解放 前編 黒島と白柳 黒と白の相違
黒島、くろちゃんとは幼稚園の時から友達だ。
「私たちの名前、色が入ってるね。白黒コンビだね」
「うん。くろちゃん」
「くろちゃんか。いいねぇ。しろちゃん」
「黒と白は
「もう中学生なんだから、いいかげんにくろちゃんってやめてよ」
「いいじゃない。くろちゃんはくろちゃんだもん」
中学に入ったばかりのころ、くろちゃんはその呼び方を少し嫌がっていた。
長く綺麗な黒髪が特徴で、顔立ちも美人と言って差し支えないくろちゃんは、確かに黒島さんという呼び方の方が似合うのかもしれないけれど、私にはくろちゃんなのだから。
それで、極力控えるようにしながらもそう呼んでいたけれど、くろちゃんはもう私のことをしろちゃんとは呼ばなくなっていた。
「皆なんて抽象的な誰かさん方がやっていれば、俺もやらなくちゃいけないのか? そうは思わないが」
中学一年の同じクラスには、面白い男子がいた。
本陣優。
我の強いところが、くろちゃんに似ている気がした。
二人はぶつかることが多かったけれど、くろちゃんは本陣のことは別に嫌っていなかった気がする。
中学二年。
あの姫川さんと同じクラスになってから、くろちゃんはおかしくなってしまった。
姫川悠子。
中学一年のころから、その存在はもちろん知っていた。群を抜いた美少女だった。
「あの子、かわいい」
一年生の時、初めて姫川さんを見たくろちゃんは放心した様子でそう言った。
「そうだね。フィクションの世界から飛び出して来たみたいだね」
私は率直な感想を言った。でも、この言葉が違っていれば、くろちゃんがおかしくなることもなかったのかもしれない。
『くろちゃんの方がずっとかわいいよ』
それは見え透いたお世辞としても。
『くろちゃんだって負けてないよ』
などと言えていれば、あるいは防げたのかもしれない。
実際に、くろちゃんはかわいいのに。別格の姫川さんを除けば、学年で一、二を争うくらいに。
二年生になってからのくろちゃんと私は、姫川さんと行動をよく共にした。そんな風に呼ばれてはいなかったけれど、姫川派閥に入ったみたいなものだった。
「姫川さんじゃなくて、姫って呼びなよ」
くろちゃんは、姫川さんに入れ込んでいた。
私はくろちゃんがいるから、ここにいるだけなのに。
姫川さんの周りには、いつも人がいた。その中の何人もが、姫川さんの一番になろうとしていたと思う。
何の一番? 友達の一番とは、とても思えなかったけれど。
何人の一人に、くろちゃんはいた。
どうして、こんなことをしているの? くろちゃんは、何になりたいの?
姫川さんはあの容姿をもってして、男子に告白をされたことがない。
それは、明らかに派閥のせいだっただろう。
派閥の壁で近付くことすら難しく、突破して近付いたとしても、派閥の目からは逃れられない。
『あなたが姫にふさわしいとでも思っているの?』
そう言っているような、目。
私たちから姫を奪わないで。私たちの姫のイメージを壊さないで。
そう言い換えてもいい、悲鳴にも似た実際の意味。
男子にとっては、姫川さんの美貌よりも派閥に関わる面倒臭さが上回っていた、というところか。
姫川さんは自覚がないのか、男子とあまり深く関わることができないことを気にはしていないようだったけれど、とても不自由でかわいそうな人に思えた。
そして、近付いて奪おうとする男子はいないものの、別の方向から姫のイメージを壊しかねない女子が表面化してきた。
美並菜水。
姫のイメージの一つ。頭脳明晰。学年の一位。
それを壊しつつあった女子。
美並さんが一年生で一位を取った時は、たまたまの偶然とみたのか、派閥は警戒する程度だったようだ。
しかし、二年生になり、短い間隔で二度一位を取ったことで、派閥は明らかに脅威を感じていた。
脅威といえば、本陣にも当てはまるけれど、男子だからか、一位を取ったうえで姫川さんに勝ったことがないために印象が薄いのか、問題にされていなかった気がする。
くろちゃんに関してだけなら、好きとは言わないまでも嫌いではないことが関係していたのだろう。
私はといえば、本陣はともかく、姫に立ち向かい実際に勝ってしまう美並さんには尊敬の念を抱いていた。
何なら、姫のイメージを壊してほしいとまで思っていたくらい、美並さん寄りであったと思う。
姫川さんが姫でいられなくなれば、くろちゃんはきっと元に戻ってくれる。
そんな期待もあったのだろう。
でも、姫川さんは姫でいなくてはいけなかった。そう、あの時のくろちゃんにとっては。
「私、あの美並って奴にちょっと言ってくる」
「な、何を?」
「決まってるでしょ。姫を差し置いて一位を取るなって話」
くろちゃんが何を言っているのか分からなかった。
美並さんが一位を取ったのは、美並さんの努力であり、実力だ。
私も勉強は頑張っているけれど、十位以内にたまに入るのがやっとだ。才能もあるのだろうけれど、一位を取る美並さんの努力は計り知れない。
そう。簡単に、取ったものじゃない。
それを、私(くろちゃん)にとっての姫のイメージが壊れるから、捨てろと言うの?
努力をやめろと? それとも、手を抜いて明け渡せと?
くろちゃん、あなたは周りが見えなくなったの? 他人にも心があることを分からなくなったの? 我侭で人を抑え付けようとするほどに。
あなたの姫川さんは、姫のイメージはそれほどまでに大きいの?
黙って反応しない私に痺れを切らしたのか、くろちゃんは動き出した。
廊下に出て、おそらくは美並さんの教室に向かうくろちゃんを、私は追った。
その廊下で誰かとすれ違った気がしたけれど、確かめる余裕もないまま、私はくろちゃんに問い掛けた。
「ねぇ、ほんとに行くの?」
「行くよ。別に一人でもいいんだけど?」
止められない私は、付いていくことしかできなかった。
どうして?
こんなの、いいわけがない。
くろちゃんのしたいことだから?
友達だから、尊重するの?
どうして、私は——。
私たちは、本陣と美並さんと話してから教室に戻ってきていた。私たち以外には、誰もいない。
くろちゃんの席の近くで二人立ち尽くす。その場所を選んだのは、くろちゃんが無自覚に自分の領域という安心感で動揺した心を落ち着かせるためだろうか。
「何? 何なのよ? 本陣まで一緒にさぁ、あぁ、もう最悪」
くろちゃんが半泣きで愚痴をこぼす。
本陣の名前が出てきたのは、本陣には一種の仲間意識があって、自分の味方をしてくれると思っていたからかもしれない。
その本陣が、私の言いたかったことを、いや、言わなければならなかったことをほとんど言ってくれていた。
「あんたもさぁ、後ろにいるだけじゃなくて、少しは私の加勢してよ。袖ばっかり引っ張って」
愚痴が、私に向く。
もういい。
私が、言わなければいけなかったんだ。本陣ではなく、私が。
「もうやめてよ。昔の、くろちゃんに戻ってよ」
「は?」
私からの意外な言葉に、くろちゃんは呆気に取られている。
「本当は、もう分かってるんでしょ。本陣に言われたこと」
「え? 何? 分かんない。分かんない。なんでそんなこと言うの」
くろちゃんが怒っているような、困惑しているような顔で言ってくる。
負けずに、言わなければならない。
「姫川さんは、くろちゃんのお姫様じゃない」
くろちゃんの心が酷く痛んだ気がした。
私も、とても痛い。
「なんでそんなこと言うの! 友達でしょ!」
声が大きく強くなる。
怒りと悲しみの感情が言葉に乗って、私を打ち付ける。
本当に、痛いよ。
「友達だから言ってるんだよ!」
私も、声が強まる。
ありったけの感情を乗せて。
「なんで。なんで」
くろちゃんは泣いていた。
私も泣いていた。
「くろちゃんだって、お姫様になれるよ。姫川さんの、陰にいたりしないで」
姫川さんの美しさに、絶対に勝てないものを感じたくろちゃんは、姫川さんを姫と
「勝手なこと、言わないで」
怒声ではなく、静かな落ち着いた声でそう言うと、くろちゃんは自分の机に置いておいた荷物の入った鞄を持って、一人教室を出ていった。
静寂が、辺りを支配する。
こうなるのが怖くてずっと言えなかったけれど、本当はもっと早くに私が言うべきだったんだ。
友達である、私が。
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