16.ユノの部屋 - 2

 私が玄関を開けると、そこには映像と同じく困り果てたマリアナイトがいた。

 しかし落ち着かない様子は一転し、目が合うと嬉しさに満ちた表情へ。


 知っている人が現れた。

 でも、どうして私が玄関から出てきたのか。


 沸き上がる嬉しさでも覆えなかった困惑は、少女の動きを止めるには充分で。

 今の状態を理解したときには、マリアナイトの頭が下げられていた。


「ご、ごめんなさい! 部屋を間違えました!」


 自分が割り振られた部屋と間違い、ベルを鳴らしてしまったとするなら、すぐさま謝罪するのは自然なこと。


 間違いに気がついて、なら自分の部屋はどこと右往左往して、道すらも分からず慌てふためいて。

 私が声をかける隙を逃すぐらい、またどこへ行けばいいのか分からない迷子になっている少女。


 廊下で大声はいけないと教わっているのか。

 必死な表情だけで騒々しさをかもしだしている彼女は、いつまで経っても自分がどうすればいいのか解決の糸口を見つけられない。


「……分かった。とりあえず中に入りなさい、マリア。そっちで話を聞くから」

「ありがとうございます!」


 救いの手が来たと、もう一度喜んでいる今のマリアナイトは、動物だったら尻尾を思いっきり振っているのだろう。

 この子大丈夫かなって、拉致らちの心配をしながらも、玄関は開けたまま無造作に入ってと彼女に声をかける。


 スーツケースを始めとした荷物を抱えたまま玄関に上がるマリアナイトは、警戒けいかいをしているが、し切れていない小動物そのもの。

 あっちを見たり、こっちを見たり。

 目を離した途端にどこかへ消えてしまいそうな危うさがあり、私の後ろをついてくるだけだというのに、不安の芽が出てくる。


 そうしてリビングルームまで通すと、どうした訳かマリアナイトはポカンと口を開けた。


「意外と普通なんですね」

「なにが?」

「えっと……。ユノさんって、この国のすごい貴族の人なんですよね。だったら部屋もすごいんじゃないかなーって」

「部屋の造りはみんな同じなの。身分はあっても、一院生をそこまで優遇はしないわ。それに派手すぎるのは好きじゃないし」

「派手どころか、働き詰めな大人の女性の部屋みたいです」


 ようは地味ということだろうか。

 私自身は部屋を雑に扱っているが、管理している人形のお陰でいつでも整理整頓はされている。


 寝る前に脱いだ服は既に片付けられ、生活雑貨は高い物は使わず、かつ飾りつけは気持ち程度。

 何もないと言われはしないけれど、必要な物しかないとは言われた事がある。


 しかしリビングルームは来客を招く共有の場であり、物があふれている方がどうかと私は思う。


「ユノさん。このお茶を用意してくれている子は誰ですか?」

「部屋の管理人。寮の部屋一つにつき、一体用意されているの。頼めば大体のことはしてくれるわ」

「へえー。あっ、ありがとうございます」


 物珍しそうにしていたマリアナイトの興味は、すぐに人形へ向かった。

 少女の荷物を預かり、テキパキと止まらずにお茶でもてなす用意をする人形の姿は、プロフェッショナルそのもの。

 関心が高まる彼女は人形の動きに一々目を輝かせていて、その様子は貴族の侍従じじゅうたちの働きを初めて目にした子供だ。


 私にもあんな時期があったなと思いつつ、備えつけの冷蔵庫から取った水を飲んでいると、それまで認めていなかった事実が嫌でも視界に入った。


 今朝──というより昼間までは無かった、覚えのない扉。

 私の部屋はリビングルームとベッドルーム、トイレとシャワールームを一つずつと、シンプルな構成だったはず。


 それなのに私のベッドルームがある扉の反対側には、複製された扉が堂々とあり、丁寧ていねいにネームプレートまで飾られている。


「良かったわね、マリア。ここ、貴女の部屋で合ってるみたい」

「ふえ? 何がですか?」

「……ここ。貴女の部屋だから、こっちに荷物を片付けなさい」

「──……へ?」


 人形のれたラベンダーのハーブティーを楽しんでいたマリアナイト。

 彼女は自分の部屋がどこか不安になっていた気持ちを片隅に追いやっていたのか、ここが部屋で合っていると言われても、何のことと首を傾げていた。


 もう一度目的を思い出させようと、指をさしてここだと示したら、今度は逆向きに首を曲げる。


「わたし、ユノさんと同じ部屋なんですか?」

「そうみたいね。基本は問題があるから無いんだけれど、たまにあるのよ」

「わたし、部屋間違えてなかったんですね?」

「ええ。ほら、名前が書いてある。間違いなく貴女の部屋よ」

「ここに居ていいんですね!」

「……早く荷物片づけて。詳しい話はそれから」

「はい!」


 気分で餌をあげた野良の子猫が、たったそれだけで家にまでついてきて、そのまま居ついた。

 そんな気分を体験している私が見守る中、マリアナイトの荷解きはさほどかからずに終わった。


 人形が手伝ったこともあるが、元より住まいから持ってきた大半の荷物は部屋に移動済み。

 ざっくりとした配置もされていたため、やった事といえば中身の確認と好みの配置に変えるだけ。


「えへへ。知ってる人と同じ部屋なんて嬉しいです」

「さっきも言ったけれど、普通ないの。こういう事は。力を持った王侯貴族たちは同じ部屋にしちゃいけないってことでね」


 慌ただしかった片付けから打って変わり、込み入った話をするために並んでソファに座った私たちは、ハーブティーの香りの中で途中となった会話を続けていく。


 固い話にもなりそうだが、お互いに衣服は部屋着に。

 私の格好は寝る前に着替えた時と同じ、ラフな姿のまま。

 マリアナイトも学院生である証のローブは下ろし、余所行きの格好から素足をさらした、ワンピースのゆるくふんわりとした服へと着替え直している。


「なら、なんでわたしたちの部屋は同じなんでしょう」

「サファステリア家の──私の実家の根回しでしょうね。昼にあの扉は無かったから、貴女がノエルと学院の説明を受けている間にやったみたい」


 部屋が出来た瞬間は、私は寝ていたために気づかなかったが、人形はきっと知っているだろう。

 そして私とマリアナイトが同室となった理由は、簡単に想像できる。


 イオの負傷をなおしたマリアナイトの魔法を、本家が欲しくなったのだろう。

 元々傷をいやす魔法は貴重で、世界にまで視野を広げても普通の医者と同様いつも数が不足している。


 だから知人の私をかせに、今からお抱えとしてつながりを持とうという魂胆こんたんなのだろう。

 これをノエルにまで適用しなかった理性はあったみたいだが、当事者に説明すらしないのは大貴族の傲慢ごうまんさだ。


 ちなみに部屋はいくらでも増やせるとはいえ、貴族の子息しそく令嬢れいじょうたちを同室にしない理由は、国の問題にまで発展しやすいから。


 些細ささいな人間関係のいざこざで、国内の複数都市が交易断絶だんぜつ

 内紛発生に、さらには国家転覆てんぷく未遂みすいまで。


 大昔には教育の一環としてあった共同生活の制度は、そういった問題の多発により無くなったらしい。


「マリア。貴女、来るときになんて言われたの?」

「部屋はここって。あと指環を使って入れとしか言われなかった」

「案内した人も大した話は聞いてなさそうね、それ」


 マリアナイトと私が、寮で同室になる。

 これを知っていたのは私の将来を握っている大貴族たちと、ごく一部の学院職員のみ。


 相変わらず貴族が好きにできる世界だとため息をついたところで、ふと少女の発言の一部に引っかかりを覚えた。


 指環を使って。

 そこから連想されたのは、講義室の前で合流したときのラズラピス。


 彼は迷子になったこと自体へ疑問を感じたと、そのときは足りない頭で思っていたが考えが変わった。

 ラズラピスが不思議に思ったのは、どうやって指環を使わずに転移装置を使ったのか、だろう。


 マリアナイトはラザフォードから受け取った指環が初めてのはず。

 なのに、指環がなければ動かせない機械類を扱えていたのは、どうしてか。


「……ねえ、マリア。貴女、今日貰ったやつ以外に指環を持ってるでしょう」


 ラズラピスが言いたかったのは、この事だ。

 でなければ、迷子になるのは講義室がある廊下でしかありえない。


 なるべく怯えさせないよう、柔らかさを意識して問いをしてみると、少女はバツが悪そうに彼女のものとなった部屋へと歩いていった。


 個人用の机に置かれた、探すまでもない一つの指環。

 黒い薔薇ばらがモチーフのそれは透明感もあり、中央のブラックダイヤモンドには薔薇ばらの刻印。


 マリアナイトの指環が白百合なら、黒薔薇ばらと称するに相応しいそれを、大切そうに私の下にまで持ってきた少女は、寂しく笑って告白した。


「実は、はい。これお母さんの指環で、こっそり持ってきてたんです。今日の魔法もやり方だけ教わってて。──でも、指環でできることを他に知らなくて。講義で初めて色んなことを知りました」


 指環でできることは、多岐たきにわたる。


 個人の証明、機械類の操作、資金運用。

 日常生活に役立つことから他に類を見ない一芸まで。


 指環が起こすことは全て魔法とくくられるが、当たり前の技術は改めて魔法と言われることはない。

 だからマリアナイトが、奇跡の力だけが魔法と認識していたのは仕方がないことだ。


「やっぱり。持ってきては、まずかったでしょうか」

「別に良いんじゃない。指環は一人一つなんて決まってないし。──それが形見とかっていうのなら、なおさら」


 知らずに持ち続けていたらトラブルは必須だが、正式な使い方を教わったのなら、問題はない。

 それに、こうしてマリアナイトが他人の指環を持ち歩いていることは、何らかの事情があると察せられる。


 原則として指環は所有者から離れない。

 それが彼女の手元にあるのは、限られた理由に該当がいとうする。


「形見……。違うんです、ユノさん。これは形見じゃなくて、形見にしたくなくて持って来たんです」


 形見にしたくない。

 その言葉の細部は分からないけれど、乗せられた思いはマリアナイトの奥深くから出た色で塗られたもの。


 太陽の明るさも、月の美しさもない。

 普段は光の影に隠れていた、無彩色の本音。


「ユノさん、お願いです。この話をする代わりに、手伝って欲しいことがあるんです!」


 助けて欲しい。

 そんな少女の意思は純粋で、欲の色もなく。


 この塔で希少な純白の願いに真っ直ぐ見られ、私は冷めた思いを心に抱くことが出来なかった。

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