解放 後編 黒島と白柳 黒と白の色彩

 くろちゃんの相談の日から、私たちは放課後や休みに一緒に勉強するようになった。

 さすがに毎日ではなかったし、メインは勉強なのだけれど、中二になって姫川さんと一緒にいるようになってから失いつつあった二人だけの時間でもあった。


 勉強といえば、姫川さんが上位に入る努力であったり、美並さんのことを褒めるような物言いをしていた。

 派閥の中で、脅威の人物美並さんは嫉妬の対象にもなりかねなかったけれど、それ以上に美並さんに何かすれば、あるいは悪く言えば、姫の逆鱗に触れると思ったのか、美並さんにそのようなことをする生徒は現れなかった。

 姫川さんが次のテストで、圧倒的な一位を取ったのもあるだろうけれど。


 美並さんの話に、テストの圧倒的な一位。

 姫川さんは、くろちゃんがしたことを知ったのだろうか?


 でも、それならくろちゃんに直接言ってもおかしくない。それに、くろちゃんへの態度も特に変わっていなかった。

 もしかしたら、派閥の面々の美並さんへの態度が良くないのを見兼ねただけかもしれない。

 

 そんな姫川さんの派閥には、二人とも変わらずに顔を出してはいた。

 ただ、くろちゃんの姫川さんに対する距離感は前に比べて遠くなった。いや、前が近過ぎたというか、信者のようなものだったのだから、適切な距離になったともいえた。


 おかげでその関係は、親友とまではいかなくても、いいお友達くらいにはなれたんじゃないのかな?

 いつの間にか、姫ではなくて悠ちゃんなんて呼んでいたし。私のことはしろちゃんと呼ばないくせに。


 そんな風に残りの中二の期間を過ごして、中学三年生。


 くろちゃんと私は同じクラスながら、姫川さんとは離れてしまった。

 それを最後のきっかけにしたかのように、私たちは姫川さんとほぼ一緒にいる不動の生徒ではなくて、たまに一緒にいる程度の生徒になった。帰りも一緒でないことが多々あるくらいに。


 もう一緒のクラスでも大丈夫だったとは思うけれど、違うクラスになったことで、くろちゃんは姫川さんの呪縛から完全に解き放たれた気がした。


 くろちゃんと勉強していたのは、私にも効果があったようで、十位前後には定着できるようになっていた。

 一方のくろちゃんは、百位くらいから大きく上げて、二十位くらいにはなっていた。相当の大躍進だと思うけれど、くろちゃんは不満そうだった。


「だって、悠ちゃんは一位だし」


「あれは姫川さんが異常なんだよ。二十位くらいでも才色兼備だよ、十分」


 全くだ。

 容姿よし、勉強よしだなんて。

 私や美並さんを見ろ。

 贅沢な。


「難しいんだね。上位に入るのって」


 そう言ったくろちゃんの顔は、とても辛そうだった。

 勉強をしてもしても上位には届かないことで美並さんの努力を理解し、それを潰そうとした自分を責めることになっているのかもしれない。


 そして、二学期中間テストの少し前に、ある事件が起きた。


 姫川さんの派閥のメンバーが、美術部の男子生徒の絵を切り裂いたらしい。

 最近、姫川さんと仲の良かったことに対する報復だったとか。


「姫川さんがその男子を嫌っていたわけでもないのに、ほんとあいつらさぁ」


 クラスメートの一人が、そんなことを言っていた。

 私もそう思う。でも、くろちゃんの前では言わないでほしかった。


「う、うん。そうだね」


 弱々しく応えるくろちゃん。

 間違いなく、美並さんを脅してしまった自分を重ねてしまっているのだろう。

 もっとも、今回の事件はくろちゃんがしたことの比ではないと思うのだけれど。

 脅しではなく、実際にその男子生徒の大切なものを壊してしまったのだから。


 いや、人の心を傷付けたことに、大小は関係ないか。


 くろちゃんもそのような思いだったのか、相当効いてしまっていたようだった。


「悠ちゃんから離れて、第三者みたいな立ち位置になってようやく分かった。今回のことが異常で悪質だって思うように、私もそうだったって」


 くろちゃんは今になって、罪悪感と自責で押し潰されそうになっていた。


 二学期中間テスト。


 一位 美並菜水

 二位 本陣優

 三位 姫川悠子 


 姫川さんは事件のことが影響したのか、三位に落ちていた。

 くろちゃんも色々と思うところがあったのか、順位を落としていた。

 私も、そんなくろちゃんが心配で同様だった。



 テストの順位の貼り出しから数日後。


 その放課後に、自分の教室に入る美並さんを、私とくろちゃんは廊下を歩いていて目撃した。

 遠目にだけれど、教室には誰もいないようだった。


「私、ちょっといってくる」


 何を?

 と言うのは野暮だろうか。

 くろちゃんはもう、美並さんが一位を取ったことをとがめたりしない。

 おそらくは——。


「謝りに、行くんだね」


 くろちゃんが無言で頷く。


「じゃあ、私も」


 当然だ。私もあの時あの場所にいて、くろちゃんを止めることもせず、ただ見ていただけだったのだから。


「駄目。先に戻ってて」


 くろちゃんが強い眼差しで言う。


「でも」


「一人じゃないと、意味がない」


 友達を連れて謝るなんてどうかしている、ということか。

 私も当事者だから、それには当てはまらないとは思うけれど。


 でも、そんな目で言われたら、気の済むようにさせたいと思ってしまうじゃない。


「分かった。頑張ってね。教室で、待ってる」


「うん。ありがとう」


 くろちゃんが教室に入っていく。

 私はそれを見送った後で、自分の教室へと先に戻った。


 せめて近くにはいたかったけれど、くろちゃんはそれすら望んでいないだろうから。



 やがて、くろちゃんは教室に戻ってきた。

 その目には、泣いた後があった。


「ちゃんと、謝れた?」


「うん」


「美並さんは?」


「許して、くれた」


「そう」


 くろちゃんは、憑き物が落ちたかのような表情になっていた。


 ありがとう、美並さん。私の友達を許してくれて。

 あの時、止められなくてごめんなさい。



 後日、私も美並さんにあの時の事を謝りに行った。


「ううん。白柳さんはきっと、あの時は本当は止めたかったんだよね。今まで謝りに来なかったのも、自分だけが謝るわけにはいかないとか思っていたんだよね。何となく、そんな気がする」


 美並さんは洞察が鋭い。もっとも、本当なのは半分といったところではある。


「ううん。私に勇気がなかっただけだよ」


「ふふ。そういうことにしておくよ」


 美並さんとそんな会話をしていると、本陣がやってきた。


「何だ、白柳? また美並を脅しにきたのか」


 来るなり不躾なことを。いや、あの時のことを考えると、仕方がないことなのか。


「違うよ、本陣くん。その脅しの時の事を謝りにきてくれたんだよ」


「今更か? それなら黒島はどうしたんだ?」


「黒島さんはちょっと前に謝ってくれたよ」


「ほう。しかし、一年も前の事をな。よく覚えていたな。まさか、ずっと思っていたのか? だとしたら暇なことだな」


「本陣くん!」


 美並さんが本陣と交際しているかどうかは知らない。

 交際は勿論だけれど、友達付き合いしているだけでも凄いと思う。


 私には、無理だ。



 心の霧が晴れたかのようなくろちゃんと私は、それからの勉強も順調で、一緒の高校に合格した。



 卒業式が終わって、くろちゃんと私は姫川さんたちと学校のアプローチ(昇降口から校門までの道)を一緒に歩いていた。もっとも、中心の輪から少し後ろを歩いているのだけれど。


 姫川さんは、この場にいる人たちが誰も行かない、遠方の高校に進学するらしい。


 それがいいと思った。

 そこではもう、姫扱いされなければいいね、とも。


「姫と離れるなんて、寂しいよぉ」


 中心の輪内の一人が言う。

 周りも『うん』とか『そうだね』とか、頷いてみせている。


 本当か? なんて思ってしまう。

 寂しいのは、姫川さんがいなくなることではなくて、姫の恩恵に預かれなくなることではないのか。学校という空間における、姫の友達という圧倒的な至福などの。


 いけない、いけない。こんな日に陰気な気持ちにならないようにしないと。


 そんなことを思っていると、こちらに向かってくる一人の男子生徒の姿があった。


 本陣?


 本陣は私たちの前、いや、姫川さんの前に立って、姫川さんに告白していった。


 思わずくろちゃんの方を見ると、くろちゃんは笑っていた。嘲笑という感じではなく、楽しそうな微笑み。


 一方で。


「え? 何? 今の」


「キモ」


 中心の輪内には、そんなことを言う生徒もいた。


 あの真剣な告白をキモいとか言う、その神経を疑ってしまう。


「失礼だよ」


 姫川さんがピシャリと言う。

 本当に、姫川さん自身はいい人だったのだなと思う。


「ご、ごめん。姫」


 謝るのは姫川さんではないだろうに。もっとも、謝る相手はもう目の前にはいないのだけれど。


「行こっか」


 姫川さんも呆れたのか、単にもういいと思ったのか、そう言って皆を連れて歩き出した。


 私はすぐには動かず、更にもう少し姫川さんたちと距離を取った。

 くろちゃんも私に合わせたのか、同じようにしていた。


 私たちの会話が聞こえないであろうくらいの距離ができると、その距離が縮まらないように私たちも歩き出した。

 そして歩きながら、私はくろちゃんに話し掛けた。


「笑ってたね。何か、思うところがあった?」


「いや、本陣は最後まで本陣だったなって」


 本当にその通りだ。


「ねぇ、くろちゃんはさ、もしかして本陣のことが好きだったりした?」


 おそらく違うとは思うけれど、面白そうだから聞いてみることにした。


「ぶふっ」


 くろちゃんが吹き出す。

 反応的に、やっぱり違いそうだ。

 

「まさか。何で、そう思う?」


 一応、か細い理由を挙げておこう。


「意外と気が合うところがあったじゃない」


「あ〜、う〜ん。あったかな」


 我が強いところとか。なんて言おうと思ったけれど、怒られそうだからやめておいた。

 その内に、くろちゃんが続けた。


「でも、そうだね。もし、二年三年と一緒のクラスだったら、好きになっていたのかもね」


 意外な答えが返ってきた。

 いや、可能性が零ではない程度の話だろうか。


「嫌いでは、なかったからね」


 そうだと思った。


 もしも二年の時に、姫川さんではなくて本陣と一緒のクラスであったなら、くろちゃんがおかしくなることはなかっただろうに。

 例え本陣と付き合って、私との時間が少なくなっても、回避できたことが色々とあるのならそれでよかったのに。


 綺麗な黒髪を、切ることもなかったのなら。


 その黒髪は、今ではもう大分元の長さに戻りつつあるけれど、本当はずっと長いままでいてほしかった私は、ついそんなことを考えてしまった。


「そういうあんたはどうなの? まさか、本陣だったの?」


「くろちゃん以上にありえないよ。嫌いではないけれど、絶対好きになれない。好きな人もいなかったな。私にはまだ恋愛は早いでーす」


「そっか。じゃあ、高校ではどっちが先に彼氏ができるか、勝負だね」


 その前に誰かを好きになるのが先だと思うけれど、その勝負は楽しそうだ。勝っても、負けても。


「意外と私が勝つよ」


「それなら、それでいいよ。——ちゃん」


 え?


「くろちゃん、今」


 私がそう言うと、くろちゃんは足早になって、姫川さんたちのすぐ後ろに付いた。


 もう。


 私もそれに倣って、くろちゃんの隣へ行く。


 二人で笑い合う。


 黒と白は無彩色という仲間。


 くろちゃんと、しろちゃんも。


 そう。


 あなたはずっと、私の大切な友達。

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