月華の舞 04


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 月華祭の日が来た。


 ジランファの街の、到るところが明るい黄緑色の布地で飾り立てられる。今のカラント王を象徴する色合いシンボルカラーだ。

 もちろんそれ以外を許さなかった時代は遠く去りゆき、他の色合いの飾り布、色とりどりの華麗な装飾アーチや、他の色合いに純白の月華リューエの刺繍を施した旗などが到るところに。


 街の中央広場、月華祭の決勝戦が繰り広げられる舞台には、市街の他のどれよりも太く長い湾曲した丸木の先に、磨き抜かれた金属片を無数に組み合わせた球体をつるしたものが立てられる。

 球体は陽光を浴びてきらきらと細かくまばゆく輝いている。


 それは月華リューエ祭のきっかけを作った人物、鏡を額飾りとして装着していた偉大な女帝への敬意を示すもの。没後二十年を経てもなおカラント人の尊崇は失われていない。小さな鏡を連ねて輝く球体は、中央に魔法の光球を点して周囲にこの上なく美しい光を届けるように作られていた。

 もちろんその光が灯るのは、日が落ちた後、月華祭の優勝者が決まった時だ。


 それにはまだまだ早い、正午前の、昼のうち。

 晴天に恵まれたこともあって、その日の主役となる大勢の若者たちが浮かれに浮かれ、期待と興奮に満面を輝かせて屋外へ飛び出してくる。


 その手の連中を相手にする、午後から夜にかけての稼ぎ時を狙って、飲食物の屋台が無数に準備を始めている。

 荷物ひとつをかついでやってきた行商人も、この日のために仕入れてきたきらびやかな装飾品を大いに披露し売りに出す。最後の最後で自分の身を飾るものに自信が持てない男女がそこに群がり大騒ぎ。


「私も、今風にした方がよろしかったでしょうか?」


 ジールと共に街に出たアイナは、普段とまるで違う熱気の中で、自分の額にきらめくを気にした。


 磨き上げられジールの姿を映し出すそれは、鏡だ。

 偉大な女帝が装着していたものの真似である。


 女帝の生前は誰もがのだが、没後になって大流行し、女帝の名をとって『カルナリス』と呼ばれるようになった、相手の姿を映し出す鏡飾りは、貴婦人ならむしろ当然身につけるものとまでになった。


 だが女帝の没後二十年を経て、流行も変化して、若者の間では「堅苦しい家のお嬢さまが身につける古くさいもの」という扱いになりつつある。


 今の流行は「首に布を巻くこと」だ。

 かつては奴隷の証としてひどく忌避されていたことだそうだが、貴族と平民の差がほとんどなくなり、奴隷もまたきちんと人間として扱われるようになっている今のカラントにおいては、首に布を巻くことを嘆く方が古くさい、頭が固い、ダサいという雰囲気が広がってきており、若者はそれぞれ服に合わせた鮮やかな布を巻いて美しさを競うようになってきている。


「君はむしろ、その方がいいよ。私の婚約者、つまりこの街で最もきちんとしていなければならない身なのはもちろんだけど、古いと言われようが何だろうが私は、ここぞという時に自分の顔を教えてくれるカルナリスが好きだからね」


 ジールはアイナに笑いかけて、その手を取り、雑踏の中に踏みこんでいった。


 これから夜までは、付き人のいない、完全に自分たちだけの時間だ。


 単独行動が許されない堅苦しい世界に生きる覚悟を決めているジールにとってはもちろん、名家の末裔まつえいとして常に侍女を従える生活を送ってきたアイナにとっても、これからの半日は特別なものとなるだろう。


 正午の鐘が鳴った。

 魔導師が打ち上げた魔力の球が、空中で破裂して派手な音を響かせた。


 広場では、しつらえられた貴賓きひん席でジールの父が堅苦しい挨拶と共に月華祭の開会を宣言しているだろうが――。


 街路を埋め尽くすほとんどの者にとっては、どうでもよかった。


「行くぞぉぉぉぉ! 絶対ぜってー! 彼女つくる!」

「おう!」

 冴えない少年たちが、がんばった風の衣装を身につけ円陣を組んで気勢を上げる。


「あの方は!? あの方はどこ!?」

「抜け駆け禁止!」

 着飾った少女たちが、優雅な服装と裏腹のぎらぎらした目つきで四方八方に目をこらし疾走する。


 街路のあちこちで音楽が奏でられ始める。

 ひとりで五絃の楽器をかき鳴らす楽師。

 複数で、笛や太鼓も使う小楽団。


 最初のうちは、二拍子の軽快な『リッツ』だ。

 男女が組む必要もなく、ただただリズムに合わせて体を動かせばそれでいいという、誰でもできるもの。

 街路を埋め尽くした若者たちが、いや雰囲気を楽しむ大人たちも、軽やかに体を上下させ手足を動かし、揺れ動く群衆の頭が巨大な波となってゆく。


 だが徐々に、他者と違う動きを見せつける者が出てくる。

 ステップの技術が高い。動作がキレる。軽やかなターン。その辺の有象無象では真似できない華麗なポーズを決めての静止。

 それに黄色い声が飛び、あるいは拍手喝采が起き……男女が組んで踊り出す姿が徐々に現れ始めて。


 音楽も、少し落ちついた『ドゥルム』や三拍子の『トリュス』が流れるようになってくる。


 ここまでの盛り上がりはいわば準備運動も同然で、ここからが本当の月華祭だと誰もがわかっており、路上には楽しくもあり生々しくもある欲望がみなぎり始めた。


「それじゃあ、待っていてくれ。『月華の君』となって、あなたを誘いに行くよ」


 ある程度一緒に体を動かしたジールは、アイナの髪に飾り棒をそっと刺してから言った。細い棒の先に黄色い布をつけたもの。今年の色はそれで、ジールはそれを十本買い求めている。アイナも同じ数。


「もちろん、本選どころか、決勝に出てきてくれてもかまわないのだけれどね。あなたにもその資格は十分にある。楽しみにしているよ!」


「その時、私が誰と踊っていようと、それこそ女神様その人を先に見つけていても、嫉妬なさらないでくださいましね!」


 付け毛とフード、アイマスクで素性を隠したジールは、笑ってアイナと別れた。


 アイナはアイナでこの祭を心から楽しみ、友人たちと談笑するようにゆったりと様々な相手とのダンスを経験しつつ、婚約者の本選進出、晴れ舞台の決勝戦を期待してくれることだろう。


 彼女自身も、決して凡庸な踊り手ではない。それで身を立てるほどの達者ではないが、少なくとも本選進出資格を得るだけの――これから先、ジールと共に出向くことになるカラント社交界で賞賛を得るには十分な技量の持ち主だった。


 アイナと本選会場で顔を合わせることを心から期待しつつ、ジールは自分自身の舞踊に集中した。


 完全にひとりになり、どのようにでも踊っていいとなると、様々なしがらみ抜きの、心からの喜びが湧いてくる。

 律動に合わせて体を揺する。通常の歩みや走りとは違う足取りで地を踏む。腕を振り腰をひねり、時には飛ぶことも。体を動かすそのひとつひとつに歓喜が伴う。


(ああ、やっぱり、私は踊りが好きなのだ)


 心の底からそう思う。


 ありとあらゆる踊り手がここにはいる。


 稚拙な者たちがいる。その頑張りを愛でる。

 何とか意中の相手にアピールしようと懸命に手足を振り回す少年たちがいる。ジールは彼らの間に入り、彼らより巧みに踊ってみせる。最初は何だこいつという顔をしていた少年たちの目が賞賛に変わり、真似をして、その場ですぐに技量が上がってきて……それに注目する女の子たちが現れる。空気が変わったところでジールは場を変える。もののわかる少年たちのリーダーが飾り棒をくれた。


 巧みな者がいる。その技量を賞賛する。すでに飾り棒を何本も髪や襟元に挿して、周りの者を無言で圧している女性が相手を探している。進み出て目を合わせ、向こうもこちらを見抜いて、共に礼をする。奏でられているゆったりした音楽に合わせ、互いの手に手を重ねて、三拍子の『トリュス』を踊り出す。速い動きよりもゆっくりと正確な動きをする方が難しいものだということを、自分も、この相手も知っている。共にそれをこなしてゆく。最初は挑戦的だった相手の表情が、驚き、認めたものとなり、満足したものとなり、幸せそうな本物の笑みになる。


「あなた、お名前は?」

 一段落ついて周囲の喝采を浴びながら離れると、お互いに飾り棒を贈り合ってから、相手の女性が聞いてきた。

 こちらは相手を知っている。去年の決勝進出者だ。ジールは偽名を名乗り、今年初参加ですととぼけてその場を離れた。


 さらにあちこちで踊り続ける。

 回転を多用するひとり舞いを見せつける。集団が腕を組んで横に並んで、同じような集団と向かい合う群舞にも加わる。知事の息子という立場では普段はやれない踊りを様々に楽しみ、相手を楽しませ、飾り棒は増えてゆく。


 日が西へ傾いて……。


(そろそろ行くか)


 体は十分に温まり、気持ちも満たされた。

 楽しみはここまで。ここからは挑戦の時間だ。


 十本ではきかない数の飾り棒を渡され、もうつける場所に困るほどになっているジールは、本選会場の入り口へ向かった。

 会場内部にいる本格的な楽団が音楽を奏でている。それに合わせて体を動かして技量を見せ、手に入れている飾り棒の数を確認されれば、審査員を兼ねた年配者の門番が通してくれる。明らかに正体を見抜かれているがそこはお互いに知らぬ顔で、ジールは簡単に中へ――。


「失礼します。ご一緒に、お願いできませんか?」


 美しい声がかけられた。


 聞き覚えがあった。


 数日前――アイナと共に今のこの扮装を買い求めに出向いた際に、ふと耳にした不思議な響きの声音。


 ぞわっとなった。


 鳥肌がジールの全身を包んだ。


 明らかに素性を隠している――自分と同じように――装いの女性が、いつの間にそこにいたのか、ジールのかたわらに立っていた。


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