月華の舞 06


      6


 流れている音曲は、落ちついたリズムの『ドゥルム』。四拍子で、右へ左へゆったり体を動かす簡易なものだ。

 本選に出場する者たちにとっては、休憩も同然のダンス。

 逆にその中で大きな動きをして注目を集めている者たちもいる。


「初めてこういう場に出る方を相手にしているようにお願いできますか?」


 カルナリア嬢は、妙なことを言ってきた。


 拒む理由はないので、ジールは受け入れ、その通りにする。

 舞踏の名手であるジールは、請われて各家の子女にダンスを教える機会も多く、慣れたことではあった。


 自分に匹敵する舞踏の達者であるはずなのに、どういうつもりなのだろうといぶかしんだが、動き始めてすぐに目を見はった。


 自分の動きに、完璧に合わせてくる。

 初心者はどうしても自分が動く方を優先してしまい、相手に合わせるようになるには時間がかかるが、この令嬢は最初のステップだけでもうジールと見事に調和した、むしろジールの方が吸いこまれるような動きをしてみせた。


 やろうと思えばいくらでも、見栄えのする、技巧をつくした舞い方ができるだろう――なのにこれほどの技量を持つ者が、こんな基礎の基礎ともいうべき踊りから始めるとは、どういう意図があるのか。


「変化をお願いします。ご存知のものを、ひととおり」


 ひとしきり単調に踊った後、嬉しそうな声音で言われた。


『ドゥルム』は基本的には簡易だが、だからこそやろうと思えばいくらでもアレンジできる。

 ジールは挑戦されたような心地をおぼえて、ではやってやろうどこまでついて来られるかなと、口の端を持ち上げて、動きを変えた。


 もちろんいきなり最高難度の回転連舞を求めるような真似はせず、教える際の段階通りに、少しずつ難しいものへ変化させてゆく。

 左右ではなく左へ二ステップ、右へ二ステップずつの動き。

 左右の動きに、四拍目ごとに前後の踏みこみが加わるもの。

 四拍目で体の向きを九十度変えるもの。


 ――カルナリア嬢は、そのすべてについてきた。

 手を重ね体を近づけ動きを共にしているジールは、これまで以上に相手の力量を感じ取ることができた。


(これは…………は、本当に、何者なのだ!?)


 自分はこの国の中でもかなり方だという自負はあった。

 王都からの舞い手を歓待し共に踊っても、劣っていると感じることはほとんどなかった。きわめて熟達した、その時のジールより明らかに上に立っている者に対しても、追いつきたいとは思えど、及ばないと感じたことは一度もなかった。

 それが、いま初めて、おそれにも似た感覚をおぼえている。


 とてつもない技量の持ち主。

 それがなぜか、基礎から初めている。

 まるで、この国の踊りを知らない他国の達人が、この国の舞踏とはどういうものかを確かめているかのように。


……?)


 ジールは数日前の、繁華街での騒ぎを思い出した。

 女神の降臨。

 名店がいきなり店を閉じてのためにかかりきりに。


「カルナリア嬢…………あなたは……」

「変わりますわね」


 はぐらかすように言われた。

 場に流れていた音楽が、終止部に入っていた。和音の響きでそうとわかる。あと少しでこの曲は終わり、楽団が交代し、別な種類の舞曲になる。


 止まった。

 楽団が終止和音を響かせて一段落つけると、周囲から拍手が起こり、踊っていた人々は動きを止めて、互いの手を離して一礼してから次の相手を探して見回すか、休憩で群舞の外に出るか、あるいは組んだ同士がそのまま次の曲を待つかなど、それぞれの動きをする。


 ジールはそのまま次を待った。

 カルナリア嬢が離れようとしないでくれて、安堵した。

 もっと、この謎の令嬢の深みを見てみたい。ジールの胸に強い思いが宿っていた。


「次は、どのようなものになるのでしょう?」

「より優雅さが求められる『トリュス』か、列を成して順々に相手を変えてゆく『クウェレ』だと思いますが……ああ、『トリュス』ですね」


 楽団のひとりが立ち上がって前奏を響かせ始める。

 それで次の舞曲の種類がみなに伝わり、参加者たちは相手を見つくろい互いの体に手を回して姿勢を整える。


 軽やかな三拍子。

 一拍目にアクセントのつく『トリュス・プレ』と三拍目を強調する『トリュス・ロワ』があるのだが、オーソドックスな『トリュス・プレ』の方だった。


 ここでもやはり、カルナリア嬢は基礎的なものから徐々に難易度を上げていくことを要求してきた。

 言葉ではなく、手を組み互いの体に手をかけて踊り出すうちに伝わってきた。ジールがその通りに基礎の基礎というべき動きから始めると、ここでも完璧に合わせてきた上でカルナリア嬢の満足の気配が目元や動作から与えられてくる。難易度を上げるとさらに嬉しそうになる。

 しかし、ジールが気持ちよくなり一足飛びに高い技術が要求される動作をしようとすると、まるで全てを見透しているかのように、わずかなぎこちなさや硬さを示して拒否してくる。


(本当に学ぶおつもりなのか、それとも俺の技量を探り、確認しようとしているのか?)


 この令嬢はもしかすると踊り手にまぎれた審査員なのかもしれないという思いもちらりと頭をよぎった。


『トリュス・プレ』の初級から中級、上級ぎりぎりまでの動きをひととおり披露させられたところで、曲が終わった。


「とっても素晴らしいですわ!」


 カルナリア嬢は目を輝かせてジールを賞賛してくれた。

 そこにはひとかけらの嘘も感じられなかった。追従も世辞もなく、本物の喜びが伝わってくる。


 嬉しくはなりつつも、ジールの困惑はさらに深まった。


 この令嬢が何者なのか、さらにわからなくなってきたのだ。


 二十歳の自分より少し下、成人を迎えてわずかという最も美しい年代だろうということは間違いない。

 だが踊っている間に感じたのは、この相手は自分の何倍も年を重ねた、円熟をさらに越えた老熟の域に入っている踊り手なのではないかということで。

 しかし今賞賛してくる目の輝きは、まるで年端もいかない少女のよう。


「わたくし、あなたともう少し時を共にしたいと思っております。いかがでしょうか?」


「私の方からも、ぜひとも」


 ジールは心から言った。

 この謎の令嬢の、素性はもちろん、踊りの腕前の全て――その底あるいは高みを見てみたいと、強く思ったのだ。


 互いの思いは合致して、指先を重ねたまま次の曲を待った。


「これは……」

「ご安心くださいまし」


 西の隣国、かつてはカラントとひとつの国だったこともあるバルカニアの舞踊、『バルカラン』。

 三拍子、あるいは六拍子。情熱的な打楽器の連打に合わせて男女それぞれが順番に激しい動きを要求される舞踊。

 ジールの支える手の中で、カルナリア嬢はこれまでのたおやかさが嘘のように軽やかかつ熱情に満ちた動きを見せてくれた。

 もしかしたらこの方はバルカニアのお人では、と思えるほどに堂に入った舞いっぷり。

 古風な衣装がここでは逆に、すばらしい効果を発揮する。絶え間ないステップやターンと共に布ひだが躍動し他人の視線を奪う。動きに伴い時折さらけ出される膝から足首までの素肌もまた細く長く美しく、煽情せんじょう的。


 自分の番。これほどのものを見せられた後ではみっともない動きはできないと、持てる技量の粋をそそぎこんでジールも熱く踊った。情熱的に見せるということではなく本物の情熱が湧き上がってくるそのままに手足を躍動させる。上着のすそが大きく広がり地を踏む靴の打奏が舞曲に彩りを重ねる。


 互いに素晴らしいものを示し合った、尊敬と共感の視線が重なり合った。


 だがやり遂げた満足に浸ることは許されない。ここは本「選」の場なのだ。


「…………む。ここで来るか」


 貴賓きひん席の審査員から何かが楽団に伝えられたことをジールは視界の隅にとらえていた。


 次に始まった前奏に、場がゆらめいた。

 動揺の気配。


「ここで、この時間に、『カラントペンティラン』か……」

「王宮の正式の場で踊る、最も格式の高いもの、でよろしいでしょうか?」


 カルナリア嬢はわずかに首をかしげて言った。


「はい。決勝戦では必ず踊らなければならないのですが……決勝進出は望めない者は最初からろくに練習もしておらず、ものでもありまして……」


 壁が増えるとは、踊らずに外周に下がる者が続出するという意味だ。


 ジールは心配して令嬢を見た。

『カラント五拍舞踊ペンティラン』は、カラント王国で尊ばれる五という数字――最高神五柱、大神五柱の信仰を元にした五拍子の楽曲である。

 他の国に似たもののない、カラント独自の舞踊。

 王宮の祝賀の席、あるいは神事などにおいて踊られることが多い。

 そのためかつては貴族に必須の舞踏だったのだが、今のカラントにおいてはその伝統も途絶えがちで、教師につき意図的に稽古しなければ身につけるのが難しいものとなってしまっている。


 審査員たちがをかけに来たと見るべきだろう。


「ご心配してくださってありがとうございます」


 カルナリア嬢は、きわめて魅力的な、可憐でありながら強い自信に満ちたまなざしをジールに返してきた。


「わたくし、実は、最も得意なのがこれなのです」


 そしてジールは衝撃を受けることとなる。

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