2.
一ヶ月前――。
「いやあ、君には本当に感謝してるよ。中卒とは思えない才女だね!」
それで褒めているつもりなのだろうか。
でっぷりとしたお腹がチャームポイントなクローバー・ホテルの支配人は、私の肩を叩きながらそう言った。
何とか笑顔を取り繕ったものの、私の目は据わっている。
感謝してるなら、そのぶん給料を弾め。
このホテルに入社してから早10年。私の給料は1度も上がったことがない。
「それにしても、君の言語能力にはいつもびっくりだよ! どうやって覚えたんだい?」
「何度もお伝えしてますが、独学です」
「いやあ、素晴らしい! 働きながら、主要国の言語全てを独学で! 皆が皆できることじゃないよ。相当な努力家だね」
「……あの、私いまからバーの仕事へ行かなきゃいけないので失礼しま――」
「いやあ、君を雇って良かったよ!」
支配人、人柄は良さそうなのだがいかんせん話が長い。
そのことで何度他のスタッフと愚痴を言ったことか。
目の前には弾丸トークを展開している支配人。
私は彼の言葉を半分以上聞き流していた。
「で、本題なんだけどさ」
(え!? ようやく本題なの!?)
たっぷり一呼吸置いて、支配人は大きく口を開く。
「今度、各国の要人が集まる“全世界親交式典パーティー”があるのは知ってるよね?」
「はい、来月でしたっけ。……それが何か?」
「その式典パーティー、うちの大元であるカムジェッタ・ホテルであるって知ってる?」
「もちろんです……」
すごく嫌な予感がする。
「じゃあ話は早い。ちょっと、臨時でカムジェッタ・ホテルスタッフになってくれるかな」
「!?」
王室御用達の由緒正しきホテル――カムジェッタ・ホテル。
一ヶ月後、そこで“全世界親交式典パーティー”というものが開催される。
主要国を中心にして、様々な国の要人が集まり親交を深めるという主旨のパーティーだ。
昔は頻繁に開催されていたが、ここ最近は頓挫していたらしい。
そんな式典パーティーが今回、久々に開かれるとあって連日テレビやラジオや新聞やらで報道が過熱していた。
今回の全世界親交式典パーティーには、主催国である我が国――カムジェッタ国の要人はもちろん、カムジェッタ国と親交が深いブルダム王国、イムリバ王国、そして、スランビュー王国の要人たちが集うことが随分前から決定していた。
それだけでもすごいのに……。
なんと先日、ヴァンリーブ王国とプルーシェ帝国という二大国が同時に参加表明したのである。
ヴァンリーブ王国とプルーシェ帝国はものすごく仲が悪い。
その仲の悪さたるや、私が産まれる数十年前、世界中を巻き込む戦争を起こしたほどである。
二つの国が“親交”と名がつく集まりに同時に集まったことなど、これまでなかった。そんな両国がそろって参加を決めたのだ。
世界中の一大ニュースとして取り扱われないワケがない。
……というわけで、今回の式典パーティーはものすごい話題性を呼び、マスコミが大々的に取り上げていた。
普段テレビや新聞をほとんど見ない私が知っているくらい、どこもかしこもその話題で溢れ返っている。
「いや、カムジェッタ・ホテル側から要望があってさ。多言語を扱えるスタッフを貸して欲しいって」
他の系列ホテルにも掛け合っているが、主要国の言葉全てを話すことができるスタッフはほとんどいないようで。三言語ほど喋るのが限界という人ばかりらしい。
公用語でもあるこの国の言葉――カムジェッタ語を習得している要人が大多数ではあるが、中には自国の言葉しか話せない要人(ないし話さないと決めている要人)もいる。
彼らは専属通訳を連れてくる可能性が高い。しかし、念には念を押しておきたいというのがカムジェッタ・ホテルの意向らしい。
「それを聞いて、『ああ、うちの倉間なら主要国の言語は全て喋れますよ』ってお伝えしたんだ。そしたら、ぜひ臨時でカムジェッタ・ホテルのスタッフとして雇いたいって要請が来てね~」
「はあ……」
「ちなみに、私以外にも君の言語能力は確かだって推薦したお方がいたみたいだよ」
「そのお方がそうおっしゃるのであれば間違いない、とカムジェッタ・ホテルの支配人も納得したらしい。……すごいじゃないか!」
胸を張ってそう言う当ホテルの支配人にジト目を送る。
(この人、私が一流ホテルでちゃんとした動きができると本気で思って発言したんだろうか)
絶対、何も考えずに提案したに違いない。
一流ホテルのスタッフのような動きなんて私にはとてもとても……。
「給料は――――うちの3倍!」
「やります!」
私の決意は速攻で固まった。
━-━-━-━-━-━-━-━-━-━-
「……はあ……」
結局、クローバー・ホテルの支配人の無駄話を切り上げるのに相当な時間を要してしまった。
バーの始業開始時間である二十二時にギリギリ滑り込みセーフで間に合った……ものの。
バーのマスターから、開始時刻5分前に来たことを厳しい口調で責められてしまった。これも全て支配人のせいだ。
(マジでギリギリセーフ)
私の働いているこの
ただし、時間にルーズな人は速攻でクビにされてしまう。
カムジェッタ人はよく言えば大らか、悪く言えば時間にだらしがない人間が多い。そんな中、このバーのマスターは、非常に時間に厳格な人なのだ。
(間に合って良かった……。ていうか、明日からカムジェッタ・ホテルで仕事かぁ……)
最初は式典パーティーのときだけ助っ人へ行くという話だったのだが、話しているうちに「事前にホテル内のことを知っておいた方が良いかもしれないね!」と話が急展開。
あれよあれよと言う間に、急遽、明日からカムジェッタ・ホテルへ出勤することとなってしまった。
(何時起きだっけ?)
グラスを拭きつつ、スケジュール帳をコソコソ開き、カムジェッタ・ホテルの裏口に八時集合の文字を指でなぞる。
カムジェッタ・ホテルの支配人であるガーレさんという人がわざわざ出迎えてくれるらしいから絶対に遅れることはできない。
「――さん」
(でも、今日も三時終わりだしなぁ~)
「…………倉間さん」
(…………寝坊したりして……ははは……)
「倉間さん」
「どわっ!? って、セルゲイくん……!?」
「お疲れ様」
「あれ……? 二号店にいるんじゃ……」
セルゲイくんは一年前からバーで働いているホールスタッフだ。
つい最近までこの店で一緒に働いていたのだが、マスターがバーの二号店を出店したのを機にそちらへ異動してしまった。
艶のある青っぽい黒髪に浅黒い肌。海を反射したような美しい色をした瞳の彼は、片手に持ったリキュールを揺らす。
「リキュールが切れたって連絡が入ったから持ってきた」
「なるほど。お久しぶりだね! 二号店、繁盛してるってマスターから聞いてるよ」
「うん。…………何かあった?」
「…………いや~実はさ~……」
客足は引いているし、マスターは休憩に入っている。
そこに現れた、気心の知れたセルゲイくん。
愚痴を吐かないという選択肢は、ない。
私は、式典パーティーのスタッフとして臨時でカムジェッタ・ホテルに雇われることになったこと。急に明日からカムジェッタ・ホテルへ出向しなければならなくなったことをセルゲイくんへ洗いざらい愚痴った。
私の話を黙って聞いてくれたセルゲイくんは、何やら考え込んでいる。
「倉間さん、今日これで上がって」
「え!?」
「明日、カムジェッタ・ホテルでの勤務初日なんだろ。早く帰った方が良い。俺、今日これで上がりの予定だったし後は引き継ぐよ」
「……いやいや、大丈夫だって――」
「あのさ……式典パーティーがある前日って、たしか倉間さんシフト休みだよな?」
「え? うん」
「式典パーティー前日と当日のシフト、代わってくれない? それが今日交代するお礼ってことで」
どうやらセルゲイくん、その日にどうしても外せない用事ができてしまったらしい。
「いや、シフト交代するのは全然OKなんだけど。今日代わりに働いてもらうのはやっぱ申し訳な――」
「まだ言ってる。いいからいいから。倉間さんは働き過ぎ。ほら、マスターに言いに行くぞ」
「ほんとに良いの?」
「もちろん」
「…………神様セルゲイ様……! ありがとう!」
なんだそれ、とセルゲイくんは苦笑する。
正直、ものすっっっごく有り難い。
私はセルゲイくんの後ろ姿を拝みながら、彼の後に続いた。
━-━-━-━-━-━-━-━-━-━-
「うう……」
手負いの動物のような唸り声を上げつつ、私はスマホのディスプレイに目を向ける。
『PM11:58』。セルゲイくんのおかげで、ギリギリ日付が変わる前に帰宅することができた。
ハア、と重苦しい溜め息が零れる。
肩が重い。
腰も重い。
……体中が、鉛のように重かった。
私は玄関の電気を消し、物音を立てないよう気をつけながら二階へ向かった。
自室へ入る前に、母の部屋に繋がるドアをそっと開ける。
室内には規則正しい寝息が充満していた。盛り上がった布団は小さく上下している。
安らかな顔をして眠る母の寝顔を見ると、元気が出てきた。
「ただいま……」
返事は要らない。ただ、言いたかっただけだ。
……私は静かにドアを閉めた。
(さて、お風呂入ったらすぐ寝ようっと)
着替えとタオルを準備し、お風呂場へ向かおうとした時――。
「あいたっ」
何かがつま先に当たり、つんのめってしまった。
ゴロリといくつかの瓶が転がる。調香に使うアロマオイルやその道具たちだ。
これらは全て、むかし調香師をやっていた母が使っていたものである。
私は転がった瓶を拾い、キュッと唇を引き結んだ。
――絶対、実現させてみせる。
父を亡くして途方に暮れていた母と私へ手を差し伸べてくれた叔父夫婦。
彼らが工面してくれたお金をなるべく早く返したかったのと、これ以上の負担をかけたくなかった私は高校へ行くことはせず就職の道を選んだ。
後悔は、していない。
父が亡くなったあと、私を育て上げるために調香師を辞めて必死で働いている母。お金が足りず、叔父夫婦に頭を下げていた母。
それをただ見ていることしかできなかった、中学生までの私。
私が昼夜かけもちして働いているのは、叔父夫婦にお世話になった分のお金を返すためだけじゃない。
母と一緒に、パフュームショップを開くという夢を叶えるためだ。
幸せな香りで溢れ返った、小さなお店。
ぐっとアロマオイルの入った瓶を握りしめる。
幼い頃の夢がいまだ心に根ざしたまま、消えない。
(……感傷的になってるヒマはないや。早く……お風呂入ろう)
私は散らばった調香道具を手早く片付けると、階下にあるお風呂場へ向かうべく自室のドアを閉めた。
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