【短期連載版】未来図書館
時守ナガト
第1話『思い出の絵本』
立つ鳥跡を濁さず、とは子供の頃からよく聞いていた言葉だったが、どうせ消えてしまうのなら残されたモノがどうなっても構わないではないか。
そう思ってはいても、自分の勝手な振る舞いに他人を巻き込んでしまうのも、何だか申し訳ない。
西村ダイキは、そんな相反する二つ考えを浮かべては沈めながら、目当てのビルを求めてコンクリートジャングルをトボトボと彷徨い歩いていた。
「はぁ……死にたくねえ」
大きなため息とともに本音を吐き出す。
真昼間から、自殺をするために適当な高さを持つビルを探している最中であるというのに、頭の中は生への未練と死への恐怖でいっぱいであった。
上京して三年、念願のアニメ制作の仕事に就けたダイキだったが、その余りの激務に一年で音を上げてしまった。
「はぁ……どうしよ」
どうしようと思ってみても、職場には後ろ足で砂をかけるような辞め方をして来た。今さら戻る事なんて出来やしない。
「あれは傑作だったな。言ってやった」
上司に日頃の不満、その他もろもろを思いっきりぶつけて辞めたのだ。あれだけやっておいて戻って働くなんて考えられないだろう。
そもそも戻る事を了承してくれるワケがない、ゆえに自分は死ぬしかない。そう思いつめ前を見やった時。
「あ……」
遠く前方に両側を高いビルに挟まれたそれなりの広さのスペースを発見した。
「公園かな」
ダイキは前に向かって歩き出した。
周辺は、いつの間にか人通りがなくなり、目標としていた二つの高いビルも消え失せていた。
代わりに姿を現したのは、三階建てほどの高さの、こげ茶色の煉瓦の建物だった。
年季を感じさせる看板に目をやる。
「……未来、図書館?」
何か惹かれるモノを感じ、ダイキは未来図書館の扉を開いていた。
まず目に入ったのは受付をするのであろうカウンターだった。だが人の気配はなかった。辺りを見回すと、大量の書棚とその前に配置されたいくつかのテーブル。書棚は二階にも続いているようだ。
司書さんに頼まないと目的の本を見つけるのは大変そうだな、そう思った時、不意に背後から声をかけられる。
「何かお探しでしょうか?」
「へっ?」
ダイキはおどろいて振り返った。
そこにはいつの間にか黒髪のロングヘアーの女性が立っていた。
ダイキが言葉に詰まっていると、女性は少し微笑んで言った。
「申し遅れました。私、未来図書館司書のミヤコと申します。何かお探しの本があれば私にお申し付け下さい」
ミヤコ、とは姓だろうか、名前なのだろうか。これだけ丁寧な言葉遣いの女性なのだから前者であろうとダイキは判断した。
「ええっと……その」
元々、ここには本を探してやって来たのではない。
「ここの蔵書はかなりの物ですから、なんでもとは行きませんが、お探しの本がきっと見つかると思いますよ」
それを聞いてダイキも考えた。最近の図書館は様々な本を収蔵していると聞いた。若者に人気のライトノベルなんかも置いている図書館もあるらしい。
「じゃあ……絵本とかってありますかね? かなり昔の童話作品なんですけど。タイトルは」
――勇者ヘムの冒険。
鏡の国の少年ヘムが魔王を倒すまでの物語。子供向けの絵本ではあるが、当時の流行を反映してだいぶ救いようのない話になっている。
魔王の正体は、鏡の国の人たちの悪意そのものだった、というオチだ。
勇者ヘムの神剣は魔王を打ち砕くが鏡の世界もバラバラに砕けちってしまう。
ヘムの冒険は無駄だったのだ。
カウンター左のテーブルに座りダイキは思い出の絵本を読んでいた。
三十年近く前の絵本がこの未来図書館に所蔵されていたのにも驚いたが、本の状態がまるで昔に戻ったかのように新品同然だったのに心底驚いた。
ページをめくるたびに子供の頃を思い出し、目に涙を溜めた。
そしてラストシーン、鏡の世界が砕け散るページになった。
世界の終わりを知ったヘムのなんとも言えない表情。とても子供向けの絵本の挿絵とは思えない。
当時、この作品に感動して、ダイキは『自分も人を感動させるモノを作りたい』とアニメ業界を志したのだ。
(……何やってんだろ俺)
うつむき自分の人生を悔やんだ瞬間、溜まった涙があふれて落ちた。
「……あっ!」
あわてて水滴をハンカチでふき取ったが、挿絵が少し破れ、にじんでしまった。
ダイキは本を持ち立ち上がり、カウンターにいるミヤコの前まで行き声をかける。
「あの、すみません。これ……汚しちゃって」
「あら」
ミヤコは少し驚いた様子だったが、すぐに表情を元に戻し言った。
「構いませんよ」
「いや、弁償しますよ! お金……」
ポケットを探るが、財布に触れる前に、どうせ死ぬのだから、と好きなだけ飲み食いした事を思い出す。
予想通り、財布の中には小銭のみ、百八十円しか入っていなかった。
「買い取り、という事にも出来ますが」
そんなミヤコの提案にも首を横に振るしかない。
「お代は次回、来館された時で結構ですよ」
「え?」
司書のミヤコ、この人は何故こんなにも親切にしてくれるのだろう。そう思ったダイキであったが、その疑問以上に絵本を入手出来る喜びの方が上回ってしまった。
「じゃあ、お願いします! お代はこの次に」
「では、登録カードに記帳をお願いいたします」
「西村ダイキ……っと」
貸し出し用のカードに記帳されたダイキの名前をじっと見ていたミヤコはふと怪訝な顔をした。
「はい、結構ですよ」
だがミヤコは問題はないと告げた。これで絵本はダイキの物になった。
帰り際、ミヤコは気になる事を言った。
「またお会い出来るといいですね……」
最初、ダイキはその言葉の意味が分からなかったが、「ああ」と思った。司書の仕事は一人でやっているのではないのだろう。今度来た時は別の人が迎えてくれるかも知れない。
ミヤコさんが話を通してくれてはいるだろうが、説明と謝罪はしないといけないな、と思った。
外に出ると辺りは少し薄暗くなっていた。道に迷いそうになりながらもなんとか駅までたどり着き、自宅のボロアパートに無事帰還した。
室内に入り、真っ暗な部屋の中で最初に目に入ったのはテーブルの上で光るケータイだった。明かりを点けてケータイを手に取る。
ケータイには、二ヶ月前に別れた元恋人マヤからの大量のメールと不在着信履歴が残っていた。
今さら何の用があるんだ、と思い折り返すと相手はすぐに出た。
『何してたんだよ!』
電話の相手、マヤは開口一番そう言った。そして続けざまに言葉の連打を浴びせかける。
『心配したんだからね! 会社の人からあんたが自殺するって言って飛び出したって聞いて、すごい心配したんだからね!』
マヤは会社から聞いたと言った。会社には共通の友人もいる。おそらくそこからマヤに連絡が行ったのだろう、とそこまで考えてダイキは浮かんだ疑問を口にする。
「お前、心配してくれたのか?」
ダイキの言葉に、一瞬、間を置いた後、マヤは再び始動する。
『当たり前でしょ! ていうか心配したって言ってるじゃん!』
「いや、でもお前、俺の事嫌いになったんじゃなかったの?」
『嫌いになったなんて一回も言ってないじゃんか! ていうかそっちが忙しいから会わなくなって自然消滅みたいになってただけじゃん! 私は別れたつもり全然ないし!』
「……別れてなかった?」
言われてみれば、メールや電話でもはっきりと別れると口にした事はなかった。
『ていうか! そんな事よりさ、アンタ死ぬの止めたの? もう死なない?』
またも言われて気が付いた。あれだけ死ぬ気満々だったのに、今はもう死ぬつもりなど全然ない事に。
「死なないよ」
『え?』
「死なないよ、少なくともあと数年、これ以上無理だってなるまでもう少し頑張ってみる事にした」
『そっか……そう、良かった』
「これから再就職だな、頑張らないとな」
『あっ……それなんだけど、島川さん戻って来いって』
「え?」
島川ヒデキは、制作デスク。制作進行であるダイキの上司だ。数人の制作進行をまとめ上げて作品制作ペースを管理する島川には今回とんでもない迷惑をかけているはずである。
それなのに戻って来いとは一体どうした事だろうか。
『島川さん言ってたよ、仕事がきつくて逃げたやつは二度と使わないけど、あいつは俺の事が嫌いだからって言ってたからな……ってさ』
それを聞いて、申し訳なくて涙があふれた。
「ふっぐ……」
言葉にならなかった。
『ねえ、ダイキ。大変な時だっていうのは分かるんだけど、私言っておかないといけない事があってさ』
ダイキは涙をぬぐい、息を整え訊いた。
「……何?」
『あのね、出来たんだ』
「何が?」
『だから、出来たの……赤ちゃん』
「誰の?」
『私の……っていうか、アンタとしかしてないんだからアンタと私の赤ちゃんに決まってるでしょ!』
「は? え……え?」
『だから、出来たの赤ちゃん……どうする?』
その問いには、様々な意味が含まれているのだろう。産んでもいいのか、寄りを戻して一緒にやって行くのかとか。
そして、何より一番はダイキが人生を投げ出さずにやって行く覚悟があるのか、そう訊いているのだろう。
「俺は……」
『……うん』
「マヤともう一度、やり直したいです。もう一度頑張るから、だからお願いします!」
『産んでも、いいんだね?』
「うん」
『そう……じゃあ、今度お父さんとお母さんに会ってね。私の彼氏ですって紹介するからさ』
「大丈夫かな、デキ婚で怒られないかな?」
『ははっ、大丈夫だよ口は出すけど手は出さないって前に言ってたから』
「ははは……」
『じゃあ、また今度電話するね』
「うん、おやすみ」
『おやすみ……』
マヤの声を聞いた後、ダイキは電話を切った。
自分が父親になる、そんな事は考えた事もなかった。今までとは違い、責任の重さも変わってくるだろう。
「あっ」
ふと、マヤの言っていた事を思い出した。上司である島川に謝罪の電話をしなければいけない。
深呼吸してから登録された上司、島川のケータイに電話をかける。
「あっもしもし西村です。今お時間大丈夫……」
『大丈夫じゃねーな。この糞忙しい時にバックれたアホが居やがるからな』
「……すみませんでした」
『謝ってもらってもどうしようもねえんだよな。すまないって思ってるんなら態度で示せよ。明日……来られるんだろうな?』
「はい……行きます。迷惑をお掛けしてすみませんでした」
『おう、じゃあ明日な』
「はい、失礼します」
通話を終えた後、ふーっと一息つく。明日からまた忙しい日々が始まる。だが、ダイキは今までとは違った気持ちでいた。
懐かしい思い出の絵本を読んだおかげか、子供の頃の情熱が身体に満ちていた。
ダイキはなんとなく買い取った絵本のページをペラペラとめくった。ラストシーンのページまで来た時に、ある違和感に気が付く。
まだ絵本が終わっていない……続きがあるのだ。
===
――勇者ヘムの冒険。
勇者の神剣に倒される時、魔王は言った。
この世界は、鏡の世界。
希望の数だけ絶望がある。
誰かが言った。
ならどんなにつらく困難な時も同じだけ希望もあるって事じゃないか。
勇者の神剣が魔王を打ち砕いた時、鏡の世界もバラバラに砕け散った。
バラバラになった鏡の破片、その一つ一つの小さな欠片にも希望が、新たな世界が生まれていた。
===
救いようのないラストシーンの続きに、希望のあるラストが追加されていた。
ダイキは混乱した。子供の頃の記憶だから、途中までしか覚えていなかったのかとも考えたが、どうしてもそうは思えなかった。
追加されたラストシーンの次のページは一枚の白紙を挟んで奥付になっていた。
===
――勇者ヘムの冒険新装版
2031年4月15日初版発行
作・絵 石川文吾
===
奥付には初版である事と、今から三年後の日付が書かれていた。ありえないと思ったが、そうかと思い至った。この本があったのは未来図書館だったな、と。
この奥付が示す事実。勇者ヘムの冒険の作者は2030年現在も生きており、約三年後に新装版を出すのだ。
自分は、まだこの本の作者のように他人に何かを与えられる作品を生み出せていない。
「俺も……生きよう」
ダイキはそう決意した。
◇◇◇◇◇
三年後、ダイキは、アニメーターも兼任する演出助手になっていた。上司である島川は演出になっており、ダイキはその横で彼を助け働いていた。
そんなダイキの元に運命的な仕事が舞い込む。
「え? 勇者ヘムの冒険ですか?」
「ああ、お前知ってるのか? かなり昔の絵本なんだけどな。それの短編アニメの企画が来たんだよ」
「知ってますよ島川さん! ええ、俺その本読んで感動してアニメ業界目指したんですから。俺も人に何かを伝えられる作品を作りたいっていうんで」
「分かったから落ち着けって! お前そんなに情熱持ってたんだな。俺はまたすぐ逃げ出すと思ってたけど、お前の情熱はホンモノだったってワケか」
禁煙パイポを咥えながら島川は続ける。
「それで、今度版権元と会う機会があるからさ。そこでお前の憧れてる作者さんにも会えるんじゃないか?」
「会えるんすか?」
憧れの作者さんに会える。『感動しました』『今の自分があるのはこの作品のおかげです』と言える。その事にダイキの胸は高鳴った。
そして版権元との顔合わせ当日。アニメ制作会社サクセスの会議室に関係者が集まった。
結果から言うとダイキは絵本の作者、石川文吾に会う事は出来なかった。
石川文吾の孫、石川京士郎はダイキに語った。
「祖父は新装版の完成を見届けたかのように先日自宅にて息を引き取りました。旧版は、時代が時代でしたから、納得の行くラストにさせてもらえなかった、と。この新装版は祖父も満足の行く出来になったと喜んでいました」
京士郎は、パラパラとめくっていた絵本を閉じて言った。
「祖父は言ってました。旧版は子供に希望を与えられたのだろうか、と」
「……ちゃんと」
ダイキは声を詰まらせながら答えた。
「ちゃんと届いてましたよ。僕はこの作品に感動してこの業界を目指したんです」
「そうですか……祖父も喜ぶと思いますよ」
京士郎はそう言ってほほ笑んだ。
その時、不意にアニメのオープニング曲の着メロが流れる。
「バカ野郎、ケータイの電源切っとけよ」
「すみません島川さん」
怒り心頭の島川に対して、京士郎は気にした様子もなく、「アニメ業界の方々は忙しいですから」と理解してくれた。
ダイキは室内の一堂に頭を下げつつ、廊下に行き電話に出た。
「はい、もしもし……あ、お義姉さん。え? 生まれた?」
恋人のマヤは元気な女の子を産んだ。長男に続き二人目の出産だったが、名前は複数あった候補の中から、マヤの強い希望で女の子だった場合は『ミヤコ』に決まっていた。
室内の一同に長女誕生を告げると、多くの祝福と「仕事が終わったんだから、早く嫁さんの所に行け」というお叱りをもらった。
ダイキは会社を早退し、最寄駅へと向かう。その辺りは未来図書館があった場所だった。
だが、三年前のあの日以来どうしても未来図書館へたどり着く事は出来なかった。
絵本を買い取りした代金を払っていないのだが、ダイキは自分の中で一つの答えを見出している。
(生きろ……って事なのかな多分)
その後、勇者ヘムの冒険の初版本をもらったダイキの机には二冊の絵本が立て掛けてある。
版権元からもらった新装版と未来図書館から買い取った挿絵がにじんだ新装版だ。
三年前、夢のような出来事だったが、夢ではないという証拠がそこにあった。
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