お嬢様に目をやった。最近は淑女としての振る舞いも板について、以前に比べ感情を表に出すことが減った。もともとの整った顔立ちに加え、年相応の化粧も相まって、立派な大人の女性に見える。でも、観劇中は違う。以前のように泣いたり笑ったり、コロコロと表情が変わる。この半年ほどは、観劇に毎度お供させられている私が一番お嬢様の色んな表情を見ているだろう。


 そろそろ一度目の感動シーンが来るな。観劇中に声を出すのも気が引けたので、無言でお嬢様の膝にハンカチを置いた。気づいたリサお嬢様がこちらを向いたが、やはりすでに目に涙を浮かべている。


「グスッ……。ありがと、アール」


「いいえ」


 実はこのハンカチ、この演目のグッズである。王子様が病弱なヒロインに渡すのと同じ、ミモザの花の刺繍がされている。ヒロインはこのハンカチを心の励みに、辛い闘病生活を耐え抜く。その後、王子様と運命的な再会を果たして二人は結ばれましたとさ、めでたしめでたし。そんな内容だ。




 公演が無事に終了した。役者達が揃って舞台に出て手を取り合い、観客に大仰なお辞儀をしている。お嬢様も私も、幕が降り切るまで拍手を続けるのが恒例だ。何度見ても舞台の後の、カーテンコールというのはとてもいい文化だなと毎回思う。


 観劇後の余韻に浸りながら拍手を続けていると、個室席の扉がノックされた。おかしい、リサお嬢様にはこの後誰かと会う約束はなかったはずだ。お嬢様に目線を送れば、怪訝な顔をこちらに向けていた。心当たりがないのは同じらしい。ドアの方に向かおうとすると、ノックの主が自分で扉を開けた。


「リサさん、お久しぶりです。いやぁ、今日も実に感動的な公演でしたねぇ。僕も最近は毎日のように観に来ていたのですが、今日初めて貴女がいらっしゃるのが私の席から見えましてね。よろしければ一緒にお茶をと思い、ご挨拶に伺いました」


 彼はそう言って仰々しくお辞儀した。誰だっけな、見覚えはある。……思い出した、確か落ち目の御用商人の三男だ。去年、親子で旦那様の誕生日パーティーに招待されていたな。


「お嬢様は大変お疲れです。お引き取り願えますか?」


「無粋だな。僕はリサさんと話しているんだ。使用人は引っ込んでろ」


 ほう?


「無粋なのは貴方でしょう」


「なんだと!?」


「まず、舞台の幕はまだ降りていません。と仰るなら、幕が降り切るまで拍手で役者や裏方の皆様を讃えるべきでしょう」


 私が一歩近寄ると、彼は一歩後ずさった。


「次いで、お嬢様は観劇中に何度も涙を流されていました。その様子は貴方も、ご自分のお席からご覧になったことでしょう。ですが貴方はレディに化粧を直す暇も与えず、あまつさえ先触れも許可もなくこちらへ直接入っていらした。これが無粋と言わずなんと言いましょう?」


 また一歩距離を詰め、彼の目を間近で見ながら付け加える。


「そして最後に。これはソワレです。もう既に夜も良い時間、だというのに『一緒にお茶を』などと。下心を抱くにしても、それを隠して悟らせないのが紳士というものです。貴方のような輩とは、これ以上話す必要がありません。直ちにお帰り願います」


 そのまま直接手を触れないよう部屋の外まで追いやって扉を閉めて、鍵までかけてやった。扉を叩いたりドアノブを回したりしながら何か叫んでいるようだが、お前の言葉なぞ聞く耳持たん。


 ……追い出したら、急に頭が冷めた。改めて振り返ると、私の発言の内容は正しくとも、御用商人の使用人として少々スマートでない振る舞いをした。ひとまず謝ろうとお嬢様の方を向く。


 お嬢様の目からは涙がポロポロとこぼれ落ち、彼女のドレスを濡らしていた。


「も、申し訳ございません!怖がらせてしまいましたか?」


「いいえ、違うの、違うのよ。あなたは悪くないの……」


 どうしよう。ハンカチは観劇中に渡してしまったし、ええと。よし、ひとまず椅子に座らせよう。……座らせようとしたら、お嬢様は私の胸に顔を埋め、しっかりと抱きついたまま動かなくなってしまった。どうしよう。


「あの、リサお嬢様?」


「少しこのままでいさせて……」


「は、はい」


 私は十数分抱きつかれた末、ようやく解放された。途中、一度外が騒がしくなったあと静かになったので、あの輩はどこかへ連れて行かれたのだろう。


 その後、屋敷の自室に戻られるまでお嬢様は俯いたまま、一言も口を利いてくださらなかった。



 劇場での一件からひと月ほどが経過した。あれ以来、リサお嬢様とはまともに話せていない。というか露骨に避けられている。ここまで長期間話していないのは、ここに来て以来初めてなんじゃないだろうか。


「どうだいアール、身の振り方は決めたかい?」


 旦那様は私を応接間に呼び出すと、開口一番こう言った。お嬢様に嫌われたから解雇、とかではない。あと三ヶ月ほどで私が十八歳を迎えると、約八年続いた使用人としての契約が満了になる。旦那様は、その先私がどうするつもりなのかを聞いている。


「はい。以前お話しした通り、海外で商売の修行をしようかと」


 私がこの八年何をしていたかといえば、使用人の仕事をこなしつつ、商売の何たるかを商会の方々に教わっていた。なんの変哲もない田舎村の、普通の家の四男が受けるには過分な内容の教育だった。多分、扱う品物次第では今すぐ独立しても問題ないだろう。しかし契約だったとはいえ、この八年は非常に有意義なものだったので、しばらくは恩返しとして働かせてもらいたい。


 以前旦那様の部下の一人にそれを伝えたところ、商会のために海に出て新しい商売相手を探さないかと誘われた。魅力的な提案だったので一先ず受けると彼に伝え、それを旦那様にも伝えたのだが反応は芳しくなかった。


「そうか……。ところで今日呼んだのは、お前に会わせたい人がいるからでね。入ってきてくれ」


 旦那様が呼びかけると扉が開き、一人の男性が入ってきた。うーん、なんだろう。どこかで見た事あるような気がする。一度見かけたら絶対覚えてるはずなんだけど。


「アール、彼のことを覚えているかね?」


「やっぱり私、この方と会ったことがあるんですね。……すみません、思い出せません」


「はは、仕方ないですよ旦那様。あのとき私は泥だらけで、浮浪者のような外見でしたから。それに、もう十年も経つんですよ?」


 男性はそう言って苦笑した。十年前?それならまだ実家の農村にいた頃だけど……。ああ!


「思い出した、あの時の行き倒れのお兄さん!?どうしてここに」


 既視感の正体は十年前、まだ農村の子供だった私が助けたお兄さんだった。着ていた服は汚れて破け、酷く疲れた様子で道端に倒れていたのだ。私は彼に、持っていた弁当とお茶を差し出した。元気になった彼はお礼がしたいと私の家まで来て、そこで別れてそれっきりだったはずだ。


「彼はうちの番頭なんだよ」


「そうなんですか!?そもそも番頭なんて役職あったんですね」


 どうやら彼は商会の番頭だったようだ。でも彼が番頭だというなら、この八年一度も会っていないのはおかしい。


「まぁ、まずは私の話を聞いてくれよ。あの時は事情もろくに話せなかったからね」


 そう言って、番頭は私の向かいのソファに座って話を始めた。


「私は当時、番頭候補として試験を受けている最中でね。候補はそれぞれ与えられたお題に合わせて、新しい取引先を探してこいというものだったんだ。君の村に行ったのはそういう理由」


 確かに、地元の農村では果物を外に売りに出していた。私の実家は違うが。


「村は馬車で向かったんだけど、途中で賊に襲われてしまってね。私一人でどうにか逃げたものの、そこからは歩きで向かうしかない。ずいぶん遠かった……」


「あそこ辺鄙へんぴですからねぇ」


 あの田舎村、結構深い山に囲まれていて人気がかなり少ない。流石に流通は多少あるけど。


「一晩かけて村近くに着いたところで力尽きてね。そこに君が現れて助けてくれたって訳さ」


「でも、試験だったんですよね?あの村、外に出せるものはなかったと思うんですけど……」


 村で生産していた果物は、地元で消費する分や税で納めるものを除いて、売る相手が決まっていた。それの他に外に出せるものは思いつかないのだが、番頭は何を見に行ったんだろうか。


「こういうのは、直接足を運ばないとわからないんだよ。その土地に住む人にとっては無価値なものでも、遠くに住んでいる人にとっては貴重なことも多い。そしてまさにあの時、君の村で思いがけないものに出会ったのさ。あのとき君がくれた、お茶だよ」


「あのお茶が?あれは私が山で見つけて、挿し木の練習に使っていた普通の茶葉のはずです。香りはちょっと珍しいけど」


 私の実家は林業を営んでいた。山に囲まれたあの村では、人の手による森林の管理が欠かせない。雨が降って山が崩れでもすれば果物の収穫はおろか、生活に多大な影響が出るからだ。


 小さい頃、苗木を増やす練習として山で適当な植物を採取して増やしていた。いい香りがするなと思って摘んだ植物が当たりで、苗木の脇で育てて茶葉にして楽しんだ。


「あれはお茶じゃなくて薬草なんだ。遠方から取り寄せるしかなかった貴重な、ね。しかも当時、原産国では大きな干ばつがあったせいで向こうのものはほとんど枯れて、輸入できるような状態じゃなかったんだ」


「じゃあ、薬草で利益が出たから番頭に?」


「ちょっと違う。実はその薬草、ある病気の特効薬なんだけど……まだ気づかない?」


「はぁ……」


「旦那様、アールくんはわかってないみたいですよ?八年気付かないんだから無理ないですけど」


「リサが小さい頃、重い病気だったというのを忘れたかい?」


「まさか」


「そう、リサお嬢様の病気の特効薬なんだ。当時はまだ力づくで仕入れられる程の力が商会になくてね。日に日に元気がなくなるお嬢様を見るのは、結構心に来るものがあったよ。このまま死んでしまうんじゃないかって、口にしないだけで皆思ってた。あの頃は、旦那様もずいぶんやつれてましたね」


「そうだな。だがそこでアール、君の登場だ。番頭が薬草を持って帰ったおかげで、リサの容体は安定した。その後も何度か村から送ってもらって、一年後にリサは完治した。君のおかげで、私の娘が助かったんだよ。本当にありがとう。……ああ、やっと言えた」


 旦那様が、涙を浮かべながら私の手をとった。


「なんで言ってくれなかったんですか!?」


「伝えなかったのは、君を預かる時におばあさまに頼まれたからでね。調子に乗るといけないからと」


「あのババァ……」


「とにかく、アールに話さなかったのはそういう理由だ。逆に、屋敷や商会の人間には知らせている。優しく見守ってくれとね」


「お嬢様は……リサお嬢様は知ってたんですか?」


「そのつもりはなかったんだが、メイド長が漏らしてしまったようだ。確か三年くらい前、彼女の孫が生まれた頃だ」


「ちなみに番頭の私がこっちに居なかった理由は、薬草の原産国で根回しをしてたからだよ。あそこは資源が乏しくて、工芸品を除けばあの薬草くらいしか輸出するものがない。だから『こっちの国で同じものが見つかったけど、貴国への害意や、薬草の市場を崩壊させる気はない』とお偉いさんに伝えた時に信じてもらえるよう、方々駆け回ったってたわけ」


「リサの十歳のお祝いの頃、番頭は向こうの王家と接触した。薬草の苗を携えてね。おかげでかなりいい条件で、しかもあちらの王家のお墨付きで取引できるようになった。つまり、私が御用商人になれたのも、元を辿れば君のおかげだ」


「そんな、偶然が重なっただけで……」


「偶然でもだよ。そしてまだ君に恩を返しきれたとは思ってないんだが、それは私だけではない」


 扉が開く音がしたのでそちらを見れば、扉の向こうには顔を真っ赤に紅潮させたリサお嬢様の姿があった。


「アール、あなたのおかげで私は生きてる。感謝してもしきれないわ。メイド長に聞かされた時にはもう、びっくりしちゃったんだから。小さい頃にお父様から聞いた『私を救ってくれた王子様』と、元気になってからずっと側にいてくれた男の子が同じ人だったんだもの」


 そう言いながら私の方へ歩み寄ってきた。


「あなたがお父様に恩義を感じていて、遠い海の外に行ってまでそれを返そうとしているのはわかってる。でもそれじゃ私が、一番お礼しなきゃいけない私が、離れ離れになっちゃうんだよ?それでも、我慢するつもりだったのに。あの日、あんなにかっこいいことしてくれちゃって……。あなたの側にいたいって思ったら、顔を合わせるのも辛くて。でも離れるのはもっと嫌で……」


 お嬢様は俯いて、耳まで真っ赤にしてモジモジしている。旦那様と番頭がニヤニヤしながらこちらを見る。


「だから、私と一緒にこっちに残って……」


「お嬢様」


 言葉を遮られたお嬢様が、悲しげな顔をこちらに向けた。……ダメだ、仕返しする予定だったけどもう耐えられない。


「お嬢様、サプライズです」


「へ?」


 お嬢様が呆けた顔をした。すると旦那様と番頭が勢いよく立ち上がって拍手を始め、開いた扉からは次々に使用人達が入ってくる。


 私は大きく深呼吸をして、お嬢様……いや、リサの前に跪いた。そして上着のポケットから小さな箱を取り出し、中身が彼女に見えるように開く。


「リサさん。私は使用人ですが、あなたを愛してしまいました。どうか、私と結婚してくださいませんか?」


 リサは大声を上げながら涙を流し始め、私に抱きつくと何度も何度もうなずいた。使用人仲間が、黄色い紙吹雪を撒き散らして祝福してくれる。その様子ははたから見たら、まるであの舞台の大団円のようだっただろう。




「で、どういうことかしら?」


 ソファに座り、散々泣き腫らした目元を冷やしながら、リサは正座する私達を睨みつけた。


「意趣返しです」


「サプライズを……」


「旦那様に言われて……」


 私、旦那様、番頭の順だ。私は八年の間散々こき使われたのでちょっとした仕返し。旦那様は娘を喜ばせようと。番頭の存在は本当に知らなかったので、こちらは旦那様から私への悪戯サプライズだな。そんなだからサプライズ癖が娘に移るんですよ?


「アール、色々といつから知ってたの?」


「それは……」


「それがなリサ、聞いておくれ。お前が口を利いてくれないって凄く落ち込んで私の所に来たものだから、つい全て話してしまった。それだけ惚れてて自覚がないとか、お前たちをモデルにしたあの演劇の鈍感王子もビックリだな!」


「ちょっと旦那様!それ内緒って言ってませんでした!?」


 あー恥ずかしい!自覚がなかったってあたりが特に!!


「あら、まぁ」


 ほらーリサがこっち見てニヤニヤしてる……。


 溜息を吐いたリサが、自分が座るソファの隣をポンポン叩いた。座れということだろう。


「二人はまだダメ」


「「はい……」」


 立ち上がろうとした旦那様と番頭は肩を落として正座し直した。ソファに座ると、リサが腕に抱きついてきた。


「ずっと一緒にいましょうね、あなた?」


 リサはそう言って頬を染め、無邪気な笑顔を私に向けた。


 ……なるほど、この笑顔には勝てないな。

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またですか、お嬢様。 蕩船坊(トーセンボー) @mottlite

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