17.流れた二つ星

 マリアナイトの母親は、今でも生きている。

 でも、心だけが失われていた。


 少女が物心ついた頃から寝たきりで、体を起こしているところを見るのは日に何度か。

 それも年が経つにつれて減っていき……


 今年の春。ついには生きているのに、外界からの刺激に反応を示さなくなった。


 原因は一切不明。

 治す手掛かりを見つけるどころか、何をどう調べればいいのか分からない奇病。

 植物状態ともいうらしいが、指環が外れたことにより医師の判断としては亡くなったと、判断せざるおえない状態らしい。


 医者を探すも没落した貴族の家系だったため、繋がりもお金もない。

 頼れるのはお抱えのままでいてくれた専属医師だったが、彼も匙を投げるしかなかった。


 最後まで尽くすと決めた医師に、彼女の親戚たちが決めたのは、指環という賭け。

 その場にいた中で、唯一新たに指環を手にする機会があるマリアナイトに、母親を治癒する魔法を手に入れさせることが、残された希望だった。


「魔法なら、何でもできるんですよね。ならお母さんを助けられる魔法を、わたしは欲しいんです」


 その思いがあるから、イオの傷をなおす魔法が生まれた。

 その思いがあるから、政界の魑魅魍魎ちみもうりょうがひしめく塔にまで来れた。

 その思いがあるから、泣いたままうずくまらずに済んだ。


「わたしは……どうすれば良いですか、ユノさん」


 母親を救いたい。

 その一心を受け止めるのには、今の私にはマリアナイトの想いは眩しすぎた。


 彼女が学院にまで来た理由は分かったし、心の内は決まっている。

 なのに言葉を紡ぐのを躊躇ためらってしまう。


 でも、どうすれば頷けるのか自分なりの答えを探して。

 脳裏に過ぎった手を、私は苦し紛れに掴み取った。


「それ、ノエルは知ってるの」

「はい。わたしの護衛だって、親戚の伯父さまから許可を貰いました。お兄ちゃ──ノエくんと、兄妹として行くのが自然だろうって」

「厄介ごとがある前提で来てる訳ね。でもそれなら、半分は目的を達成してるわね。指環は手に入った。後は魔法を学んでいけばいい」


 それでも可能性は低い、と私は付け加える。


 生き物を治す魔法は、他のものより難易度が高いとされるのが界隈の常識。

 願いを実現する力が魔法とするなら、治癒は相手を思ってこそのもの。


 人はどれだけ他者を思いやり、幸福を願えるのか。

 そこに一滴の不純が混ざるだけで精度が落ちるいやしの力は、理屈だけでも扱える人の数が少ないことが納得できる。


 ──人は憎み恨み、争う方が楽だと知っているから。

 認めるより、拒絶する方が簡単だ。


「ノエルが仮面舞踏会マスカレイドで言ってた、知り合いが欲しいはこの為ね。なら治癒魔法を使える人って言えばいいのに」

「あっ、いえ。ノエくんのはたぶん違う話で……。家からのお願いがもう一つあるんです」

「もう一つ?」


 母親の話をしていた時は気分が沈んでいたマリアナイトは、別の話となると明るさが戻っていく。

 しかし彼女のいう別件は、話す本人は意図が分かっていないのか、受け売りに近い誰かの言葉で続けられた。


「私のご先祖さまが使っていた指環が、この塔にあるらしくて。それを探して持ち帰って来いって、伯父さまに言われているんです」

「家宝ってやつ? それ思いっきり一族復興とかの話でしょ。嫌な予感しかしないんだけど。……ちなみにマリアはその指環、探すの?」

「見てみたいなーくらいで。正直にいうとあんまり……」

「そうよね」


 どんな物かも、あるのかすらも分からない未知の指環。

 地図すらない噂だけの貴族の宝物は、冒険盛りな少年なら食いつく話ではある。


 しかし私たちの興味を引くには、あまりにも魅力に欠けていて、せめて見た目が分かっていればやる気のほども変わるだろう。

 マリアナイトの母親を救うついで。その程度の要件だ。


「指環といえば、ずっと気になってたことが。ユノさんって、ノエくんの小さい頃を知ってるんですよね」

「知ってるというか。十年前のことだから、覚えてることの方が少ないけど」

「ならノエくんの指環、どこで手に入れたのか知ってますか?」


 知らない指環の所在より、知っている指環の出どころ。

 しかも懐いているノエルのことを知れるチャンスだと、遠慮もなしに私に迫ってくるマリアナイト。


 妹が買ってきた物のお店を知りたがる様子。

 そんな連想をしたのは束の間。


 ノエルがどうやって指環を手に入れたのか、考えようとしたところで胸の傷跡が痛み出した。


「ノエくん、気がついた時にはもう指環を持ってて。でも誰も教えてくれないんです。ノエくんもノエくんで、聞いたらいつも笑って誤魔化すんですよ? 秘密にすることないじゃないですか」


 ノエルに指環の出どころを聞いた時のことを思い出しているのか、マリアナイトは頬を膨らませてご立腹を主張する。

 ハーブティーを一口飲み、ホッと緩みを見せたりもするが、それだけでは昔からの疑問は解消されない。


 立派な一軒家が建つ価値があり、国の貴族たちがこぞって買い集めるアイテールの原石。

 学院に通うことが手に入れる手段の一つだが、それを含めても一市民が入手するには無理のある方法ばかり。


 それがマリアナイトの幼い頃から──十年近く前からとなると、ノエルも私も歳は六か七つだ。

 そんな小さな子供が指環を持つなんて、疑問のもやが出来るのはもっともだ。


「指環が高い物だってことも、みんな教えてくれなかったし。今日だって、わたしの知らないことばっかり出てきて、寂しいより……怖かったというか」


 今まで身内に囲まれた小さな世界にいて、初めて出た外は未知ばかり。

 自分以外は常識として会話をしているのに、耳にする単語すら全部が少女にとっての非常識。


 その不安が話している間に顔を見せ始めたのか、マリアナイトは母親の話題とは違う落ち込み方をする。


 一番に信じている兄同然なノエルは、いざという時には頼れないかもしれない。

 他の人は頼るどころか、疑っていなければいけないと肌で感じて。


 それなら少女の手は、誰の手を握ればいいのか。


「──ノエルの指環は、降って来たのよ」

「えっ?」

「ノエルのも、私のも。空からね」


 これ以上は少女の不安を聞いていられない。


 そう思った私は傷跡のうずきを我慢しながら、赤に濡れた記憶を辿って言葉にしていく。


 心臓の動きは早鐘で、指先はティーカップを持っているのに冷たく思えて。

 開けてはいけないふたを手に取った感覚は、尋常ではない気持ち悪さが胸中を支配する。


「二人で流れ星を見ていたら、降って来たのよ。笑えるでしょう。見ていた流れ星が、私たちを目がけて来るなんて」


 話しながら私は、私たちの指環がどこから来たのかを指でさし示した。

 その先は窓の外にある、記憶とは違う茜色の空。


 あの夜とは違う色だと分かっていても、傷跡の痛みは当時の光景を目に重ね映し、虚構きょこうではないと語ってくる。


「ノエルのここに、傷があるでしょう。私の胸元ここにも同じものがあるんだけど。ここに当たったの、流れ星が」


 ノエルの額の右側、そして私の胸元。

 そこへ流れ星──もとい空から降ってきたアイテールの原石が当たったとなると、結果は考えるまでもない。


 助かる術のない致命傷。

 ノエルは脳を割られ、私は心臓を撃ち抜かれた。


 直前に手を繋ぎ合って見ていた星空の光景は、瞬く間に赤と黒だけに。

 私の心にあった熱い思いも散って、握っていた手の感覚も離ればなれ。


「……冗談ですよね、ユノさん」

「傷、見ないと信じられない?」


 一度マリアナイトの視線は私の胸元に向くも、昼間のイオの怪我のこともあるのか、ふるふると彼女は首を振った。

 でも、彼女が気にしていることが、傷の有無ではないのは分かっている。


 この話を聞いて誰もが思うたった一つの疑問を、少女は意を決して口にした。


「それが本当なら。本当なら、どうしてユノさんがここにいるんですか」


 本当なら十年前に死んでいるはず。


 高速で降る石との衝突なんて、万が一でもない限り生き残れはしない。

 しかも私たちが当たった場所は、もしもなんて許されない生き物の聖域。


 ならどうして、私とノエルが今も地に足をつけて生きているのか。


 それを説明しても、マリアナイトが納得することはない。

 受け入れがたいことばかりの事実が多いから、理屈だけで人は頷けない。


 それならと、私はわざとらしく笑顔を作ってみせた。


「うそ、冗談よ。住んでた町の外れで、たまたま拾ったの」

「えっ。……むぅ。ユノさん、今のはちょっと意地悪すぎます」

「ごめん。ただ拾っただけより、盛った話の方が信じられやすかったから、つい」


 本気で信じるとは思わなかったと謝罪する私に、マリアナイトは口をとがらせてねてしまう。


 信じてくれたのに、これより先に彼女を踏み込ませたくないと梯子を外してしまった。

 だから不機嫌な子猫みたいにそっぽを向く彼女を見て、作った表情の下で苦々しい味を噛み締める。


 それでも苦い嘘は慣れたもので。

 本当に苦しいのは、思い出に力強く握り潰される心の方。


 意識して感情を演じていないと、あの日の流れ星が忘れないでと泣いているから。

 忘れないよって。痛みが泣き止むまで私は私を偽り続けた。

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