state of grace

あこ

狛守さんの嫁入り:前編

狛守紹こまもりあきは柔らかい印象を与える十八の少年である。

神様の住む森と呼ばれる厳かな雰囲気を漂わせる山を自慢とする街に暮らす、狛守家の長男であった。

彼は十八の誕生日を迎えた日に忽然と消えてしまった。

世間一般的に言うところの、所謂行方不明者となったのである。




木々生い茂る神様の住む森の中で、全て白で揃えられた山伏衣装に身を包んだ行方不明となったはずの紹が籠を手に立ち上がる。

籠の中には木ノ実とキノコが溢れるほど入っており

「食べきれないと思うんですけれど……」

「干して置けば宜しいかと」

誰かがなんとかいたしましょう、と紹の持つ籠に椎茸を入れたのは黒い烏だ。

「冬が、近づいてきているんですね」

空を見上げる。日々の色へ近づいていて、紹は森で暮らし始めてからの時間の流れをまざまざと感じていた。


狛守家は数十年に一度、長女が忽然と消える家である。

歴代の忽然と消えた長女の行先をこの家の人間は正しく理解し把握もしてているが、に事実を言う事は難しく、対外的には『何処へ消えたのか見当もつかない』とただただ困惑の顔で言う。

けれど、うちうちでは長女に重くのしかかる定めに本当の意味で涙を流していた。



狛守家の長女は、定めに従い生きる事が決まっている。

狛守家はに暮らしているに仕え暮らすために存在している家なのだ。

数十年に一度、犬神が「今年産まれる子が欲しい」と使いを狛守家に向かわせ、その子は定まった年齢になったその日に犬神の待つ山へ向かうのだ。

言い伝えでは嫁いだ長女は、子供を産み直ぐに死ぬという。

なのは死因が定かではないからだ。ただ、死ぬと知らせが来るだけで、何故死んだかなんて犬神は教えはしない。森のが知らせに来る、それだけだ。

遺体とさえ対面できない。

仕方がない。そういう定めなのだ。

だからそのは生まれた時から死ぬ時を考え暮らしていた。

──────仕方がない、定めだから。

と言いながら死地を思い過ごすのである。


しかし今回は違った。


犬神の使いである烏が言ったのだ。

──────此度は、長男を望む。と申されております。

さすがの神と呼ばれる犬神とて男に子供を産ませる事は出来ない。狛守家始まって以来の出来事に狛守家には激震が走り、代々受け継がれて来た文献は勿論子供の日記にまで手を伸ばし調べたが解らずじまい。それどころか直後に紹が産まれ、犬神のには逆らえない狛守家は紹を定めの通り十八の誕生日のその日に、犬神に嫁がせる事にした。

これが狛守家のなのだからと。


「紹」


低い男の声に紹が振り返る。

そこには黒い着物をまとったが立っていた。


犬神の姿を見る事が出来る人間は限られている。嫁いだ人間しか見る事が出来ない。つまり今生きている人間で犬神の姿を知っているのは紹だけだ。

嫁いだその日の紹の案内は、先に椎茸を彼に渡した烏である。

森の奥深くで待っていると直ぐ、“犬神”が現れた。

体躯の良い長身であるが頭だけが

「犬の私に驚いていた日を、懐かしゅうかんじるものだな」

黒い犬。耳がツンと天を向いた面長の犬だ。

「犬神様のお顔は、犬よりもきっと狼に近いのでしょうね」

紹は笑って言うけれど、慣れるまではビクビク怯え、当然ながら初めて見た時は力の限りの大声で叫んだ。

犬神は意に返さなかったけれど、案内役の烏は今までで一番の叫び声に死ぬほど驚いたと言う。


犬神は紹の持つ籠を見下ろし、小さく息を吐く。

は烏や狐にやらせればいいものを」

この森、いやこの街よりも広くを守るこの神にはしもべが──表現は悪いが──掃いて捨てるほどいる。人の言葉を持てたほど犬神の傍で暮らす事が出来、神とその妻の世話をする事が出来るのだ。

そうして誰かが自分に仕えるそれが当然と生きて来た犬神は、何かと食料を探す紹を不思議がる。

歴代のは僅かばかりの命で終わる運命のせいか、どうにも家族に甘やかされがちだったようで、あまりこうした行動も取らなかったこともあり、余計に不思議に思うのだろう。

紹は犬神を仰ぎ見て小さく笑う。


「暇ですから」

「なんぞ狐や狸らを集めて遊べばよかろうに」

「化かし合いのすえに喧嘩になります。もう彼らの仲裁はこりごりです。大変なんですから」


一度嫁になれば死んでもこの森から出る事は出来ない。二度と親兄弟にはもちろん、人にすら会えない。犬神と妻が暮らすのは確かになのにのだ。

紹の目の前を人が通り過ぎようと、紹の姿をその人間は見れないし、紹はその人間に触れようとすれば弾かれる。パチンと静電気が起きたように小さな痛みと共に、弾かれてしまう。

の白い烏の言うところでは『妻になったその時に人ではなくなっているのだ』と。

それを知ってから随分過ぎたある日、もう誰とも交流を持てないのだと覚悟したはずの紹が泣きじゃくった事がある。


この森にある唯一の建造物は中腹にある赤い鳥居。その前で彼の姉が弟を思い泣いている姿を見た時だ。

──────会いたい、抱きしめたい、声が聞きたい、姿を見たい。会いたい!

そう泣きじゃくる紹の姉。紹は心が潰された。

泣き止む気配のない姉に「大丈夫、死んでいないよ、元気だよ」そう伝えたくても、泣き言を言わなかった彼女をいつものように笑わせてみたり励ます事も出来ない。

犬神が迎えに来ても、夜の帳が下りても、紹はただただ泣いていた。

紹が傍にいても見えない泣きじゃくる姉。

姉に見てもらえない泣きじゃくる紹。

とても悲痛な鳴き声が響いた、ある日の出来事だ。


「犬神様、お夕飯はなんでしょうね」

「さて」

「今日は猫又さんが材料を取りに出た日だから、鶏肉?それとも魚でしょうか?」

「酒の肴になれば良い」


黒い髪の紹と黒い犬の頭を持つ犬神は並び歩く。

向かうのは鳥居の向こうだ。

鳥居から中に入れば、人には見えない、人が来る事が出来ない次元の住まいにたどり着く。

紹が嫁ぐまでに見ていたこの鳥居から頂上までの景色を見るには、鳥居を迂回しなければいけないのだ。

鳥居の向こうに見えるのは立派な日本家屋と日本庭園。中腹にあるとは思えない広大な土地が広がっていた。

その大きな日本家屋と鳥居の間にはこの家の用事をするの、おのおのに見合った家も点在している。

例えば屋敷と言って良いこの住まいを綺麗に掃除するネズミの一族。彼らの家もある。

今はうち二匹が箒を片手に門のあたりを綺麗にしていた。

このネズミ一族は皆人間の子供程度の背丈があり二足歩行。勿論初対面の際に紹は叫んでいる。

「おかえりなさいませ、いぬかみさま。おくかたさまとおあいになられたのてすね」

「おかえりなさいませ、おくかたさま。おさんほはいかかてしたか?」

ささっと両脇に避け頭を下げる“静音しか話せない”二匹のネズミ。犬神はすたすたと間を通り、紹は「ただいま」と言って通っていく。

屋敷に上がれば直ぐのところで双子の雀が湯の準備は整っていると言い、続けて温かいうちに是非と勧めた。

「紹」

「はい」

この屋敷に電気もガスもない。何もかもがで湯を沸かすのだって木と炎の力──その炎の作り方は決してな方法ではないけれど──である。だから二人はほぼ共に入る。神様のようであった。


そしてこの日、紹は湯で聞こうと思っている。

なぜ男の自分を嫁なんかにしたのか、と。

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