その音がどんなに小さくとも
春
ハル
木の葉の間から気持ちの良い光が落ちてくる。ハルはベンチに座って、セッションをする音大生を眺めていた。コンバス、サックス、ピアノ、ジャズ科の学生だろう。晴れ渡った春の空の下、気持ち良さそうだ。しかし、ハルの心はそれとは真逆だった。
「君はピアノでも充分やっていけるのに、なぜ、あえて作曲を目指すのかね。」
アシャール教授はハルのピアノを聴き、また、渋い顔をして言った。
「正直に言って、君ほどのピアノ演奏家はいない。わたしはあなたを作曲科に取られることがとても惜しい。」
「ありがとうございます。先生、しかし、わたしは音楽と言うものにもっと真剣になりたいんです。」
「ピアノで過去の偉大な作曲家たちの曲を弾くのじゃダメなのか?」
「はい。」
ハルはアシャール教授の目を真っ直ぐ見て言った。
「ならね、仕方がない。」
教授は本当に残念そうだった。
ハルが作曲を目指したいと思ったのは、シベリウスやドヴォルザークの伝記を読んでからだった。彼らはシベリウスは北欧、ドヴォルザークは中欧に生まれ、音楽の中心であったフランスやドイツなどの国々とは違う自国の独自の文化を曲に取り入れ、成功していた。ハルは自身に流れている日本人の血を誇りに思っていた。自身も彼らのように日本人にしか作れない交響曲と言うものを作りたいと思ったのだ。ピアノでやっていく道もある。しかし、ピアノで外国人の作る曲を外国人に求められるように弾いて、果たして自分が音楽をやる意味があるのか。ハルは疑問に思っていた。しかし、そうは言っても、作曲家と言うのは狭き門だ。このままピアノに逃げてしまった方がいいかもしれない。ハルの心は揺れていた。
「ハル、ピアノ科の課題はもう終わったの?」同じピアノ科のリサが話しかけてきた。
「ええ、終わった。今、先生に診てもらったところ。」
「ハルのお兄さんってケンジって言うのね。もしかして両親は宮沢賢治のファン?」
「あたり、兄は宮沢賢治の名前から、わたしは宮沢賢治の詩集の春と修羅からとったの。」
ハルは驚いて答えた。
「言ってなかったけど、わたし、宮沢賢治のファンなの。フランス語訳の春と修羅の本を持っているわ。」
リサは自慢げに答えた。ハルは日本人クォーターのフランス人だった。両親は親日家で、自分たちに日本人の血が流れていることを誇りにしていた。
「ハル・ベルナール」
日本人とヨーロッパの血が流れる自分にしかできない、音楽がある。ハルは確信していた。
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