バベル

瀬名那奈世

第1話 消えた声

 進級式から解放された草壁マナカが左腕のサーベント(携帯用小型AI)に目をやると、明瞭なデジタル数字が午前十一時三十一分を示した。どうして偉い人の話って長くてつまらないんだろうな、と、もはや真剣に考えこみながら、マナカは体育館前のムービング・サイドウォーク(MSW)に足をかけた。



 なめらかにスライドする地面が教室棟方面へとマナカの体を運んでいく。中庭のど真ん中にそびえ立つ鯨の像を過ぎたあたりでMSWを乗り換え、しばらくすると、前方にずいぶんと古めかしい木製の門が姿を現した。都立桜庭高等学校ご自慢の『桜鯨の門』だ。門の十メートルほど手前でMSWを降り、右の柱に刻まれた『二一五〇年 設立』の文字を横目に、マナカは都立桜庭高等学校を後にした。



 校内では進んでMSWを使うマナカだが、街中では昔ながらのアスファルトでできた歩道を使うのが習慣だ。学校の外でまで何かに流されて生きるのが、小さい頃からたまらなく嫌だった。



 「お前、変わってるな」と言われ、冷ややかな視線を向けられたのは、ちょうど去年の今頃だ。入学式の後、クラス全員で学校近くのファミリーレストランに向かう途中だった。



 マナカは「先に行ってて」と愛想笑いをして、自分の倍の速度で運ばれていくクラスメイトたちの背中を見送った。そしてそのまま家に帰った。IDを交換したばかりのサーベントに連絡がくることはなかったし、翌朝教室に行っても、誰も何も言わなかった。



 そんなもんか、と、妙に納得したのを覚えている。誰もが自分のことだけで精一杯なのだ。



 それからずっと、「だったら好きにしてやろう」という想いがマナカの胸の内に横たわっていた。だから二、三年と履修する専攻分野には『多民族共生』を選んだ。



 『多民族共生』は全部で十六ある専攻の中で最も人気がない。不人気が不人気を呼び、「あそこに行くとせっかくの楽しい高校生活がおじゃんになるぞ」と噂がたっていた。今年度の履修生も開講最低ラインぴったりの十人だ。もちろんその中に、マナカの知り合いは一人もいない。



 いい時代だな、と思う。百年、二百年と時を遡れば遡るほど、少数派は自分の気持ちを我慢して、多数派に擬態することでしか自分を守れなかった。『多様性』なんて言葉が流行り始めたのが二十一世紀初めで、そこから二百年の時を経て、社会の同調圧力は穏やかに弛緩していった。



 桜鯨の門から下る坂をしばらく歩いたマナカは、歩道沿いに点々と並ぶカフェテリアの前で足を止めて、入り口横にあるパネルにサーベントをかざした。少し待つと、パネル下の受け取り口からふわふわの泡がたったカフェラテが飛び出してくる。



「げ、」



 飛沫がシャツの袖口にかかったのを見て、思わず声が出た。カフェラテ入りの紙コップを持つアームの勢いが、他の店舗に比べて強すぎる。



 ため息をつきながら、マナカはカフェラテを受け取って店内に入った。歩道沿いと車道沿いにそれぞれ五つずつ、カウンター席が設置されている。車道側の一番端の椅子に腰掛け、薄茶色い液体に口をつける。



 一定の速度で通り過ぎていく自動車をぼんやりと眺めながら、マナカは「我が校は来年で七十五周年を迎えます」と語った校長の額のシワを思い出した。『お祝いの言葉』を読む校長の顔は馬鹿でかいスクリーンに大映しになっていたので、体育館の後ろの方に並んでいたマナカからも、彼のむくんだ浅黒い肌や濁り切った虚な瞳がよく見えた。



 ありとあらゆる仕事がAIに取って代わられたというのに、『権力』という仕事は未だに人間の管轄らしい。



 つまらない顔をした聴衆につまらない話をするなんて、この世で一番つまらない仕事だ。そりゃシワも増えるし、目は虚になる。『よりよく生きる』を目標に据えた高等教育のトップがアレなのは、何か盛大な皮肉が込められているに違いない。



 校長に比べれば、真藤先生はまだマシなのかもなあ。



 次にマナカの頭に浮かんできたのは、『多民族共生』専攻教諭・真藤至の顔だった。



 真藤は、歳は六十後半くらいだろう。右手で杖を突いていて、十六専攻教諭の紹介の際には、登壇時のおぼつかない足取りに不安を覚えた。しかしスクリーンに映し出された彼は、弱々しい見た目からは意外なほど鋭い瞳をしていて、そこには確かに『光』があった。



 他専攻の教諭が各専攻の理念や今後の大まかな予定を語る中、真藤はなぜかスポーツの素晴らしさを力説し、「まあそういうわけで、私は今年も死なないように頑張ります」と締めてマイクを置いてしまった。お陰でマナカは、これからの学生生活について、あまり具体的なイメージを持てずにいた。



 今かろうじて知り得ているのは、『とにかく二年間、日本以外の様々な国で生活するらしい』という情報のみである。一年生の秋に配られていたパンフレットにも、そう書いてあった。



 そしてマナカは、ただその一点のみに惹かれて、『多民族共生』という分野を専攻したのだった。



 ピピ、という小さな電子音に意識を引き戻される。音の出所であるサーベントのディスプレイが自動で光り、『正午です。目を閉じて世界の平和を祈りましょう』という文章が表示された。



 マナカはカフェオレを置いて両手を膝の上で重ね合わせ、目を閉じた。暗闇の中で、今の平和への感謝と、それが未来永劫続くことを祈る。



 頭に思い浮かべるのは、塔だ。



 青い空に伸びていく、どこまでも高くて白い塔。

 二一◯◯年八月一日、世界中の人々が同時に、高らかに鳴く鯨の声を聞いたという。日本時間では、正午ぴったりのことだった。



 当時、世界は第四次世界大戦の真っ只中で、大地は戦火に燃えていた。しかし、その物悲しくも美しい声が響いた瞬間、全ての人間が手を止め、涙し、武器を置いた。声を聞いた人々の頭の中に、戦争ほど愚かしく無意味な行為はない、という啓示が降りてきたのだ。



 『鯨の声』による啓示は、その後十二時間おきに繰り返された。世界中の国々はそれに導かれるようにして武力を放棄し、様々な問題を言葉で解決しようと努力し始めた。



 世界のどこかで誰かが言った。「あの声を聞くと、世界中の人々を同胞のように感じる。鯨の声は、まるで崩壊前のバベルの塔のように、人の心をひと所にまとめ、争いを防いでくれる」、と。



 やがて人々はウェイル・ボイスと共に目を閉じ、平和な世界の持続を祈るようになった。後の世界宗教『バベル』の誕生である。



 バベルが国連で『世界宗教』として採択されたのは二一一◯年のことだった。その頃には世界中の人々がウェイル・ボイスと共に祈りを捧げていたので、特に異論はなかった。



 ただ、キリスト教圏に寄った『バベル』という呼び名や、既に存在する宗教との兼ね合いについては疑問が持ち上がった。新たな争いの火種を防ぐため、『世界宗教』の呼び名や解釈は、各国、各宗教圏に任された。



 したがって、『バベル』は世界宗教でありながら、地域によって名前を変える。その立ち位置も、元々信仰されていた神の上位存在として定義されることもあれば、地域の宗教的行動にウェイル・ボイスへの『祈り』が加わっただけ、という場合もある。



 結果的に、その柔軟さは世界中の人々を救った。全人類が、自分の大切なものを失わずに、ごくごく自然な形で『ウェイル・ボイスへの祈り』という共通項を手に入れたのだ。



「何してるの?」



 祈りを終えたマナカが目を開けると、すぐ横に五歳くらいの女の子が立っていた。女の子は潤んだ黒い瞳でマナカの顔を覗き込んでくる。



「どうして目をつむっていたの? 具合が悪いの?」

「こらっ、葉月」



 入り口の自動ドアを抜けて、両手に紙コップを持った女性が慌てて近づいてくる。



「ごめんなさい」

「いえ」



 女性は女の子の手を引いて歩道側の席に歩いていった。マナカはその後ろ姿をちらりと見て、冷めてきたカフェオレを一気に飲み干し、カフェテリアを出た。



 MSWや歩道を歩く大勢の人々を眺めながら考える。この中に、足を止めて正午の祈りをした人はどれくらいいるのだろうか、と。



 毎日欠かさず聞こえていたウェイル・ボイスが消えてから、早十年である。

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