6.
大坂城の南西。大阪府警本部の斜め前に近畿管区広域捜査局が入る合同庁舎があり、その一隅に実紅とリュドミラが所属する第一機動特捜隊が置かれていた。
午前八時半。現場検証の立ち合いや南署に立った捜査本部への引継ぎを終わらせた二人は、ここで他の現場で仕事を終えた別の隊員と合流。互いをねぎらったり気の毒がったりからかったりしている内に次のシフトを担う別の分隊員が登庁し小隊長の仕切で申し送りのブリーフィングが始まる。
それが終わるとようやく本日のシフトから解放され帰宅の途に就ける。
実紅は通勤通学の人々の群れを掻い潜りマウンテンバイクを飛ばして自宅のある地下鉄谷町四丁目駅近くのマンションを目指す。
五階にある二LDKのドアを開けると、そこにはセルフレームの眼鏡をかけた穏やかな面持ちの青年が片手にフライ返しを持って待っていた。
そのエプロンが実によく似合う姿を目にしたと当時に、実紅の胸は抗しがたい焦燥感と飢餓感に囚われる。
勢い鼓動が早くなる。
「お帰り、実紅」と声を掛けた途端怪訝な表情を浮かべ。
「出勤した時とポロシャツが変わってるけど・・・・・・。どないかしたん?」
すかさず彼女は適当な笑みを作って。
「捜査上の秘密。それより朝ごはん」
対して「ああ、今日はパンケーキとフライドベーコンと・・・・・・」と答えようとした彼に向かいトレッキングシューズを脱ぐのももどかしく土足で玄関に上がり込み突き進む。
そしてがいきなりの力強い抱擁。
荒々しいまでの勢いに気おされ彼は先が言えない。
「そっちは後!先こっちやん」
いうなり実紅はカットソーの襟元から見える彼の白い首筋に唇を押し当て、上顎骨内の空洞に収められた鋭い犬歯を皮膚に滑り込ませる。
一瞬襲う痛みに彼の身は強張るが、その後ひたひたと忍び寄る恍惚に今度は蕩けてゆき二人そのまま一つになって玄関口に崩れ落ちた。
その日の夜。
リュドミラの姿はあの事件の現場近くのクラブ『NARAKU』に有った。
ブラックレザーのライダーズを羽織り黒地に旧約聖書の一節『血は命の中に』を赤々とプリントしたTシャツ、そして黒いスキニーパンツと言ういで立ち。
騒音の様なEDMや苛立たしく明滅する照明、ごった返す客の人いきれに溢れた店内を、カウンターに寄りかかり切ったレモンと氷だけをぶち込んだだけの並々とウォッカが注がれたグラス片手に見渡す。
騒ぎ声が聞こえその方に視線をやる。
人ごみの中から少女といってもいいくらいの女性が一人飛び出して来る。
ノーススリーブの黒いワンピース。ショートヘアに大ぶりのピアス。黒いアイラインが引かれた切れ長の目に鮮やかなルージュの引かれた口元。
リュドミラは激しい焦燥感と飢餓感を感じつつグラスを口にして中身を半分ほどにしてしまう。
その彼女を追うように四人の男達。
彼女は彼らに向かって言い放つ。
「こっち来ないで!」
男が一人歩み出て、それを無視し彼女の二の腕を掴み。
「邪険にすんなやぁ!遊んだろいうてんのや。それともなにか?俺らに逆らえるおもうてんのか?難民が!シャブ漬けにして売り飛ばすぞコラァ!」
リュドミラはカウンターの向こうでその有様を苦々しく睨む顔面をタツゥーで覆ったスキンヘッドの大男に。
「あれ、なに?」
「ファランクス(極右団体)がケツ持ちの半グレ集団とコネがあるて息巻いてるゴロツキや、最近ちょくちょく来とる」
「追い出してあげよか?」
「報酬は?何がエエ?」
「同じものをもう一杯と、あの子を口説く権利」
「それで乗った、頼むわ」
カウンターを離れ四人の元へ、怪訝に彼女を睨む男共に向かってリュドミラは。
「ねぇ、アンタたち、この子よりも私と遊ぶ方がずっと楽しいよ。みんなまとめて相手してあげるから」
いきなり目の前に自分らと背丈の変わらない白人の美女が現れ面喰っていた様だが、さっさと先に歩く彼女の引き締まったヒップをニヤつきながら眺めつつその後を追ってゆく。
しばらくするとリュドミラが一人戻ってきて頬に着いた赤い飛沫を手の甲で拭って舐めとり顔をしかめてつぶやいた。
「不味っ、アイツらアイス(覚せい剤)キメてやがったな?」
その姿をあっけに取られて見ていた女の子の元にやって来たリュドミラはその肩をそっと抱くと。
「気を取り直して飲み直そうか?」
カウンターにはすでにリュドミラと女の子の分のドリンクが。
「なんでこんなところに来たの?あんなのがいるかもしれないのに?憂さ晴らし?」
リュドミラの問いに女の子は意を決したように。
「うん、むしゃくしゃして、明日どうなるか解らないし、色々忘れたくて」
「そうか、じゃぁさ、これ試してみない?酒よりもセックスよりもドラッグよりも安心安全なむしゃくしゃの解消法」
そう言ってリュドミラは笑って見せる。
唇の間からは鋭い犬歯。
女の子は一瞬目を瞠ったが、やがて目を潤ませて。
「ねぇ、吸血鬼に血を吸われたら凄いってホント?」
「本当かどうかは試してみたらわかるよ。あとそれから吸血鬼は差別用語、覚えとこうか?」
と、首筋より先に彼女の唇に自分の唇を押し当てた。
END
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