見えない首輪

シギン

ある日突然、首輪をはめられた男の話

 私は幼少期の頃から線が細く色白で不健康に見られがちな人間だった。

 だが、小学生時代は虫取りに明け暮れ、中学時代はバスケ部に所属し、高校時代は一眼レフを片手に色んな景色を写した。大学時代もキックボクシングを嗜んでいたしアルバイトもやっていた。

 人は見かけによらずとは私のためにある言葉のように思えるほどだった。

 滅多に病気もせず、ましてや精神的な理由で体調を崩すなどといったことには無縁な人間だった。だから大学卒業後に控えた新生活にも特にストレスなどは感じていなかったのだ。


 しかしそれでも、人生とは分からないものだ。


 3年前の3月に突然、私の精神はドミノのように崩れていくのだった。

 そもそも3年前の3月というのは新社会人を一か月前に控え新生活に向けた準備期間だったのだ。一人暮らしをするための物件を選び家具をそろえるために様々な店に出向いていた頃だった。きっかけは本当に些細なものだった。


 3年前の3月16日。


 この日は大型家具を買いに家電量販店に出かける予定だったのだが朝から頭痛があった。

 こめかみを圧迫するような嫌な頭痛だった。

 しかし、頭痛に関しては特に私は驚かない。

 このころの私は缶コーヒーを日常的に愛飲しておりカフェインが切れると頭痛がする体質だったためコーヒーさえ飲めばすぐに治まるだろうと楽観的に考えていたのだ。

 だがこの日はコーヒーを飲んでも頭痛は治まることはなく頭痛に加え腹部が張ったような感じになり悪化したのだ。

 こんなことは初めてだった。

 それでも時間がたてば治ると思いそのまま家電量販店へと足を運んだ。買い物には親も同伴だった。

 買い物をしている最中も頭痛と腹部の不快感はどんどん悪くなっていき、そのうち吐き気も伴ってきた。

 なんとか買い物自体は済ませたが大型家具ということもあり搬入の手続きなどがあったため手続きは親に任せ私は店内のベンチで休んでいたのだが吐き気が酷くなり座っていられなくなった私はトイレに駆け込んだ。

 トイレの個室に入り便器に顔を近づけた。このまま吐くのかと思った瞬間に信じられないくらいの恐怖感が襲ってきた。

 思えば嘔吐する機会などは何年もなかった。

 冷や汗と早くなる鼓動。結局私は吐くことができず恐怖から逃げるようにその場で眠ってしまった。

 目を覚ますと5分が経過しており少し体が楽になったのでトイレから出て手続きを済ませた親と合流し店を後にした。

 その日を境に嘔吐や吐き気に敏感になってしまったのである。食事量はどんどん減っていき人の多い場所や緊張する場面では吐き気が襲ってくるようになった。

 病院には行かずそのまま様子を見ていたのだが結局それが治ることはなくそのまま入社式の日になってしまった。

 入社式の会場に行く道中でやはり吐き気が襲ってきたため私は会社に連絡し病院に行くように指示を受け、ここではじめて病院に行くことにした。

 胃カメラを受けたが異常は見つからなかった。

 医師が言うには精神的な事が要因となっているかもしれないとのことで心療内科に行くことを勧められた。

 一緒に入社した同期たちが新人研修を受け始めている中、私は心療内科を転々としていた。

 同じスタートを切れないことに焦りを感じていた。

 新人研修の出席率が悪く本社に呼び出された私はそこで幹部の人間達から圧力を受け「どうすれば治ると思う」と問われた。そんなことは私が一番知りたかった。

 彼らは遠回りな言い方で退職を促しているようだったが私は出来ると言い張りなんとか退職は免れたのだった。

 この頃から吐き気や嘔吐の恐怖心に加え喉が締め付けられるような感覚を患っていた。まるで見えない首輪をはめられているような気分だった。

 心療内科では「咽喉頭異常感症」「強迫症」と診断され精神安定剤を処方された。人生で初めての精神安定剤を飲むのには最初こそ抵抗があったが実際に飲んでみると一気に不安が消え私の症状にもてきめんに効くのだと知った。

 これによって中盤に差し掛かっていた新人研修に復帰することができそれ以降は一度たりとも欠席することはなかった。

 それから実際の現場に本配属となった私は忙しい日々をスタートすることになる。

 忙しさのあまり症状のことなどは忘れかけていたのかもしれない。しばらくすると薬は飲み切ってしまったが、飲み切ればそれで治ったということなのだと思い込んでいた私は病院に行くこともなく夏頃からは薬なしで日常をおくっていた。

 今思えばこれが完治のチャンスだったのかもしれない。

 治ったことにする。治ったことすら忘れてしまうというのが強迫症における完治の第一歩だと知るのはまだ先の話だ。

 

2年目の春に再び吐き気や嘔吐の恐怖心、「強迫症」が再発してしまったのだ。

 きっかけは会社に向かう途中の電車の中で吐き気に襲われたのが始まりだった。 会社に連絡して急遽欠勤し、そのまま薬を処方してもらった心療内科へと向かった。 本来なら薬が切れる前に経過観察として1か月に一度病院に行かなくてはならないのだとこのとき初めて知った。医者からは少し叱られてしまった。

 同じ薬を処方してもらい再び薬を飲みながらの生活が始まった。

 結果的に薬を飲む量は増えた。

 去年までは1錠を半分に割ったものを1日1回しか飲んでいなかったのだが、2年目からは半錠を一日3回飲むようになった。

 強迫観念や喉の圧迫感が襲ってくる頻度が増えたのだ。薬が増えたのが原因なのかは定かではないが、不安や緊張感が消える代わりに体が重だるくなり頭の中も常にぼんやりとして、まるで自分の身体じゃないみたいになった。

 このままではいけないと思った私は自主的に運動をすることに決めた。休みの日に外を走り、平日でも自宅でできる筋力トレーニングに励んだ。

 身体つきは変わらなくとも精神面においてはストレス解消の効果があったような気がした。

 とはいえそれで私が患っている症状とされるものを解消できたわけではなく、吐き気や嘔吐に対する恐怖心を克服することさえできれば真の実力を発揮できるのにともどかしい気持ちでいっぱいだった。

 見えない首輪が千切れることをイメージしながら、せめて喉の圧迫感さえ消えてくれればと切実に願った。

 だが、そう思えば思うほど首輪はより強く私の喉を締め付けた。


 私が病を患って3年目。年明けすぐの出来事だった。年末年始は病院が長期休暇をとっており空いていない。そんなことを考えてすらいなかった私は薬を年末年始に切らしてしまったのだ。

 あらゆる行動が吐き気や嘔吐の原因となるという強迫観念から飲食が真面にできなくなり衰弱した。

 心機一転。今年こそはこの病を治そうと思い立ってすぐにこんな結果で完全に出鼻をくじかれてしまった気分だった。病院が再開するまでの4日間はもちろん会社にも行けずグッタリとして部屋で寝たきりだった。 

 タクシーでなんとか病院まで行った。

 明らかにこの症状は精神的なものが原因であると確信していたが医者はウイルス性の胃炎だと診断し、いつもの精神安定剤に加えて大量の胃薬ほ処方された。

 私は吐くのが怖くて食べれないと必死に訴えたが真面に取り合ってもらえず何でもかんでも強迫症のせいにするなと言われた。

 これがきっかけで私はこの病院に通い続けても病を完治することは不可能だろうと思った。 

 家に帰り、もらった胃薬には一切手を付けず精神安定剤を飲んだら嘘のように強迫観念が消え食欲も戻った。次の日から仕事に復帰できるくらいまで回復できたのだ。

 だが、薬を飲む量はまた増えた。一日に3錠を飲まないと常に不安感に支配されるようになってしまった。

 薬をいくら飲んでも治ることはなく寧ろ薬の量だけが増え続ける。なんとなくではあるが薬はその場しのぎでしかなく本当の意味で治すには別のアプローチが必要なのではないのかと考えるようになっていた。

 やはり運動習慣が必要だと考えた私はプロの選手も育成しているボクシングジムに入会した。

 大学時代の元気な身体と精神を取り戻せるののではとの期待もあった。

 ボクシングジムでの練習は楽しかった。試合形式の練習を積極的にやらせてくれるジムで、たくさんの会員と仕事終わりに殴り合った。

 すでにキックボクシングを習っていた経験があった私は基礎的な型を割と早い段階で体得した。ジムに行く前には必ず薬を飲んでいった。それが裏目に出ていたのか動きのキレは悪かったというか大学時代のように俊敏には動くことができず、それがまたもどかしかった。

 ボクシングの練習自体は楽しかったが首輪がやる気を阻害して行くのが次第に億劫になっていた。結局4か月で辞めてしまった。


 ゴールデンウィーク中の出来事。

 私は新型コロナウイルスに初めて感染した。下がらない高熱と酷い倦怠感と激しい喉の痛み。

 自宅療養期間中に何度か嘔吐をした。

 あれだけ恐怖でできなかったことなのに、いざというときには恐怖心など感じる暇もなくできてしまうことに驚いた。と同時に、これで嘔吐に対する恐怖心は克服できたと思っていた。

 だが、療養期間が終了し仕事に復帰した後も、これまでどおり喉の圧迫感と吐き気・嘔吐に対する恐怖心は消えていなかったのだ。

 私は絶望した。

 恐怖症とはその恐怖の対象としているものに触ることさえできれば克服できるのだと信じていたのに何も好転することはなかったのだ。

 結局その後も薬を飲み続けその場しのぎの平常運転で日常をおくりつづけた。

 気づけば頭の中では薬の飲んだ時間と効果が切れる時間を常に気にしながら生活するようになっていた。


 何を始めるにしても首輪が邪魔だった。ひどく嫌悪していたし早く外れてほしいと常に願っていた。これがなければもっと色々なことができるのにと悔しさで奥歯を噛み締めた。薬を飲む間隔もどんどん狭くなっていっているし完治するどころか悪化しているような気さえしていた。この首輪がついている限り私は決して自由にはなれない。なにも成すことができない。そう思った私は3年目の年末に来年こそは本気で病と向き合って完治させようと思い立った。

 

 私が病を患って4年目を迎える今年。恐れていたことが起きてしまった。今まで飲み続けていた薬に耐性がつき効かなくなってしまったのだ。

 去年の年明けにも似たようなことが起きたがあれは薬を切らしたことによる不安感で強迫観念が膨張しただけであって薬さえ飲めば抑え込むことができた。

 しかし今年は薬を切らすことなく飲み続けていたのにもかかわらず膨張した強迫観念が消えなくなってしまったのだ。

 日を追うごとに食事量が減っていき1日で500キロカロリー程度しか摂れなくなった。身体はどんどん衰弱していき外出もままならない。

 私の頭の中に生まれて初めて「死」という選択肢が明確に浮かび上がった。それほどまでに追い詰められていた。

 今まで通い続けた病院ではなく、きちんとカウンセリングをしてくれる病院に変えることにした。

 その病院は「嘔吐恐怖症」をれっきとした病気と認識し尚且つ話を聞いてくれるところだった。

 それだけと思われるかもしれないが実際に私の知る限りでは「嘔吐恐怖症」を真面に取り扱ってくれる心療内科自体が少ないのだ。

 きちんと私の話を聞いたうえで有効な薬を処方してくれた。 

 ただ、薬だけでは治すことはもう不可能だと思っていた私はここではじめて強迫症の克服についてインターネットの質問掲示板や動画配信サイトで実際に嘔吐恐怖症を克服した人が投稿した動画を閲覧するなどして色々調べ始めた。そして私は一つの答えのようなものにたどり着いた。


 治そうとしなくなった時こそ完治に一番近いのだと。

 私の病が悪化するときは決まって「きちんと真剣に向き合って根本から治そう」と思った時。

 あるいは症状をひどく拒絶したり早く解放されたいと思えば思うほど首輪は強く私の首を強く絞めあげた。

 治そうと思っているというのはつまり、気にしているということ。

 だが、「強迫症」は気にすればするほど悪化してしまうのだ。

 私はこれまで自分を患者だと思い周囲の人間を健常者として分けて考えてきた。

 だが実際、私の喉には何も詰まっていないし胃腸も正常で健常者と何一つ変わりない。

 つまり私もまた健常者のはずなのだ。

 健常者との唯一の違い。それは。


 意識の仕方だ。


 人間は敢えて意識してやろうとすると出来なくなったり違和感を感じたりする生き物である。

 例えば、舌の位置はどこなのか?と聞かれると途端に舌に違和感を感じたり、呼吸はどうやっているのか?と聞かれると途端に息苦しくなる。

 普段はそういうものに対しては無意識的に意識している状態なのだが意識を向けるとこのような現象が起きる。強迫症についても同じことが言える。


 そして意識の仕方を司るものこそ「楽観」だ。


 高所恐怖症を例に考えると、重度の高所恐怖症の人は1メートル弱の脚立の上でさえも命の危機を感じるほど恐怖心が襲ってくるという。1メートルとはいえバランスを崩して打ちどころが悪ければ致命傷になるかもしれないという意識の仕方が恐怖を煽る情報を敏感に集めてしまう。

 健常者が同じ状況に立たされても平然としているだろう。それは1メートル弱ではケガをしないし、したとしても軽症だろうという「楽観」が意識の仕方を支えているからだ。

 この「楽観」こそが強迫症を完治に導くカギになると私は思った。

 治そうとするのではなく、治すのをあきらめる。

 症状が襲ってきても、その症状は意識の仕方が度を越えた結果脳が勝手に作り出した産物であって、本来は存在しないものなのだから気にしなくていいと放置する。

 嘔吐に対する恐怖心も見えない首輪もすべて私の一部であり一緒に生きてゆくという態度こそが強迫症を完治するうえで重要な要素。

 本当の強さとは戦う力をつけることではなく全てを包み込んで受け入れられる心なのだとこの病を通して知った。


 私は未だに強迫症を引きずって生きている。現在進行形で続いている。

 だがそれでもアプローチの仕方は明らかに変わり体調も回復傾向にある。

 私がたどり着いた一つの答えのようなものを信じて生きてゆくと決めた。


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