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 東京は北豊島群きたとしまぐん、高田町に私立・尤学館ゆうがくかん大学はある。

 明治の頃まで法的に認められた大学と言えば帝国大学のみだったが、大正に入って大学令が発令されてからというもの、慶應義塾や早稲田、同志社や拓殖など、有名な私立大学や師範学校が次々に認可を受けた。ここ数年で大学の数は急増し、この尤学館大学も今年、大正十四年に大学の認定をもらえたばかりだ。

 二年前の関東大震災の折、幸いにも火の手から逃れて古い面影を残す街並みの中、三階建ての大きな石造りの洋風建築はひときわ目を引く。法学部、文学部、経済学部の三学部があり、通う学生の多くは東京内の中流以上の家庭の子息達である。


 そんな尤学館大学には、少しばかり名の知れた講師がいた。

 彼の名を当麻榮介。心理学の講座を持つ、三十歳を少し過ぎたばかりの若き学者だ。

 父親が銀行の重役、母親は資産家の娘という裕福な家庭で育ち、その振る舞いは上品で鷹揚。また、明朗で社交的な性格でもあり、学内外に顔が広い。かつて東京帝国大学で英文学を修め、英国留学の経験もある彼は英語も堪能だ。時折、英文学の講座で臨時講師も務めている。

 日本人にしては上背があって手足が長く、英国で拵えたという三つ揃いのスーツが様になるモダンボーイ。綺麗に撫でつけた黒髪に凛々しい眉、彫りの深い整った顔立ち。常に柔らかな笑みを浮かべる姿は、お堅い教授陣の中でぱっと目を引いた。

 まだ独身の彼には見合い話が週に一度は持ち込まれているとか、近隣の女子大学には彼のファンクラブまであるとか、そんな噂もある男前である。


 さて、当麻榮介は英国帰りの優秀な講師ではあるが、少々……いや、だいぶ変わり者でもあった。

 留学時、英国で流行していた交霊会に参加した彼は、心霊学なるものに興味を抱いた。さらに、その会で知り合ったSociety for Psychical Research――心霊現象研究会のメンバーと交流を深めたそうだ。

 心霊現象研究会は、その名の通り幽霊や心霊現象……日本でも明治に流行った『こっくりさん』や『千里眼』といった、およそ常識では考えられない奇妙な現象を、科学的に研究する会だという。

 当麻は帰国後、英文学科を卒業した後、大学院では心理学に転向して文学博士号を取るに至った。大学院修了後は心理学研究室の助手、師範学校の英語教師、英語雑誌の翻訳……と職を転々としていた彼に、尤学館大学が声を掛けた。心理学の講座を新規に開くためであった。

 そうして彼は、尤学館で心理学の講師を務める傍ら、心霊学の研究も行っているともっぱらの噂である。


「あの先生、心霊研究に傾倒するあまり、帝大の心理学研究室から追い出されてしまったそうだよ」

「幽霊など馬鹿らしい。どうせ千里眼のように詐欺に決まっている。あんなものを研究するなんてどうかしているよ」

「いや、しかし先生は、霊術家のインチキを暴いて逮捕に貢献したという噂だ」

「学長のご家族が関わっていたらしく、それで恩義もあって、うちの大学の講師に呼ばれたと聞いたよ」

「ここだけの話だが、貴族院議員が相談に来ていたことがあるらしいぞ」

「この間、夜にたまたま先生の部屋の窓を見上げたら、おかしな影が見えて……」


 嘘か真かわからぬ噂が飛び交う中、当麻は『心霊先生』と陰で呼ばれている。

 明治の頃に大流行した心霊学や催眠術への熱は一時期に比べれば落ち着いてはいるものの、すでに大衆の中で浸透し、いまだ冷めることはない。若い学生達はそれなりに興味もあって、何かと噂になる彼の講座を受けるのを楽しみにしていたし、講義自体も分かりやすく面白いと評判で人気がある。年配の講師陣などは当麻を毛嫌いしてはいるが、密かに奇妙な相談事を持ち込む者も少なくはない。

 とかく当麻は、いろいろな意味で異彩を放つ講師であり、噂の絶えぬ男であった。



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