第25話 不確実性の罠

――――鍛練場・正午過ぎ


 二年にも及ぶ鍛練。身体的成長。そして、ドワーフという特性。

 これらのおかげで、私の体力は以前とは比べ物にならないくらいに伸びました。

 ですので、今後は愛用の大斧の代わりに、体力を武具に変換できる武装石を扱っていこうと思ったのですが……。


「ぐぐぐぐっ」


 手のひらほどの大きさの赤い結晶を握り締めて、斧をイメージします。

 すると、武装石はぐにゃりと形を変えて、何かに変化しようとするのですが、途中で変化は止まり、ぐにゃぐにゃした斧が生まれてしまいました。


「ふぅ……イメージを具現化するって難しいですね」

 この声に、戦奴せんどである同じドワーフの男性が言葉を返してくれました。


「最初は慣れねぇもんさ。こうやって形にできるだけ大したもんだ」

「そうなんですか?」


「ああ、俺が初めて武装石を扱ったときにゃあ、棒切れができただけだったしな。だからまぁ、今はまだ普通の斧を扱って、そいつに常に触れて、手元になくても大斧の細部がイメージできるくらいに脳みそに染み込ませるしかないな」

「そうですか、簡単には扱えなさそうですね」



 持ち運びが便利な武具とはいえ、自在に扱えなければ意味がありません。

 いざというときに変化できなければ、先にあるのは死だけですから。


 私は武装石を扱っている、灰色の毛を纏う兎の姿をした獣人の商人さんに武装石をお返しします。

 代わりに御菓子類をいくつか購入して、戦奴せんどのドワーフさんに別れの挨拶をしてから、午後の警備の仕事へ向かおうとしました。


 そこに、治安部隊を率いるパーシモンさんが訪れます。

「おう、ルーレン。なんだ、買い食いか?」

「いえ、武装石に挑戦してみたのですがかんばしくなくて。お菓子は武装石をただで貸してくれた商人さんに悪いと思って購入しました」


「貸しだけにお菓子ってか!」

「……違いますよ」



 私はダジャレ冤罪に眉をひそめて応えました。

 パーシモンさんはバツが悪そうに、顎にこさえたひげを手で伸ばして話題を変えようとします。

「あああっと……あ、そうだ。今日、新人が一人、俺の部隊に回ってくるんだ」

「あ、そうなんですか?」

「ただ、なんというかあんま頼りなさそうでな。見た目は戦士からほど遠いが、その分、頭は回るらしい。そうだなぁ、ティンバーみたいな感じか?」


「ティンバー、さん……」



 ティンバーさん。私の学問の先生で、未確認ですが娘さんを亡くしている。

 彼の心の傷には失った娘さんが深く刻まれていて、その傷への触れ方を誤ると、彼から殺意を向けられる。

 そして、誤った二人の幼い奴隷が彼によって殺害されて、その咎でティンバーさんもまた処分された。


 私の手によって……。



 もう、あの日から一年以上――腕に残っていた彼の首の熱も冷めて、耳奥に木霊していた首の骨の折れる音も小さくなっている。

 だけど、ふとした瞬間に、あの時の熱と音を思い出す。

 感情が激しく振るえる。波立つ感情は器から溢れ、零れ落ちそうになる。


 それに蓋をする。


 蓋の名は恐怖。ツツクラ様への恐怖。先に続く、惨たらしい死。

 痛めつけられ、四肢を切断されたエイラちゃんの死。傷を負い、嬲り殺しにされた父の死。臓腑ぞうふを引きずり出され、尊厳を踏みにじられた母の死。


 私は死が怖い。あのような惨たらしい死が怖い。

 この死への恐怖で、感情の蓋をきつく締めあげる。

 溢れ出てしまえば、心は壊れ、暴走し、惨たらしい死がある。


 私はちぐはぐになりかけた心音を鎮めるために、胸元に手を置いて深呼吸をした。

 その姿を見たパーシモンさんが、短く謝罪を口にする。


「すまねぇ」

「いえ」


 パーシモンさんは先程以上にバツが悪そうで、髭を指で摘まみ、こすり、軽く顔を歪めました。

 そこから短い謝罪では足りないと思ったのか、言葉を付け足します。


「あ~、ま、ツツクラ様もあんなやり方をしなくてもなぁ。ルーレンに覚悟を迫るために、奴隷を利用してティンバーを嵌めるとはなぁ」

「え?」


「――っ。余計な一言だったか。慣れねぇことはするもんじゃねぇな。それじゃな、ルーレン」

「パーシモンさん、待ってください! 今の話は――」



 パーシモンさんは私の言葉を無視して走り去っていきます。

 私はその時、僅かに彼の髭が引くついたのを見逃しませんでした。

 

 彼が去った後、私は先程の言葉を反芻します。

「私の覚悟のために、ティンバーさんを嵌めた? ということは、つまり……」


 ティンバーさんは私に優しく、私も慕っていました。

 ツツクラ様はそんな彼の命を奪わさせることで、私の甘い心を断った。

 私の甘い心を断つために、ツツクラ様はティンバーさんを嵌めた。

 幼い二人の奴隷を犠牲にして。


(ティンバーさんの心の傷をツツクラ様は知っていた。ツツクラ様はあらかじめ奴隷の二人に命じていたんだ。飴を拒絶して、さらに否定しろと。そうすれば、ティンバーさんがおかしくなることを知っていて!!)


 思い返せば、奴隷がティンバーさんに口答えをするなんておかしな話なのです。

 飴が好きであろうがなかろうが、立場が上のティンバーさんに口答えをするなんて……。


 

「つまり、幼い奴隷の二人とティンバーさんは、私に覚悟を背負わせるための犠牲になった……ツツクラ様がそれを望んだから?」


 ツツクラ様が望んだから仕方のないこと……仕方のないこと……仕方のないこと。

 だけど、ティンバーさんは死ぬ必要はなかった。幼い奴隷の二人も死ぬ必要はなかった。

 この死は私のために、ツツクラ様のために利用された死。



 再び、心の蓋が軋みます。

 だけど、スッと息を吸って、蓋の軋みを鎮めました。


(はぁ、この町では当たり前の事。いまさら、この程度のことで嘆いていても仕方がない。誰かに利用される、誰かを利用する。利用されたくなければ、利用しろ。そんな場所――そう、そんな場所だからこそ、私に冷静さを取り戻してくれた)


 先程、私は見ていた。小さくも感じ取った。

 ちっぽけな可能性に賭けた卑怯な存在に……。

 その目的が行き着く先はわかりませんが。


 これより数日後――私が知っていた世界は失われてしまいます。

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