はぐれ聖女 ジルの冒険 ~その聖女、意外と純情派につき~

タツダノキイチ

1章 きっかけ

第1話 はぐれ聖女ジル01

どの町へ行っても教会はうるさい。

刻を告げる鐘が鳴り響く曇天の空を見上げながらそう思った。

気が付けばちらほらと雪が落ちてきている。

私は冷えた体を抱えて狭い路地へと入っていった。


ここは王都の庶民街、いわゆる下町。

飾らない活気が溢れる場所。

そんな下町の路地には、地元の労働者を相手にする居酒屋がある。

酒の絵が描かれた、ややくたびれ気味の木の看板を目印に私は店の扉をくぐった。


「らっしゃい!」

と威勢はいいが、それほどやかましくもない声が掛けられる。

私は、

「おっちゃん、熱燗ひとつね」

と、初めての店にも関わらず、常連のような雰囲気でカウンターの向こうにいる店主らしきおっちゃんに声を掛けた。

どの町でもそうだが、こういう場末の居酒屋はそういう客のほうが喜んで受け入れてもらえる。

辺境の小さな町の居酒屋に生まれ育った私には慣れたものだ。

聖女としてたまに教会の仕事を受けながらの冒険者稼業。

そんな生活を3年も送っているせいだろうか。

店構えを見ればだいたい、そういうのが通じる店かどうかが判断できるようになった。


「あいよ、お待ち!」

という明るい声とともに私の目の前に「ちろり」が置かれる。

「ありがとう。ねぇ、早いつまみって何?」

「あー、そうっすね。煮込みならすぐですぜ。あとは味噌キューか『ぐるぐる』なんかも早いですね」

と言うおっちゃんの言葉に、

(ぐるぐる?)

と思いながらも、

「じゃぁ、煮込みとその『ぐるぐる』?ってやつをもらっちゃおうかな」

と思い切ってその未知の料理を注文してみた。


「あいよ!」

と言って、おっちゃんがカウンターの奥に下がっていく。

私はその未知の料理への期待と、下町の居酒屋ならではの「がやがや」とした楽しい雰囲気にやや上機嫌でぐい吞みに酒を注ぐと、ひと口「くいっ」と飲んだ。

「…はぁ」

と思わず息が漏れる。

(へぇ、意外といいお酒使ってるじゃない。この店は当たりかも)

と思いながら、もうひと口。

(うん。燗つけの加減もいいわね。熱過ぎず、ぬる過ぎもしない。なかなかわかってるじゃないの)

と、ひとりにんまりとしながら、つまみを待った。


「お待ち」

と言っておっちゃんが出してくれたのは見慣れたモツの煮込みと、なにやら緑の野菜をくるくると器用に結んでそこに酢味噌らしきタレがかかったもの。

「ヒトモジってわかりますかい?…まぁ、いってみりゃネギなんですがね、そいつを軽く湯がいてそんな風にぐるぐるっと巻いてるから『ぐるぐる』って名前なんでさぁ。酢味噌はちょいと辛子が効いてますから、酒に合いますぜ」

とにっこり笑いながら言うおっちゃんの勧めと好奇心から、まずはそのぐるぐるをつまんでみた。

しゃきしゃきとした食感とヒトモジの甘さにほんのちょっぴり辛味の効いた甘い酢味噌が程よく合っている。

(なるほど。これは進むね。煮込みで濃くなり過ぎた口直しにもぴったりかな)

と思いながら、酒をひと口。

(はぁ…。今日は特にお酒が沁みる…)

と思いながら、今日、教会のおばちゃん…もとい、神官に言われたお小言を洗い流すように今度は煮込みをつまんでまたひと口ちびりと酒を飲んだ。


今日のお小言もいつもと同じ。

「あなたはもっと教会の仕事をしなければいけませんよ。特にあなたはそれなりに優秀だったんですから。いいですか?神聖なる魔法の加護を受けた者というのはこの国だけでなく、周辺の国々にとって重要な存在なんです。本来ならあなたは中央の教会でお勤めしなければならないんですからね。わかりますか?あなたにはその資格と使命があるんですよ。いいですか。何度も言いますけど、あなたはその加護の力をもっと多くの人々の役に立たせなければならないんです」

ということを「くどくど、くどくど」と言われる。


私は、そんなお小言を思い出し、

(そういうお説教はもう聞き飽きたのよねぇ…)

と思ってげんなりしつつ、

(まぁ、お世話になった教会長さんがたまにはやれっていうんだから仕方なくやってるけどさぁ…)

と心の中で愚痴って『ぐるぐる』をつまみ、酒を飲んだ。


(ふぅ…。だいたい神聖なる魔法の加護ってなによ?あんなのただちょっと魔素の流れを整えるだけの魔法じゃん。…まぁ、いろいろと謎はあるけど…。ていうか、神様関係ないって気付いてる人が何人もいるじゃん…。もしかしてそういうところに教会長さんが言ってた政治ってやつが絡んでるのかな?…まったく、面倒くさいってーの!)

と愚痴りながらお酒を飲んでいると、いつの間にか美味しかったはずのお酒の味が妙に苦く感じられてくる。

(いけない、いけない。うん。こういうお酒は良くないよね。『お酒は楽しく飲むのだ』って父さんがいつもお客さんに向かってお説教してたっけ。そうだよね。美味しく楽しくが一番よね)

と思い直して、私は気持ちを切り替えるようにひとつ深呼吸をした。

また煮込みをつまんでお酒を飲む。

すると、お酒はさっきよりちょっとだけ美味しくなった。


美味しいお酒を飲んでいると、だんだん小腹が空いてくるから不思議なものだ。

私が頃合いを見計らって、ちょうど目が合ったおっちゃんに、

「おっちゃん、ちょっと小腹が空いたんだけどなにかある?」

と聞いてみる。

すると、おっちゃんは、少し考えてから、

「そうっすねぇ…。米か麺は〆にするでしょし、出汁巻き卵なんてどうです?早いし酒にもあいますぜ」

と、にこっと笑いながらそう言ってくれた。

私は、

(いいね。あれだよね。出汁でお酒を飲むっていうやつだよね)

と思い、

「じゃあ、それで。あと、もう一本つけて」

と言って、空になった「ちろり」をおっちゃんに向けて振って見せる。

「あいよ!」

とまた威勢のいい声がして、おっちゃんはカウンターの奥に下がって行った。


「ぐるぐる」をつまみ、ぐい吞みに残った酒を名残惜しそうにちびりとやって、

「ふぅ…」

と息を吐く。

(いまごろみんなどうしてるかなぁ…)

そんなことをぼーっと思って、最近の拠点にしている辺境に近いルクリウス子爵領郊外の村、チト村のユリカちゃんとアンナさんの顔を思い浮かべた。


チト村を拠点にしたのは2年くらい前。

今では1、2か月に1度は立ち寄って1週間くらい滞在させてもらっている。

もともとあの村に立ち寄ったのは偶然で、村には宿が無く、たまたま部屋が空いていたアンナさんの家を紹介されたのがきっかけだった。

その時、アンナさんは少し前に独り身になって、ユリカちゃんは妹さんの忘れ形見だという話を聞き、なんとなく同情心が湧いてしまったのを覚えている。

2人とも明るく前を向いて生きているのに、私はつまらない同情をしてしまった。


今考えればなんとも失礼な話だし、恥ずかしい気持ちさえ湧いてくる。

(あんたどれだけ偉い人なのよ)

と、つい上から目線で人を憐れんでしまっていた自分を情けなく思った。

その時アンナさんの家に泊めてもらったのは3日間。

ユリカちゃんはとっても人懐っこい子で、今では私のことをジルお姉ちゃんと呼んでくれている。

私もそんなユリカちゃんが本当にかわいくて、今では冒険の帰りには必ずおもちゃや絵本をお土産に持って行くようになった。

ユリカちゃんは優しくて明るくて、ちょっとおしゃまなところもあるけど、とっても賢いいい子だ。

アンナさんは常に優しくて料理が上手い。

あの家は暖かく、どこか私の実家に似た雰囲気がある。

そんな空気に惹かれたんだろう。

最初に泊まらせてもらった時の帰り際、ちょっと寂しそうにするユリカちゃんの頭を撫で、気が付けば私は、

「また寄ってもいいかな?」

と聞いていた。


無邪気に喜ぶユリカちゃんとそれを微笑ましく見つめながら、

「どうぞ、いつでもいらしてくださいね」

と言ってくれたアンナさん。

そんな2人の笑顔が今、私の心を支えてくれている。

ふと、そんなことを思い出して微笑んでいると、

「お待ち!」

と言っておっちゃんがお酒と出汁巻き卵を持ってきてくれた。


ぱくりとひと口。

じゅわりとしみ出してくる出汁がたまらない。

その出汁のうま味にお酒を合わせると、今度はその出汁にお酒のふんわりとした香りと甘さが加わる。

そして、お酒の香りが鼻から抜けていく瞬間、一緒に出汁の香りも私の鼻腔をくすぐっていった。

「ふぅ…」

と息を吐く。

(これはたまらんわ…)

とややオヤジ臭い感想を抱きつつ、おっちゃんのいい仕事っぷりに感謝して、またお酒を飲み、最後をお茶漬けで〆ると、私は 粒銀貨3枚を置いて、その店を出た。

(はぁ…。美味しいお酒といいおつまみ。これが幸せってものよね…)

と、感慨にふけりながら、空を見上げる。

相変わらずの曇天で小雪のちらつく王都の空は夜の帳がすっかり降りて、真っ暗だ。

ちらちらと舞う小雪が映えて美しい。

吐くたびに白くなる自分の息を見て、

「寒っ」

とひと言漏らすと、コートの襟を立てて首元を覆った。

さっきまであんなにもうるさく、無粋だと思っていた王都の空が今は清々しく見えている。

(ふふっ。私も現金なものね)

と、心の中で笑い、今夜の安宿を目指して石畳の道を歩き始めた。

(さて、明日はどんなお土産を買って帰ろうかしら?この間はウサギのぬいぐるみだったわよね?ああ、ユリカちゃんは賢いから、そろそろもうちょっと字の多い絵物語がいいかもしれない。うん。そうしよう)

そんなことを考えながら、ちょっとふわふわする足で石畳を叩く。

いつの間にか、私の頭の中からはあのお小言がきれいさっぱり消えていた。

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