5.

地上に出た実紅はまず初めにアウトランダーに積んでいた水筒の水をリュドミラに掛けてもらい、浴びた返り血を出来るだけ洗い流し、その後臨場していた救急隊員に頼んで救急車の中でストレッチャーに座り、プレートキャリアに守られていなかった背中の部分に突き刺さった瓶やグラスの破片を引き抜いてもらった。

 深々とめり込んだそれは引きぬくにもこじらねばならず、一個一個抜くたびに激痛が走り思わず「痛っ痛っ」と口に出る。その様を車外のリュドミラは目を細め痛々し気に眺める。

 破片が取り除かれた傷口からは一瞬、血が噴き出すがすぐに止まり見る見るうちに肉が盛り上がり塞がれる。

 明日の今頃には薄っすらとした傷跡しか残らないだろう。

 作業をしながら若い女性の救急隊員は目を見開いて。


「もう塞がってる・・・・・・。さすがですね吸血鬼の方は」


 と、言った後慌ててラテックスの手袋をはめた手でマスク越しに口を押さえ。


「あ、すみません!差別用語使うてまいました。求血族、でしたね」


 実紅は言葉を返そうとセリフを考えたが思考が回らず思うように出てこない。

 代わりに冷や汗が噴き出し悪寒が走る。

 結構な出血があったようでブルートシスの極めて軽度な初期症状が出始めた様だ。

 その様子を見たリュドミラは別の救急隊員に声をかけ。


「輸血パックくれない?血液型は何でもいい。彼女に飲ますの」


 察した隊員は救急車に駆け込んだ後B型の輸血パックを彼女に手渡す。

「分隊長これ」とトスするリュドミラ。鈍い動作ながらもなんとかキャッチした実紅はもどかし気に付属するチューブを加え中身を吸い出す。

 半分ほど飲むと深々と溜息をつき。


「はぁ、生き返ったわ。ありがとリューダ」


 と、残りをリュドミラに渡すため救急車から降りた。


 かつて『吸血鬼』と恐れ忌み嫌われ、今日は人としての権利を獲得し『求血族』と呼ばれる人々。

 『Homo sapiens occultatum(ホモ サピエンス オクルタートゥム』“隠されたホモ・サピエンス”を意味する学名を持つ人類の亜種。

 それがこの二人だ。

 遥か一万年以上の昔、コーカサス山脈で暮らしていた人々の一部がウイスルに感染し遺伝的な変容を起こしたことによってこの種族は誕生した。

 ブルトラーゼと呼ばれる酵素が体内で生成できなくなり、他の人間の新鮮な血液を採り込まねばブルトーシス(ブルトラーゼ欠損症)と言う一種の自己免疫疾患を発症し死に至る。

 しかし、代りにこの種族は驚異的な寿命と抵抗力、回復力、身体能力を身に着けた。

 その持って生まれた能力が二人をこの場に誘い、戦いに身を投じさせている。


 辺りにはエマージェンシーブランケットを被り救急隊員に介抱される者や、黒い部分だけのトリアージタックを足首に付けられシートの上に横たわる者など幾人もの客や従業員で溢れかえり、その間を捜査員が赤色灯の明かりに照らされながら忙し気に走り回っている。

 地下への入り口の前にはハイエースベースの遊撃車がリアゲートを開け放ち停まっており、何かを待っている様子だった。

 やがて階段を間口の幅ほとんどを占領する様なサイズのブルーシートに覆われた何かが、鑑識課員達にに引きずられ上がって来る。

 こと切れた魔物だ。

 六人がかりだがそれでも重さのあまりゆっくとしか運べない様子で、やっとのことで貨物室に放り込むと全員が肩で息をしていた。


「今から解剖かぁ」


 そうつぶやく実紅にリュドミラは。


「二人でかなり撃ち込みましたから、大変でしょうね」


 と、チューブを加えたままで答える。

 背後からモーター音が聞こえると同時に。

 

「美紅ちゃん、何とも凄まじい格好やなぁ“危篤隊”の名ぁにふさわしい有様やないか」  


 彼女らを隊に与えられた別称で呼ぶ声の主を探すと、電動キックボードに片足を乗せたスキンヘッドの痩身の男が居た。

『NDC』とロゴの入ったレイドジャケットを羽織り、両耳には無数のピアス。薬学の博士号を持つエリートには見えない。

 顔なじみの麻薬取締官だ。美紅のモンベルのポロシャツのボロボロになった襟元や、血のしみこんだ袖を痛々し気に目を細め眺めている。 


「M事案って聞いた時からセンセイの顔を見れる思うた」


 美紅の言葉に“センセイ”と呼ばれた取締官はショルダーバッグからチャック付き袋に入った小瓶を見せる。

 VAPEのリキッドが入っていた物だ。


「前々からここでで『甘キ目覚』を使うたクラブイベントやってる情報を掴んどって、アンダーカバー(潜入捜査官)潜らせとったんやけど病院送りにされてもうたわ。ホンマ、さっぱりわややで」


 袋をブラブラ揺らしながら愚痴を言う。


「『甘キ感染』のシッポ。また掴み損ねたわけか」


 輸血パックから最後の一滴を吸い出してリュドミラ。


「どの組にも半グレ組織にも難民系ギャング団にも絡んでない謎の非合法薬物バイヤー組織『甘キ感染』肉薄でけるチャンスやったんやけどなぁ。クソ」

 

 そうこぼした時、耳に突っ込んでいたワイヤレスイアフォンに手をやると「了解、今から行くわ」そして。


「ウチのアンダーカバーを受け入れてくれた病院が解ったわ。行ってくるわ」


 そう残して電動キックボードに飛び乗り警察官や救急隊員の群れを掻い潜り姿を消す。

 後ろ姿を見届けると美紅は。


「着替えたいし、一旦覆パト戻ろか」


 そして足をアウトランダーの方向へ向ける。


 リュドミラも「了解」と応じて身を翻すがなぜかふと立ち止まり押し殺した声で「分隊長」

 美紅が立ち止まり振り返ったのを認めると。


「誰かに見られてる」


 夜目を頼りに視線をめぐらすと現場となった対面に建つ、玄関口に『危険』と書かれた赤いポスターが貼られたビルの屋上で止める。

 そこには二つ分の人影。

 一人は銀髪にゴールを乗せたパーカー姿の少年。冷ややかな視線を美紅とリュドミラに注いでいる。

 もう一人は黒髪の少年。顔を覆う長い髪の向こう側に眼帯で片目を隠したぞっとする様な美貌が覗いている。

 その彼は、美紅と視線を合わせたとたん口角を歪め不敵な笑みを一つ残すと軽やかに踵を返し、ゴーグルの少年を伴い姿を消した。

 二人の残像を見るように実紅とリュドミラは虚空を睨み続ける。

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