好意だけでは
静寂が会場内を包む。帝国中の貴族や他国からの貴賓が集まった会場には大勢の人々で賑わっているというのに、人の呼吸の音すら拾えない。
まるで、ここだけ世界の時間が止まってしまったかのよう。
驚愕から表情が元に戻れないマーガレットが引き攣った声でミカエリスを呼ぶも、今しがたマーガレットとの婚約白紙を宣言した彼は皇帝から確認を取るとマーガレットへ振り向いた。
「聞いた通りだ、マーガレット。メアリー……シルバニア家への態度を改めないマーガレットとの婚約継続は難しい。一旦、白紙に戻させてもらう」
「ど、どうして? どうしてなのミカ? あ、あんなに私を大事にしてくれたのに、なんで……」
「この間、ホワイトゲート公爵夫妻を交えて話した筈だ。今までの俺達が間違っていたんだと。そして、気持ちを改めないと帝国はシルバニアから何れ見放されると」
皇太子妃宮がどんな風なのかを見にティミトリスと登城した際、ティミトリスと分かれたメアリーがミカエリスと話しているとマーガレットが乱入した。皇太子妃候補になっても変わらないマーガレットに、長年の付き合いがあるミカエリスも見放すものだったのだ。
後から登場したホワイトゲート公爵に夫人を交えて今後を話したいとしていたが、詳細な会話は知らない。ずっと皇后の影響を受け続けてきたミカエリスが婚約解消を機に変わり始めた。マーガレットも皇太子妃候補となったのなら、もう帝都にいない皇后の影響から抜け出し、皇族とシルバニアの関係を改めて知らなければならなかった。
マーガレットから会場全体に視線をやったミカエリスは謝罪を述べ、頭を下げた後マーガレットを連れて上座から降り会場を出て行った。二人が消えると会場中にざわめきが起こり始めた。
「……」
二人が消えて行った扉を見つめるメアリー。これからの帝国を思うとシルバニアとの関係改善は、彼にとって大きな課題だ。だが、あれだけ嫌っていたメアリーとシルバニアに対する態度を皇后がいなくなり、婚約が解消となっただけでああも簡単に変わるものだろうか。
ミカエリスのメアリーやシルバニアに対する気持ちは皇后が強く関連する。一方、皇帝アーレントとの確執も大きい。
メアリーがミカエリスの立場でも、自分に関心に示さず他家の子供を可愛がる父を見たらその子を憎む気持ちは生まれる。ティミトリスが誰かと話していると見るとホワイトゲート公爵が失望を隠し切れない面持ちでいた。
「皇太子殿下や私とあれだけ話しても駄目だったか……」
「皇后によって大きくなっただけで、マーガレットは元々皇太子に好かれる自分に酔っていた節がある」
「こうなってはマーガレットが皇太子妃になる可能性は低い。目撃者があまりにも多い。ティミトリス様、メアリー様のドレスを反対しなかったのはマーガレットの行動を知っての事でしょう」
「知るかよ。メイに似合えばなんでもいい」
「あなたならそう言いますよね」
「マーガレットは今後どうなる?」
「今回の事でマーガレットと皇太子殿下の中に亀裂が出来たのは明白。自死されるのも困りますので、領地で監視を付けて過ごさせましょう」
「自死ねえ……」
ティミトリスの声色が一段と低くなった。意味を含めているのだろうが、察せられる人はいない。ホワイトゲート公爵がギョッとした顔になり、何かを止めている。ティミトリスは意にも介さない。
メアリーが近付くと深い青の瞳が自分を映してくれた。
「どうした」
「お父様が怖い顔をしていたから、気になったの」
「怖い顔? 俺が? ……見間違いだ。至って普通だよ」
「でも」
「それより、折角のパーティーだ。楽しめよ」
「無理よ。楽しんでる人はいないもの」
「いいや。滅茶苦茶楽しんでるぜ? 特に、今までマーガレットに強く出られなかったり、牽制されてた令嬢達は」
「え」
見て聞いてみろ、と風の魔法を使って会場の声を拾っていった。
《いい気味ねマーガレット様。散々自分は皇太子殿下の特別で、皇太子妃になるのは自分だと豪語し続けて。結果がこれとはね》
《公爵夫人と皇后様が友人だから気に入られてただけで、マーガレット様には何の魅力もなかったのにね》
「これが現実だ」とティミトリスも風の魔法で周囲の声を拾っていた。美しい仮面を付けた内面は醜く嫉妬で溢れていた。外面も内面も完璧な純白はそうはいない。始まったばかりなのに、令嬢達の本音を聞いて疲れがどっと増した。中にはマーガレットの取り巻きだっている。内心ではどう思っているかなんて分からない。
メアリーには似合わない世界。父達の作った幸福な鳥籠で生きていくのが正しい。この先、メアリーが誰か特別な人を作ったとしても、ティミトリスもアタナシウスも譲るつもりは毛頭ない。
「どうする? まだいるか?」
「あ……私、行きたい所があるから、ちょっとだけ待ってて」
「今更行きたい場所なんかないだろう」
行って何かをしたいんじゃない。ただ、あの二人――特にマーガレットが最後気持ちを改めミカエリスと歩んでいくか、行く末を見届けたい。
幼馴染だから大事にしていたとミカエリスは言うも、長年連れ添った親しい人を切り捨てるのはミカエリスの精神に大きな負荷を齎す。マーガレットだって底のない愚か者じゃない。今回の婚約白紙を受けて、自分の栄誉を取り戻そうと足掻く筈だ。
面白がっているティミトリスを置いて会場の外に出た。ミカエリスとマーガレットが出て行った道を歩いていると――いた。
両手で顔を覆って泣いているマーガレットを慰めるミカエリス。柱に隠れてメアリーは様子を窺う。
「分かってくれ、マーガレット。マーガレットがメアリーに対する態度を変えない限り、この先俺との婚約は絶対にない」
「んで、なんで、よ……ミカ……。私は、私の方がずっとミカを愛しているのに……どうして皇太子であるミカを敬わないメアリー様ばっかりを……!」
「……」
……駄目、なのだろうか。ミカエリスが何度も違う、今までの自分達が間違っていたのだとマーガレットを説得しても、マーガレットは聞く耳を持たなかった。
沈痛な面持ちでマーガレットを見つめるミカエリス。軈て、踵を返した。顔から手を離したマーガレットが「ミカ?」と声を上げるもミカエリスは振り返らなかった。
「……メグ。俺はメグに幼馴染以上の気持ちを抱いた事はない」
「な……なに、急に……」
「メアリーに嫉妬して、母上や周囲の言うがままにメアリーに冷たくしてきた事実はこれからも変わらない。そして、メグが母上に影響されてメアリーを馬鹿にしていた事実も変わらない」
「だってあれは、ミカを」
関係ない、と後ろを向いたままミカエリスは首を振った。横顔だけしか見えないがミカエリスは明らかにマーガレットに失望している。……自分自身にも。
「大体、メアリー様に嫉妬って何? ミカがメアリー様に嫉妬するような事なんて」
「父上に構われるメアリーが羨ましかったんだ。俺を皇太子としてしか見て来なかった父上が、シルバニアの娘には感情豊かになっていたのを見てショックを受けたんだ。同時に、シルバニアの娘というだけで父上に構われていたメアリーが憎くなった」
「そんなの当り前よ! メアリー様なんて、シルバニア家の血を引いてなかったら何の価値もないわ!」
シルバニア家の血を引いてなかったら……。確かにそうなのだろう。メアリー自身思っていた。アタナシウスやティミトリスが大切にしてくれるから、愛してくれるから、未熟者な自分もこの国で生活出来ている。
抑々、シルバニアの娘じゃなかったらミカエリスの婚約者に選ばれる事はなかった。選ばれて不幸は数多くあれど、授かった知識と経験はこれからの長い人生で役に立つ日はきっと来る。後悔はしていない。
「……それは俺やメグも同じだ」
「なっ」
「俺達は自分の力では何も成果を上げていない。生まれた時から与えられた地位を除き、個人の価値と言うなら俺達にはまだ何もない」
「ミカ……ほ、本気でそんな事を言っているの?」
「本気だ。だから、これからが正念場だ。帝国の未来の為にシルバニア家との関係改善とそれから――」
まだ何かを言おうとしたミカエリスを項垂れたマーガレットが止めた。体を再びマーガレットへ向けてミカエリスは言葉を待った。顔を上げたマーガレットは瞳を涙で濡らしていて、悲しげに微笑みを浮かべていた。
「わた、し……私……ミカが側にいないと生きていけない」
「メグ……」
「ミカに婚約解消をされたら私は生きていけない。ミカの隣で生きる事をだけを考えていたから。皇后様もお母様も関係ない。私は、私の意思でミカと一緒にいたいの。皇太子妃になりたかったのもそうよ、メアリー様よりもミカを好きな気持ちは私が一番。誰にも負けない、ミカを譲ったりしないっ」
「……」
己の地位も責任も捨て、二人手を取り合って自分達を知らない土地で生活が出来たらどれだけ幸福なのか。ミカエリスは選ばないだろう。皇太子としての責務を幼少期から果たしていた責任感の強い彼は。皇太子として、ミカエリスを慕うメアリーは己の気持ちを最優先とするマーガレットに、彼がどの様な言葉を発するかを待つ。
夜の風が音もなく吹き、微かに髪を浚う。銀色の髪が暗闇に光り、星が地上に降りた美しさがあった。ミカエリスは徐に口を開き、そして――紡いだ。
「マーガレット=ホワイトゲート公爵令嬢。改めて、婚約の白紙を告げる」と。
「……」
徐々に見開かれていく空色の瞳に映るのは、きっと好意を受け取ってくれると信じていたが故の絶望だけだった。
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