第4話 オーク集落での平和な生活

朝を告げる鶏の鳴き声でカラントは目覚めた。

とてもとても嫌な夢を見ていた気がして、気が緩むと泣きそうなる。


隣の寝台を見るとグロークロはまだ寝ている。

彼を起こさないようにカラントはゆっくり起き上がり、朝の支度を始めた。

簡易な革靴を履いて、カラントでも持てる小さな水瓶を一つ抱えて水場に向かう。

「あら、おはようカラント」

「おはよう」

同じく水を汲みにきた女オークの挨拶に。カラントは笑顔で挨拶を返す。

「この間分けた石鹸はまだあるかい?」

「うん、まだまだ大丈夫!」

「あんたからも男衆に石鹸を使うよう言っといておくれよ。連中は自分の匂いには鈍感なんだから」

「あはは、でもグロークロはあんまり匂いしないよ?たまに森の匂いはするけど」

「あいつは狩りが多いからねぇ。獲物に気づかれないよう他のオークよりは行水の時間が長いんだろう。あぁ、石鹸が切れたらいつでもいいなよ?」

牙を見せてにっこりと笑うオークに、カラントも嬉しさを隠さずに笑顔を返す。

もう、悪夢の事なんて忘れていた。

「うん!こちらこそいつもありがと!」

水瓶に水を入れて、カラントは家へと戻る。


その後ろ姿を、女オークは心配そうに見送る。

娘を持ったからこそ、彼女は未だカラントの腕や足に残る傷跡を見て息を飲み、どうしようもない怒りを感じた。

傷を恥じるオークはいない。だが、それは戦士として得た傷だからだ。

火傷痕を恥じるオークはいない。それは鍛治で得た火傷だからだ

だが、あれは違う。あんな傷を負わされるなんて。


「ふんっ!!」


やり場のない怒りを、女は手近な岩を殴りつけて発散。岩は見事に粉砕された。


*****


水瓶を置いて、カラントは顔を洗うために分けてもらった器に水を注ぐ。

冷たい水で顔を洗っていると、グロークロが起きてきた。

「おはようグロークロ」

「……おはよう」

まだ眠そうなグロークロの返事にふふ、とカラントは小さく笑みをこぼす。

グロークロは、カラントとリグがこのまま居候することを許してくれた。

少し前に、なぜ、ここまで親切なのかとカラントが聞くと、グロークロは不思議そうな顔をして『お前が俺を助けたからだ』と答えた。

カラントはよく覚えてない。ここに来るまでの記憶が思い出せないのだ。

正直に思い出せないことを謝ると、グロークロは「それでも助けたのはお前だ」と言い切り、イナヅは「何か思い出したら、話せる時に話しな」と言ってくれた。

リグだけが「それは良かったです」と少しだけ困ったような笑顔で祝福してくれた。


「何か食べたか?」

カラントが当時のことを思い出してると、グロークロがそう聞いてきた。

食事を作るのはグロークロの仕事だ。

「まだ食べてないよ。なんか作ってぇ」

「焼き林檎でいいか?」

「うん!」

「リグはどうした?いつもの物見台か?」

「多分そうだと思う、そろそろ交代の時間だから戻って来るんじゃないかなぁ」

ドリアードであるリグは短い時間しか眠らない。

暇な時は、見張り役のオークと共に見張りを手伝っているらしい。

「そういえば、この間リグが自分の頭をもぎ取って茶葉にしてたよ。飲んでみる?」

「そんな怪しいものをウチの棚に置くな。どれだ。捨ててくる」

そんな話をしていると、ただいま戻りました!と元気な声がした。

鶏の世話も手伝ってきたらしいリグが卵を抱えて帰ってくる。

もはや頭を鶏に突かれるのは日常になっており、啄まれたリグの頭も見慣れたものだ。

「卵も焼くか」

グロークロはリグから採りたて卵を受け取ると適当な野菜を混ぜて炒り卵にする。

「ほら、食べろ」

とはいえ、食べるのはグロークロとカラントだけだ。

ドリアードであるリグはちょっとの水と太陽光だけでいいらしい。

ス、と自分の頭をちぎって皿に乗せようとするリグを、グロークロが真顔で静止するのを見て、カラントはくすくすと笑うのだった。



*****


グロークロは狩りと見回りが主な仕事だ。

グロークロが家を出た後、カラントとリグは集落での細々とした手伝いをする。


女たちと一緒に洗濯。カラントとグロークロ、二人分の服や下着を洗う。

洗濯用の石鹸は共有品だ。まとめて洗濯桶に入れられて洗濯場所に置かれている。石鹸を取り、オーク達と共に集落内を流れる川辺で洗う。

二人分なので、洗い物は少ない。カラントとリグは子供の多いオークの洗濯物を手伝う、その代わりに、絞る作業は力の強いオーク達に手伝ってもらう。

そうして洗い終わった洗濯物を、また集落まで戻って家の近くで干すため運ぶのだ。


途中でイナヅ様と会って、カラントが着ていたという服を渡してきてくれた。

カラントはその服がとても怖くて嫌で、持っていたくなくて。

「嫌なら、しばらくは家の奥にしまい込んどきな。これはあんたの身分を明かす一つの証になるんだ」

「……うん」

その服が、カラントにとってとても嫌で、嫌で。心をざわつかせる。

「はっ!気にするんじゃないよ!たかが布だ!嫌なら竈門に突っ込んで燃やせるもんさ!」

イナヅがそう笑い、カラントの肩を叩いて、励ました。


イナヅと別れ、カラントは言われた通り、その服を荷物入れの奥に押し込んだ。

洗濯物を干し終わる昼には、グロークロが昼食を作りに一度戻ってきてくれる。

カラントは、グロークロが料理を作るのを見るのが好きだ。

料理を手伝うカラントを、心配そうにチラチラ見てくる彼が好きだ。

その後ろで、頑なに自分の一部を渡そうとしてくるリグも好きだ。

食べ終わると、グロークロはまたすぐに集落を出る。ちょっとそれが、カラントは寂しいと思う。


今日の午後は他のオークが取ってきた獣肉や魚を燻製にするのを手伝う。

とても煙いが、楽しい作業だ。

たまに味見と称して、他のオークがくれる燻製肉がカラントは好きだった。


手伝いが終わると、子供たちと遊ぶ。『ノクタヤクタ』や追いかけっこ。

年老いたオークが語るオークの武勇伝をせがみにいく。

「私、イナヅ様のお話が一番好きだな、かっこいいもの」

悪いトロールを孤軍奮闘で追い返した話。

鬼の女武者と一対一で戦った話を教えてもらい、カラントは興奮まじりに語る。

なお、まだこれでも、子供向け用にマイルドにしてるよと、年老いたオークが語ったのを聞いて、リグがブロッコリーなのに青ざめたという。


夕方、グロークロや親オークが帰ってくるので、子供オーク達と出迎える。

親から狩りの話を聞きたがる男の子や、早く家に帰ろうと親の腕を引っ張る子供オークを見て、カラントはリグを抱き抱えて眺めていた。


ふと、自分の親はどんなひとだったのかと思い返す。


普通の、幸せそうな、オークの家族を見て、なんだか泣きたい気持ちになる。

なぜかはわからない。わからないけど、とても、とても、まるで心が引き裂かれたみたいで。

わたしにも、あんな、かぞくが、いたの、かな

暗い暗い思考の海に沈む。


「カラント」


自分の名前を呼ぶ、低い声がする。声の主はあのくすんだ金貨色の瞳をしたオークだ。

「帰るぞ」

ぶっきらぼうだけど、優しい声音に、うん、とカラントはグロークロの手を握る。

ゴツゴツして大きい、強くて、あったかい手。安心する、大好きな手。

ふ、とグロークロが笑うと、カラントを片手で抱き上げた。

「さっすが!力持ち!」

無邪気に笑うカラントに、いいなぁ!僕も僕も!とリグがグロークロの肩までよじ登っていく。

「ねぇ、リグ」

カラントはドリアードに、小さく語りかける。

「幸せだね」

それは咄嗟に、心からでた小さな言葉。ふふふと笑い声も漏れてしまうほど。

「そうですね」

リグもにっこり笑顔で返事をする。

そうだ、このまま幸せに。と、リグは考える。


あいつらが諦めてくれれば。それで、それだけでいいのに。


「あ!忘れてた!洗濯物取り込むの手伝って!」

「わかった」

「じゃあ、僕はご飯の準備をしますね」

「やめろ。お前はすぐ自分の頭を食わせようとしてくる」

「なんでぇ!?なんで嫌がるんですかぁ!?」

ポカポカとグロークロを叩くリグ。全くダメージのないいグロークロ。

くすくすと笑うカラント。


あぁ、その日も、本当に、少女にとって幸せな一日だったのだ。


*****


魔術学園での一室。一人の少女が窓からすでに日の落ちた空を見上げている。

召喚の奇跡をもつ可憐な美少女、フリジア。

淡い桃色の髪を絹のリボンで飾り、宝石のような緑色の瞳をもつ少女だ。

彼女は、行方をくらませたカラントの存在に不安になっていた。

『まだ見つけることはできないの?』

王子やその取り巻き達が探しているが、いい状況ではなさそうだ。

フリジアの作ったカラントの影武者が寮の自室に引きこもることで、アルグラン家の目はまだごまかせているが、いつまでも続くとは思えない。

ふぅ、とフリジアはためいきをつく。

己の地位を脅かすような、醜聞は許されない。

見目麗しい貴族たちに言い寄られる、今の立場を失いたくない。

王子達には秘密で、追跡のため一体の召喚獣を出したが、それも帰ってきていない。あれを倒せるものがいるとは思えないので、おそらくまだ追いかけているのだろう。


「大丈夫、わたしのレベルはかなり上がってるもの」

カラント=アルグランは『チュートリアルキャラ』戦闘が終われば必ずキャラクターのレベルを上げてくれる。どんな『経験値』が必要であろうと、必ず上がるのだ。

そう、フリジアは確信していたし、事実、彼女を『倒した』あとは自分も、味方のキャラクターも強くなった。


「あぁ、カラント早く帰ってきてちょうだい」


それは悍ましい聖女の祈り。

そして、その祈りに応えるべく、心なき肉塊は動き出していた。

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