メアリーとミカエリス4

 



 窓の下……城の庭園が見渡せる景色の良い場所で、窓枠に肘を立てて愉しげに下を見下ろすのはティミトリス。隣で頭を抱えるホワイトゲート公爵に意地の悪い青の瞳を向けた。口元はニヤついている。



「はは、ご立派な皇太子妃候補なことだな。公爵令嬢でありながら、シルバニアよりも上ときたか」

「あの馬鹿娘……」



 妻、娘は皇后のお気に入りだったから調子に乗り勘違いをしてしまっているが。本来、シルバニア家以上の公爵家などありはしない。

 遠い昔から帝国を守り続ける守護神であり、皇族と良好な関係を築き上げてきたシルバニア家。フラヴィウスの教えを一応守っているティミトリスとしては、マーガレット個人がどうなろうが気に掛ける義理も価値もないので放置が一番。

 ただ、愛娘メアリーに害があるなら始末するだけ。何度始末してやろうかと過るも、隣にいる男に何度も頭を下げられてきた。


 皇帝アーレントと幼少期の頃から交流があり、右腕となるよう育てられたデイビットは皇后や皇后派の貴族達と違い、帝国の貴族としてシルバニア家を尊敬し、恐れている。


 下では今、自分こそが皇太子妃に相応しくメアリーが無礼を働いて良い存在じゃないと激昂したマーガレットにミカエリスが頬を打った。誰も思いもしなかった行動に固まってしまっている。ミカエリスだけ、冷え冷えとした黄金の瞳でマーガレットを視界に入れている。



「公爵。マーガレットに皇太子妃教育を受けられる教育はしていたんだよな?」

「ええ……陛下が、皇太子殿下がマーガレットを選ぶと言われ、妻や娘にはホワイトゲート家の者として当然だと言い教育しました」

「結果がこれか」



 頭から手を離した公爵は階下を見た。まだ、固まっている。



「……マーガレットが皇太子殿下に近付く女性を常に牽制していたのは知っています。度が過ぎ始めたのは、皇后様に触発されたからでしょう」

「お前は止めなかったのか」

「妻にはマーガレットへの悪影響だと皇后様との関係を控えるよう言い付けはしましたが」

「はは、出来たら苦労はない。それに夫人の方もマーガレットが皇太子妃になるのは悪くなかったんだろう」

「全く……ですが、これではマーガレットを皇太子殿下の婚約者にしておくのは無理です」



 仮令、ミカエリスが許しても周囲が止めても公爵はこの後アーレントに掛け合ってマーガレットを婚約者から外してもらう。メアリーとミカエリスの婚約書は魔法の契約が掛けられていたが、ミカエリスとマーガレットは万が一を考え魔法は掛けられていなかった。

 幸いとはこういう事を言うのだろう。



「欲張りすぎたんだよ。あの女共は」



 固まりから次第に体を震わせ始めたマーガレットの空色の瞳から雫が零れ始めた。大声上げて泣き出せばティミトリスは大笑しない自信がない。

 欲深い女性は昔からシルバニアの力を思い通りにしたい傾向がある。見目に優れ、歳を取らないアタナシウスやティミトリスに取り入り愛人になりたがった人も多い。

 あわよくば、子を孕み、自分もシルバニア家の一員になりたいと。


 成功させたのがメアリーの母。

 あの時の出来事は双子にとって屈辱以外何ものでもないが、代わりにメアリーを授かった。

 あの女の生家はメアリー誘拐を企んで母親を殺して以降接触はない。殺すのはやり過ぎだと非難されたが姿を見せなければ良かっただけだと吐き捨ててやれば、顔面を蒼白にして逃げるように帰って行った。


 女の事を思い出したせいか、公爵にメアリーの母親について問われてしまう。も、無言でいれば公爵はそれ以上は聞いてこなかった。



「マーガレット以外に皇太子妃になれる令嬢はいるのか。つか、高位貴族の令嬢で婚約が未だなのは殆どいないだろう」

「ええ。他国の姫を迎え入れるのも視野に入れます」

「あわよくば、シルバニアとも縁が出来ると喜んで差し出してきそうだ」

「慎重に吟味します。陛下と共に」

「それがいいだろうよ」



 下にそろそろ動きがありそうだ。



 ――どうする? メアリー




 ●○●〇●〇



 静寂が周囲を包む。涙を流し始めたマーガレットは体を震わせるも声は出そうとしない。マーガレットだって公爵令嬢。淑女は人前で声を上げて泣いたりしない。涙だって見せてはいけないと教えられるも、今は無理だろう。長年想ってきた幼馴染であるミカエリスに初めて打たれたのだから。誰にも叩かれた事はない真白の頬は赤くなっている。

 メアリーは一度だけティミトリスに打たれた事があるものの、誰が聞いてもメアリーが悪かった。力加減だってされていても衝撃だけは凄まじいものだった。メアリーがそうなのだから、マーガレットだってそうだろう。

 衝撃から返ってこられなかったものの、視線だけは動かせるようになったメアリーの目はミカエリスを映した。


 いつも見せていた優しさと愛しさに溢れた黄金の瞳は何処へいったのか、冷え冷えとした黄金がマーガレットを見ていた。手を下ろしたミカエリスは後ろの侍女達に「マーガレットを部屋へ戻せ」とだけ言うと踵を返した。



「待ってミカ……! どうして、どうして私にこんな事を……!」

「頭を冷やしてから俺と話そう、マーガレット。その方が自分が何を間違えたか分かってくる」

「何が? 私は何も間違った事は言ってない、一度だって間違った事はしていない!」



 立ち止まり、再びマーガレットへ向いたミカエリスの瞳は更に冷たさを増していた。



「……一日、ずっと考えてみた。今までのメアリーやシルバニア公爵達への自分の姿を。ずっと母上に言い続けられたから、と言い訳はしない。父上の言葉に耳を貸さなかったのは俺の下らない嫉妬心からだった。マーガレットがメアリーを下に見るのは、俺や母上のせいだ。マーガレットを責める気はない。だが、今のは些か度が過ぎている」

「私が今までメアリー様に何を言ってもミカは気にしてなかったのに、なんで今更……!」



 マーガレットに鋭く睨まれるメアリー。怒りをぶつける相手を間違えないでほしい。ミカエリスは知らないだけだが、先程の発言よりも散々な言葉を何度も言われているメアリーからしたらミカエリスがいるから抑えている方な部類に入る。

 可憐な容姿のマーガレットが涙を流す姿は庇護欲をそそられるのか、侍女達は痛ましげにマーガレットを見つめ、メアリーには敵意の籠った視線をやるもミカエリスに睨まれると竦んだ。



「お前達は誰にその様な目向けている?」

「この子達を怒らないでミカ、私を思っての事よ」

「一介の侍女が公爵令嬢に向けていい態度じゃない」



 ふむ、と暫し考え込んだミカエリスは再び踵を返した。後ろからマーガレットに呼ばれても振り返らず。



「……俺もマーガレットもそこの侍女達も、今まで母上のシルバニアの力を欲するあまりの欲に影響されていたが、その母上はもういない。今一度考えろ、今までの自分の行いを」

「……」



 昨日の婚約解消の場にメアリーはいなかったから、何が起きたかは知る由もない。術はあるが父親達ははぐらかすだけ、アーレントは聞いたら話してくれそうだが個人的な理由で訪ねて良い人じゃない。ミカエリスの名前を泣き叫ぶマーガレットは侍女達に引き摺られて行った。

 今日から皇太子妃教育を受けるべく、皇太子妃宮に移ったマーガレットがこの場に侍女を引き連れて現れた理由を今更考えるもすぐに止めた。メアリーとミカエリスが一緒にいるのを誰かが目撃し、告げ口をし、牽制するべくやって来た。婚約者でなくなったメアリーが未練がましくミカエリスに会いに来ていると思って。

 一人残されたメアリーはまだ姿を現さないティミトリスを待つより、ミカエリスを追い掛ける選択肢を取った。


 小走りで追い掛けるとミカエリスは長椅子に座って空を見上げていた。メアリーに気付くと小さく瞠目した。



「メアリー?」

「殿下、お隣に座っても?」

「あ、ああ」

「失礼します」



 人一人が座れる間隔を空けてメアリーも座った。

 何度も二人でお茶をした――マーガレット同伴が多かった――が、向かい合わせで座った時は距離が遠く感じられた。手を伸ばせばお互い触れられる距離だったのに。テーブルの隔たりがない長椅子は更に距離が近い。物理的な性質以外にも。心の状態からしても。



「私は殿下がずっとこの婚約を嫌っていたのは知ってました」

「……」

「でも、それはマーガレット様と婚約したかったからなのだと思ってました」

「マーガレット?」

「マーガレット様や皇后様がいつも仰っていたので」

「……そうか……」



 城でばったりマーガレットや皇后に遭遇すると必ず言われた。ミカエリスが真に望むのは幼馴染のマーガレットであり、メアリーはシルバニアの娘だから選ばれただけだと。

 初対面から嫌いだと態度と雰囲気から伝わっていたのでメアリーはシルバニア家の一員としてこの婚約を継続してきた。嫌になったら即解消と言われていても、これだけは譲れなかった。



「……俺はずっとメアリーに嫉妬していたんだ」

「え」



 思いもしない言葉を紡がれた。驚愕までいかなくても十分な驚きがあった。ゆるりと向くと自嘲気味に笑うミカエリスの横顔がそこにあり、皇后似であるがアーレント似でもあるなと抱いた。






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