14.エリクシア

 マリアナイトの指先が触れたのは、イオの右肩にある傷口そのもの。

 衣服で直接は見えず、分かるのはにじんだ黒と流れる赤。

 貫かれた部分は見るにえず、直視している彼女は表情からして無理をしている。


 それでも向き合って、そっと触れて。

 右の薬指にめられた白の指環から、淡いミルク色の光の粒がこぼれた。


「──エリクシア」


 マリアナイトの口からポツリと落ちた、祈りの名前。

 指環にかくあれと、強く込めた願いの形。


 その名を受けた指環は、さらに光の量を増加させた。

 そして光は彼女の手からも発生しているどころか、触れているイオの傷口からもあふれている。


 白が包み、色を抜き、赤になったら指環へと帰る。

 紅白の循環、補填と浄化、生まれたものが転じて移っていく。


 それは生き物が当たり前のように行っている、生きるための代謝たいしゃそのもの。

 だからこそ誰もが事が済むまで見ているしかなく、手を貸そうだなんて思っても名乗り出れない。


 だって、そうでしょう。

 傷がなおっていく生命の神秘を手伝うなんて、大それたことを言える訳がない。


「終わりです。もう大丈夫ですよ」

「あっ……痛くない……」


 マリアナイトの指に付着した血糊ちのりも光が吸い上げ、攻撃の名残りは衣服の穴のみ。


 傷をなおされたイオも、見ていた私たちも。

 全員が呆気取られているのに、当の本人は診ていた相手ばかりを考えた微笑みをしている。


 起こした奇跡なんて関係ない。

 怪我をした人が無事に回復したことが、今一番嬉しいこと。

 だから初めに言うべきなのは、相手を安心させる言葉。


 その一言が一番の魔法なんだって。

 疑うことなく、真っ直ぐに、太陽のような少女は笑っていた。


「……聖女、さま?」


 マリアナイト以外で初めて声を出したのは、少女に微笑みを向けられているイオだった。


 牡丹ぼたん色の瞳に映るのは、光の聖女。

 いやしの御手みてをもって傷を治し、荒れた心を静め、最後は慈悲深い笑みを浮かべてそこにいる。


 女神とさえ思っていそうなイオの言葉だが、マリアナイトはきょとんと首を傾げた。


「ううん。わたしはマリア。マリアナイトだよ。よろしくね」

「えっ、あっ……う、うん。よろしく」


 女性にしては低い──ハスキーボイスで照れるイオは、未だに目の前の少女から目を離すことができない。

 気まずい訳でもなく、むしろ安心に満ちた空気感だというのに会話は続かず。


 意を決してイオが口を開きかけたところで、マリアナイトを気遣うようにノエルが隣にしゃがみ込んだ。


「マリア、平気? 頭痛がするとかはない?」

「平気だよ、ノエくん。腰は抜けちゃったけど……」

「なら、手を貸すよ。──キミも。痛みが残っていたり、違和感とかはある?」

「いや……。ない、と思う」

「良かった。立てる?」

「あ、ああ。ありがとう」


 高価な指環の授与、傷害沙汰、初めての魔法。

 極度の緊張状態が連続したためか、本人のいう通りマリアナイトの姿勢は深くへたり込んだまま。


 それだけなら良かったと安堵あんどするノエルが、イオの状態も確認していくが、こちらも傷は完治し魔法の悪影響もないみたいだ。

 緊張から解放されてにへらと緩んでいるマリアナイトを脇に、ノエルの手を借りてイオは立ち上がる。


 イオを間近で見ると、意外にも身長がある方だった。

 ノエルよりも高く、少女的な低さを感じたのは、遠目で見ても百八十はあるトリスタンとの対比のせいだろう。


 やや短めのカーマイン色な髪はしっとりとしていて、幼い顔立ちと低めの声。

 部類としては少女人気のある格好いい女性にも見えるが、衣服で誤魔化されている体格はらしさがない。


「あれ、もしかして……」


 一見して高身長の女性と思えたイオ。

 だが注視すると違う可能性が浮上して、私は首をひねる。


 そんな私の隣で、無事な三人を前にようやく我に返ったのか。

 ラザフォードは大きく息を吐いて彼らに歩み寄った。


不甲斐ふがいない大人で済まなかった、カーマインフェザー。本来ならば私が場を収めるべきだったのだが。荒事はこの通り、不得手でね。──本当に問題はないのかい?」

「た、たぶんです。今はちょっと、色々ありすぎてよく分からないです」

「そうか。この後来る医者によく診て貰うと良い。……君は、サンライトくんだったね。昨夜の活躍は聞いているよ。まさか早々にその腕を見れるとは。感謝している」

「そんな。ユノが動いていなければ、僕は何もできなかったです。お礼なら彼女と、マリアに」

謙虚けんきょなことだ。さて、カレンデュラ」


 大人として何もできなかった謝罪と感謝。

 その二つを面と向かって表しているラザフォードは、次にマリアナイトへ目をやった際、非情に難しい色を顔に塗っていた。


 喜怒哀楽が入り混じった、絶妙になんとも言えない表情。

 よくやったと褒めたい、無茶なことをするなと叱りたい、体は何ともないかと心配したい、上手くいって良かったと安心したい。


 そのどれもをグルグルと百面相し、ついに決まった表情は安心したものだった。


「まあ、色々と言いたい事はある。あるが、それは後だ。とにかく、よくやってくれた」

「──……はい!」


 マリアナイトの満面の笑みにつられて、ラザフォードも疲れた表情を下手な笑みに変えた。

 その後も近くにいた新入生たちへ声をかける彼の姿は、肩に乗った石を丁寧ていねいに削る作業に見える。


 肩の荷を少しでも軽くしたい。

 そんな様子のラザフォードは、最後に私たち姉弟の下に立つと、先程までしていた穏やかな顔をピシリと締めつけた。


「まずはご助力、感謝します。サファステリアのお二方。本件をこの結果に持ってこれたのは、お二人のお陰です」

迂遠うえんなお話なら、この後の聴取でお願いします先生。それに今の私たちは、学院の院生です。いつも通りで良いですよ」


 今回の傷害事件。

 新入生の行動は過去にも事例があり、想定できることを抑制よくせいできなかった指導側の問題が多分にある。

 だから自身の立場のらぎを確認しようと、ラザフォードが大貴族の子に問いかけるのは当たり前の反応だ。

 だが全てラザフォードの不手際とはいえず、彼の能力を知りながらも役目を割り振った学院側にこそ、問題視が向くべき。


 なのだが、きっとこの件は魔法の暴発辺りで公表されるだろう。

 ラザフォードの地位も変わらず、学院の誇りも傷つかず

 あるとすれば、トリスタン本人とトゥエルブナイツ家が闇から伸びた手に捕まるだけ。


 院生の大半が貴族の子息令嬢。

 職員も例にれず、指環を持てるほど財力と能力のある者ばかり。

 そもそも学院自体が国そのものといえ、塔の中で起きることは全てわらう貴族の暗躍劇。


 魔法を使った殺傷、呪いじみた噂。

 そんなものに、夜影を歩けば簡単に出会えてしまうのが学院だ。


「そうですか。──なら、無茶をした自覚はあるか、サファステラ。ブルームスター、君の義姉はいつになったら悪癖が治る」

「えっ?」


 ラザフォードが聞きたいのは、連れていかれたトリスタンの扱いのこと。

 だいたいその辺りだと高を括っていたら、関係のない指導者としてのお叱りの言葉だったために、私は思わず疑問符を口にする。


「それは僕も知りたいです、先生。姉様のそういうところ、素敵ですが駄目ですよ」

「えっ?」

「君の性格で、どうしてその魔法を手にしたのか。不思議でならないよ、まったく」


 ごめんなさい。

 その言葉を勢いに負けて口にした私の声は小さく、二人以外には聞こえていないだろう。


 ラザフォードの言いたい事はラズラピスも同意らしく、もう少し考えを巡らせてから動いてくださいっと小うるさく私の耳に投げつけてくる。


 それだと間に合わないし、考えたら私の足は止まるかもしれない。

 なら飛び出すしかないと反論しようと思っても、二人して叱る体勢に入っているから数で負けてしまう。


 つい、助けてノエルと目くばせをするも、肝心の少年はまだ腰が抜けているマリアナイトに夢中で、アイコンタクトに気づいてもらえず。

 しばらくは説教かと受け入れたところで、講義室の出入り口が開かれた。


「ロックロビン先生。聴取に向かったと聞いたのですが、まだこちらにいらしたのですね」

「えっ、ええ──。院生のケアは大切ですから。本分を全うしただけの事。では、後のことは頼みました」


 入ってきた複数の教員の中で、一人がラザフォードに疑問をぶつける。

 ここで学院の上層部から呼び出しがあったのを思い出したのか、わざとらしい咳払いをした後、彼はそそくさと入室に使った扉で去っていった。


 最上部に居座っていた人たちは、既に影も形もない。

 中段より下の新入生たちは教員たちの指示に従い、今後についての話を聞く準備を進めている。


「マリアさんとあの人は、このまま説明を受けるみたいですね。姉様、僕たちはどうしますか?」

「……帰るわ。後は普通の説明会だけだもの。それに、どうせ本家からの呼び出しがあるでしょ」

「それもそうですね。行きましょう、姉様」


 指環を扱う逸材を見つけられるか。

 当初にあった見学の目的は、昨夜にもう知られているノエルを差し引いても、マリアナイトを報告すれば充分だろう。


 貴族の子としての体裁は整えたので、この場に用はなくなっている。


 けれども帰ろうという意思はあっても、後ろ髪は引かれたまま。

 義弟と退出するときに後ろを振り向き、マリアナイトを抱えて席に戻るノエルの姿を認めると、引っ張る力は強くなる。


 彼の隣にいる私と、抱えられている私。

 両者が見えて、瞬きしたら消えて。どちらが良かったのか考えても、答えられない。


 ──ううん、私の隣にいて欲しい。

 なんて言葉が、前を向き直った私の耳にこっそりと聞こえた気がした。

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