7章 星明かりの涙
「…………ダリオさんの嘘吐き」
「? 嘘なんて吐いた覚えねえけど」
私とダリオさんは一週間ほど、南の島でバカンスを過ごすことになった。
前々から休暇が取れたら“ノア”と一緒に行くと周囲に洩らしていたダリオさん。
しかし、私を置いて休暇を取るわけにもいかない。そう考えた彼は、私を南の島へ連れて行くという決断を下したのだ。
……バーンハード王子に怒られること間違いなしだ。
あの人はいまだ、私が特殊犯罪組織の一員じゃないかと疑っている。
ダリオさんがブチ切れると思って黙っていたが、バーンハード王子は公務の間に足繁く私のもとへやって来ていた。いい加減認めたらどうだ、と毎回蔑んだ目をして言ってきてたっけ。
……いや、今はそんなことどうでもいい。
「『まあ、南の島の別荘って言ってもちょっとしたところだ』って言ってたじゃないですか」
「ああ、わりいな小さくて」
「どこが!」
私は後ろにある別荘をビシッと指差した。
「どでかすぎますから!」
「そうか? 別荘の中では小さい方だと思うが……」
頭痛がしてきた。
彼は一体何者なんだろうか(ヴァンリーブ王国の警察官であることは間違いないが)。
警察学校へ行くためにバイトざんまい生活をおこなっていたわりに、こんな立派な別荘を持っているとか。
「この別荘、自分で購入したんですか?」
「いや。誕生日祝いにもらった」
「!?」
「中学生の時だったかな……要らねえって言ったけど、もう買ったからって親から……」
どん引きである。
「本当は家を出るときに返そうとしたんだが、頑として返すことを拒まれた。だからこうして、休暇の度にメンテナンスも兼ねて来てるんだ。……固定資産税かかるし、マジでいらねえ」
「なんか……ダリオさんが偉い人に見えます」
「オイ、見えるじゃなくて、オレは実際偉い人なんだよ! ったく……。部屋数はそれなりにあるし、好きに使え。ちなみに、管理人はいるが使用人は雇ってねえから自炊な。荷物片したら、近くのファーマーズ・マーケットへ行くぞ」
「はあい」
ダリオさんは思いきり背伸びした。
「あー、久々思いっきり羽を伸ばせる。オマエもここでは気を張らなくて良いぞ。マジで何もない島だが、それがこの島の魅力だ」
「はい!」
広がる青い海と砂浜。そして大きな別荘。だんだん、バカンス気分が高まってきた。
草を踏みしめ、私たちはダリオさんの別荘の玄関へと向かう。年季の入ったその別荘にはインターフォンがない代わりにノッカーがついている。それを使うでもなく、ダリオさんは堂々とドアを開けた。
ぎいぃっとドアが軋む音があたり一帯に響く。
「管理人、ご苦労様。一週間世話にな――――」
「あ、ダリオ~! 遅いじゃん! 待ってたよお~」
「………………………………」
……見間違いだろうか。
別荘のリビングには、グレイさんやアマネ様、ベルナルト皇子にセルジュ様、そしてモルテザー様がくつろいでいた。
「空腹だ。シェフはいないのか?」
「ベルナルト、ダリオの別荘には使用人もシェフもいませんよ」
「ありえん……」
ベルナルト皇子は驚きを隠せないというような表情で呟いた。
「…………長旅ご苦労様。取り敢えず……カロリキット食べる?」
セルジュ様は相変わらずマイペースに声をかけてきた。彼の横にいたアマネ様は眉をハの字にする。
「悪い、ダリオ。グレイさんが急にダリオの別荘に行くって言い出して――」
「………………」
「たしかダリオ、もうすぐ休暇って言ってたなぁって思い出してさ~」
グレイさんが満面の笑みで言った瞬間、ダリオさんは膝から崩れ落ちた。
「信じらんねえ。マジであり得ねえ……」
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「贅沢は言わん。ステーキのソースは二種類で我慢してやる」
「偉そうに言うな! てか、どうしてオマエまでいるんだよ! 今の時期――プルーシェ帝国では夏の式典があってるんじゃなかったか?」
「……色々事情があって、まだカムジェッタに留まっている」
「あ? ……まだ皇帝と和解してねーのかよ。どっちもガキだな」
「ふん、来てやったのにそんな言い方しかできないとは、さすがは警官になった男だな」
「オマエ……マジで高校の時より性格悪化したんじゃね?」
「お前もな」
「………………」
バチバチとしたバトルを繰り広げているダリオさんとベルナルト皇子。
ソファでくつろぐアマネ様に本を読んでいるモルテザー様。
キッチンカウンターにあるハーブ類に興味津々のセルジュ様。
そして、隙あらば私に抱きついてこようとするグレイさん。
「グレイさん、本気で勘弁して下さい。料理中なので」
「だって~。マドカちゃんと離れて一ヶ月も経つんだよ? 寂しかった分、マドカちゃん補給を……」
「鬱陶しいです」
「ひどっ。なんか、前より辛辣になってない? ねえ、セルジュ――」
「……このハーブって新種かな。スランビューでは見ないものだけど」
「ん? あ、そのハーブは去年くらいにブルダム王国の研究者が開発した新種ですよ」
「……そうなんだ。知らなかった。君、よく知ってるね」
「ええ、家で料理を作る時にこの前使ってみたんです。乾燥タイプのものを使ったんですけど、香りはミントみたいでした」
「うん、今の状態でも爽やかな香りがしてる」
「いい香りですよね~。調香にも使えそうな……」
「ちょちょちょっと! 2人してボクをいない存在みたいに扱わないでよ! へこむから!」
グレイさんの抗議にセルジュ様は目を丸くした。
「あ……ごめん。つい、このハーブが気になって……」
「料理の邪魔するからです」
つんとして言うと、グレイさんはあからさまに肩を落としてリビングルームへ戻っていく。
「ちょっと、このハーブに水やっていい?」
「え? ど、どうぞ……。私のものではないですけど……」
「うん、ありがとう」
セルジュ様は微かに笑むと、そっとハーブを手にして洗面所へ向かい出す。
「…………」
ぐるりと、この別荘にいる人たちを見渡した。
(こ、個性的過ぎる……)
常人離れしているのは、ここにいる人たちの身分が高いからだろうか。いや……それだけが原因ではないはずだ。性格に起因するところもあると思う。
私は食材を炒めつつ、溜め息をついた。
しばらくして。
「どうぞ」
出来上がった料理を、リビングルームのテーブルに並べた。
ステーキのソースを二種類用意したためだろう、ベルナルト皇子は満足そうな顔をしている。
「気晴らしに来ただろうに、料理を作らせてしまって悪かった」
「移動疲れもあるでしょうに、本当に申し訳ありません。こういうことなら、シェフを連れて来れば良かったですね……」
「いえいえ。そう言って頂けるだけでも有り難いです」
アマネ様とモルテザー様以外は、私へのいたわりの言葉など一切なく、一心不乱に料理を食べている。
「思ったより焼き加減が良い。合格だ」
「…………あったかい」
「あったかいのは当たり前でしょ、セルジュ。作りたてなんだから♪ マドカちゃん、サイコーだよ! キミの手料理が食べられる日が来るなんて……」
「うるせえ。黙って食え」
ダリオさんは鬱陶しそうにグレイさんの後頭部を叩くと、料理を口にした。
(な、何でだろう。緊張す――――)
「まあまあだな」
ダリオさんがそう言い放った瞬間、私はダリオさんの料理を取り上げた。
「そんなこと言う人はお預けです!」
「な……っ。倉間、てめえ!」
必死になって、ダリオさんは私が取り上げた料理を取り返そうとしてくる。
「……ねえ、ベル。ダリオって、あんな性格だったっけ……?」
「奇遇だな、セルジュ。俺も今、全く同じことを思っていたところだ」
「ダリオは、ぼくと同じサディストだと思ってたんですが。……マゾヒストに転向したんですかね……」
「モルテザーさん、心の声が漏れてますよ」
「ああ、いけない……ぼくとしたことが。アマネ、教えてくれたことを感謝します」
「ま、モルテザーが思わず呟いちゃうくらい、衝撃的な光景ってことだよね~。ダリオが女の子と接するときって言えば、そそくさと退散するか威嚇するかのどっちかってイメージしかないや」
「高校の時もそうだったぞ」
「あ・やっぱり?」
「ああ。高校で開催されていたダンスパーティーなんかは、いつもバイトだか何だか理由をつけて欠席してたしな」
「そう言えば、小さい頃から『女はすぐ泣くから嫌いだ!』って言ってガン飛ばしてた」
「ああ、その光景……容易に想像がつきます。その後、アマネがフォローに追われてたんでしょうね」
「その通りです」
「…………えっと」
「…………」
ダリオさんは、うつむき加減で拳を震わせている。
耳が赤い。
……これは……。
私は彼からササッと離れた。
「てめえら、好き勝手人のこと話してんじゃねえよ!」
ダリオさんはそう言って、一番近くにいたグレイさんにヘッドロックをかける。
「ちょ、ちょっとダリオ! ストップストップ!」
(やっぱり……)
警察官として働いているときには見せることのない少年のような表情で――ダリオさんが笑っている。
素の彼を見ることできたことが、何故だか嬉しかった。
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この島のテレビ局数は、たった二局。娯楽と言えばもっぱらビーチや観光名所、そして島の中心地にあるカジノくらいである。
ダリオさんの休暇も残すところあと二日。
(お母さん、元気かな?)
いまだ検査ざんまいだということは、ダリオさんを介して聞いていた。電話したかったが――セキュリティの観点から電話を繋ぐことができないと言われてしまって。
お見舞いならOKとのことだったが、検査疲れしてるだろうと思って遠慮していたが……。
ヴァンリーブ王国に渡航してから1ヶ月近く経つし――そろそろお見舞いに行きたいな、などとぼんやり考えていた。
(きっと、大丈夫だよね)
治療は順調に進んでいると聞いている。そう、きっと――……大丈夫だ。
「ねえねえ、マドカちゃん!」
観光スポットへ繰り出していたグレイさんが慌ただしく帰ってきた。
「は、はい?」
「地元の人に聞いたんだけど、今日お祭りがあるんだって! 一緒に行こう!」
「祭りか。……どうしてもと言うなら、行ってやっても良いぞ」
ベルナルト皇子がグレイさんの言葉に反応した。
続けてダリオさんも「射的屋も出るよな。行くぜ」と乗り気に。
「ふーん、まあ、行っても良いですけど」とアマネ様も肯定的な考えを示している。
モルテザー様も「お祭りですか。良いですね。セルジュも一緒に行きますよ」と、セルジュ様に話を振り、「…………めんどくさい」と言いながらも引きずられていきそうな状況だ。
「ちょっと待った! ボクはマドカちゃんを誘ったはずなんだけど……どうして皆が答えるのさ!?」
「グレイさんと二人じゃなくて、皆さんも一緒なら行きます」
「うう……」
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結局、皆で地元のお祭りに行くと決まったのはいいものの……。
SPをゾロゾロ引き連れていては悪目立ちするということで、ごく少数のSPを目立たないよう何人か祭り内に紛れ込ませて参加することとなった。
「賑わってるね~」
ひゅーっとグレイさんは口笛を吹く。
「これが祭り……。騒がしいな」
ベルナルト皇子が感慨深げにあたりを見回している横で――……。
「………………」
「? セルジュ、どうしまし……」
「人多すぎ。気分わる……」
「え……? セルジュ、大丈夫ですか? すみません、ちょっとここのベンチでセルジュを休憩させておきますから、皆さんは楽しんできて下さい」
「ええ!? セルジュがいないんだったら楽しめないよ~。ボクも一緒に残る!」
モルテザー様とグレイさんはそう言って、セルジュ様の隣に座った。
「何か飲んだら気分が変わるかもしれないですね」
「アマネ王子、ごめん。……皆も」
「ここまで騒がしいんだ。そうなるのもわかる」
意外にもベルナルト皇子は、嫌味な一言を吐くでもなくセルジュ様に寄り添う言葉をかけた。
「オマエって……セルジュやモルテザー、アマネには比較的、情のある対応するよな」
「お前やグレゴリウス王子と違って、アマネ王子たちは常識人だからな」
「あ!?」
「とりあえず、飲み物を何種類か買ってきてくれ」
ギャーギャー騒ぎ出すダリオさんたちを放置して、アマネ様は近くにいたSPに指示を出す。
すると、ダリオさんが素早く反応した。
「アマネ、SP使わなくても良いぜ。オレが買ってくる」
「え? でも……」
「いいから。……ただでさえ、SPの数が少ないんだ。下手に人数を減らさない方が良い」
「ああ、それもそうか。じゃあ、俺も――」
「アマネは皆とここら辺にいろよ。もうすぐ祭りのメインの花火上がるらしいし。ほら行くぞ、倉間」
「…………え!?」
話の流れ的に、ダリオさんが一人で行くものとばかり思っていた私は、打ち上げ花火の準備をし出す人々の動きをボーッと見ていた。
「わ、私も打ち上げ花火見たいんですが……」
「移動しながらでも見られるだろ。それとも何か。王子であるアマネを顎で使う気か?」
「そんなこと言ってません! もう、わかりましたよ……」
私は渋々、ダリオさんに引っ張られるがまま飲み物を買うため人混みの中に突入した。
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飲み物を売っている出店には様々なフレーバーのドリンクがあった。どれがセルジュ様の好みかわからないため、十個くらい適当に味を選んで袋に詰めてもらう。
そして、サッサと皆が待っている広場へ戻ろうとしたが――……。
ダリオさんの視線が、一点に集中している。彼の視線の先にあったのは――射的屋だった。
(そういえば、ダリオさん射的したいって別荘で言ってたな……)
ダリオさんのことだ。少しだけやってくぞと言い出すかもしれない。
と思ったが、彼は首を緩く横に振ると、歩き出す。
「射的、やらないんですか?」
「ん? ああ、時間があったら後でやる。セルジュが待ってるだろうし」
「…………。ダリオさんって、ちょこちょこいい人ですね」
「“ちょこちょこ”は余計だ」
胸に響くような重低音が辺り一帯に響いた。
空一面を覆う、大輪の花。
赤や緑、青や黄色。様々な色彩を孕んだ花火が私たちの頭上を彩った。
思わず、足が止まってしまった。
そんな私の手を、さも当たり前のようにダリオさんが引いた。
彼はこちらを振り向きざま、ふっと微笑んだ。
「花火見てていいぞ。ちゃんと引っ張っててやる。……転ばせねえから」
「…………はい」
――マドカ、上を向いたままだと転んでしまうぞ。
――ほら、手を繋ごう。そうしたら、オマエがいくら花火に夢中でも大丈夫だから。これなら、転ばない。
――うん! ありがとう、――!
頭上に花咲く花火を仰ぐ。
(何だろう、心が――)
クルシイ。
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「ああ、いたいた。オイ、飲み物買ってきたぞ――――」
ダリオさんの声が途切れた。
「どうしたんですか?」
ダリオさんの背中越しに皆の様子を覗き見た私は、驚愕した。
絶対にここへいるはずがない人物――
バ ー ン ハ ー ド 王 子 が い た の だ 。
バーンハード王子は大人数のSPを引き連れており、人々の視線を集めまくりだ。
「探したよ、ダリオ」
「んだよ……」
「わかってるだろ? 明日は私の誕生パーティーだ。参加してもらう」
もちろん、ここにいる皆さんにもね、とバーンハード王子はサラリと言ってのけた。
刹那、ベルナルト皇子を始め皆の顔が一斉に引き攣る。
「バーンハード様、私は公務がありますので――……」
「皆さんの国にはあらかじめ招待状を送っています。そして、王や当主の方々には、あなた方を私の誕生パーティーへ出席させるという返事を頂いております」
「…………」
「諦めろ。コイツ、マジで用意周到だから」
ダリオさんはベルナルト皇子にヒソヒソと耳打ちした。
「まあ、いい。言っておくが、オレを参加させるなら倉間も参加させろよ? 護衛やってんだから」
「え……? ……ここにはノアも一緒にいると聞いた。倉間マドカはノアに一任すればいいだろう?」
(うっわ。ものすごく嫌そう)
「それに……ダリオはの護衛任務から外れてると聞いていたけど」
「ノアのヤツは緊急の任務が入ったから、休暇を繰り上げて他国へ行ったぜ。だから今はオレが倉間の護衛任務を請け負ってる。ってことで、コイツも一緒じゃなきゃパーティーへは行かねえ」
バーンハード王子は露骨に溜め息を吐き、渋々と言った感じで私もパーティーへ参加することを了承した。
「いえ、私は警察本部に帰り――」
ダリオさんは、余計なことを言うなというような厳しい眼差しを向けてきた。
「うう…………」
――バーンハード王子のせいで、バカンス最終日は最悪な日となった。
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翌日。
ここ――ヴァンリーブ王城に到着するなり、アマネ様が手配してくれたブルダム王室御用達のスタイリストが私を待ち構えていて。
彼女は、あーでもないこーでもないと言いつつ、ドレスや小物、そしてメイクにヘアスタイルまで整えてくれた。
最初は自分でやると抵抗したのだが、スタイリストの女性曰く、バーンハード王子の誕生日パーティーに変な格好で参加したら、付添人であるダリオさんに多大な迷惑がかかるという。
(それは避けたい……。でも……)
私はスタイリストに選んでもらったドレスを着るため、フィッティングルームへ入った。しかし、そのドレスへ着替える勇気がどうにも出ない。
「あの、これ……肩が出ないタイプにはできないでしょうか?」
「それがベストだから変えることは無理よ。ただ……そうね、ストールで肩を隠すのはありかも」
スタイリストはそう言うと、ストールを私の肩にかけ、満足げに頷いた。
私はホッと胸をなで下ろす。
どうしても、肩を出したくなかったので助かった。
いや――……。
最近はあまり考えないようにしていたことを、フィッティングルームにある全身鏡を見て…………思い出す。
(出したくないんじゃない。……出せない)
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パーティー会場まではダリオさんがエスコートしてくれる予定だったのだが、バーンハード王子がうんたらかんたら言ったらしく……一人で入場することになった。
コソコソ会場入りすると――……。
「来たか」
「あの人に任せて正解だったな」
ベルナルト皇子とアマネ様を発見した私は急ぎ足でそちらへと向かう。
「アマネ様、ドレスやスタイリストの方をご用意してくださって、本当にありがとうございます」
「別に。お礼はダリオに言った方が良い」
「あ、はい……それで、ダリオさんはどこに……?」
「あっちだ」
ベルナルト皇子がワイングラスで示した方向を見ると、バーンハード王子の護衛を務めているダリオさんが――いない。
「? ダリオさん、バーンハード王子の護衛をしてないんですか?」
「お前…………」
少しだけ驚いたような表情でベルナルト皇子は私を見下ろし、視線をバーンハード王子へと移した。
「バーンハード様の横をよく見ろ」
ベルナルト皇子に言われ、よくよくそちらを見ると――――ダリオさんがいた。
彼はきらびやかなドレスを着た女性や、礼儀正しそうな男性たちと談笑している。
「今回、ダリオはバーンハード王子の賓客扱いです」
「モルテザー様!? 皆さん、いつの間に――――」
「……賓客扱いは当たり前」
セルジュ様は坦々と言った。何をどうすれば、賓客扱いが当たり前なのだろうか。トントン、とグレイさんが私の肩を叩いてくる。
「見て、マドカちゃん。アイツ別人でしょ?」
「……たしかに……」
こうして遠目で見る分には、どこかの令息だと言われても違和感がない外見をしている。
(本当は、口の悪い警官だけど)
と、ゆったりした音楽が流れ出した。ダンスタイムが訪れた合図である。
「アンタ、踊れるの?」
「全然ですし、踊る気もありません」
「そう。アンタが踊るなら、ダンス……参加しようかとも思ったんだけど……」
「え!?」
「…………!」
「……アマネ、本気で言ってるんですか……?」
アマネ様の発言を受け、グレイさんとセルジュ様、モルテザー様は瞠目した。
「あ、はい。でも、踊れないなら仕方ないですね」
「嘘でしょ……え、何。ボク幻聴でも聞いた?」
「グレゴリウス王子……? 皆、どうしたと言うんだ。何をそんなに驚いている。こいつが踊れないからか?」
ベルナルト皇子が、私の言いたいことを代弁してくれた。答えをくれたのはモルテザー様だった。
「違いますよ。……アマネは、絶対にダンスを踊らないんです。いつもダンスタイムは逃げ出して……」
「アマネ様! こちらにいらっしゃったのですね。わたくしとダンスを――」
「いいえ、私と――……」
「そんな派手な方々よりもわたくしと……って、アマネ様!?」
気づいたら、アマネ様の姿は消えていた。セルジュ様までちゃっかり姿を消している。
「――と、このように……いつも逃げるんです。セルジュもね」
「そして、ボクたちが捕ま――」
「あら、グレゴリウス王子もいらっしゃったのですね! わたくし、グレゴリウス様のこと前々から素敵だと思っていたんです。踊りましょう」
「え? ああ、うん……ごめんねマドカちゃん!」
「何よ、あの女。アマネ様狙いのくせに……っ」
「……もしよろしければ、お相手願えますか?」
「は、はい! 私でよろしければ」
モルテザー様の紳士的な誘いに、グレイさんをダンスに誘った女性を恨めしげに睨んでいた女性は華のような笑顔を見せた。
………………女って怖い。
残るは…………。
「あの、ベルナルト皇子ですよね? プルーシェ帝国の。ぜひ、わたくしと――……」
勇気を振り絞って誘ったと思われる女性。
しかし、ベルナルト皇子は腕を組み、私と初めて会ったときと同じような表情をして吐き捨てた。
「どこの誰かもわからない相手と踊るほど、俺は落ちぶれていない。他を当たれ」
「…………っ」
女性は涙ぐみながら、扇で顔を隠してその場を去る。
「不愉快だ。帰る」
「え!? ベルナルト皇子!?」
つかつかと出口へ向かうベルナルト皇子を追いかけようとも思ったが……。
ダリオさんからパーティー会場から出るなという指示を事前にもらっていた私は、ベルナルト皇子を追いかけることができず。
会場の真ん中――ダンスフロアでは、会場にいるほとんどの人が踊っている。
(ダリオさんもいるのかな?)
気になり、ダンスフロアに視線を送っていると……。
「あなた、さっきアマネ王子たちと一緒にいた方よね?」
「え?」
振り返ると、数人の女性が私を取り囲むようにして立ち並んでいた。
「アマネ様からダンスの誘い受けてなかった?」
「そんなことは――」
「ブルダム王室専属スタイリストがあなたと一緒にフィッティングルームへ入るの見た子がいるんだけれど、その情報は本当かしら?」
――まずい。これは本当のことを言ったらダメなパターンだ。
私はそれを瞬時に悟り、ストールをぎゅっと体に巻き付けた。
「あら、答えてくれないの? そんなストールなんて巻いちゃって……」
「あ、これ今季の注目ブランドのストールじゃない? ちょっと貸してよ」
「やめてください」
グイグイとストールを剥ぎ取られそうになり、ぐっとストールを握りしめた。そんな私の行動が気に障ったのだろう。
女性たちは思いきりストールを引っ張った。
「やめて!」
悲鳴にも似た叫び声を上げて私はしゃがみ込む。
しゃがみ込んだ拍子に、ダンスフロアを挟んだ反対側にいたダリオさんと目が合った気がした。
しかし、私に気づいたとして……彼はたくさんの人に囲まれている。助けを乞うことはできない。
「マドカちゃんっ」
異常事態に気づいてくれたのだろう。グレイさんがこちらへ来ようとしてくれるのが目の端に映る。ダンスのパートナーの女性から強い引き留めにあっているようで。
「まあ、大声を上げるなんてはしたない。立ちなさいよ」
「そうよそうよ」
追い討ちをかけるように、女性たちは座り込んでいる私の脇に手を入れて立ち上がらせようとしてくる。
「いけないよ、君たち」
ふっと強い影が差す。
女性たちの手が私から離れた。
……影の正体は、バーンハード王子だった。
「こんないたいけな女の子をいじめるなんて……。大丈夫かい? とりあえず、バルコニーへ……」
そう言って、バーンハード王子は私の肩に手をかけてくる。
鳥肌が立った。
ぎゅっと目を瞑る。歯がカチカチと鳴った。
(立ち上がったら――見えてしまう――)
私は両腕で自分の体をきつく抱きしめた。
いきなり視界が真っ暗になったと思ったら、グイッと誰かに抱きしめられる。
そして、そのままグイッと誰かに抱きしめられる。あたたかい腕に、爽やかな香り……。私は視界を遮ったもの、ジャケットの隙間から彼の顔を見た。
「バーンハード王子、コイツをアナタが気に掛ける必要はない」
「……ダリオ……」
「ほら、立てるか?」
私の目線に合わせて片膝をついたまま、ダリオさんは聞いてくる。
「膝が笑ってしまってて……ごめんなさい」
消え入りそうな声でそう言うと、「わかった」と言って、彼は私を持ち上げた。
「な……っ!?」
目を丸くしてこちらを見ている女性たち。
でも、そんな彼女たちより私のほうがもっと驚いている。お姫様抱っこなんて…………今までされたことなんてない。
(え? え……? 何、何が起こったの!?)
「なになに? なんの騒ぎ?」
戸惑った様子のグレイさんがやって来た。場は騒然としており、このままでは騒ぎがもっと大きくなりそうだ。
「ちっ、このままじゃ目立つな」
そう言って、ダリオさんは私を抱えたまま踵を返した。
「グレゴリウス、場を
「えええええ!? ちょっと、ダリオ!?」
無茶ぶりすぎるダリオさんの言葉。グレイさんは
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さやさやと木の葉が擦れる音がする。
ダリオさんは中庭にあるベンチに私をおろしてくれた。
(……あったかい……)
ダリオさんがかけてくれたジャケットは、ほのかな温かさを宿している。
彼はドサッと私の横に腰を下ろした。
…………こうして泣いているとき、ダリオさんが傍にいるのは何回目だろう。
彼は無言のまま、月明かりが眩しい空を見つめている。
「……ダリオさん、すみません。ありがとうございます」
鼻を啜りながら言うと、ダリオさんはこちらに顔を向けた。
「謝るな。オマエは被害者だ。あー……マジであの女ども、怒鳴ってやれば良かった」
歯ぎしりしながら、ダリオさんは悔しそうに言う。
「そう言ってくれる人がいるだけで、救われます」
「……他人のストール破くなんてどん引きだ。あれはさすがにオレがオマエの立場でも叫ぶかもしれねーな。いや、叫ぶじゃねえ。確実に怒鳴る」
「…………」
ダリオさんは、ストールを引っ張られて破けたことに対して私が悲鳴を上げたと思っている。
そのまま…………誤解されたままの方が、言い訳しなくて済むから都合が良い。
でも……。
私はキュッと唇を噛み、ダリオさんから借りていたジャケットを脱いだ。
「? 少し冷えるし、まだ着てていいぞ――」
ダリオさんの視線が、私の肩で停止する。
中庭の電灯に照らされる、醜い
「これを、見られたくなかったんです」
初めて自発的に、この引き攣ったような肩にある痕のことについて話そうと思えた。
「昔、
「帯状疱疹……? その痕が……?」
「はい。で、別に自分としては気にしてなかったんですけど……その、付き合ってた人にこれを見られた時……汚いってなじられちゃって別れ話切り出されたことがあって。もうショックで……。傷痕1つで別れ切り出されるんだって。それくらい、醜いんだって」
それから、絶対に肩を出すような服は着ないと決めた。
話してみると何気ないことのような気もするが、当時の自分にとっては重大な出来事で。そのときついた心の傷は、いまだ癒えていない。
――――ダリオさんは、私の肩にジャケットをかける。
マドカ
「すみません……見苦しいですよね」
私は羞恥に顔を赤らめ、彼に背を向けた。
――と。
「!?」
後ろから、ぎゅっとダリオさんがきつく抱きしめてくる。息もつけないほど、強く。
「――オレは、そんなこと言わない」
頭上からダリオさんの声が降ってくる。
「てか、その痕……帯状疱疹の痕っていうよりも……いや、何でもない。とにかく、そんなものごときを気にするオレじゃねえ。大体なんだよ、男のせいかよ、んな小さな痕を気にする器の小さい男を選ぶなんて、オマエ運が悪かったな」
「なっ。小さなって……私にとっては大きな痕なんで――」
言い終わる前に、振り向きざま手首を掴まれた。
ダリオさんの端整な顔が、目と鼻の先に迫る。
「――――綺麗だ」
彼は淡く微笑んだ。
「自信を持て。オマエは綺麗だ」
心臓を、素手で掴まれたかと思った。
「そ、そんな……ご冗談を……」
「オレはウソが大嫌いだ」
それはよくわかってます、と心の中で突っ込んでみたものの、火照った頬の熱が全然引かなくて。
(……ど、どうしよう……頬の熱が全然引かないっ。きまず過ぎる。これはどんな顔をすればいいの……ってそうだ!)
私はこの妙な雰囲気を変えるべく、大判のクラッチバッグの中に忍ばせていたモノをダリオさんに手渡した。
ダリオさんは、いきなり私が手渡したものが認識できなかったのか、キョトンとしてる。
「……これは……?」
「デニッシュパンです。別荘から出発する前に大急ぎで作ったので、だいぶ手抜きしましたけど」
「デニッシュパンなのは見ればわかる。オレが聞きたいのは、どうしてクラッチバッグからそれが出てくるのかってことだ」
「バーンハード王子の誕生パーティーとか、絶対緊張して食事なんて摂れないだろうって思ってたんです。……案の定、食べられなかったですし。お腹を満たすために持ってきてみました」
「……オマエって、マジでオレの予想の遥か上を行くよな」
「ダリオさんには負けると思いますけど。……このパン、特別にダリオさんにも分けてあげますね。助けてもらったから」
「なんだ、その偉そうな口調。ま、もらってやるよ」
ぶっきらぼうに言いつつも、ダリオさんは照れたような笑顔を浮かべた。
そんな彼のおかげで…………肩の
━-━-━-━-━-━-━-━-━-━-
デニッシュパンを食べ終えた私たちは、パーティー会場に続く廊下を歩いていた。
ちょうどパーティーが終了したところだったらしい。大勢の人々が廊下に溢れ返っている。
私とダリオさんはこれ幸いとばかり、人々に紛れてフィッティングルームへ直行して着替えを済ませ、さっさと王城から抜けだそうとした……のだが。
「ダリオ!」
「……やっぱり」
そんなに上手く切り抜けられるわけがなかった。
バーンハード王子はSP達を引き連れてこちらへ向かってくる。
「大変だ。特殊犯罪組織の
「!? わかった。このまま本部に直行する」
「その間、マドカさんは私が保護しておこうか?」
「何寝ぼけたこと言ってやがる」
ダリオさんの目が爛々と輝く。
「首謀者とコイツを引き合わせる」
「えっ!?」
「カムジェッタの路地裏でコイツが見たのは、その首謀者かもしれないだろ?」
「いや……でも、危険過ぎないか? 仮にも特殊犯罪組織のリーダーと思しき人物だよ?」
「うるせえ、直接対面させるわけないだろ。マジックミラー越しだ。ほら、とっとと首謀者のツラ拝みに行くぞ」
「は、はい!」
「待ってくれ。私も行く」
「勝手にしろ。だが、絶対オレの邪魔すんじゃねえぞ」
そう言ってダリオさんは踵を返した。
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