3章 労働は本当に必要か?
ニケがわざとらしく見つめた遠くの空には、快晴を覆い尽くそうと雲が待ち構えている。そういえば、今日は午後から雨が降るんだっけ?
今朝、天気予報を見ていたとき、僕はいつもと同じ一日が始まることを疑いもしなかった。それがいまや、公園の芝生に座り込んで、五十歳のニートと話し込んでいる。人生とは、空模様よりも気まぐれなものらしい。
「雨、降りそうやなぁ」
議論しているときの大袈裟な声とはうってかわって、ニケは小さな声でつぶやいた。
「そうだね」
「傘、持ってるんか?」
「持ってないよ」
「一緒やな」
きっとこの芝生で話していられる時間は多くない。それでも不思議と僕たちはこの場から離れようとはしなかった。まだまだ舞台は中盤。そんな感覚が僕らを結びつけている。次のセリフを紡ぐため、僕は議論の沼に思考を沈めていった。
■無意味な労働の数々
「ところでさ・・・」
さっきニケはなんて言ったっけ。現代の労働は必要ない? いったいどういう意味だろう? この社会から労働がなくなれば、家も食べ物も服も生産されないし、ゲームや漫画といった娯楽を楽しむこともできない。どうして「必要ない」なんて言えるだろうか?
ニケは労働に不思議な定義を与えていた。「他者より強制される不愉快な営み」だったっけ。たしかに労働には強制や不愉快といった雰囲気がつきまとう。でも、先生に叱られないために渋々掃除当番に取り組むように、強制しなければ誰も必要な労働に取り組もうとは思わない。ならば、強制されることも不愉快であることも仕方ないんじゃないだろうか? 労働は、やっぱり必要なはずだ。
「・・・必要のない労働なんてあるの?」
「逆になんで労働が必要やと思ったん?」
「え?」
そりゃあ、必要に決まってるじゃないか。
「働いたことのある大人やったらみんな知ってるで。世の中は無駄な労働で溢れかえってることをな。ブルシット・ジョブって検索してみたらええわ」
「ブルシット・・・?」
「まぁそれはどうでもええ。とにかく、ちょっと考えてみてくれ」
ニケはわずかな幕間の時間を終えて、さっきまでの役者じみた語り口に戻っている。
「たとえば少年と俺が二人きりで無人島に漂着したとしよう」
「あんまり想像したくない状況だね」
「で、目の前に二人が一ヶ月生き延びられる分の食糧が置いてあるとしよう。で、穴を掘っては埋める作業を十回早く繰り返した方がそれを総取りできるとしよう」
「どういうこと?」
「まぁ聞いてくれや。とにかくそういう状況やねん。なら、俺も少年も必死で穴を掘って埋めようとするよな?」
「うーん、それなら二人で分け合おうとすると思うけど?」
「それが賢いわな。でも、どっちにしろそのゲームをやらなあかんとしよう。神様かなにかに強制されてるんや。ほんでゲームに勝ったら相手に分け与えようが、それは勝者の自由や」
「神様ね・・・」
「相手が勝っても分けてくれると信じるなら、ゲームを本気でやる必要はないけど・・・」
「その確証がないなら、とりあえず自分が勝とうとする・・・かな?」
「せやろ。なら、必死でゲームをやるだけじゃなくて、事前にちょっと練習もするやろうな」
「そうだね」
「でも、無駄やろ?」
「そりゃあ、そんなバカなことをする必要はないね。だって、穴を掘って埋めてもなんの意味もないんだし、ゲームなんて適当にやりすごして食糧を二人で分け合えばいい。そして、余った体力で狩りや農業にチャレンジするか、家をつくるか、脱出用の舟をつくった方がいいね」
「せやろ。つまり個人にとっては『仕方ない』と思える穴掘りゲームも、俺と少年・・・つまり社会全体としてみれば無駄なんや。ほんで、たとえ話はここまでや。お金をもらうための労働が、穴掘りゲームみたいになってるとしたらどうや?」
「え?」
「労働が分け前を奪い合うだけの競争になってるんやとすれば、どう思う?」
もしそうなら無駄だ。でも、あまりにも現実と違いすぎてたとえ話になっていない。
「でも労働って、奪い合いではないよね? どちらかといえば狩りや農業みたいに、食糧を増やすことに近いんじゃないの?」
「それが勘違いなんや。労働には二種類あってな、経済活動と政治活動っていうのがある」
「なにそれ?」
「経済活動は少年がさっき言ったように食糧をつくる行為も含まれるし、椅子やテーブルをつくる行為もそうや。あとは子どものおむつを替えたり、荷物を運んだり、トラックをメンテナンスしたり・・・人やものの世話、運搬も含まれる。労働と聞いて真っ先に思い浮かぶのは、こういう経済活動やろな」
「そうだね。逆にそれ以外の労働ってなに?」
「たとえば・・・あそこでスーツ姿の女性がベビーカーを押した母親に話しかけてるやろ?」
話に夢中になって気づかなかったが、さっき視界に入った若い母親に、スーツの女性が話かけていた。
「うん」
「内容が聞こえへんからわからんけど、あれはたぶん保険の営業や。『子どものために保険に入りませんか?』っていう営業をかけとる」
「それがどうかしたの?」
「営業は、さっきの経済活動に含まれるか?」
「うーん、ものをつくるわけでもないし、人やものの世話をするわけでもないね」
「そう。それはつまり『うちの商品を買ってくれ』と働きかけて、富の移動に影響を与えようとする営みなんや」
「富の移動?」
「むずかしく言うたけど、要は金を手に入れるための活動や。これをアンチワーク哲学では政治活動って呼ぶねん」
「ふーん」
政治活動。なんともイメージの湧きにくい言葉だ。ニケにはやっぱりネーミングセンスがない。
「営業以外に政治活動ってなにがあるの?」
「少年はYouTubeを観るか?」
「まぁ人並みには観るけど」
「広告が出てきてうざいと思うやろ?」
「まぁそうだね。早く動画を観たいのに、鬱陶しいなぁと思うよ」
「広告も政治活動や。広告ってのは、『うちの商品を買ってくれ』と働きかける行為やろ。YouTubeの広告だけではなくて、テレビコマーシャルも、ポストに入ってるチラシも、新聞広告も、街頭の広告も、ぜんぶそうやな」
「そうだね」
「さて、さっきの無人島の話と照らし合わせて考えよか。『経済活動』が狩りや農業やとすれば、『政治活動』は穴掘りゲームに夢中になることを意味するわけやな」
「でもさ、広告や営業は穴掘りゲームみたいにまるっきり無駄ってわけでもないでしょ? 広告を見て素敵な商品の存在に気づくこともあるし」
「そうか。なら少年はYouTubeの広告を百回見たとして、何回素敵な商品に出会えるやろか?」
動画を観ている場面を思い出す。そういえば、いつも広告の内容なんて見ようともせずに、スキップボタンを連打しているっけ。
「ゼロかな。いや一回か二回くらいは・・・」
「広告なんかそんなもんやろな。営業も似たようなもんや。俺も昔は営業やってたけど、企業百社に営業電話をかけて、一社契約できれば御の字やったわ」
「へぇ、そんな仕事をしてたんだね」
「せや。そんな無意味な仕事をしてたからアンチワーク哲学を思いついたんや」
「そっか。机上の空論なんだと思ってたよ」
「あほか。ほんでな、広告も営業も百パーセント悪やとは言わん。ただ、少なければ少ない方がいいことは間違いないやろ?」
「どういうこと?」
「たとえば、この社会にテーブルが一個しか存在しないよりは百個存在している方がええよな?」
「まぁ、その方がみんなにテーブルが行き渡るし、好みに合わせて選ぶこともできるだろうね」
「そう。だから経済活動が活発になることは基本的にはいいことや。つくりすぎの問題は置いといて」
「うん」
「でもな、一つの動画で広告が一本だけ流れるのと、百本流れるのやったらどっちの方がいい?」
「一本の方がいいね。邪魔だし」
「せやろ。観る側からしても邪魔やし、広告つくるのも簡単じゃない。プロが手間暇かけてつくってるんや」
そう言われれば考えたこともなかった。どれだけの手間暇をかけて、いつも僕がスキップする広告がつくられているのか。
「他にはこんな状況はどうや。オフィスで仕事をしてたら一日に一回だけ電話営業がかかってくるのと、一日に百回電話営業がかかってくるのとでは?」
「そりゃあ、少ない方がいいよね。かけられる側は仕事を邪魔されるし、かける側は大変だし」
「そう。だから政治活動は少ければ少ない方がいい。それだけやないで。政治活動をするためには、そのサポートをする経済活動も必要なんや」
「どういうこと?」
「たとえばゴミみたいな広告をつくってる会社があるとしよう」
ゴミ。ひどい言い草ではあるけれど、「ゴミ」としか形容しようがない広告はたしかにある。
「その会社はオフィスビルに入ってるわけや。そのビルを建てる仕事や、掃除する仕事、空調やエレベーターを点検する仕事、そこで使われるパソコンをつくる仕事、電気やガスの設備を整える仕事は経済活動なわけやが、これらは必要か?」
言われてみれば・・・
「最終的に無駄なことに使われてるわけだから、無駄だね」
「せやろ。ビルを建てるのに、どれだけの鉄やコンクリート、ペンキやネジ、ガラスがつくられて、運ばれてきたか想像できるか? つまり、無意味に浪費されてる労働は膨大なんや」
話の筋は通っている。しかし、そんな簡単にいくものだろうか。さすがに暴論ではないだろうか。
「でもさ、政治活動があるのも仕方ないんじゃない。会社が存続するためにも利益を出すことは大切だよね?」
「その通りや。でも、社会全体としてみたときに少ない方がいいことに変わりはない。好きでやってるんでない限りな。だったら、なんとか減らす方法を考えるべきやろ」
■ゴミのために働く大人たち
減らす方法を考えるべき? そんなことを考えたことはなかった。いまの社会の仕組みなんて、どうやっても変わらないのだと思っていた。でも、ニケはまるで部屋を模様替えするように社会を変えるべきだと語る。そんなに簡単にいくものだろうか?
「でもさ。仮に政治活動はなくて構わないとしても、経済活動はどうするの? 経済活動がなくなったらさすがにみんな困るんじゃないの?」
広告が消えても困らないとしても、農家やドライバー、看護師がいなくなればどう考えても大惨事だ。コロナ禍でも、僕たちが休む中、世の中のために労働してくれた人たちがいた。その人たちを見ても「労働は悪」だなんて言うつもりなんだろうか?
「それはその通りや。ただし、経済活動もぜんぶが必要とは限らん」
「どういうこと?」
「たとえば節分の時期になったら、恵方巻きが大量に捨てられるっていうニュースを見るやろ?」
「そうだね。毎年の風物詩みたいになってるね」
「恵方巻きのためにお米を育てて、炊いて、巻いて、包装して、梱包して、トラックで運ぶ作業は紛れもなく経済活動や。でも、捨てられる恵方巻きをつくる労働は果たして必要なんやろか?」
たしかにそうだ。でも・・・
「それは結果論じゃない? 実際どれだけ売れるかなんて、事前にわからないんだから」
「高校生になったらコンビニバイトを一回やったらええわ。『こんなに売れるわけない』って高校生でもわかるはずやで」
「だったら、どうして売れ残るまでつくるの?」
「社長ですら、お金をもらえなくなる恐怖を感じてるって話を覚えてるか?」
「うん。お金がないと生きていけないから、お金のために強制されるって話だよね」
「そう。コンビニに限らず、あらゆるビジネスではたくさんお金を稼ぐことが求められる。それはいろんな理由があるけど、そのうちの理由の一つは、お金がないと不安だから」
「不安?」
意外だ。お金持ちも、お金がなくて不安な気持ちを味わうのだろうか?
「金持ちだって『一寸先は闇』と感じてるはずや。知り合いの社長に聞いてみ?」
「社長の知り合いなんかいないんだけど?」
「ほんでな、お金を稼ぐにはたくさんつくって、たくさん売る必要がある」
ニケはたまにこちらの話を無視して、自分の話を進める。よっぽど話すのが好きなのか。僕もそれだけ自己主張ができたら、楽しく生きられるのかもしれない。
「そうだね」
「だから売れるかわからなくてもたくさんつくる。そして宣伝して、営業して売ろうとする」
「でも、売れ残るなら、逆にお金がもったいないんじゃないの?」
「それはそうやけどな、少年がさっき言った通り、やってみなわからんねん。逆に少なくつくって品切れになったら『もっとつくれば、もっと金儲けできたのに』って感じるやろ? だから結局たくさんつくるんや」
「そういうものなの?」
「実際に、食品の廃棄率はかなり高い。他にも、アパレル業界もたくさん服をつくっては売れ残して捨ててる。一回検索してみるとええわ。経済活動は過剰生産なんや。ちょっとやそっと減っても構わへんねん」
■お金を稼ぐのは偉くない
「ことあるごとに僕に検索させようとするよね、ニケって」
「当たり前やろ。情報リテラシーは大事や」
「本当は覚えていなかったり、説明するのがめんどくさいだけじゃないの?」
「それもある。めんどくさい」
ニケは、嫌味を言われても悪びれることなく自分の非を認めようとする。もしかすると「めんどくさい」を「非」とすら思っていないのかもしれない。
「ところで、ここで問題や。経済活動に携わっている人と、政治活動に携わっている人、どっちが金持ちやと思う?」
「んーどうだろ。農家や保育士、トラック運転手みたいな人たちがお金持ちっていうイメージはないし、営業とか広告に携わっている人の方がお金持ちのイメージがあるなぁ」
「せや。この社会では政治活動をやった方が金持ちになれる傾向にある。言い換えれば、金を稼いでいるからといって、社会の役に立っているとは限らん。金を稼いでいるから偉いわけではないんや」
「でも、お金を稼いでいる人は尊敬されているよね? 本当にお金を稼いでいる人が役に立っていないなら、尊敬されないんじゃないの?」
「それはな、単なる勘違いや」
「勘違い?」
「そう。『お金は社会に対する貢献度を測定している』っていう勘違いやな」
「貢献度を測定しているんじゃないの?」
「違う。そもそも貢献度なんて曖昧なもん、どうやって測定するんや?」
少し考えてみる。どうやって測定すればいいんだろう? 体重計みたいに「貢献度計」が存在するわけでもないし・・・
「えーっと、それは・・・」
「たとえば一時間ゲームをやって十万円の投げ銭を得るゲーム実況者がいるとしよう。その人は時給千円でトイレ掃除する人の百倍の時給をもらってるわけや」
頭の中で計算をしてみる。暗算は苦手だが、なんとか理解が追いついた。
「・・・うん、そうだね」
「なら、百時間トイレ掃除するのと一時間ゲーム実況するのとで、同じ貢献度やと思うか?」
「うーん、なんか違和感があるなぁ・・・」
「じゃあ、時給十億円の金持ちと比べてみればどうや?」
「そんな人いるの?」
「世界一の金持ちはもっと稼いでるで」
そうなんだ。あとで、世界一の金持ちの時給を検索してみよう。
「十億円を時給千円で割ったら・・・えっと・・・百万時間?」
「そや。なら、その金持ちは百万時間トイレ掃除するのと同じくらい貢献したと言えるんか?」
単純に比較はできないけれど、なんとなく違和感はある。でも・・・
「でも、たとえばコンピューターを発明した人がいれば、その人は世界規模の貢献をしたことになるわけだし、ずっと時給十億円くらいもらってもおかしくないのかも」
「ほな次はコンピューターを発明した人を検索してみ? 何人も名前が連なって出てくるわ。発明っていうのはな、誰か一人が突然閃くようなもんではない。先人の積み重ねがあってはじめてできるもんなんや。そのうち誰がどれだけ貢献したかなんて、測りようがあるか?」
「でも、特許とかあるじゃん? あれは、その人が発明したっていう証拠じゃないの?」
「ほな特許を与える側の人は、ぜったいに間違いのない発明者判定機でももってるんか?」
そうか。そんなものがあるはずがない。
「要するにな。そもそも貢献度なんかを測定することが無理やねん。でも、お金はあたかも測定しているような見かけを生み出す」
「見かけ?」
「つまり、こう言い換えられるねん。『お金は、貢献度を測定しているのではなく、貢献度を決定している』とな」
ニケは哲学者だからか、気取った言い回しをすることがある。中学生にもわかりやすく説明してほしいものだ。
「つまり・・・どういうこと?」
「こう言えばわかりやすいやろか。『お金は貢献度を測定している。貢献度とはその人の受け取るお金によって決定される』と。こういうのをトートロジーって言うねん」
「なら、お金を稼いでいる人が尊敬される理由は、『お金を稼いでいるから』ということ?」
「せや。それ以上でも以下でもない。そして、『お金を稼いでいるから社会に貢献している』という勘違いが蔓延した結果、逆の勘違いも蔓延した」
「『お金を稼いでいない人が、社会に貢献していない』と勘違いされるようになった?」
「そう。実際は、給料の低い人たちの方が、はるかに重要な仕事をしてる。農家や保育士、トラック運転手が一斉にいなくなったら大混乱やけど、公園で保険を売りつける人がいなくなってもなんか困ることがあるか? 政治活動に携わる人は、低賃金で経済活動に携わる人が生み出した富を搾取してるだけなんや」
スーツ姿の女性はまた別の女性を探してウロウロしていた。どうやらさっきの母親には断られたらしい。
「でもさ、あの人も頑張ってるじゃん? そんな風に悪く言うのはかわいそうじゃない?」
「その通り。かわいそうやねん」
「え?」
「ええか。無駄だろうがなんだろうが、みんなが穴掘りゲームで競い合ったなら、そこで勝ち残るのは大変や」
「たしかに、みんなが穴掘りを練習して上手くなるなら、自分ももっと練習が必要になるだろうね」
「そう。それに穴掘りゲームをやめたら自分が飢えて死ぬ。だから穴掘りゲームをやめられないのは仕方ない。でも・・・」
「でも?」
「だからといって穴掘りゲームが社会に必要やとは言われへんやろ?」
■学歴は金儲けの許可証
大人たちの大部分が日がな一日、社会全体としては無駄な穴掘りゲームに興じている。そんなことに言われてショックを受けなかったと言えば嘘になる。「働くこと」は大切で、みんなの役に立つことで、大人としての重要な責務。そんな風に教えられてきたからだ。
「この状況は深刻や。お金を稼げる政治活動の仕事にみんなが就こうとした結果、競争が激しくなってみんなが消耗している。その一方で、本当に必要な農家やドライバー、職人といった経済活動にまつわる仕事はおしなべて人手不足なんや」
「でも・・・」
社会全体として非効率なのだとしても、それでもお金を稼がなければならないのは事実。だったら、個人が幸せになるには、お金を効率的に稼ぐことができる政治活動に取り組むのは当然ではないだろうか。
「そうなるのは仕方ないよね。みんなお金は欲しいわけだし」
「それはその通りや。でも、仕方ないと諦めるべきやろうか? 政治活動が過熱するだけじゃなくて、政治活動への参加権の獲得競争もどんどん過熱してるんやで」
「どういうこと?」
「受験や。みんな受験して大学に行こうとするやろ。あれは金を効率的に稼ぐことができる政治活動への参加権を巡って争ってるんや」
「大学は勉強するためのところじゃないの?」
大学。そのキーワードを聞いて、少しだけ現実に引き戻される。そういえば勉強から逃れたくて、学校をサボっていたんだった。
「その辺の大人に聞いてみ? 大学に勉強しに行く奴なんかほとんどおらんで。偽装出席やレポートの代筆なんか日常茶飯事で、どいもこいつもバイトとサークル三昧。大学っていうのはな、四年間遊んで肩書きをもらいにいくところなんや。真面目に勉強しに行く奴もおるけどな、そういう奴は変人扱いされるねん」
「肩書き? 勉強しに行く奴は変人?」
「せや、ちょっと考えてみて欲しいねんけどな。自分が就活生やとしたら東大卒の学歴か、東大卒相当の能力のどっちが欲しいと思う?」
「それは・・・」
東大卒相当の能力・・・と言われてもピンとこない。面接の場でむずかしい数式を解いたら採用されるわけでもないだろうし、そもそもスタートラインにすら立てないかもしれないし。
「学歴の方が欲しいかもね」
「やろ? 能力だけあっても学歴がなければ面接にすら呼ばれへん。逆に学歴があれば、面接さえうまくしのげば誰もが羨む大企業に滑り込める。つまり大学生の本音はこうや。『代筆なり偽装出席なりでその場を凌いで肩書きだけもらってあとは面接で美辞麗句を並べて大企業に滑り込めば人生安泰』ってな」
「だから大学は肩書をもらいに行くところって言いたいの?」
理屈はわかるが、さすがにそれだけでは納得できない。
「納得できんなら別の角度から考えよか。大卒で、農家とかトラックの運転手みたいな経済活動の仕事をする人はどれくらいおると思う?」
「どうだろう。そういう仕事は高卒とか中卒の人がやっているイメージだね」
「逆に、政治活動・・・つまり広告業界で働く人やスーツを着て営業する人といえば・・・」
「大卒のイメージだね」
「そう。つまり大卒の学歴がなければ政治活動に参加できへんやろ? これは大卒の学歴が許可証みたいなものとして機能してるってことと違うか?」
「でもさ、具体的に覚えていないのだとしても、身についているスキルはあるのかもしれないよ?」
「偽装出席して、レポートを代筆してもらってもか?」
「そういう要領の良さを学ぶ場でもあるとか・・・」
「そんなこと、わざわざ高い学費払ってやることか? 人狼ゲームでもやっとけばええやろ?」
「それでもやっぱり、受験に勝ち残れるかどうかによって、地頭の良さとか忍耐力とかが測れるよね。大学では遊んでいるのだとしても、受験に受かってるなら、地頭がいい証拠じゃない? トラックを運転するような仕事は誰でもできるけど、広告の仕事は頭が良くないとむずかしそうだし・・・」
「ほな、別にテストだけやればええんとちゃうか? わざわざ大学に通う必要があるか? 学費は高いし、大学には税金もバカみたいに投入されてるんやで」
「それは・・・」
「あとな、トラック運転手は思っているより単純じゃないし、広告の仕事は思っているほどむずかしくない」
「どうしてわかるの?」
「俺は両方やったことがあるねん」
この男、けっこう経験豊富なのかもしれない。
「まぁそんな話はええねん。ともかく、学歴によって人々がふるいにかけられているのは事実や。大手企業の総合職には、有名大卒のエリートばっかりが集まってるわけや」
「でも、やっぱり有名大学を卒業しているくらいだから、能力は高いんじゃないの?」
「実際、優秀やと思う。でもな、世の中の役に立っているとは限らんねん」
「その人たちが政治活動をやっているから?」
「そう。傾向として、大卒のエリートは政治活動に携わるわけや。で、政治活動を上手くやるということは、性能のいい椅子をつくったり、子どものオムツを手早く替えたりするのとは違う。上手にお金を集めてくるだけや。無人島のたとえで言えば、めちゃめちゃ穴掘りゲームが得意な人が大卒のエリートなんや」
スーツを着て、髪の毛をテカテカに固めたエリートサラリーマンが無人島で穴掘りゲームに興じている場面が脳裏をよぎる。
「で、たくさん給料をもらう。問題はここや」
「え? なにが問題なの?」
「有名大学を卒業して、政治活動を上手くやれば、金持ちになれるんや。仮に社会全体を豊かにすることにはならんとはいえ、個人としてみれば金持ちになれる。なら、自分の子どもを椅子取りゲームで勝たせようとするのは当然のことやろ? 少年の親は、少年を椅子取りゲームに勝たせようとしているわけや」
「椅子取りゲーム・・・?」
「で、ほかの親も同じ。みんな子どもに裕福になってほしい。だから受験勉強をさせる。『受験戦争』っていう言葉は比喩でもなんでもない。本当に落とし合いの戦争なんや」
「戦争って・・・」
まるで勉強をしている自分が悪い侵略者だと言われているようだった。それに僕のお母さんも・・・
「もちろん、少年の親を悪く言うつもりはない。自分の子どもに裕福になってほしいと願うのは、当然の親心や。でも、それが社会全体としていいことかどうかは、また別問題やねん」
自分の子どものためになるけど、社会のためにはならない。そんなことを言われても、僕はどうすればいいんだろうか?
「ほんで、不安な親を煽り立てて金を儲けようとするのが教育業界やな」
「どういうこと?」
「教育業界の人々が頑張って儲けようとした結果、日本全体で教育に注がれるお金は年々右肩上がりや。昔は大卒の人なんてほとんどおらんかったけど、いまは半分が大卒。最近は幼少期から英語やプログラミングを教えたり、小学校受験や中学校受験させたりする親も増えてる。塾に通うのが当たり前で、友達と遊ぶ時間も減ってるやろなぁ」
僕も中学受験をさせられて、いまの私立中学に通っている。そういえば小さい頃、英語スクールにも通っていたっけ。
「さて、子どもはどんな風に感じてるやろか?」
「どうだろう? 勉強が楽しいならいいけど、嫌々やらされてるなら『もっと遊びたい』と思ってるかもね」
「せやろ」
「でも、自分の将来のためなんだし・・・」
「そうかもしらん。でも、社会のためにはならんって話をしたやろ? だったらみんなで勉強するのをやめて公園で遊んでた方がええんとちゃうか?」
「みんなで遊んでた方がいい?」
「そう。自分一人だけ椅子取りゲームをやめたら自分だけが貧乏になるから、みんな椅子取りゲームをやめられない。でも、その営みは社会全体としてはなにも生み出してない。なら、さっさとみんなでやめればええんや」
■ドラえもんはいつ生まれるの?
勉強は嫌いだ。でも、ニケほどに全否定をしようとは思えない。これだけ僕たちは必死で勉強しているのだから、それが無駄だなんて信じたくない。
「やっぱりおかしいよ。みんなが勉強して能力を身につけたら、テクノロジーが進歩して社会が豊かになるんじゃないの? AIやロボット、自動運転車なんかも発明されて、これからどんどん労働がなくなっていくって言われているし。それはみんなが勉強を頑張ったおかげじゃない? それとも『学校なんてなくなってしまえばいい』ってニケは言いたいの?」
「たしかに、ある程度は勉強は大切や。なにも俺は『読み書きができなくても構わん』とは言わへん」
「じゃあ・・・」
「でもな。さっきも言うた通り、高校とか大学の勉強なんか誰も覚えてへん。それに、ほんまにみんなが勉強したら社会が豊かになると思うか?」
「そりゃあ・・・」
僕はそうだと教わってきた。昔は学校がなくて勉強できる環境がなかったから社会が停滞していたのに対し、いまは義務教育があって、大学もあって、勉強できる環境だから社会が成長している、と。
「じゃあな、現代は教育にかけられるお金は右肩上がりやけど、経済成長してるか?」
「それは・・・」
していない。「不景気だ」と大人はみんな口にする。
「逆に大卒がほとんどおらんかった時期の方が高度経済成長期なんて言われてるで?」
「それは、他の原因もあるんじゃないの? それに経済成長していないとしてもAIとかロボットみたいなテクノロジーが発展しているのは事実だし」
「あー、少年はまた大人の言うことに騙されてるんやな」
ニケは「やれやれ」といった素振りを見せる。芝居がかった素振りにも、だんだん腹が立ってきた。
「騙されてるって・・・僕だけじゃなくて大人もそう思ってるんじゃない?」
「せやな。大人も騙されてる。でもな、AIとかロボットがほんまに人間の代わりになると思うか?」
「え? だって、テレビでもよく言ってるよ。『AIやロボットが仕事を奪う』って」
「よく考えてみ? ファミレスで配膳ロボットを見たことあるか?」
友達とファミレスに行き、はじめてあのロボットを見たときの興奮を思い出す。すべてがオートメーション化された未来社会の入り口に、自分が立っているのだという興奮を。
「あるよ。すごいよね、あれ」
「せやろ。あれは上手いこと使えば配膳だけやったら代替してくれるかもしらん」
「ほら、やっぱりテクノロジーが発展してるんじゃん」
「でもな、ファミレスの仕事は配膳するだけじゃないやろ? ゴミが落ちてたら拾わなあかんし、ドリンクバーも補充せなあかん。テーブルを拭いたり、食器をさげたり、トイレを掃除したり、子どもが来たら子ども椅子を用意することもあるやろなぁ」
「それは・・・そうだね」
あの日のファミレスでも、結局、店員たちは慌ただしく働いていたっけ。
「ファミレスの仕事といっても、配膳だけをやるわけじゃない。いちいち注目されないような細かい作業はいくらでもある。それらぜんぶをロボットにやらそうと思ったら、ドラえもんくらいの性能は必要やろうなぁ」
「でもさ。お客さんが食器をさげて、テーブルを拭けば、ほとんど代替できるんじゃない?」
「それはほんまに代替したって言えるやろか? 単にお客さんが自分でやってるだけちゃうか?」
「まぁ・・・そうだけど」
「自動運転も同じや。いまのところ自動運転車は高速道路くらいしかまともに走られへん」
「でもさ、高速道路まで人間が運んであとは自動運転すれば、かなり代替できるんじゃない?」
「そうかもしらんが、それって鉄道で運ぶのとなにが違うんや?」
「あ・・・」
言われてみればそうだ。
「それにな、ドライバーの仕事も、単に車を運転するだけじゃない。荷物の状態をチェックしながら積み込んだり、配達先でおろしたり、トラックの簡単なメンテナンスをやったり、雨が降ったらカバーをかけたり、無数の仕事がある。これも完全に代替しようと思ったら鉄腕アトムがいるやろなぁ」
「でも・・・」
納得できない。まるでロボットを開発する人たちの仕事が無駄だとバカにされているようじゃないか。
「それでも、少しでも配膳の仕事が減ったのは事実じゃない? それは社会にとっていいことじゃないの?」
「せや。でも、ロボットを組み立てて、プログラミングして、使った後に拭いて、メンテナンスする仕事も増えたな」
「それは・・・失業する人が出ないからいいことなんじゃないの?」
「あんな、それはダブルスタンダードや」
「ダブル・・・?」
「少年は『ロボットのおかげで仕事が減っている』と言った。そのあとに『失業する人が出なくなるのはいいこと』とも言った。いったい少年は仕事を減らしたいのか、増やしたいのか、どっちなんや?」
「えっと・・・」
「世の中の大人も言うんや。『AIやロボットで仕事が減らせました』って。ほんで実際には大して減らへんことがわかったらこう言う。『新しい雇用が生まれました!』ってな。結局仕事を減らそうとしたのに失敗して、それを言い繕ってるだけや。実際に労働時間は大して減ってへん」
たしかに、大人たちはずっと働いていて、労働時間が減る気配はない。お父さんは九時より前に帰ってくることはないし、お母さんはずっとイライラしながらパートに出かけている。
「だから最初に言ったやろ? 『AIやロボットが仕事を奪う』っていうのは『天の川で水遊びできたらいいなぁ』っていうくらいのお花畑発言やねん。テクノロジーなんか大して進歩してへん。5Gとかビットコインがどれだけ『世界を変える!』って言われてたか覚えてるか? 今となってはもう誰も覚えてへんやろ」
そういえば昔はしょっちゅうCMしてたっけ? いまは・・・
「でも最近は文章を書いてくれるAIなんかも登場したし・・・」
「文章は飯つくってくれへんし、家も建ててくれへんやろ? あれはハンドスピナーみたいなもんで、数年経ったら忘れ去られるオモチャや」
そういえばあったな。ハンドスピナー。小学生の頃よく遊んだっけ。
「要するにな。みんなが勉強を頑張ったらテクノロジーが発展して社会が豊かになるっていうのは幻想や。実際は、みんなが椅子取りゲームと穴掘りゲームに夢中になって、どんどん消耗しているだけや」
「それでも、スマホやゲームはどんどん性能がよくなってるよ? それはテクノロジーの発展って言えないの?」
「まったく発展してないとは言わん。でも、最近のスマホのCMを見て発展してると感じるか? 『カメラが一個増えた』くらいしかアピールポイントがなくなっとるで」
言われてみれば、最新機種が登場しても「前となにが違うの?』と感じることばかりだ。
「だとしたら、僕たちはどうして『テクノロジーが発展してる」って信じてるの?」
「それはいろんな理由があるけど、一つだけ答えよか。この社会でお金を集めるためには政治活動に取り組まなあかん。つまり、ものを売らないとあかんやろ?」
「そうだね」
「AIをつくる会社が『うちの商品は大したことないんですけど、買ってくれますか?』なんて宣伝すると思うか?」
「・・・しないね」
「せやろ。大したことないものしかつくられへんかったんやとしてもな、やたらめったら宣伝せなしゃーないねん。マーケティングとか、ブランディングといった言葉は聞いたことはあるか? データサイエンスはどうや?」
「なんとなくは・・・」
「まぁわからんかったら調べてくれ。ああいう領域は目まぐるしく進歩してる。みんな政治活動のために一生懸命勉強してるからや。その結果、テクノロジーの発展は大袈裟に騒ぎ立てられてるけど、実際には社会全体はたいして豊かになってへん」
みんなが勉強しても椅子取りゲームをしているだけであってテクノロジーは発展していない。社会は豊かになっていない。ニケの話はにわかには信じられないけれど、真っ向から否定することは僕にはむずかしい。
「そうやってみんなが宣伝することに消耗してるから、本当に重要なテクノロジーの開発に手をつける人が減ってるわけや。逆に、金儲けに割かれるエネルギーをテクノロジーの開発に費やせば、火星旅行でも、タイムマシンでも実現できると俺は考えてる」
「そうなの?」
「たぶんな。その根拠はあるんやけど、まぁそれはええわ。ともかくこのままいっても、AIやロボットで労働が代替されることはない。労働は別の方法で撲滅せなあかん」
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