第2話 集落で保護される少女

「なんだいこれは」

オークたちの集落、石造りの家の一室で女族長のイナヅが顔を顰めた。

寝台には裸にされた少女がぐったりとしている。グロークロが連れてきた人間の少女。その身体の治療をしようと少女の服を脱がせていると、白い肌には数多の傷跡が残っていた。

「奴隷か、貧民か?」

グロークロの言葉にイナヅは首を横にふる。

「その割には肉付きもいいし、手荒れはない。皮膚も柔らかいほうだ。

小さいが、ペンだこがあるから読み書きを頻繁にしていたんだろうね。だからこそおかしいだろう。この傷。ここらなんて『致命傷』だよ」

少女の胸部の中心にある、幾つにも重なった傷跡。皮膚のひきつれがあるものの一見軽い傷跡にしか見えない。

「表面だけ切ったとは思えないね。刺突の傷によく似ているが、変な感じだ。治癒術ならかなりのモンだが。『致命傷』の傷はかなり高度な治癒呪文だが、他の傷のレベルはチグハグだ。ここの腕の傷、これなんか浅いがまだ傷跡が濃い」

イナヅは少女の体を水で濡らして絞った布でよく拭いてやる。

ふと、足まで拭き上げようとした時に、イナヅは手を止める。

「周囲に他に人間はいたかい?人間以外でもいい」

「人間はいなかったな。奇妙な獣だけだ」

「……そうかい」

少女の内太腿につけられた多くの傷跡を拭いながら、イナヅは怒りを抑えた声でぼやく。

「もしも、もしもだ。この子を虐げた奴が分かったら必ず私の前に連れてきな」

オークの女族長の言葉は本気だった。そこらの男オークよりも体躯と膂力の勝るイナヅ。戦鎚を持ち、かつて人喰いトロールの群れを殲滅させたこの族長の力を知るグロークロは小さな声で「分かった」と答える。


「服は洗ってみよう。身元がわかるかもしれないからね。ついでに聞くけど、お前のその腹はどうしたんだい?」

イナヅはグロークロの破れた服を指差した。

「まるで串刺しにでもされたみたいじゃないか」

「あぁ、死にかけたのをその娘と、アレに助けられた」

「アレ、かい」


「ただいま戻りましたー!」


ちょうどいいタイミングで、玄関の扉が開いた。


動いて喋るブロッコリー、もとい、ドリアードのリグが他のオークから鶏の卵をもらってきたのだ。

「すまねぇな。鶏どもがあんたの頭をつついて。頭でいいんだよなそこ?」

「大丈夫です!」

にっこり笑うリグの頭は、鶏に食い散らかされて酷いものになっている。

「まさか、鶏どもがあんたの頭にあんなに一直線にくるとはな」

「普段の餌より食いつき良かったぞ」

「ふふふ、照れちゃいますねぇ!」

これ、褒め言葉になるのか?と他のオークたちは顔を見合わせてなんとも言えない表情をする。そんなオークたちの心境も知らず、

「グロークロさん!イナヅさん!言われた通り卵分けてもらいました!!」

嬉しそうなリグ、その後ろで軽い挨拶をして去っていくオークたち。グロークロも手を軽く上げて感謝の礼を示す。

「大丈夫なのかい?その頭」

困惑するイナヅにも元気よくリグは返事をする。

「はい!それより採れたて卵です!」

「あぁ、それで精のつくものを作ってやんな。グロークロ、何してんだい、あんたが作るんだよ」

分かったと、グロークロは短く返事をしてかまどへと向かう。そのあとをテチテチとブロッコリーが卵を抱えてついていく。


「(警戒心ってのがないのかい?ドリアードは)」


オークというのは他の種族からは恐れられているものだ。

自分たちの国を持たず、小さな集落を作って生きている。

群れを作って山賊まがいのことをするものもいれば、集落で静かに生きるもの。

武勇を立てようとどこかの国の志願兵になったり、傭兵団を作ったりとさまざまではあるが、いずれも「暗緑色の肌」「大きな体躯」「飛び出た牙」と怖がる種族がほとんどなのだが。


「グロークロさん!これ!これもどうぞ!」

「いらぬ」

「茹でると美味しいですよ!」

「お前の頭など食べられるか」


あのドリアード、なんか自分の一部を食材として食わせようとしているらしい。発想が怖い。

再度、イナヅは少女の体をなるべく優しく拭いてやる。

武器らしきものも、身分を証明するようなものは何もない。柔らかい足の裏をしているから奴隷、貧民、農民でもなさそうだ。

念の為調べたが、罪人だと示す焼印もどこにもない。

『それにしても』

いずれの傷も治っている。少し栄養のあるものを食べればすぐに動けるようになるだろう。しかし、しかしだ。

イナヅは唇を噛む。これは、一方的に『暴力を受けた』体だ。

初めは両腕で頭をかばい、やがて防御も許されず、押さえつけられ、面白半分に刃物でーーー

イナヅは、まだ眠り続ける娘の手をそっと握るのだった。


*****


ーーいい匂い

カラントはゆっくり目を開けた。

ーーここはどこ?

「カラント!カラントー!」

寝ているカラントを覗き込んで、クリクリした目の緑のナニかが声を上げる。

「お水!お水飲みますか!?ご飯もありますよ!あぁでも辛いならまだ横になっていていいんですからね!?」

ぴょんぴょんと生き物らしき何かが飛び跳ねるたびに、その緑色の頭部がワサワサと動く。

「リグ?」

名前を呼べば、自称ドリアードのブロッコリーはその小さな目から透明の液体を流して喜ぶ。

「呼んだ!僕の名前を呼びましたよぉぉぉ!」

少女は自分を助けてくれたオークに、お礼の言葉を言わなくてはと、口を開く。

「あっあっあっ、ありがとうごじゃいまふ」

口も喉もうまく動かない無様な言葉に、グロークロは笑うことなく、あぁ、と応えただけだった。


『ーーー!!』

『ーーーーー!!!』


ふと、頭に響く、恐ろしい声。しかし、言葉の意味も何を言っているのかはわからない。誰かに言われた、何かの罵声を思いだし、彼女の心臓を締め付けた。

誰に、何を、言われた?思い、思い出したくない。

何か、喋らないと、喋らないと。


「卵を焼いた。食えるか?」

「・・・ぁい!」

まだ口の回らぬカラントの返事。そうか、とオークは少しだけ口角を上げてみせた。

足元にまとわりつくリグを蹴り飛ばさないように、彼は食事を運んでくれた。


『アレ?』

少女はふと、考える。

『なん、だっけ?』



ーーーーー

カラントがオークの集落で保護されてから一週間。

「ノクタ!ヤクタ!」

「の、のくた!のくたやくた!!わっ!」

集落の広場で、カラントはオークの子供たちと『ノクタヤクタ』と呼ばれる遊びに興じていた。

2人が入れるぐらいの円を地面に描き、互いに手の平だけで押し合い、地面から足を浮かせたり、円を出たら負けというどこの国にもありそうな遊びだ。

カラントよりまだ背が低いとはいえ、オークの子供の力は強くカラントはあっさり尻餅をついてしまう。

「あー、惜しかったなカラント!」

「前より持ち堪えたな!こうしっかり足をつけるんだよ!」

人間を珍しがっていた子供たちも、すっかりカラントに慣れていろんな遊びに付き合わせてくる。

カラントの服も、簡易ではあるがオークの部族衣装の荒い麻布のワンピースになっている。

なお、当時、血と泥で汚れていた赤毛は、イナヅの手により短くされてしまった。

さっぱりした頭に喜んだカラントに、なぜかイナズの方が面食らっていたものだ。


「で、あの娘、どうするんだ?」

野良作業帰りのオーク男二人がその微笑ましい光景を眺めながら、なんとなしに話をする。

「イナヅ様が手ずから髪を切ったからな、気にいっているようだし、何もなければイナヅ様の養子になるんじゃないか?」

時折、街から来るオーク仲間に行方不明の貴族の娘の噂話などないか聞くが、そういうものはないらしい。

「それどころか、別の女の噂で持ちきりだ。なんでも天馬や聖獣を呼べる聖女様が出たってな」

「聖女様ねぇ、人間はよくわからんなぁ。酒を無限に生み出す聖女様なら俺も平伏するんだが」

「ガハハハ!それなら祖先も許してくれるだろうな!!」


広場ではまたカラントが『ノクタヤクタ』に参加するらしい

「いいかカラント!こうして!腰をしっかり落として!膝を曲げる!」

一丁前に戦い方を教えるオークの子供の指示を受け、カラントは真面目に腰を落とす。それがちょうど尻をちょっと突き出すような姿になり。


無言で男オーク二人がその尻を、それはそれは真面目な顔で凝視する。

オークの女と比べると貧相な尻だが、尻は尻である。


「お前ら、手が空いてるなら弓矢作りでもしたらどうだ」

たまたまカラントを迎えに来ていたグロークロの言葉に、男二人は飛び上がらんばかりに驚く。なお、その声にはわずかではあるが苛立ちが見えた。

「グロークロ、お前か。どこ行ってたんだ」

答えの代わりに、グロークロは狩って来た野鳥を五羽見せる。

「どうも森がおかしい。お前ら、見張の時は気をつけておけ」

この集落には頑丈な防壁と物見台があるし、オークの集落を襲うなんて命知らずはそうそういない。

だからこそ、グロークロは仲間にそう声をかけた。

「そうか、わかった。で?あの獣は見つかったのか?」

仲間の言葉に、グロークロは首を横に振った。

広場で子供達の歓声が上がる。またカラントは負けてしまったらしい。



ーーーーー



その獣に感情はない。

命じられたのは『カラントを連れて帰る』

それだけを達成するために蠢く。肉塊は狼の形を真似るがそれでは命令実行ができないと判断する。

肉体を再構築、失敗、再構築、失敗、再構築、失敗。

原因探求、カラントの『奇跡』。『奇跡』排除不可能。『奇跡』内容予測。

願った『奇跡』予測、オークの救出。肉体再構築を強制継続。

現在での最適な行動方法を作成。


その獣は、もはや狼の姿を真似ることもやめて、ぶよぶよととした肉塊の体を這いながら森を進む。

崩れては死んでいく肉体を再構築し続け、与えられた命令に従う。



『主人の元へ、『奇跡』の少女を連れて帰る』

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