場違い

 ハルは速やかに転科の手続きをして、作曲科の門を叩いた。

 作曲科の授業の初日、ハルはためらいながら階段を登っていた。作曲科の部屋は大学で一番高い建物である。第四校舎の6階にあった。昔の建物であるので、エレベーターはなかった。これから毎日この階段を6階まで上がるのか、ハルは息が上がりながら考えた。作曲科はこの音楽大学の中では、あまり重視されていなかった。やはり、花形はハルが以前所属していたピアノ科や指揮科である。今はブラームスなどの活躍していた19世紀ではない。巷にはクラシックではない、音楽が溢れている。そのなかでクラシックが扱う交響曲を発表して果たして需要があるのか?答えは見えている。ハルはこれから自分が歩んでいく道の険しさを感じた。

 廊下の一番奥に作曲科と看板が出ている部屋があった。ハルはドアを開けた。中は誰もいなかった。ハルは不安になった。確か、今日は授業があったはずだ。ハルだけ呼ばれる日ではない。すると奥から、学生にしては若くないが、教授としては若いであろう男性が出てきた。

 「これからお世話になる、ハル・ベルナールです。よろしくお願いします。」

 「すまない、びっくりしたでしょ。誰も居なくて、作曲科の連中はわたしの授業なんて、はなからあてにしてないんですよ。作品ができたら見せにくるってスタイルでしてね。わたしは作曲科の教授をしているロバート・スミスです。よろしく、ハル。」

金髪に目の青い、長身の男性で、まだ30後半くらいの感じがした。ハルはロバートと握手した。

 「さっそくだけど、ハルさん、そこのピアノでわたしが今から渡す楽譜を弾いてもらえるかな。」

ロバートは4枚ほどの紙をハルに渡した。ハルはピアノ科の中でも優秀だった。譜読みはお手のものだったはずだった。しかし、ハルが一小節も弾かないうちにロベートは渋い顔をして言った。

 「君はこの音の羅列をみて、何も感じないのか?」

ハルは楽譜をじっと見た。唯の練習曲に見えるが強弱も指示も何も書いてない。

 「わたしが、あなたの指が動くかをわざわざ確認するためにこの楽譜を渡したと思うかい?」

ハルはロバートがこの楽譜をアレンジして欲しいのだとやっと気づいた。ハルはひとまず、楽譜を最後まで見て、どんな音の重なりがあるのか確認した。そして自分なりに弾いてみた。ハルが弾き終わるまでロバートは黙って聴いていた。そして、こう言った。

 「ピアノ科のホープなんて聞いてたから、どんな逸材がくるのかと思ったら、作曲に関しては小学生以下だな。」

ハルは人生でそんなことを言われたのは初めてだった。自慢ではないが、ハルはいつもトップを走る存在だった。それが小学生以下である。ハルがピアノの前でぼーっとしていると

「もう帰っていいよ。しばらくその曲をわたしがいいと思うまで弾き込みなさい。それが君の課題だ。」

そう言うとロバートは奥に行ってしまった。

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