3.

 アイウェア型ディスプレイにも暗視機能があるが、バッテリーがもったいないので二人とも自前の夜目にモノを言わせ真っ暗な階段を下ってゆく。

 途中何度も逃げ出した客が落としたバッグや靴を蹴り落とす。

 電源を落とし忘れたオーディオから垂れ流されるEDMの音量が増して来るとよいよ現場が目に入って来た。

 まず、二人の鼻先を胸をかきむしりたくなる様な甘ったるい匂いが襲う。

 間違いなく『甘キ目覚』の香り。

『ヨンシュ』などのスラム街で流行している新型のドラッグだ。

 電子タバコで気化させ肺から摂取し、強烈な多幸感と陶酔感を使用者に与える。

 安易に摂取できるうえに極めて安価なそれは、貧困故に先々に一切の希望を持てない難民や被災者にひと時の快楽を与え瞬く間に浸透した。

 だが、極めて深刻な中毒症状も当然ながらもたらす。

 それは精神の崩壊だけでなく、他のドラッグではありえない“症状”となって現れる。

 足音を殺し、気配を消して内部に侵入する二人。 

 けたたましく照明が明滅する店内、ひっくり返ったテーブルやスツールの間に、目につくだけで七人ほどの人影が床に転がっている。もう事切れていそうだ。

 店内の中央、異様に大きな人影がうずくまっている。

 毛髪が疎らな腫れあがった様な巨大な頭には、血をにじませたひび割れの様な傷が無数に表れ、通常の二倍以上に長く垂れさがった腕にはあり得ないほどの筋肉が盛り上がり、そこも引き裂かれたような傷がそここに浮かび上がり血がにじんでいる。

 それはうめき声とも泣声ともつかぬくぐもった声を終始上げ、ひっきりなしに体を揺らしていた。

 これが『甘キ目覚』がもたらすもう一つの中毒症状。

通称“魔物化”だ。

 中毒患者に対してこの新興ドラッグがいかにして生物学的変容を引き起こさせるのか?そのメカニズムは一切解明されていないが、すでにかなりの数の症例が報告されており、実紅のリュドミラも 魔物化した中毒患者と対峙したのはこれが初めてではない。

 しかし・・・・・・。


「こりゃぁ、プレミアムもんだわ」


 そうリュドミラが思わずつぶやくほどの有様で実紅に至っては言葉がでないほど衝撃を受けていた。

 ともあれ、生存者を救い出さねばどうしようもない。

 二人は店内に視線を走らせその姿を探す。

 魔物のその向こう、真ん中から真っ二つに叩き割られた天板をもつバーカウンターの奥、照明によって出来た人影が見える。

 生存者だ。

 さらに店内を見渡すと高そうなソファーセットが目に入る。

 VIP席だろうと察しをつけ、壁との間に人が通り抜けられる十分な空間があるのを確認すると、耳障りなEDMがかき消してくれることを期待し実紅はリュドミラに言う。


「リューダ、あっちのVIP席からアレを狙撃して、その隙に私がアンタの背後を回ってカウンターの向こうの生き残りを出口まで誘導するわ」


 自分の配置場所を確認するとリュドミラは。


「帰りを待ってる人がいる分隊長に貧乏くじ引かせるの、気が引けるなぁ」

「近距離とは言え正確にキメなアカンでしょ?ヴィンペル(ロシア連邦保安庁特殊部隊)で一二を争った狙撃の名手の面目躍如よ」 

「了解」


 と、リュドミラは言葉を残し散乱した什器や遺体を素早く跨ぎつつ、まるでネコ科の猛獣の様に静かに店内左手奥にあるVIP席を目指す。

 その間実紅は無線で地上の村上を呼び出し。


「機捜ニ〇一、こちら機特一〇一」

『機捜ニ〇一、機特一〇一どうぞ』

「今から生存者の店外誘導を実行、支援お願いします」

『機捜ニ〇一了解』


 VIP席を見ると、リュドミラがフォアグリップ内のバイポットを展開させ銃身を相手に背面を向けたソファーの背もたれに依託していた。

 実紅の視線に気づいた彼女は、親指を突き上げ答える。

 それらの気配に気づいたのか?店内中央に居座るそれが顔を上げ店内を見まわし始める。

 膨れ上がった頭の下には飛び出した巨大な眼球。皮膚の緊張に引き攣れて半開きになった口から血交じりのよだれと垂れ下がる舌、そして抜けて疎らに成った歯。

 その下には筋肉の急速な膨張ではじけた柄物のシャツにボロボロになったデニムのパンツ姿の体が見えるのだが、まるで上半身の肥大に置いて行かれたように下半身が貧弱な有様だった。

 魔物の巨大な眼球が自分の姿を捕える前に実紅は骨伝導マイクを通じリュドミラに命じる。


「撃て」

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