第3話 0~4歳

 眠って起きておっぱいを飲んでまた眠る。

 眠って起きて離乳食を食べてまた眠る。

 眠って起きて母と散歩をしてまた眠る。

 眠って起きて本を読んでもらってまた眠る。

 眠って起きて本を読んで眠る。

 眠って起きて本を読み勉強して眠る。


 この世に生を受けて最初の二年は本当に辛かった。幼く小さな体では楽しめる娯楽が限定されており、加えてこの世界には娯楽自体があまりにも少なすぎたようにも思う。


 三歳を過ぎると、積み木に似た木材を枠にはめるパズルや、騎兵隊の人形なども与えられたが、見た目は子供でも中身は大人な俺にはそれでどう遊べばいいか、どう楽しめばいいかわからず途方に暮れた。


 とは言え肉体に精神が引っ張られたのだろう。一度遊び始めてしまえば止まらず、最終的には滅茶苦茶楽しんでしまった。騎兵隊の人形一つでも楽しいのに二つ、三つ目と与えられたときなど、無限の可能性を感じてアドレナリンが脳内で弾けたものだ。


 両親も喜ぶ俺を見るのが嬉しいのだろう。裕福とは言えない家庭だというのに俺への投資には一切の躊躇がなかった。


 玩具を貰えれば感謝もして喜びもした。しかし子供ながらに家庭の懐事情を心配し、物をねだることだけはしなかった。そんな俺を両親はあまりにも無欲だと心配する。それについては心配ご無用。性欲だけは有り余っており強欲ですので将来を楽しみにしておいてください。ハツカネズミの化身かと見紛う圧倒的繁殖行動をご覧入れましょう。





 両親の負担を減らそうと金のかからぬ遊びをいくつか考案した。


 その中の一つが、遅々とした己の成長を噛みしめながら日々を過ごすことこそを最大の娯楽とする――という人生も終盤にさしかった老人みたいな遊び方である。


 つまるところ自己鍛錬、自己研鑽に励むようにしたのである。した――と言っても方向性を決定したに過ぎず、運動はあまりさせてもらえないのが実情であった。

 そもそもの問題として運動しようにも体が出来上がっていないので思ったように身体を動かせない。動かせるようになったところで過保護な母がいつも俺を抱いて離さないので自由がない。俺を離してくれるのはご飯を作る時と、トイレに行く時と、父リデルと乳繰り合うときぐらいのものだ。


 これではいかんと細やかな抵抗を試みるが、幼い体は母親の優しさと肉体を欲してしまい、上手く拒絶することは叶わない。結局、ろくに運動もさせてもらえず勉学にばかり励む毎日。勉強も立派な自己鍛錬ではあるので不満があるわけではない。十分とは言えないが、この世界の知識をある程度仕入れることができたのは小さくない収穫だ。





 この世界、というよりもこの国で使われている言語は慣れ親しんだ日本語とよく似ていた。口語や発音に至ってはほぼ同じだと言ってもいい。生まれてすぐに両親の言葉が理解できたのもそのためだろう。文字こそ違うものの、語や文の音韻、文法がとても似ている。さすがに漢字はないが、それに近い表現方法は生まれているのでなおのこと親しみやすい。文字に関してはまだまだ発展途上らしく、偉い学者様などが日夜新しい文字を研究し開発しているそうだ。


 識字の大切さというのは過去の記憶があれば身に染みてわかるというもの。

 人類が胃腸を縮小し脳を発達させられたのは火を使い始めたからであり、人類が言語を発達させたのは異性を口説くためだ――という説がある。


 様々な生物が異性を惹きつけるために声や音を進化させてきた。人類は火を手に入れ、胃腸に割いていたリソースを脳へと回すことが可能となり、スキルポイントの振り分けを迷わず言語に全振りしてみせた。それもこれも全て、異性を口説きセックスをするためにである。

 言語を発達させた結果、異性の争奪戦は激化した。言葉を知らなければ異性に振り向いてもらえず己の血をのこす確率が下がる。言葉を自在に操れなければオスとしての魅力を十全にアピールできず能力を疑われてしまう。見た目や単純な腕力も異性を惹きつけるための重要な要素にはなりうるが、やはり口の上手いオスが一番モテるのである。


 実際、前世でもそういう場面には幾度も遭遇した。飲みの席では口下手で空気の読めないイケメンよりも、口が達者で気遣いのできる醜男シコメンのほうがモテていた。ちなみに俺は口下手で空気の読めないシコメンだったが。


 識字と語彙幅というのはファックの重要ファクターであると確信する。

 文字が読める=セックスができる。

 会話に堪能=セックスができる。

 そういった図式や方程式が組みあがる……はず。

 どちらにせよ、せっかく神様からもらったチャンス。降ってわいた幸運をふいにするつもりはない。口の得手不得手がセックスに直接つながるものではないとしても、生きるうえで上手いにこしたことはないはずだ。


 見知らぬ世界で始まった新たな人生。何が活きるかわからない。

 知識は蓄えても蓄えすぎるということはない。





 文字を覚えるため母に本を読んでもらうのを日課の一つに加えた。

 本当は一人で学ぼうとしていたのだが、過保護に溺愛してくる母がそれを許さない。


 母は俺に何かをねだられるのを至上の喜びとしている様子だ。なにしろ、俺の目的は性行為だ。性行為のために実の母から言葉を学んでいると思えば気が引けないはずもない。


 母から見れば知識欲旺盛な将来有望で優秀な子供に映っていることだろう。その実、性行為のために知識を吸収している醜い下心の塊であるとはつゆ知らず。のしかかる罪悪感は大きく、重い。


 優秀だと思われるのは喜ばしいが、引け目を感じずにはいられない。

 それと記憶について問題があった。記憶をもって転生したのは確かなのだが、天才的な頭脳を持って生まれたわけではなかったのだ。

 四百年分の記憶を持って転生をしたのは事実だが、四百年分の記憶全てを覚えていて、好きなように引き出せるということはなかった。要は記憶力が一般人とかわらないのである。もっと言えば記憶にはもやがかかって曖昧なままなので、一般人にも満たないかもしれない。


 十年前の朝食は覚えていないが、十年前にあった印象的な出来事はかろうじて覚えている。受験で必死に学び、単語帳を使って暗記した内容も、数学や世界史も社会人になれば半分も覚えていない……そういう極当たり前の現象がこの体に起きているのだ。四百年分の記憶を持って転生したものの有益な記憶はほとんど失っており、思い出せるのはろくに役に立ちもしない楽しかった記憶だけという極めて残念な結果が待ち受けていた。


 四百年分の記憶を駆使して新たな人生を有利に進めてライバルたちに差をつける――などというウマい話は実現しそうにない。今も昔も地道に歩んでいくのが目的たねつけへの一番の近道なのかもしれない。


 世界の事を知るためには、とにかく本を読み見聞と見識をひろげるしかない。前世から頭がいいわけでもなかったが、この体、この人生でもそれは同じだった。特に「記憶する」というのが苦手で、同じ本を何度も何度も繰り返し読むことで知識を一つずつ着実に増やしていった。


 母はそんな俺を見て、「天才なのに勤勉なのね」と大きな勘違いをしていた。四百年生きてこの程度では凡才にも満たないというのに。


 期待をかけられる心苦しさをバネにして精進するほかあるまいて。



 家に置いてある書物だけでは学ぶにも限界が見えてきた頃、両親と会話をすることで世界の知識を増やす方向へとシフトチェンジする。これならばコミュニケーション能力の向上も見込めて二度おいしい――なんて、そんな当たり前のことにも数年間気づかなかったほど俺という男は愚かなのだ。こんな調子で本当に子をのこすことなどできるのだろうか。


 舌足らずながら必死に喋ろうとする俺を、両親は揃って「天才だ」と褒めてくれる。

 そりゃ他の同年代の子供に比べれば賢すぎるほどに賢いだろう。だがそれも15歳が限界だ。そのころを過ぎれば相対的にただの凡人かそれ以下になりさがっている。スタートダッシュが早いだけで中身は何の変哲もない普通ただの人間なのだから。

 それでも知識は裏切らないはずだと必死になって蓄える。将来どんな困難に出くわそうとも知識のあるなしで心構えが変わってくる。四百年分の記憶をほとんど喪失している時点で知識に裏切られている気もするが、まったくの無知でいるよりは幾分かましだろう。今はそうやって不甲斐ない自分を慰めながら生きている。自分を慰めるのは得意だ。前世では毎晩慰めていたからな。

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