第26話 敗北必至

――――ラムラムの町


 急報が訪れます。

 この地を預かるスマルト男爵が、兵を率いてこちらへ向かっていると。

 彼にはたっぷりの賄賂を渡していたはず。

 だけど、魅力的な賄賂以上の恐怖が、彼の心を包んだのでしょう。



 その恐怖の正体を、ツツクラ様が広い作戦室の議場に立ち、目の前に置かれた机を拳で打ち据えて口にしました。


「セルガ=カース=ゼルフォビラ伯爵! こいつが裏で糸を引いてやがった! やはりと思ったが、こうも正面から来るとはね!!」



 セルガ=カース=ゼルフォビラ伯爵――すでに何度か名前を耳にしています。世界一の剣士にして大貴族。

 そして、ツツクラ様が恐怖する存在。


 彼女は各部隊長の前で鷲の意匠がほどこされた杖を振り上げ、杖先でカッカッと地面を叩きます。



 そこに斥候が追加の情報をもたらしました。

「ご報告します! スマルト男爵が率いるは三千! その兵の内、騎馬兵は五百。残りは歩兵。攻城兵器は僅か三基」


 この報告に、部隊長たちはざわつきました。

 それは、あまりにも戦力が少ないからです。


 このラムラムの町は絶壁に囲まれた天然の要塞。細かい出入り口はありますが、大量の兵を送り込める門は一つ。そこは堅牢で、攻城兵器三つ程度ではどうにもできません。


 どうにかしようとしても、門に張り付く前に壊されてしまいます。

 壊されることを想定して送り込むなら、最低でも十基以上は必要です。

 そうだというのに、僅か三基。


 スマルト男爵は何を考えているのでしょうか?

 セルガ伯爵に追い立てられて、攻める振りをしているだけ?

 

 さらに、報告は続きます。


「最前線に、海龍と騎士とアキレアの花の旗を確認。ゼルフォビラ家の紋章・セルガ伯爵の部隊です。その数――――三百!」



 またもや、部隊長はざわつきます。

 やはり、あまりにも兵が少なすぎるからです。

 

 そのため、傍に立っていたパーシモンさんは思わず吹き出してしまいました。

「ガハハ、世界一の剣士だか何だか知らねぇが、舐められたもんだぜ。こちとら、五千を超える守備兵がいるんだぞ。城塞攻めで数に劣り、兵器もない。それでどうやって俺たちとやり合おうってんだ! 伯爵様は剣の腕は立っても、戦争のやり方は知らねぇらしい!!」


 彼に呼応して、周りの方々も腹を抱えて笑い始めました。

 そんな中で、ツツクラ様は隣に立つディケードさんに目配せをします。

 そして、軽く微笑むと、各部隊長に指示を与えました。



「全員、各部署を守れ。セルガの部隊が先行するようだが、舐めてかかるんじゃないよ!! 門まで一兵も寄せ付けるな!!」


 この号令を受けて、各部隊長は慌ただしく動き始めました。

 戦気と喧騒が渦巻く中で、私はツツクラ様に呼ばれます。

「ルーレン!」

「はい!」

「あんたとディケードには別命を与えるから。私のそばにいな」

「はい、了解しまし……え?」


 ツツクラ様の顔が真っ青です。額に脂汗を浮かせて、奥歯を噛み締めることで震える体を無理やり抑え込んでいる様子。

 恐怖を必死に押さえ込もうとしている彼女へ、ディケードさんが声を掛けました。


「セルガ率いる三百の兵。彼直属の部隊ですね」

「ああ、まさかここまで本気で来やがるとはね。てっきり、スマルト男爵の代わりに後方で指揮を執る程度かと思ったが、こりゃあ勝ち目はないね」


 お二人は何を言っているのでしょうか?

 僅か三百の兵で、何ができるというのでしょう?

 

 数万の兵と十を超える攻城兵器を用いて、ようやく落とせるかどうかという町なんですよ。このラムラムの町は……。



 ですが、お二人はすでに敗北を悟っているようで、重苦しい会話を続けています。

「どうされますか、ツツクラ様?」

「どうもこうもないね。惜しいが……しまいさ」


 ツツクラ様は天井を見上げて、小さく笑い、私に敗北を認める指示をしました。

「――フッ。ルーレン、私の私室の金庫の中に紫の箱がある。その中には分厚いメモ帳と宝石類が入ってるから持ってきな。鍵はこいつだ」

「へ?」


「解除番号は左に31・右25・右17・左11・右58。最後に六桁の番号・476946だ。覚えたね」

「は、はい、覚えましたが……」

「取り出したら、最上階右端の部屋に来るんだよ。わかったかい!」

「畏まりました!!」


「よし! ディケード、私とお前でぎりぎりまで指揮を行う。私の意図を他の連中に悟らせるなよ」

「了解です、ツツクラ様」

「それじゃ、ルーレン。行け!」


「はい!」


 私はお二人と別れて、ツツクラ様の私室へ向かいます。



――道中


 廊下の途中でエスティさんに会いました。ご飯をいっぱいいっぱい食べて、ますます大きくなって、今では廊下の半分を占拠するほどです。


 彼女は怯えた様子で私に状況を尋ねてきました。

「る、ルーレン! どうなってるの?」

「敵が攻めてきて、皆さんその対応に追われています」

「だ、大丈夫だよね? 今まで、こんなことなかったけど……」

「はい、問題ないと思います。相手は僅か三千三百。対するこちらは、五千以上の兵士さんが居て、さらに門を固く閉じて守りを固めてますので」

「だ、だよね。ふぅ……」


 エスティさんは、大きく膨らんだ胸なのか腹なのかわからない場所に手を当てて息を吐きました。

 私は彼女を落ち着かせるために……嘘をつきました。

 ツツクラ様は敗北を予見して、すでに逃亡する準備をしています。



 現在、戦いに向かわせている兵士さんたちは全て、逃亡への時間稼ぎのためでしょう。

 これほど早くことを決断したということは、この城塞は半日も――いえ、数時間ももたないと判断してのこと。


 あり得ない――ですが、ツツクラ様とディケードさんの中ではあり得る計算なのでしょう。

 私は真実を流布されないために、彼女へ真実をお渡しできません。



 ですが、同僚だったエスティさんには全てが終えた後、どうすればよいのかをお伝えしておこうと思います。

「万が一、敵に見つかったら、騒がず、慌てず、スマルト男爵かセルガ伯爵に保護を求めてください。貴族である彼らであれば、女性には手を出さないと思いますから」

「え、あ、うん。そうするね。でも……」


「なんですか?」

「いや、ラムラムの町に来る貴族って腐ってる人ばかりだから、女性には手を出さないって、大丈夫かなぁって?」


「おそらくは……この町に来ないタイプの貴族だと思いますし」

「そんな町から賄賂を貰ってたスマルト男爵が?」

「……セルガ伯爵の部隊に保護を求めてください」

「うん、そうする。でも、これはもしかしての場合だよね?」


「ええ、もちろんです。それじゃ、私も任務がありますから。エスティさんは他の事務員の皆さんと一緒に、安全な場所に避難していてください」

「わかった。それじゃ、またね、ルーレン」

「はい!」


 私は軽く手を振るエスティさんに頷きを返して駆け出します。


――またね


 おそらく、その『また』は訪れないでしょう。

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