過去を襲う異変
朝焼けの中、なにかが向かってくる。なにがと目を凝らせば、緋色の髪が視界を埋め尽くす。
「朱華…」
違うと柊稀は思う。あれは朱華ではないと、なぜか言いきれた。
なら、あれは誰なのか。知っているはずなのに、なぜか思いだすことが出来ない。
「柊稀…」
なぜそんなに悲しげに見てくるの。問いかけたい言葉は、声にならない。
目の前には、ただ悲しげにする女性がいるだけ。自分の名前を呼ぶ女性が。
「殺してやる…」
しばらく悲しげに見ていた女性は、小さく呟く。一度目は小さくて聞き取れないほどのもの。
「殺してやる!」
二度目は、あからさまな殺意と憎悪を込めて。悲しげな表情も憎悪で歪む。
強い、強い憎悪は自分には向けられていない。向けられているのは、隣にいる人物だ。
(隣?)
いつのまにか隣に人がいたのか。誰がいるのか。気になって見ようとした瞬間、柊稀は現実に戻された。
身体を起こせば、現実は見知らぬ塔の中。薄暗い塔の中、窓から差し込む微かな明かり。
未だに眠る柏羅の頭を優しくなで、ベッドから降りた。
窓から外を見れば、まだ夜が明けだしたばかりだと知る。思ったよりも寝られていない。
(久しぶりだなぁ、こんな早くに起きたの)
小さい頃は、早くに起きて剣の稽古を受けていた。いつから受けなくなったのかと思いだすが、思いだせない。
昔のことだからだろうと考えるのはやめた。そこまで気にすることではない。
「お兄、ちゃん?」
外を眺めていると、幼い少女の声が聞こえた。振り向くと眠そうに目を擦る柏羅の姿が。
あれだけ寝て、まだ眠いのか。過去への移動は、それだけ身体に負担がかかっていたのかもしれない。
彼ですら、どれぐらいかはわからないが、気絶していたのだ。
柊稀と違い少女は小さくて幼いのだから、負担は違うだろう。
ベッドに腰かけると、幼い少女を抱き寄せる。
「眠かったら、まだ寝ていていいよ」
柏羅を見ていると、ひとつだけホッとできた。ここには始祖竜を狙う者がいないことだ。
聖なる王は有名な賢王。治安も安定していた。怖い思いをさせずに済むだろう。
「うん……」
ぎゅっとしがみつく少女は、すぐに寝息を立て始める。
変な夢で目を覚ましてしまったが、柏羅ともう一眠りしよう。そっとベッドに寝かせると、柊稀も横になった。
「おやすみ、柏羅」
ここでなにが起きるかはわからないが、意味があって柏羅、始祖竜はつれてきた。ならば休めるときには休んだほうがいい。
きっとあの三人も、過去の魔法槍士と補佐官もそう言うはずだと思えた。
(寝れるかな)
目が冴えているだけに眠れなそうだったが、寝られるか心配するぐらい余裕はでたようだ。
異変は少しずつ過去の世界を襲っていた。見えないところで。
見えるところに現れたときには、対応は遅すぎるほど。
「お母様ー!」
「んー? もうちょっと寝かせてぇ」
昨夜も遅くまで起きていたのだと訴えれば、容赦なく起こすのは少女。
緋色の髪をしたやんちゃな少女は、母親のベッドへ飛び乗り布団を剥ぎ取る。
「ごはんだよ!」
「いらないからぁ」
とにかく寝かせろと訴える母親も、見事な緋色の髪をした女性。長い髪はベッドを彩り、少女にはちょうどいいおもちゃ。
「いったーい!」
「またやってる。ご飯だよ、しゅう」
髪を思いっきり引っ張られ、母親は飛び起きた。そこへ様子を見に来た青年が一人。
涙目で青年を見れば、青年は近寄り軽くキスをする。
「
ぎゅっと抱きつく母親を見て、娘は呆れた。
「朝からラブラブなんだからぁ」
この娘は誰に似たのだろうか。青年はたまに思うのであった。
よくある日常的なやりとりを繰り広げ、ようやく家族は朝食を食べ始める。
「しゅう、もういらない?」
「んー、眠いんだよー」
無理矢理起こすからと母親が言えば、夜更かしがいけないんだと娘は反論した。
そんなやり取りもいつものこと。けれど、彼女の食事量が減ったのは今朝だけではない。
それだけではない。睡眠時間も長くなっている。
「しゅう、なにを感じている?」
「えっ?」
「なにか感じているんだろ」
誰よりも敏感な妻だから、これもそうなのだと彼は思った。なにかに影響を受けている。
そうでなければ、最近の妻はおかし過ぎる。今の時期にこれは、とても心配だった。
「なんもー。気にしすぎだよ。しゅうが感じるなら、お兄ちゃんから連絡があるでしょ」
「そう、だけど」
(本当に気にしすぎなのかな)
遊ぼうと娘に誘われ、中庭へ出ていく妻を見ながら彼は不安を募らせた。
不安が的中したのは昼のこと。そろそろ昼食だからと執務を止めて帰宅した。
朝と夜は時間が合わない関係で家族が揃うことはないが、昼はみんなで食べると決まっている。
青年、狛琉の家族。狛琉の両親と集まるのだが、帰ってみれば母親しかいない。どうやら父親はまだらしい。
「まだ中庭か」
子供と同じレベルで遊ぶ妻はいいのか悪いのか、少しだけ考えてしまう。
「あっ、お父様ー!」
迎えに行こうとすれば、娘が慌てたように走ってきた。そのまま腕を引っ張り、中庭へ急ぐ。
「しゅう!」
庭に出てすぐ、娘が慌てる意味がわかった。朝感じたものは間違っていなかったのだ。
ぐったりと倒れている妻を抱き起こせば、意識は完全にない。
これが未来から来た異変だと、このとき誰も思いはしなかっただろう。それも、自分達に関わりがあるなど。
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