3.灼熱の終わり

 三重県 藤原ふじわら

 祥和しょうわ52年(西暦1977年)年8月12日 午前9時36分


 何事もすべてが上手くいくとは限らない。


 幾度かの戦闘はあったものの、追撃部隊を振り切り無事に国道306号から国道365号に入ろうとしたまさにその時だった。


 北側に見える小さな湖そばの丘陵地帯に中隊規模の皇国軍部隊がひそんでいるのを発見した。


 おそらく、関ヶ原方面から万が一、共和国軍が南下してきた場合にそなえた前線哨戒部隊だろう。


 この場所で何度か小規模戦闘は起きたものの三重の戦略重心は戦争期間を通じて名古屋へとつながる長島地域に偏重していた。


 また共和国軍も関ヶ原からは西側――つまりいわおがシミュレートしたように京都、大阪方面への侵攻をもくろむ戦略重心とした結果(戦略的重要度を考えた場合わざわざこの局面で三重に侵攻する必要がない)空軍を使用して皇国が部隊配置をするたびに空襲し蹴散らす方針をとることになっていた。


 ある種の空白地帯ともいえる場所だが、関ヶ原への裏道ともいえる場所は皇国にとっても完全に放置するわけにはいかなかったのだろう。最低限の監視部隊を配備するにとどめていた。


「まずいな……あの丘、森の中に巧妙に隠されているがあれはフィギュアだ」


 和久津わくつ少尉にも確認するように、双眼鏡を渡しながら巌はいった。


「確かに……ですが、この場所に主力機が配備されているとは考えにくいです。旧世代機なのは間違いないはずです」


「とはいってもだな」


 巌は自身の指揮する部隊を見渡す。


 今、かれの部隊に残されたフィギュアは2機の〈阿弖流為アテルイ・三式〉となっていた。


 残り少なくなった燃料を最大戦力の〈三式〉に集約したため、他の機体は乗り捨てざるを得なかった。


 さらに加えて弾薬もつきかけていた。


 中隊規模の敵部隊に、少なくとも1個小隊はあるだろうフィギュア部隊。


 戦力の低下した現在の第38混成大隊に相手できるとは思えなかった。


「支援要請はどうなっている?」


 巌は通信兵に問いかけた。すでに支援は要請済みではあったのだ。


「それがいまだ……どうやら長島ながしまでもドンパチがはじまっているみたいで、こちらまではとても手が回らんようです」


「長島だと?」


 おいおいまさか、名古屋に攻撃を仕掛けてるんじゃないだろうな。


 名古屋にいる身重の妻の存在が巌の不安を大きくする。くそ、こんなことならもっと後ろに避難させておくべきだった。


 日本戦争の全期間を通じて疎開そかい完了していると思われるなどの特殊な場合を除き、皇国軍が都市部に空爆を加えるとは決してなかった。


 それを平然と行ったアメリカがどうなったかを間近で見ていたからだ。


 だからこそ巌は、戦場にほど近い名古屋にいる妻の安全をさほど疑っていなかった。長島要塞という存在も名古屋の安全を担保しているように見えてしまっていた。


 正にこの瞬間、皇国軍は長島から名古屋方面へ攻勢をかけており、彦根、長浜、米原といった場所と変わらぬ死闘が繰り広げられていた。


「通信を変わってくれもう一度俺から要請してみる。部隊は引き続き周囲を警戒、いつでも動き出せるようにしておけよ」


 焦りながらも、巌は各地に通信を飛ばしなんとか支援を引き出そうと試みるが、ことごとく空振りに終わってしまう。


 徐々に隊員の間に不安が広がりつつある、司令部から通信が入ったのはそんな時だった。


『ヤマト、ヤマト、こちらクスノキ。砲撃支援を要請しているのはそちらの部隊か?』


「こちらヤマト、そうだ砲撃支援を要請している」


 クスノキ――名古屋の濃尾のうび方面総軍司令部のコールサインだった。


 わらにもすがる思いで、あちこちに支援要請を送ったが、予期せぬ大物の登場に巌は一瞬固まった。


『こちらクスノキ、ひとつだけ当てが見つかった、今から通信をつなげる。彼女が

力になってくれるだろう、健闘を祈る』


 彼女? いや、なぜ司令部がなぜわざわざそんな面倒な手順を――


『…マト、ヤマト、こちら〈尾…〉、砲撃…援をお……、座標……えてく…』


 それは、ひどく荒い通信だった。


 だが、すがるべき藁を見つけたいま、そんなことに構ってはいられない。


「こちらヤマト、今から座標を送る、座標はN32.1242、E136.2808。こちらヤマト――」


 巌は通信状態を考慮して、何度も何度も同じ内容を復唱した。


『こち…〈尾張おわり〉…解した』


 〈尾張〉だと? その時かれは思い出した。ときに軍艦は、“彼女”と呼びあらわすことがあるのだと。


 通信相手は、今やただ1隻だけの存在となった超大和型戦艦だった。


 同時に、方面軍総司令部が面倒な手順をとって通信をつないだ理由を理解した。


 本来、共和国海軍日本海艦隊に所属する〈尾張〉との指揮系統の問題なのだと。


「どうやら〈尾張〉が俺たちの帰還を祝う花火をあげてくれるようだぞ」


 巌は救世主の存在を部隊に教えると同時に、ある疑問がわくのを抑えられなかった。しかし、どうやって? 伊勢湾は敵に抑えられているはずだぞ。



* * * * *


 同時刻

 静岡 御前崎おまえざき


 超大和型戦艦として知られる紀伊きい級2番艦〈尾張おわり〉は第3次伊勢湾海戦の敗戦により、消失してしまった太平洋側の海上戦力の穴埋めとして急遽日本海から駆け付けていた。


「ヤマトとはまあ、なんとも皮肉なコールサインだな」


 〈尾張〉艦長・宗方栄一郎むなかたえいいちろう大佐はそういって顔を歪めた。


 支援要請を出している部隊のコールサインを聞いた時、かれは笑いをこらえることができなかった。


 大日本帝国海軍そして連合艦隊。過ぎ去った時代、まだ少尉だった自分。


 若き日の宗方栄一郎少尉は、第3次世界大戦――太平洋戦争、その前半戦において獅子奮迅の働きをした〈大和〉の活躍を間近に見ていたのだった。


 そしてなにより、〈大和〉最期の戦いとなった与那国よなぐに沖海戦。


 自ら囮になった〈大和〉によって撤退に成功した艦隊の中に宗方の姿はあった。


「今度は、俺がヤマトを守る番だというわけだ」


 〈大和やまと〉〈武蔵むさし〉の大和級2隻、〈紀伊きい〉〈尾張おわり〉の紀伊級2隻の中で、ただ1隻太平洋戦争を生き延びた〈尾張〉。


 彼女の運命はある意味で英雄的活躍の果てに沈んだ3隻をうらやんでしまうほどに残酷だった。あるいは太平洋戦争降伏後、アメリカの手によって接収、解体されていたほうが幸せだったのではと考えてしまうほどに。


 実際に、太平洋戦争後の〈尾張〉は幾度も解体話が持ち上がっていた。


 それらを何度も乗り越えた先で、日本戦争の勃発により〈尾張〉はその砲口を本来守るべきはずの日本に向けることになったのだ。


 その砲火で、日本人の命を奪ってきたのだ。


 ヤマトを守る。


 宗方大佐はその言葉にすがりたいのかもしれない。


 その存在意義を見失い、日本人の血でその手を汚した〈尾張〉に最後の尊厳を与えるためにも。


「座標入力完了、砲撃計算開始」


 砲術長の報告と共に、戦闘指揮所に備え付けられた電子計算機が一瞬で最適な砲撃理論を組み立てていくのを宗方はどこか冷めた目で見つめていた。


 古い人間であるかれは、現在〈尾張〉が行う砲術のありかたに納得していなかった。新しい技術には常に不安が付きまとうもので、とりわけ電子計算機がもたらす先進性はそろばんで育った人間には理解しがたいものに映っていた。それでも、有益であることは認めざるを得なかったが。


 それに何より、今回の砲撃は従来の方法では絶対に不可能なものなのだ。


「では、新型砲弾準備開始だ」 


 現状〈尾張〉が航行する御前崎おまえざき沖は巌が示した、砲撃座標から200キロ以上離れていた。


 実に〈尾張〉の本来の射程45キロの5倍近い距離が離れている。


 伊勢湾に敵空母が存在することを考えた場合、すでに危険なほどに近づいているといえるが、それでもなお〈尾張〉の有効射程からは程遠い。


 大鑑巨砲主義が終焉した理由を説明するに十分な状況といえる。


超長距離推進翼砲弾ちょうちょうきょりすいしんよくほうだん、装填完了しました」


「よろしい、では砲撃開始」


「砲撃開始!」


 轟音とともに、〈尾張〉の50口径51センチ連装砲から砲弾が撃ちだされる。


 この瞬間まで、人類の歴史上最大距離の砲撃は、第1次世界大戦で使用されたパリ砲が記録した130キロだった。


 蝦夷共和国は大湊おおみなとに停泊していた〈尾張〉を手中に収めたその瞬間から、現代戦においての戦艦としての存在に疑問を持っていた。


 とはいえ、戦力に乏しい共和国海軍においては戦艦という兵器がいかに時代遅れだとしても、それを遊ばせておく余裕がなかった。


 実際に〈尾張〉が日本海でしめした活躍は、戦艦という存在に夢を抱かせるには十分であり、そうして〈尾張〉改修計画は日本戦争期間を通じていくつか計画され、近代化改修を行うだけの時間的余裕が存在しないなかで共和国海軍がだした結論が新技術を用いた、推進翼すいしんよく砲弾によって〈尾張〉の射程を伸ばすことだった。


 〈尾張〉を飛び出した砲弾の形状はミサイルに似ていた。

 

 超音速で飛行する砲弾は衝撃で圧縮された空気を取り込みながら、砲弾内部のガスを燃焼させ砲弾後部から噴射させることで、さらに加速していく。


 推進翼をもつことで空気抵抗を推力に変換し、みずから加速する砲弾。


 理論上、その最大射程は220キロに達する。


 当初の予定では長島要塞攻撃に用いられるはずだった秘密兵器だ。


 しかし、皇国軍が、長島占領に満足せずに名古屋方面への攻勢をかけ始めたことで、津島の共和国軍部隊が独断でフィギュア部隊による長島奪還作戦を開始。フィギュア部隊の河川を使用した水中からの攻撃によって長島北部に部隊が強襲上陸を成功させていた。


 陸崎巌の指揮する第38混成大隊をみても分かるように、共和国軍は部隊が独断で作戦を実行してしまう傾向が大きい。それで戦果をあげさえすればおとがめなしとなり、そういった戦果の積み重ねが今日こんにちの共和国の勢力図そのものだからだ。


 長島要塞が交戦状態となったことで、同士討ちの危険から〈尾張〉の存在は宙に浮いていた。そこに降ってきたのが第38混成大隊からの支援砲撃要請だった。


 ある意味で第38混成大隊への支援は、実戦での使用という実績解除に近い。


 それでも、陸崎巌とかれの部隊にとっては、救いの糸といって間違いなかった。



 * * * * *



 空が光ったと思った瞬間。


 真夏の青空を切り裂いて、それは飛来した。


「!? 砲撃くるぞ! 全員衝撃にそなえろ!」


 空を警戒していた巌はギリギリでそれに気付いた。


 警告を叫んだ次の刹那、大地が砕けた。 


 敵部隊が存在するであろう丘が、衝撃によりえぐりだされていくのが見えた。


 僅かな時間差で、身を潜めていた大隊を衝撃波が襲う。


「――!?」


 強烈な爆風。まるで自分たちの部隊が直接攻撃を受けていると勘違いしそうなほどだ。


 馬鹿野郎がっ、限度があるだろうが! 先程まで神の恵みとばかりに感謝していた相手を巌は内心で激しくののしっていた。口に出したとて、周囲で聞き取れるものはいなかっただろう。


 耳をつんざく轟音に、誰もが音を奪われていた。


 風、空気抵抗、コリオリ力(地球の自転によりかかる慣性)、射程を伸ばせば伸ばすほど大きくなるそれらの影響の中でなされた砲撃は奇跡的な精度で目標座標付近に命中していた。


 そうでなければ、第38混成大隊も大きな被害を被っていただろう。


 1分以上の時間が経過しても、爆発の残滓は色濃く残っており、周囲は一瞬で地獄のような景色に変貌してしまっていた。


「――――」


 自分の要請がもたらした惨劇を前に、巌は言葉を失う。


 それでも、かれは指揮官としての責任を果たすべく気持ちを改めた。


「被害状況確認! この爆発だ、敵もすぐにやってくる、急いで出発するぞ!」


 異常なしの報告が続いた中、損傷を報告したのは残されていた2機の〈阿弖流為〉だった。


「放棄するしかないな。パイロットは歩兵戦闘車に。いいかみんな、これが最後だ! 突っ切るぞ!」


 〈尾張〉の砲撃は完璧だった。かれらはまったく敵の抵抗を受けずに、365号の北上に成功。太陽が南の空にあがりきるよりも早く、かれらは味方部隊との合流に成功した。


 第38混成大隊による撤退戦は後に、『奇跡の鈴鹿すずか越え』として称賛されることになる。



 * * * * *



 滋賀に侵攻していた全ての共和国軍部隊が、侵攻開始地点の関ヶ原まで撤退完了し攻勢前と同じ戦線が再構築されたのは翌13日のことだった。


 同日、乱戦が続いたいた長島での戦いも終結。結局長島は皇国軍の支配域として決着した。


 『奇跡の鈴鹿越え』は8月12日の共和国の唯一の戦術的成功として、〈尾張〉の砲撃とともに大いに政治利用されることになる。


 77年の8月は、灼熱の8月と称されるほど激しく両軍が軍事行動を起こし激戦を繰り広げたことで知られるが、実際には8月中盤にさしかかる13日には両軍とも全ての軍事行動が終了していた。


 この日以降、両軍は自然休戦的にほとんどの戦闘行為を行わなくなる。


 お互いに、大規模戦闘を行うほどの物資のの備蓄を失っており、なにより1番重要な兵士がどうにもならないほど傷ついていたからだ。


 両国が中断していた停戦交渉を再開し、本格的に停戦に向けて動き始めたのもこの時期だった。


 ――そして77年8月31日、停戦合意。


 74年4月4日(あるいは3月16日)から約3年半にわたって日本列島を血に染め上げた戦争はここに終結した。


 13日時点の戦線が、そのまま実質的な国境である東西暫定境界線として制定。


 愛知・岐阜・長野・新潟以東にあたる東日本全土が日本共和国の支配域となった。


 愛知・岐阜・長野に関してはほぼ西側の県境に沿ったかたちで、新潟のみはその手前の糸魚川いといがわが境界線となった。


 同年9月9日、蝦夷えみし共和国はその名称を日本共和国と変更、改めて建国宣言を行い、共和国独自の元号として『正紀せいき』の使用を開始。


 日本皇国こうこく、そして日本共和国きょうわこく。そのどちらもが自らこそが唯一の日本であるという、『ひとつの日本』を主張し、対立を続けていくことになる。


 無事、妻の元に帰り着いた陸崎巌は妻の出産に立ち会うことができた。


 おそるおそる、抱き上げた自分の、自分たちの息子。


 その重さ、感触に涙がこぼれた。


 多くの人命が失われた戦争の終わりに、かれが手にした、新たな命。


 何があっても守るべきものの存在に、妻と2人でさんざん悩みぬいた結果、陸崎家の長男はとおると名付けられる。


 そして、その4年後に産まれた長女にあや、さらに4年後に産まれた次男にわたると名付けることになる。 


 これは分かたれた道を歩む2つの国家、分断国家日本に生きる人々の物語である。





    序章『分断された日本』fin


    次回 第1章『共和国の憂鬱』

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