2.撤退戦

 滋賀県彦根

 祥和しょうわ52年(西暦1977年)年8月12日 午前6時3分


 戦場の霧。


 古今東西ありとあらゆる戦場で発生してきた情報の不可視状態を指すこの言葉は現在においても有効だった。


 そして、その不可視の状態で、正解を導きだすものこそが古今東西名将と呼ばれてきたのだ。


「クサナギ、クサナギこちらヤマト、意見具申あり」


『こちらクサナギ、どうしたヤマト? 悪いが支援ならしばらく回せんぞ、大隊を後退させるのは構わんが』


 彦根城に存在する師団本部を呼び出すが、その返答はあまりにそっけない。


 本隊からの撤退指示はまだ出ていないようだが、こちらに後退を認めたということは、師団本部としても撤退準備を始めているということだ。


「こちらヤマト、我々が師団の撤退を掩護えんごするため囮になる。南に反攻して敵を引き付ける」


 それはまさに、かつて戦艦〈大和〉がしめした雄姿をならっていると師団本部には映っただろう。実際の巌の目的はその言葉とは真逆、大隊を逃がす為の方便としてものだったが。


『…………こちらクサナギ、少し待て……いや、了解した。砲撃支援をなんとしてでも回す、座標ざひょうを教えてくれ』


 かかった。しかも死地に赴く者へのたなむけとして砲撃支援まで引き出せたのは大きい。


 後退といってもどのみち佐和山さわやまあたりで戦線を再構築して、師団の撤退支援をさせられることは明白だった。


 もしいわおが師団長であっても、同じ命令をするからだ。


 だが、師団本部の許可を得られた以上は大手を振って行動できる。

 

『こちらクサナギ、ヤマト健闘を祈る』


 師団本部との通信を終えた時、第38混成大隊は多くの支援を勝ち取っていた。


「やっちまいましたね」


 準備完了を報告しにきた和久津わくつ少尉が、まるでペテン師を見るように上官を見つめていた。


「命をかけるんだ、このぐらい当然のことだ」


「まあ、向こうはこっちがババを引いてくれたと思っとりますからな」


「準備は?」


「問題ありません」


「では、作戦開始だ。〈阿弖流為アテルイ〉起動! 各部隊戦闘準備! なんとしてでも生きて帰るぞ!」


 巌の号令で駐機状態(膝をまげかがみこんだ状態)にあった〈阿弖流為〉にパイロットたちがつぎつぎ乗り込んでいく。


 ハッチがしまると同時、その貌に光が灯った。機体のあちこちから駆動音がうなり始めるが、その巨体から身構えるほど騒音ではない。


 折りたたまれていた鋼の身体が起き上がり戦闘状態へと移行を完了し、全高7メートルを超える蝦夷えみしの英雄の真の姿があらわになる。


 人類が手にしたあらたな戦争の形、人型戦術機動兵器HTMA――通称フィギュア。


 かつて、戦車を開発するさいに秘匿名称ひとくめいしょうとして使用された水をためる容器という意味の“タンク”という言葉が戦車そのものを表す言葉として定着したように。


 同じく人型戦術機動兵器HTMAの開発コードとして使用された、図や姿を現す“フィギュア”という言葉は今や、人型兵器を表す言葉として広く使用されていた。


 1960年代のベトナム戦争において、初めて姿を現したはがねの巨人たちは戦場において猛威を振るい、登場から約半世紀ものあいだ地上戦の王者として君臨した戦車からその地位を奪い取った。


 フィギュアこそは〈賢者の石フィロソフィウム〉の発見によりもたらされた人類の科学技術テクノロジー発展の到達点のひとつだった。


 その最先端科学技術こそが、世界各地で巻き起こっている〈賢者の石フィロソフィウム〉をめぐる争いに使用されているというのは人間たちの愚かさを証明しているともいえる。


 ――もし東北で〈賢者の石〉が発見されなかったら、俺たちが日本人同士殺し合いをすることもなかったのかもな。


 ふいにわきあがった考えを、巌は首をふって振り払う。今はそんな感傷にひたっている場合ではないのだ。


「前方! 砲撃支援弾着!」


「よし、大隊前進開始!」


 〈阿弖流為アテルイ〉がうなりをあげながら、まだ土煙のおさまらぬ敵陣地へと突撃していく。


 巌が乗り込んでいる歩兵戦闘車も前進を開始する。


 かれの指揮する第38混成大隊は、損耗によって部隊としての体をなさなくなった部隊を寄せ集めて編制された部隊だ。


 それによって全く意図せず諸兵科連合部隊として存在しており、この時代において異質ともいえるフィギュア混成部隊であり、人型戦術機動1個小隊が指揮下に置かれていた。


 しかし、第38混成大隊における人型戦術機動小隊6機の機体は全てが〈阿弖流為〉だったが、その実は3種類の別な機体で構成されていた。


 蝦夷の英雄〈阿弖流為アテルイ〉の名を冠した機体は、共和国軍のフィギュアの代名詞的存在となっており、共和国は日本戦争を通じて使用した全ての自軍フィギュアに〈阿弖流為〉という名前をつけるという異常なこだわりを見せていたからだ。


 その内訳はそれぞれ2機ずつの、ドイツ供与の〈シュプリンガー〉〈クリーガー〉を改装した〈阿弖流為・二式〉〈阿弖流為・三式〉、米軍機〈ジャッジメント〉鹵獲改修ろかくかいしゅう機の〈阿弖流為・一式改〉となっており、いかに大隊が寄せ集め戦力で構成されているかを物語っていた。


 突撃した6機の〈阿弖流為〉は砲撃から立ち直れていない敵陣をさらなる混乱に陥れつつあった。


「防御に穴が開いた! 続け! 続け!」


 この時代に限らず、フィギュアとはフィギュアのみの部隊編成で人型戦術機動部隊としての運用されるが基本である。


 その最大の理由として、当たり前だが7メートル超えの鉄の巨人がもたらす損害に周囲の人間は耐えられないからだ。


 それゆえにフィギュアだけで、部隊構成を完結させる。


「01左側面から第1中隊通過中! いいか、左側面だ! 02、03後方第2中隊待機中! もう少し前に出ろ! いいぞ!」


 しかし巌は、その禁忌を破っていた。


 戦闘中のフィギュアの間近を、部隊がすり抜けていく異常な光景。


 寄せ集めと言えば聞こえは悪いが、実のところ第38混成大隊の人員は壊滅した部隊の生き残りを集めた精鋭でもあった。


 10代の少年兵たちですら例外なく、死線をくぐり抜けた経験を持つ部隊なのだ。


 兵たちの高い練度にくわえ、巌が細かにフィギュアと部隊位置を修正するという荒業の結果、フィギュアと歩兵部隊の連携という誰も見たことがない戦術が編み出されていた。


 空間認識能力。


 それこそが、戦場で開花した陸崎巌の才能だった。 


「敵フィギュア出現! 〈金剛こんごう〉6機です!」


「03、04、05連携して当たれ! 06は戦闘支援! 師団本部支援砲撃要請だ! 座標はAA33、AB35、FD36と37!」


 英国から供与された〈タロス〉改装機に金剛力士像からとも、かつて英国の地で建造された戦艦金剛にあやかったともいわれる〈金剛〉の名を冠したフィギュア。


 その姿を目視した巌は、いけると確信した。


「あれはただの〈金剛〉だ問題ない、いけるぞ!」


 〈金剛〉は第1世代機体に分類される最初期のフィギュアだ。


 同時期に皇国軍は第2世代機の〈金剛・改〉を運用しており、巌がただの〈金剛〉と叫んだ理由だった。


 そして、かれの部隊のフィギュアは6機中4機が第2世代型と言われるこの時代の最新鋭機体なのだ。


 そのため同じく第一世代機の〈阿弖流為・二式〉以外を迎撃にあたらせる。


 さらに巌はフィギュア同士の白兵戦の最中に支援砲撃を行う無茶を平然と実行することで知られていた。そのあまりに危険な行いは幾度となく叱責の対象になったが、かれが積み上げた戦果の前に誰も何も言えなくなっていった。


 戦闘経過を予測した正確な座標指定という、巌の卓越した指揮能力があってはじめて可能な戦術。


「支援砲撃命中!」


 神業ともいえる巌の指揮を間近にみた和久津少尉は、自分が目の前の人物に心酔し始めているのをはっきりと感じていた。


 今の巌は、英雄と呼ばれるのに値する人物に見えてならないのだ。


「敵部隊引いていきます!」


「よし、このまま306号を抜けるぞ!」


 皇国軍の圧力は、弱まりつつあった。


 この時皇国軍は第38混成大隊による反攻を陽動とみていた、あとに続く部隊がいないこともその証拠だととらえた。これは師団本隊の撤退時間を稼ぐ囮なのだと。


 しかし、突破を許してしまったことが、皇国軍の行動に迷いを与えることになる。背後に回られる危険がでてきたからだが、結果その迷いが、共和国軍の撤退を助けてしまうことになる。


 こうして、第38混成大隊は国道306号の突破に成功した。

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