第16話 秘湯なんてなかった


「いった…落ちた……翼があるのにまた落ちた………」

「うぇー…なんかここ、美味しそうな匂いします」


リリーとトルカはばしゃんと大きな水音を立てて順に落下した。

落ちた先は温泉なのか生暖かい水たまりだ。

暗闇の中ぬるりとした感覚に目を凝らした。


「ひっ………これ…血!?」


赤い液体が手のひらを濡らしリリーは短く悲鳴を上げる。


「これ…トマトです!」

「何だトマトか………そんな事ある!?」


続いてヴィントとラーニッシュも降ってくる。


「何だこれ!?」

「トマトです」

「何だトマトか」

「トマト…!?」


全員で連呼していると急に照明がついて辺りが明るくなる。


「うーん……トマト?」


明るくなって見ると血とは明らかに違う、暖色系の鮮やかな赤。トマトだ。

首を傾げるリリーに辺りに浮いているものを真剣な顔で掴んでは確認して離し、掴んで確認しては離し…を続けていたトルカが叫んだ。


「たまねぎ…じゃがいも…その他野菜と魚介類……これは…立派なブイヤベースです!」


「…ブイヤベース……」


いまいちピンときていないヴィントとラーニッシュにあっ、スープのことです、とリリーが注釈を入れる。

スープのことです!?いったい何を説明しているんだ。

グレー色の壁は温泉の壁ではなく、スープの鍋なのだろうか…?


「イキガイイ、ノガ、キタネ」


壁の向こうから声が聞こえたかと思うと巨大な黒い岩が動いた。


「え…ええっ!?」


混乱を極めるリリーの叫び声を聞いて灰色の髪の老婆はにっこりと目を細めて笑った。

老婆…ただし身長は洞窟内ぎりぎりで巨体を極め、黒い岩だと思っていたのは老婆の背中だったようだ。


「…入り口に武器を手放し下に落ちる幻覚系の魔法をかけたな?」


老婆を睨みつけるヴィントの横でラーニッシュがぺろっとスープを舐めた。


「舐めた!?嘘でしょ!?」

「おなか壊しますよ!?王様ぺっです!ぺっしてください!」

「何だこれめちゃくちゃ美味いぞ」


…全然締まらない。


下から強い熱気を感じ、辺りが熱を帯びて揺らめいて見える。


「に、煮られてます…!?」

「何勝手に人を具材にしてる!出せ!」

「うう…熱い…」


リリーは手のひらを握ったり開いたりしてみるが魔力の流れを全く感じない。

燃料装置の駆動音だと思っていた低い音は魔法そのものを制御するものなのかもしれない。

低い音が頭の中に響き渡って魔法を阻害する力を感じる。


「お前たち飛べないのか?」

「………魔法でシュッとしまうと、こう、パッと出すにも魔法がいる感じでして……」


困った顔でリリーが説明するとラーニッシュはだああ!と喚いた。

すると老婆から何かを投げつけられ、ラーニッシュはトルカをヴィントはリリーを庇ったが全員に硬いものが当たる。


「これは…」


半透明の白い塊。これは。


「塩です!」

「味付け整えられてる!?」


トルカの的確な指摘にリリーは半泣きで叫んだ。


「お前は何者だ」

「ゲンチミン、ダヨォ…オイシイモノガ、ダイスキナ、ネ………」


ヴィントの問いにヒヒヒと笑いながら答える巨大な老婆はなかなか迫力がある。


「やってきた獲物を煮込んで食べる丁寧な暮らしをする現地民がいるか!」


ラーニッシュの突っ込みにリリーは考える。丁寧な暮らし…確かに老婆のサイズからいって頭から獲物を丸呑みしててもおかしくはない。

…というか、考えている場合ではない!


「あ、あつい…本当に…」

「ぼくたち煮えちゃいますよお」


湯気が増す鍋の中はだんだんと温度が高くなり4人も息が荒い。


「あっ!」


ふいにリリーは叫んだ。


「何か思いついたか!?」

「これは…あれですね、エビとかカニみたいに、殻ごと煮込んで出汁をとるから食べる時に殻を外すんですね…だから私たち、服を着たまま…」

「錯乱するなー!」


今にも泣き出しそうなリリーの両肩を掴んでラーニッシュが揺する。

トルカは鍋肌を思いっきり殴りつけた。


「いたーい!熱い!けどこれ、武器も魔法もない以上素手でいくしかないですよね?」

「…4人で飲み干したらいいんじゃないか?」


トルカの案もラーニッシュの案も正気の沙汰ではない。


「この量!絶対無理ですって!」


リリーは言いながら鍋を蹴りつけた。熱い。

ガンゴン鈍い音を鳴り響かせながら鍋を攻撃していると、


「エェイウルサイネ、オトナシクスルンダヨ!」


老婆は声を張り上げると巨大なレードルで鍋をかき混ぜた。

引き起こされる大波に飲まれそうになるも、リリーは必死でレードルに飛びついて登りかかった。

波に乗って鍋の縁まで上がったヴィントに向かって老婆はレードルを振り回し、リリーをヴィントにぶつけて鍋の縁から内側に落とす。もうめちゃくちゃだ。


「お前の目的は何だ!」


老婆に叫ぶヴィントはリリーに囁く。


「適当に話しかけて気を引くんだ」


老婆の死角でラーニッシュが鍋の縁に上がる事に成功して更に上まで登りかかっている。


「これ、あの、その、えーと!入り口の灰色のうさぎさんはお仲間ですか!?」


気を引くように言われても咄嗟に出てこない。


「ケムクジャラハマズイカラネェ……」

「私たちにもそれなりに生えてますけど!?」

「ドラゴンヲタベタ、ヤツハマズイ、シカシエタチシキガトテモヨカッタ……ニンゲン、ウマイ」

「ドラゴン…?」


来る途中の壁画には赤いドラゴンが描かれていた。

まさか食べてしまったのだろうか?


「ウウウウ………」


老婆は唸り声をあげて体を屈める。


「な、何か…大きくなってません…?」


巨体が更に膨らんだかと思うと土壁に背中が擦れる程肥大化している。


「ウウウウ……チカラ………」


呻きながら老婆は闇雲に手を伸ばし、リリーとヴィントを纏めて掴みかける。

すかさずトルカが老婆の指に取りつき反対側に逸らした。

苦痛の叫び声と共に緩まる手のひらから二人とも逃げ出す。


「でやぁあああ!」


遠くで、おそらく上の階からラーニッシュの雄叫び…轟け渾身!温泉詐欺退治ー!などと叫びながら暴れ回る音が聞こえる。

ばらばらと天井から砕石が降り注ぎ下の階が潰れそうだ。


「あっ!魔力が…」


いつの間にか耳障りな低い音が消えている。

魔法を制限していた何かをラーニッシュが破壊したのかもしれない。


「飛べそうか?」

「はい!」


トルカを抱えたヴィントの問いに返事をするとリリーは飛び上がる。

上階では男女の更衣室の壁が吹き飛ぶくらいラーニッシュが暴れ回っていたが、気にする余裕もなく自分の荷物をかき集める。

同じく荷物を回収したらしいヴィントとトルカと三人でラーニッシュの元に向かう。


「知ってるか?うさぎは意外と美味い」


半分崩壊した更衣室の隅にうさぎを追い詰めたラーニッシュは剣先を向けながら言う。


「ヒィッ……!イノチダケハ、オタスケェ…」

「うさぎを追い詰めてる場合じゃないですよ!?後ろから─…」


リリーが指を刺しながら叫んだ先…下の階から老婆の腕だけぬうと伸びてくる。


「ここで戦うのは不利だ!遺跡の外に出るぞ!」


ヴィントの張り上げた声を合図に外に向かって走り出すと「オイテカナイデ!」「マッテエ!」と慌てた灰色うさぎたちも着いてくる。


「着いてきてますけど!?」


トルカの叫び声と同時にガラガラと遺跡が崩れる音がする。

更に巨大化した老婆が立ちあがろうとして遺跡の壁や天井に当たり、周りが崩落しているのだろう。

遺跡から転がり出るとヴィントのこっちだ!という声にリリーはトルカを抱えて無我夢中で飛び上がる。


「オオオオオ……」


離れた場所の木の上に飛び乗ると、老婆の咆哮と遺跡の上部を崩しながら天に突き上げる拳が見えた。

老婆は立ちあがろうとしているようだったが、呻きながら少し縮んだように見える。

だんだんと縮んでいく老婆は苦しそうな断末魔を上げながら遺跡の崩落に巻き込まれた。


凄まじい崩落音は収まったが、遺跡一帯は砂塵が取り巻きよく見えない。


「遺跡………全壊しちゃいましたかね…」


シヌカトオモッタヨ!とちゃっかりトルカの足とラーニッシュの足にしがみついてついて来たうさぎ二羽。


「お前!離れろ!この温泉詐欺!」


…突っ込み所は温泉詐欺で良いのだろうか?

足を振り回してうさぎを追い払おうとするラーニッシュに怯え、もう一匹のうさぎはヒィと悲鳴をあげてトルカの頭にとりついた。


「そんなに暴れると木が折れちゃ、」


いますよ、と言いかけたリリーの言葉は間に合わずバキバキという枝が折れる音とぎゃあという断末魔と一緒にラーニッシュはうさぎと地面に落ちた。


はあ、と大きなため息をついたヴィントにトルカは


「とりあえず…服どうにかしたいですね」


と言った。

至極真っ当だが、今自分たちがどんな悲惨な格好をしているかはあまり想像したくない。








「でひゃひゃひゃ!あは、ちょ、あははは!?スープ!?スープに落ちたの!?」

「スープじゃなくてブイヤベースだって!!」

「どう違うの!?」

「同じじゃない!?」

「温泉やめたのー!?」 


きゃんきゃんと朗らかな高い声で大笑いしているのはエライユのメイドたち…

替えの衣類を送ってもらおうと王城に通信をとった結果めちゃくちゃに笑われている。

確かに温泉に行くと出て行ったはずが今や草陰で水魔法で行水して着替えている。

せっかく取得した水魔法もなんだかまともな使い方をした事がない気がする。悲しい。


地面に落ちたラーニッシュはやっぱり頑丈でどこも怪我をしていなかったし、ちゃんとうさぎを自身の上に乗せて庇っていてなんだかんだ優しい。

うさぎたちは「ジャソウイウコトデ!」とそそくさと何処かへ行ってしまった。何がそういうことでなのやら。


「着替えたのに…まだ匂いがする…」


リリーの呟いた音声を拾った通信機の先でメイドたちはまた大笑いしている。


「そろそろ本物の温泉探して身綺麗にしなくちゃね!」

「温泉…入れるのかな…市長さんに怒られる気しかしないよ…」

「多少の脅しも交渉の内だな!」


胸を張って言うラーニッシュにリリーとヴィントは冷ややかな目線を向けた。


老婆は遺跡の崩落に巻き込まれて亡くなったのだろうか。

遺跡周りは変わらず煙っていてよく見えない。

近づけば二次被害の可能性もあるかも知れない、一度街に戻ろうとヴィントの提案に賛成して森を後にする事になった。





「…何だか…」


帰路中リリーはきょろきょろしながら呟く。


「行きは静かだったのに……」


鳥たちの羽ばたきや囀りは激しく、潜めてはいるが獣の気配を感じる。


「遺跡が崩落して獣たちも落ち着かないんでしょうか?」


トルカも不安そうに周りを見回す。


「ひとつ可能性を考えたんだが…」


先を歩くラーニッシュの声にはぁーとヴィントは片手で顔を覆った。

リリーとトルカは顔を見合わせて、その可能性を考えて脂汗をかく。



「…もしかして僕たち………」

「ものすごい美味しそうな匂いがするんじゃ……」



言うや否やグルルルと獣の呻き声…巨大な影が飛びかかってきた。

リリーはひっと息を飲む。


「街まで連れて行く訳にはいくまい、ここで仕留めるぞ!」

「もう食材にされるのはこりごりだ!」


ヴィントとラーニッシュの叫びを合図に全員が武器を取り、半ばヤケクソに対峙した。







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