植え込みに埋まっていたアル中美人が、カスのウソをついてくる

歩く除湿機

第1話

 世の中には嘘のような本当の話もあれば、本当のようでまるっきり嘘の話だってある。

 これは、嘘のような嘘の話。つまり、質の悪い嘘話ってわけだ。


 華の金曜日、というにはいささか色気が無さ過ぎる、残業帰りの週末。前任者が隠していた未処理タスクという地雷を踏んだ俺は、終電で帰ることを余儀なくされていた。

 ちなみにブラック企業ではない。地雷の規模を考えると、終電で帰らせてくれているだけ、よっぽど温情のある会社とも言える。それだけ前任者はとんでもない置き土産を残してくれていた。


 疲労のあまり重たいを通り越してふわつく足で、駅徒歩15分の家を目指す。

 道中の小さな飲み屋街を通り抜けた先の、寒椿の植え込みを前に立ち止まってしまった。


 人の上半身が飛び出している。

 木の枝が刺さった白のニット帽から真っ白の前髪が覗いている。目鼻立ちは整っているが、表情は無様にふやけている。手に持っているのは鬼ころしだ。


 声をかけるべきか迷った。こんな夜中に女性が植え込みに、いや、こんな時間に植え込みに刺さっている酔っ払いに関わるべきじゃない。そのどちらもが正解で、不正解は迷って足を止めることだった。


「んあ、どうしたんだい、おにーさん」


 酔っ払いが言った。少しハスキーで、落ち着いた声音だ。ただ呂律が怪しい。


「どうしたのはこっちのセリフですけど……。いやほんとに、どうしたんですか?」

「猫を追いかけていたらこんなことになってしまってね。猫はすごいね、大昔は穴を掘ってモグラみたいに暮らしていただけはある」


 猫ってそんな生態だったのか。知らなかった。大昔のネコ科動物といえば、サーベルタイガーくらいしかイメージにない。

 そんなことはどうでもいい。


「えーと、自力で抜けられます?」

「すまない、手を貸してくれないか?」


 差し出されたのは鬼ころしを持つ方の手。どう考えても逆だ。

 紙パックを受け取って地面に置き、両手を掴んで引っ張った。ふてぶてしい態度からは想像がつかないほど指が細く、あまり強く握りすぎては壊れてしまいそうだ。


 葉っぱや枝やよくわからないものにまみれた女性を引っ張り出すと、ふにゃりと力が抜けた様子で、そのまま地面に座り込んだ。11月のアスファルトはひどく冷たいのに、気にした様子もない。


「腰が抜けてしまっているようだ。そういえば、江戸時代に腰抜きっていう背骨を叩く刑罰があってね。それをされた罪人は立てなくなることから、腰抜けって言葉が生まれたらしいのだよ」

「めっちゃ痛そうですね。というか大丈夫ですか? 一人で帰れますか?」

「それは無理だー」


 両手を広げて真後ろに倒れた。今度は頭が植え込みに埋まっていく。慌てて抱き起した。自力で体を起こそうという意思がないせいか、巨大なコンニャクを扱っているようで、無駄に疲れる。


「あー、もう。この辺タクシーいるかな……」

「いないだろうね。実はタクシーは路線バスみたいに、どの車がどこを走るか時刻表でキッチリ決まっているからねえ」

「そうなんですか!? 適当に運転手さんが決めて走ってると思ってました」

「それをすると、運賃のバックは入るけど、時給が出ないんだよ」


 タクシー運転手は時給だったのか。これも初耳だ。


「えーと、とにかく配車アプリで呼ぶんで、大人しくしていてくださいね」

「はーい、ありがとねえ。最近はお酒に弱くなっちゃって。迷惑をかけたね」

「いえ、大丈夫です」


 本当は一刻も早く帰宅して疲れた体を休めたかったが、そんなことは口にしない。ちょっとした男の強がりだ。


「最近のお酒はコスパ良く酔えるように、アルコールの化学式がいじってあるからね。ちょっと前の感覚で飲んだらいけないね」

「そうなんですか!?」


 確かにストロングな飲みごたえの缶チューハイなんかは、妙に悪酔いするなとは思っていた。まさかアルコールそのものに手が加えられているなんて。思わぬ情報に衝撃を受けた。


「いやあ、お世話になったね。次に会ったときは何か恩返しをさせてもらうよ」

「いえ、お構いなく」


 やってきたタクシーに女性を乗せ、見送った。

 思わぬトラブルに見舞われたが、美人に人助けできたと思えばラッキーだったのかもしれない。

 家に帰り布団に潜り込んでから、今日聞いたことを調べてみた。


「――――全部ウソじゃねーか!!」


 壁がドンと叩かれた。

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