第4話.もう、お姫様じゃない


「チャス!」


 掴む腕に引き上げられる。即座に今度は厚い胸に抱えられて、膝裏には腕が回されていた。


「それヤメロ!」


 お姫様抱っことかいう奴じゃん! 自分は彼女に絶対できないやつだった。で、なんで俺が男にされてんの!? 


 ――倒れたことよりショックだった。


「今度こそ病院だ」

「違う、違うって!! 俺はこういう閉鎖的なとこで。ガソリンの匂いとかダメなの!」


 そういうと、再度車に投げ入れる、今度は助手席だった。すばやくシートベルトをはめられる。心配されてというより、先ほど逃げたからという気もしてくる。


 発車しないで、目がチャスを疑わし気に見てくる。


 警戒したいのはこっちだっつーの。キスとかされて、このままやられたらどうすんだよ。逃げられない自分が情なかった。


「――俺、妖精の血が入ってるから。こういうもろ人造的な所は苦手なの」

「外に出たほうがいいか?」

「……少なくとも、ここよりはマシ」


 シートにぐったりもたれかかり、答えればようやく車が動き出す。外に出るとすでに夕日がビルの合間から見えていた。


「窓を開けるか」

「んー排気ガスが入るからイイ」

「住んでいるところはどこだ? 交通量や排気ガスが少ない処なんだろうな」


 アンタならば社員情報調べられるだろ、と思いながら、チャスは目をあけた。


「郊外。ベネディクト地域」


 ミラー越しに眉が寄ったのがわかる。


「学生の頃は何もなかったんだ。それが今や廃棄物処理施設ができて、更に工業地帯だろ。でも家賃安いし」

「引っ越さないのか?」

「んー」


 それだけで返事は終わらせた。


「自転車、会社の前に停めてあるんだ。ぐるっと回ってまたその前につけてよ」


 じゃないと、明日の通勤に困る。


「具合が悪いのはどうだ? 家まで送る」

「――治った。だから自転車で帰る」

「明日、会社まで車で送らせる、もしくはタクシーに乗るといい。それぐらいは――」

「俺、アンタの愛人になる気はないから」


 さらっと言う。車に乗っている時は危険だとわかっていた。ロックをかけられて、ヤられるかもしれない。


「俺、女の子が好きだし、なんかそういうのめんどいから」


 だまる運転席に追い打ちをかける。黙られると言いにくいけど反論されるより、言っといたほうがいい。


「階層が違うだろ。それって変えようがないし」


 母親はただの人間。父親は妖精族の長だった。種族も、家族という考え方も、地位も、住む環境も、寿命さえ違う二人。


「俺を相手に遊ぶのは地位的にもうヤバいデショ」


 運転席は静かだ、運転さえもことさら丁寧。いや、自分が具合が悪いからかもしれないけど。


 雰囲気で怒らせたってのは誰にでもまるわかり。

 まずったかな、と思う。


 そして、車が静かに左に寄せられる。着いたのは、ホテル・ロワイヤルの車寄せだった。


 白手袋のホテルマンが助手席に手をかけ、丁寧にチャスをエスコートする。ミカエルはそのまま降りて、「お待ちしておりました、アンジェロ様」と呼びかけられてチップを握らせている。


「――ここって」

「具合が悪かっただろう、休憩しよう」


 それって部屋で? と聞きかけてやめた。ホントに部屋を取っていそう。つーかアンジェロ家御用達ホテルなら、ワンフロア常に押さえてあるだろうな。

 ロビーを見渡して、大きく息をつく。

 今回はキャンセルしても、食事に行かなきゃ諦めてくれない。だったら早めに済ませたい。


「――もう治ったよ。メシ、行こう」

「今日はやめておこう」

「いい、腹へってる」

「それなら、部屋で休め。食べたくなれば、ルームサービスでもいい」

「面倒なこと、しなくてイーヨ。行こう」


 チャスの様子を伺い、本当かどうか探っていて、それからゆっくりと頷くミカエル。


 チャスが軽くパンツを叩いて埃を落として立ち上がると、ミカエルは背に手をさり気なく置き、明らかに女性のようにエスコートしてくる。


「あのさ……」

「レストランは六十二階。夜景は好きか?」

「……どっち、でもない」


 ドアマンがボタンを押し、さっきのように先にエレベーターに乗かせる。前を歩くのは自分、レディファーストだ。あたまおかしくなりそう。


 女の子とデートの時も、情けないけど、こんな高級店を予約したことはない。イタリアンやビストロでももう少し庶民的だった。


(――俺、女役?)


「先ほどの、詫びとして奢らさせてほしい」

「詫びって」

「顔を近づけて唇を――」

「って言わなくていいっよ」


 ウェイターが水を運んできた時に口を開くから絶対わざとだ。あり得ない。楽し気に喉仏が動く。声に出さない笑い方は男としての色気もある。でも、目にはまだ警戒。

 自分の反応、具合、全てを探り、先ほどの会話の続きの代わりにまだ怒っていると伝えてきてる。


 でも相手の感情に気が付かないふりは得意、一度は相手のペースにのまれかけたけど、すぐに自分のことのみに意識を向ける。


「コースでいいか?」

「あ、俺」


 できれば大量に食べたい。でもここ最近食事抜きがちだから急に食べられない。


「残してもいい」

「……イイよ、残すの勿体ない。俺、メインとスープにする」


 気遣う眼差しにチャスは肩をすくめた。なんで俺、女の子扱いされてるんだろ。


「普段からこんなに食べないのか?」


 メニューを真剣に見ながらチャスは軽く流す。


「そんなことないって。この……サーロインステーキ、いやオマールエビ」

「両方頼めばいい」

「だから食べきれないって。あと、マッシュルームのスープ、アンタこそ、コース頼めば……って、俺が頼まないと食べにくいか」


 チャスはわずかに、メニューを見て考え込んで、何回かコースと見比べる。


「値段は気にしなくていい」

「そんなんじゃないって、ホントに食べらんねーの」

「――どこか、悪いのか」


 ミカエルがメニュウを閉じて、組んだ手に顎を載せてみてくる。その金の光を宿した目がチャスを落ち着かなくさせる。


 じっと見つめて逃げ場を失くしてくるのは、大学にいた時の教師と同じ、ただそれは逃れようと思えばできた。友人でも常に気遣ってくれる者もいた、それらは嫌がる気配を出すと引き下がってくれた。なのに、この人は逃がしてくれない。


「俺、ビンボーだったから。食事を残したくないだけ。自分が食べられる量なんてわかってんじゃん」

「健康な成人男性は、倒れたりしない」

「健康じゃなきゃこんなに食べないって」


 運ばれてきたスープは山盛りのキノコで、森を表現しているという。そこに白色の液体のスープをかけると、花が開いたように浮かび上がってくる。


「すげ」


 スープだけなのに、この凝りようだ。けれど、ミカエルはチャスを問い詰めるように見つめたまま。


「食べていい?」


 彼のほうは前菜が運ばれていた。彼もコースをやめて前菜とメインを選んでいた。彼はワインを飲んでいたがチャスはやめた。飲めないわけじゃないが、値段を見て引いてしまった。


「――理由を」


 視線を感じていたが、チャスはスープを遠慮なく流し込む、パンもたっぷりのバターを塗り、ついでにスープにもつけて食べる。


「……話さないか」

「個人情報。メシ奢る代わりに必要? そーいうもの」

「そうだな。確かに個人情報だ」 


 そう言って付け加える。


「だが、友人として心配してる」


 チャスは綺麗に片付けたスープ皿が去っていくのを眺めた後、彼の背後の夜景に目を向けそれから顔に視線を戻す。


「友人? 共通項も関連も何もないじゃん」

「握手をしたならば、知人でもあり、パートナーだ」

「……それ以上の変な感情もある?」


 彼の前菜も下げられる。空いたテーブルにミカエルが両肘を置いて指を組みピラミッドを作る。


「先ほどは中途半端な告白をした。チャス、本気で言う。今は気になるという感情だ……だがこの先、必ず好きになる――恋愛感情だ」


 チャスはミカエルを見つめ返した。こういう時、料理が来てくれればいいのに、なかなか来ない。


 その『必ず好きになる』って何だろ。でも、くどくど説明されて深みにはまりたくない。”一目ぼれ”よりマシな気もしたけど。あんないい加減なものはねーし。


「――俺さ。これまでも、男から好きって言われた事あったよ。なんでか知らないけど」

「……」

「てか、わかってる。こんな容姿だし。前はもう少し女の子っぽかったかな。十代半ばまで。だからたまに血迷うみたい……ていうか、そいつの気持ちを馬鹿にするワケじゃないけど」


 黙って聞かれてる、ミカエルは今までの同級生とも違い大人で、落ち着きがありどっしりと構えている、自分が最後まで何を言いたいのか聞こうとしている。


「……でもこの歳になっても男から好きって言われるとは思わなかった」

「多少中性的とは思っているが、男性と思っている。その上で好きだと言っている」


 アンタ男が好きなの? とは聞かない。これまでチャスに興味を持った男は半々、男じゃなきゃダメなのもいれば、バイでチャスの雰囲気に惹かれてというのもいた。


 話すのにためらいもある、が必要で相手はじっと待っている。根負けしてチャスは口を再度開いた。


「昔さ、俺、母親に女として育てられたことがあったんだ」


 相手は動かなかった、ただ目の動きで驚いていたのがわかる。


「潜在的に男が嫌いだったみたい。なのに、父親と結婚したのは何でか知らねーけど。もしくは、自分の血を引いた子供が男で嫌だったのかもな。だから女の子の服着て、髪の毛伸ばされて、リボンつけられて。名前、リナちゃんとか呼ばれて、だったかな。その時は溺愛されてたけど、お人形遊びとかしか許されなくて。サッカーとかやろうとすると泣いて怒るんだ。でも妹が生まれたら、――変わった」


 気まずくなった雰囲気、静かになった空間にオマールエビとフィレステーキが運ばれてくる。「パンのお変わりはいかがですか?」と聞かれてチャスは頷く。こういうサービスって、雰囲気を読まないで、運んでくる。――それがありがたい。


 ちょっとオレンジ風味のソースがついたエビは殻から外すのが食べにくかったけど、その殻をむく難しさが没頭している様子を見せられて丁度いい。


「その続きをきいてもいいのか?」

「――ん。だから、俺は女の子に向いてないと思う」


 過去、そう育てられたせいか女の子に間違われることもあった。けれど妹が生まれてチャスは家族から外された。

 施設に入れられ男として育てられても、なぜか昔の雰囲気が抜けなかったようだ。


 今はそんな名残はないけど、妖精の血があるせいか背も伸びないし中性的。

 だから容姿を好きだと言ってきた男もそんなのに惹かれていたのかも。その辺はわからない。


「ていうか、もう女はやらない。そう見えたとしても」

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