【書籍化】精力が魔力に変換される世界に転生しました
紳士
第1話 プロローグ
柔らかな光は彼方もしれずに照らし、足元に映る透き通った水面には睡蓮が浮いていた。どれほど荒んだ心であろうと穏やかにしてしまう。この場所にはそういった風情がある。
指や体を動かすという感覚はなく、意識だけが宙を漂っている――そんな不思議な感覚を迷いもなく受け入れられてしまう。
ここはどこなのだろう。前にも来たことがあるような気がするが、とんと思い出せない。
「これで何度目かの」
禿頭に白く長く太い眉。同じく長い白髭の老人が俺に尋ねている。
何者。曲者なのは間違いない。
また不思議な感覚に陥る。その老人は元々そこにはいなかったようにも思うのだが、最初からそこにいたとも思えるのだ。
現にこうしているのだから元々そこにいたのだろう、と深く考えるのをやめる。
「……一回もないですね。0です。」
何の話かわからないので、とりあえずセックスの経験回数を答えてみる。
「はぁ……十二回だ」
老人のセックス回数だろうか。長く生きていそうな割に案外少ない。その程度で俺にマウントをとれると思うなよ。
「……お主が生きた回数だ。お主はこれで約四百年分生きてきたことになる」
老人は少々うんざりした様子で頭のおかしいことを言っている。うんざりしたいのはこちらのほうだ。突然出てきて何を意味不明なことを。
「四百年ですか。ピンとこない数字ですね」
「はぁ……」
俺の返事にはため息で返すのか。その態度は少々無礼ではないか。こいつは一体何様のつもりなのだ。もしや神様か? 神様ならなんで、どうしてあの時助けてくれなかった――助ける?
待て、助けるとは何のことだろう。駄目だ、思いだそうとしてもなにも思い出せない。セックスの経験が一度もなかったことしか思い出せない。
ぼんやりとは浮かぶが、記憶の中の映像にはフィルターでもかけられたようにぼやけてしまっている。
「おぬしは確かに毎回多くの徳を積んでここへ戻ってくる。善人と言う言葉では足らぬ程の善き魂を持っておる。だが持っておるが故にこうして何度も会ってしまう」
徳を積むか……これも何の話かわからない。
自分が極悪人だとは思わないが、善人かと言われれば素直に首を縦に振るのは憚られる。ごくごく普通の小市民――だった気がする。
「その善き魂を子へと分け与え、万年後の世界まで恒久的平和に導く礎となれ――わしはそう言ったな」
そう言われれば確かに言われたような気もするから不思議だ。
「前世の記憶を与えたわけでもなしに、転生する度に身を挺して他者の命を救い、そして自らの命を散らす」
身を挺して他者の命を救う……そうだ思い出したぞ、俺は死んだのだった。
暗い夜道で、見るからに様子のおかしい暴漢に襲われている女性を見つけ、それを助けようとして……刃物で……刺された。多分、胸を一突き、二突きかな。そんな死に方だったと思う。
「以前は、おぬしの生きざまを見てわしは確信したものよ。こやつの魂こそ、恒久的平和をもたらす高潔な魂であると。あの薄汚れた世界を浄化できる唯一の――――なのだと」
あの薄汚れた世界か。神様なのに随分な言いようだな。
助けたのだって、身を挺して、などと言えば聞こえはいいが、実際はただのお節介だった。
行動に移すかどうかは別として、困っている人がそばにいれば何とかしてやりたいと思うのが人情だろう。見ないふりをするとあとあと自分自身に苛まれるのだ。そういうのが嫌で、自分が嫌な奴だと自分にも他人にも思われたくないから正しいふりをして生きていただけだ。善き魂でもなんでもない。ただの小心者なだけだ。
たから、今回も自分のために何とかしようと行動したら死んでしまった。それだけの話だ。死ぬつもり何て俺には微塵もなかったのだから身を挺した覚えなどない。
むしろ助けた女性とお近づきになれたらいい――そんな下種なことを考えていた気もする。それを徳があると言われても、やはり首は縦には振りにくい。
「わしには直接世界に手を出すことは叶わぬ。故におぬしを何度も遣わせておるのだ」
だから俺の命を助けられなかったと言いたいのだろうか。
「だというのに、いつになったらおぬしは子を生すことができるのだ。十以上の転生をしてもなお、一人の子も作れぬとは如何なる了見か。ましてやおぬしは性交渉の経験すら一度もないではないか」
童貞を主題にして責めるのはやめてください。それはもう少しオブラートに包んで話すべきデリケートな話題だ。少なくとも死んだ直後の人間にしていい話ではない。
だが今ので大分思い出してきたぞ。
俺は、この何様のつもりの神様に何度も転生させてもらっていたのだ。
そして毎回与えられた使命、目的を達成できずにこの場所に戻ってきている。
俺の使命は童貞を捨てること……ではなく、俺の子を作ること。
そうすることで将来的に世界が平和になる――とこの神様は本気で信じているらしい。
「もしやおぬしは……異性に興味がないのか?」
「いえ、女性に並々ならぬ興味を持っていました」
記憶が曖昧でも即答できる。
女性に興味しかなかったと言い換えてもいいほどだ。
「うむ、それもどうかとは思うが、魂が善き故によしとしておこう」
「恐縮です」
「よろしい。わしがおぬしの魂を見捨てることは未来永劫にないのは確固として揺るがぬ」
神様の執着心がえぐい。女の子にこれぐらい執着されたかった。
せめて神様の姿かたちが爺様ではなく女神であれば喜べるのに。女神だったらこの場で一発子作りすれば解決できたろうしな。交神の義を経て子供をたくさんこさえて、大江山の鬼を打ち滅ぼしましょうってな具合にさ。俺の屍をこえて行けって。
「よからぬことを考えておるな?」
「滅相もございません」
「…………」
疑いの目。目を細めると長い白眉で目が隠れてしまっている。
「もっと自分の目に自信をもってください。私は善き魂ですよ」
「……それもそうだな。しかし、何度も言うがこれで十二回目だ。これでは、いくらわしが気長でも、いい加減根気も尽きようというもの。より正確に正直に申せば飽いてきた――」
人の生き死にを飽きるとか、こいつ神様の自覚あるのかよ。
いや、神様というものを勝手に定義付けているのはこちらも悪いか。
世界各地の神話に出てくる神々も、案外人間臭かったりするものだ。
「そこで一つ、別の可能性を試そうかと思う」
「と、仰いますと?」
「次は今までとは違う別の世界に赴き、そこで種を残してまいれ」
種を残せって、簡単に言ってくれるじゃないか。できるなら最初からやってるってんだよ。みんなが普通にやれることが、頑張ってもこなせない人だっているんだよ。察しろ。
だが別の世界か。別の世界とはどんな世界なのだろうかと興味は湧く。
男しか生まれない薔薇の世界とかならお断りだが。
「善処します」
ここで出来ると断言するのは愚かなことだ。まずはその別の世界とやらの情報を聞いてからだ。
「ほう、恐れぬか。不安を感じ、質問をされるものと思ったが」
不安にきまってんだろ。わかってるなら説明を怠らず最初から話せ。
これで説明なしに放り込まれたのが男しかいない世界だったら、次死んだときには真っ先にお前を掘り殺してやる。
「いえ、私は私である前に神の忠実なる下僕。ただ神の御心のままに、と」
ここで社会経験のない新卒の坊やの如く、文句をつけたり不貞腐れるのは得策ではない。
別の世界と一口に言っても一ではなく、いくつもある可能性もある。機嫌を損ねて薔薇園の園長に転生させられては目も当てられない。
「ならば一度ぐらいは種を残してこい――と言いたいが、しなかったのではなく出来なかった者を責めるものではないな」
もう童貞の件はいいだろ。いい加減しつこいぞ。
俺だって捨てようとしたよ。いいところまで行ったことも一度や二度ではない気がする。だが決まって何かしらの不幸が起きて捨てられなかったのだ。
「わしが管理するもう一つの世界の説明をしてやろう」
してやろうじゃない。するのがお前の義務だ。
「その世界は――」
しかし、「男しかいないのじゃ!」とか言ったらこの場で掘ってやるからな。男同士でどうやって子供を残すんだよって、説教しながら掘り倒してやる……いや掘らないし、体がないから掘れないけど。
「魔力、魔術というものが存在する――」
「はい!」
そういうのだよ! 俺はそういうのを待っていたんだ!
例えば俺が、「菊門の果てより現れし痔ろうの苦しみを味わいたまえ……」などと呪文を唱えれば、イケメンの尻が爆発して穴が3つになってしまうとか。猫耳娘とか美人エルフとかがいて。美少女なのに何故か彼氏がいなくて。ハンカチを拾ってあげたとかそういう下らない理由で俺に惚れちゃう――そういう優しい世界がいい。
そういう激甘でイージーモードな世界なら、別世界だろうが西園寺世界だろうが大歓迎だ
「なんだ、急に元気になりおって。まぁよい、続けるぞ」
「はい!!」
どんどんいこうよ。
「……うむ。とは言え科学が万能ではないように、魔力があるからと言って完璧な世界というわけではない。争いの種なぞはどちらの世界も同じ数だけ存在しておる」
「はい」
発展の具合や治安は前の世界とあまり変わらないという意味だろうか。
「おぬしはこの世界に降り立ち、今度こそ善なる魂の種を分けてくるのだ。出来ることならば特別な力の一つでもおぬしに与えたいところだが、無論そんな力はない」
「はい……」
特殊能力はなし、と。
目が合っただけで媚薬効果を発揮する魔眼とか。生まれたときからイケメンであることが約束されているとか、そういうのはないんですね。ないのに子供作ってこいと。
「えらく落ち込んだの。だが今回ばかりは実験の意味合いも強い上、わしもそなたを酷使し続けているという負い目もある。なので今までの記憶を引き継いで送り出してやろうかと思っている」
あまりしっくりこない。今でも記憶が曖昧なのに、その特典は微妙過ぎやしませんかね。
だがよく考えてみろ。はっきりとした記憶はなくとも、経験から得た人格があるというならば、それは大いに役立つはず。例えば好きな子に意地悪してしまう小学生たちの中で、俺だけは紳士的に立ち回れるというのは大きなアドバンテージになるのではないか。子供のころから優しくしていれば大人になってもエスカレータ式に俺を好きになり、いずれは結婚……そしてズッコン……からのバッコン。
記憶だって今も徐々に思い出していっているわけなのだから、今後全てを思い出す日がくるかもしれない。そうなったら……いける、いけるぞ。過去の記憶さえあれば俺は、今度こそ童貞を捨てられるかもしれない。
「望外の喜び。ありがたき幸せ。恐悦至極」
「すんなりと受け入れたな。頼んでいるわしが言うのも妙だが……おぬしはちと物わかりがよすぎるのと、自己犠牲の精神が強すぎる。だが今回もまたそれに甘えさせてもらうこととなるのだろう。まっこと不甲斐ないわしを許してくれ」
頼んでいるね。俺は命令だと思っていたよ。上司と部下の認識の齟齬だな。
「滅相もございません。私などのようなものでよければ如何様にも使ってくださいませ」
俺は童貞を捨てたい。神様は俺に子孫を残させたい。利害は完璧に一致しているので、これ以上語ることはないだろう。御託はいいから早く転生させてくれ。こっちはセックスしたくてうずうずしてんだよ。
「そうあか……そう言ってくれるか……。いつの日か、この大望叶うときがくれば、おぬしを一柱の神として天上に昇らせることを約束しよう。善き世界を創造し維持するためには、おぬしのような善き力が必要なのだ。これもまたわしの身勝手な想いではあるのだがな」
「勿体無いお言葉。身に余る思いです」
俺が神様になるのか。でも神様になってもこの老人と二人きりというのはたえられそうにない。次の世界で楽しみつくして死んだら、神様になるという話は辞退させてもらおうかな。
「それでは行ってまいれ。おぬしに世界の『祝福』があらんことを……」
神様が手をかざすと、意識とからだは波に流される様にその場から離れて行き、暗闇の中へと落ちていく。やがて暗闇の中に一筋の光を見つける。その光が俺を包み込んだところで意識は途絶えてしまった。
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