第5話 天真爛漫娘

 リビングの敷物の上に座る母さんの膝の上に座って本を読む。

 俺がせがんだわけではない。母さんにせがまれて膝の上に乗っているのだ。


 こちらとしてはムチムチと淫らなメロディを奏でて動く不安定な肉の背もたれよりも、安定した木の椅子の上の方が読書の質も上がるのでそうしたい。しかし断ればショックを受けた母さんが気を失うのでそうもいかない。比喩ではなく母さんは本当に気を失う。笑顔なら笑顔のまま失神する。最初は冗談か悪ふざけかと思ったが、本当に気を失っていると気づいて血の気がひいて心底に焦った。


「ピスピス……スゥー……フゥーハァー……」


 先程から狂ったように俺の頭部に鼻を近づけて嗅いでいるが、これも嫌がれば気を失う可能性がある。こんなことをしている暇があるならば父さんを誘惑する算段をたてて、スピード性交スピード出産で妹ちゃんをこさえてほしいものだ。


 実際のところ夫婦仲は良好ではある。毎晩どころか時間さえあれば昼夜を問わずに盛ってまぐわっているので進捗状況は順調どころか快調と言えるし、俺が誕生して六年経つが、産まれない方が不思議なぐらいにはいたしている。

 昨夜も夫婦の寝所からは狩られた草食動物の末期まつごの悲鳴のようなものが聞こえてきた。母さんの喘ぎ声ではない、父さんが搾りつくされたときにだす終わりの鳴き声合図だ。カイジの沼みたいなものだな。


 夫をATM扱いする悪妻の話は前世ではよく耳にしたが、母さんは一味違う。父さんを引き出し額の上限がない性TMか、飲み放題のドリンクバーか何かだと思い込んでいる節がある。実に羨ましい夫婦仲である。


「兄さん、これは何と読むのでしょう」

「んー? どれどれ。あぁ、これはね――」


 ソプラノボイスで俺を兄と呼ぶのは弟のルイス。

 妹は産まれていないが、俺より一つ下のルイスと名付けられた可愛い弟は産まれていた。

 この弟がまた可愛いのだ。普段から俺にべったりで、見つけると嬉しそうに笑って近寄ってくる。

 俺はルイスのためなら世界を敵に回す覚悟だってある。もしもルイスが宿命の子だというならば四魔貴族を打倒しアビスゲートもアナルゲートも閉じてやる。それほどの意気込みをもって俺は弟を溺愛している。


 ルイスは非常に賢く聡い子で俺の言いつけは必ず守り、勉強も積極的にする。

 まだ子供なだけに善悪の判断がつかない部分も見受けられるが、駄目だと言ったことはまずやらなくなるし、なぜ駄目なのかを納得するまでちゃんと質問してくる。

 頼み事も忠実にこなすので飲み物をとってこいと言えば十秒でとってくるだろうし、尻を舐めろと言えば喜んで舐めるだろう。喜ばれても挨拶に困るので言わないけれど。


 コンコン――


 不意にドアをノックする音が聞こえた。自然と三人の意識は玄関へと向く。特に敏感に反応していたのは母さんだった。


「こんにちはー!」


 明るく元気な女の子の声が扉の向こうから聞こえてくる。


「来たわね……」


 対称的にどこから出しているのかわからない暗くよどんだ声を発する母さん。


「ユノくんあーそぼー!」


 声の主は、お隣に住む同い年のお嬢さん。幼馴染という健康的で多感な男児ならば聞いただけでも勃起してしまう最強の称号ぞくせいを持った少女である。


「私のユノで遊ぼうですって……ギリッ」


 解釈の違いがひどい。彼女は俺で遊ぶのではなく、俺と遊びたいと言っているのだ。無論、遊んでくれると言うならば喜んでこの身を差し出す所存である。


「いったい何をするつもりなの……何って、もしや口でナニを……破廉恥ッ」


 破廉恥なのは母さんだ。その破廉恥は歓迎したいところではあるがさすがに子供には早すぎる。母さんは年齢で区別などしない。分け隔てなくエロい。


 町から少々離れた長閑な土地に居を構えている我が家は近所に住む人はお隣さんしかおらず、買い物に出たとき以外はほとんど人と会うことはない。そんな環境のため子供が誰かと遊ぼうと思えば、すぐ隣に住む俺かルイスを選ぶしかないのである。

 

 なぜこんなところに居を構えているのかと言えば、もろもろの都合がかみ合うのがこの場所だったからだそうな。

 母を救った際に倒したトカゲ型の魔物が思った以上の収入となったため、いっその事今まで貯めた金もつぎ込んで新築を建てて宿暮らしから脱却しよう――そう父さんは考えた。すると同じパーティーのメンバーであり親友でもあった男が言った。


「このまま冒険稼業を続けんなら同じ町に暮らしたほうが都合がいいよな。よし、隣同士にして建てちまおうぜ!」

「えっ、いいなそれ!」


 そんな、中学生の班決めのような軽いノリで父リデルは家を建てた。

 そこへ押しかけ女房よろしく、まだ恋人にすらなっていない母さんが突撃してきたのである。初心な父リデルを落とすのにはそこそこの苦労はあったらしいが、最終的には押し倒し俺が仕込まれることとなる。

 お隣さんも同様だ。母さんのパーティーメンバーである女性が押しかけて押し倒して結婚したそう。そうして同時期に生まれたのが俺とお隣さんのお嬢さんというわけだ。


 実に羨ましく妬ましい展開だ。この世界の女性は前世よりも積極的なのかもしれない。俺も綺麗な娘さんに押しかけられて押し倒されたい。


「ふぅ……来るなら来なさいっ……」


 母が顔面蒼白となり、青くなった唇を噛んでギュッと護るように俺とルイスを抱きよせる。


 母は独占欲が非常に強い。それにしたって我が子の幼馴染が遊びに来ただけでこの錯乱ぶりである。あまりにも余裕がない。


 母さんは俺が遊びに出かけるときには「気を付けて遊んでくるのよ」、なんて絶対に言わない。「あのメスにだけは気を付けるのよ」と、六歳の少女をメスとして扱ってくる。


 もし俺が結婚するとなったら、母さんは一体どんな反応をするのだろう。得意の火の魔術で暴れる――そんあことになったら難である。

 今のうちに子離れのトレーニングをして徐々にならして免疫をつけておこう。このままでは花嫁が結婚式の当日に焼死体でみつかる――などというサスペンス劇場な展開も十分にあり得るのだから。


「ユノ、すぐそばに魔女が来ているわ。大きな声を出しては駄目よ。息をひそめて静かにするの。じゃないとアナタが攫われてしまうから」


 俺が童貞を捨てるにあたって超えるべき最大の難関は母さんなのかもしれない。

 母さんが俺を離そうとしないのはいい。過保護になるのは愛情の証明だ。それは百歩譲ってよしとしよう。

 しかしせっかくお客様がいらしたというのに玄関を開けに行く素振りはおろか、挨拶も返さないのは如何なものか。これはルイスの教育にも悪い。俺が旦那だったなら、そんな妻には教育的性指導をしてやるところだ。


 もちろん兄としても看過できぬ状況だ。俺の可愛い弟が挨拶もできない不良に育ってしまったらどう責任をとるのか。かの有名な性の伝道師もコンドームをしない男は挨拶のできない男と同じだと仰っている。すなわちルイスが挨拶のできない男に育ってしまえば避妊もろくにしない無責任な男になってしまうということになる。求められているのに避妊具をつけないのはDVと同義である。大切な弟が女性に暴力を振るうような男に育ってほしくはない。


「母さん、玄関出ないんですか?」

「しっ……!」


 指を口に当てて静かにしなさいの合図。青いままプルっとしている唇が艶めかしい。父さんは毎晩この口で……やめよう。気分が悪くなってきた。血縁はやっぱだめだな。


 息を潜めて本気で居留守を決め込もうとしている姿は、しょうもないと思う反面ちょっと可愛い。こんな可愛い妻を手にいれた父さんが素直に羨ましい。


「ユノ、ルイス静かにしていなさい。今日はおうちで母さんと遊びましょう。ずっと見たがっていた魔術を見せてあげるから。だから今は、今だけはお願いだから静かにしてちょうだい」


 どんだけ必死なんだよ。

 ルイスなど魔術と聞いて瞳を輝かせてしまっている。


「……じっと魔が過ぎるのを待つのよ」


 魔って。


 きっと母さんにはあの可愛いらしい少女の声が、シューベルトの魔王よろしく息子を連れ去ろうとする魔の咆哮にでも聞こえているのだろう。


「いるんでしょー! あーそーぼー!」 


 母さんがブツブツと魔術の詠唱らしきものをはじめている。

 前に見せてもらった事がある。手から火が出るやつだ。


 さすがにまずいので少女の命を守るため「はーい」と腹から声を出して母さんの代わりに返事をする。これは本来なら母さんがすべき「はーい」であり、貴重な処女ガールを守るための返事である。


 母さんは絶望と恐怖をない交ぜにしたような、それこそこの世の終わりを見るような暗い顔で俺を見て震えている。息子の裏切りがあまりにもショックで、その衝撃を受け入れきれていないご様子だ。


「獅子身中の虫……」


 息子に向かって虫はないだろ。

 前に伸ばされていた手から魔術が消えているのを確認する。力の抜けた母さんの片腕からするりと抜け出し玄関へと走ると、後ろから「あっ」という、何とも言えない悲壮感溢れる声が聞こえた。


 後ろ髪をひかれ罪悪感がじわりと胸にしみるが、お客様をいつまでも放っておく方が問題である。


 しかし子供の足では玄関までの距離は長い。玄関に到着した頃にはメンタルを一定以上回復させて立ち直したらしい母さんが後ろで腕を組んで立っていた。


「どちらさまですかー」


 誰がノックしたかなど声でわかっているが念のための確認をする。ルイスが真似て簡単にドアを開け、変態性欲者どもに連れさられないよう教育も兼ねている。


「はい! わたしです!」


 俺は名を名乗れと言っているのだよお嬢さん。

 このまま教育を兼ねて名が言えるまで待つのもいいが、それも酷な話だろう。そんなものは後でゆっくり教えてあげればいいのだ。


 それよりも、今は先に股を開けてやろう……っと失礼、玄関を開けてやろう。教育の前に性教育を始めるところだった。そういうのは大人になってからだ。


「どうぞー」とは俺の声。

「お邪魔します!」とはお嬢さん。

「邪魔をするなら帰りなさいッ」とは母さんだ。


 揚げ足の取り方が雑だ。そこまでこの子が憎いのか。

 感じていた罪悪感も粉微塵になって消し飛んだぞ。


「えー?」


 と可愛らしく首を傾げて笑うお嬢さん。本当に何を言われているのか分からないといった様子だが、何が面白いのかにこにこと笑っている。


 その笑顔はルイスと比較しても甲乙つけ難い可愛さだった。男と女を比較するのもどうかしている気がするが、可愛いものは可愛いのだから仕方がない。

 仮に、二人同時に結婚を申し込まれたらどうすればいいだろうか――無論答えは決まっている。二人ともお嫁さんにしてやる。


「えー?」


 母さんも首を傾げてお嬢さんの真似をする。


 赤茶の長い髪がさらさらと横に流れる。

 豊かな胸に整った容姿。体のラインが出る扇情的な魔道師衣装で迫られた父さんは、股間の大剣をたちまちのうちに一撃必殺されたのだろう。羨ましい話ではないか。俺もいつかは美魔女に童貞を奪われたいものだ。


「――じゃないわよ。名も名乗れないような非常識な子と、うちの可愛いユノとは遊

ばせません。間違った常識を植え付けられたらたまりませんから」


 居留守をしたあげくバレた途端に六歳児に魔術をぶっ放そうとした元冒険者で、子供と同じ土俵に上がって喧嘩しようとしている大人が常識を語るか。面白い冗談だな。


「あ、そうか! わたしアリーシャ五歳か六歳です! 好きなものはユノくんです!」


 母に似たのか、幼馴染に全力の愛をぶつけられて気を失いそうになる。

 天真爛漫を絵にかいたような娘。爛漫娘ランマンコめ。そんなことを笑顔で言われたら体に心が引っ張られて余裕を失い赤面してしまうだろ。

 ああ、これは笑顔の変化球だ。俺にはかわせそうにないのであえて受けよう。デッドボールだ、さぁ出塁けっこんしよう。マン塁ホームラン連発で、子供は九人作って野球チームを作るんだ。監督は俺でマネージャーは君。


「アリーシャは六歳だよ。この前一緒にお祝いしたでしょ。忘れちゃったの?」

「わたしが覚えてなくてもユノくんが知っていればいいでしょ? これからもずっと一緒にいるんだもん」

「ソモォン……」


 そういう問題ではないと言いたかったのだが、可愛すぎて声が弱々しく裏返ってしまった。


 そして母さんがまた魔術詠唱始めている。

 どんだけアリーシャを消したいんだよ。


「母さん待ってください。暴力はいけません」

「ユノ、この女は悪い魔女よ。ここで消しておかないと後々の禍根となるわ」


 六歳児を女って。

 友人の娘である六歳女児を本気で消し炭にしようとしている母さんの方がよっぽど悪い魔女です。


「母さん、僕は母さんが好きです」

「うふふふ、どうしたの突然」


 魔術が消えて殺気も消えて、目じりをこれでもかと下げた母さんが目線の高さを合わせてくる。


「私もよユノ、両想いね。大きくなったら結婚しましょう」


 だめだ、興奮して頭がおかしくなってる。それは子供が親に言うセリフだぞ。


「でも僕は――暴力的な母さんは嫌いです」

「きら――」




 母さんは笑顔のまま倒れて動かなくなった。

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