第15話 全ては思惑通り

――事務所

 


 エバさんが解雇された次の日。この時はまだ、エバさんがどうなったか知りません。

 何も知らない私は、朝のお掃除をします。


 副主任という役職を戴きましたが、誰かにお掃除をお任せする気にもなれなくて、私が行っています。 

 ですが、そのせいで主任のラスティさん以外の皆さんも早起きで事務所にやって来て、お掃除をすることになってしまい、『みんなでお掃除』が習慣化していくことになるのですが。



 お掃除を終えて、新主任のラスティさんを迎え、就業のお時間です。

 エバさんが抜けた穴は大きく、初日の仕事はてんてこ舞い。

 それでも何とか乗り切り、それは日を追うごとに落ち着いていきます。

 いえ、落ち着くどころか、私とラスティさんの仕事の相性は非常に良く、以前よりも効率が上がったとまで言えます。



 数日後の夕刻。

 私は仕事が終えた後も一人残り、副主任として、明日の主任のお仕事の整理と準備をしていました。


 そこにツツクラ様が訪れます。

「おや、残業かい?」

「はい、少しだけ。鍛練の時間までには終えますから」

「ならいいが……ちょうどいい、一つ質問がある」

「はい、なんでしょうか?」

「ラスティをどう思う?」



 とても短い問いです。ですが、その問いに内包されている意味は理解しています。

 だから、私は素直な思いを答えました。


「……恐ろしい方だと思います」

「ふむ、そうか。ちゃんと気づいていたんだね。いつ、気づいた?」

「前々からドワーフの私に優しく接していただけることに、違和感を覚えていました。ですが、決定的になったのは、お茶の淹れ方です」



 ラスティさんの優しさに対する疑問・疑念。

 どうして、人間なのにドワーフの私に対して優しく接してくれるのか?


 最初はただ疑問を抱いただけ。

 二度目は疑問の答えがわからず泡と消えた。

 三度目は疑問に問い掛け、答えを探した。


 ラスティさんは私に優しく接することで、何らかのメリットがあるのではないかと。

 この問いかけが生まれたことで、それに対する答えを探すことになる。


 ラスティさんが優しく指導を行う。そのたびにエバさんのいじめが加速していく。

 だけど、ラスティさんは仕事に支障が出ないかぎり、私を庇ったりしない。

 それは仕方のないことだと思っていたけど、違った。


 彼女には目的があった。

 

 そして、その目的の一端に触れることのできた出来事は――お茶の淹れ方。

 これはラスティさんのみが持つ、ツツクラ様へのアピールポイント。

 そうだというのに、そんな大事なことを私に教えた。


 何故か――それは、私がツツクラ様から評価を得られるように。

 何故か――それにより、エバさんの嫉妬を煽るように。

 何故か――嫉妬に狂ったエバさんが暴走するように。


 ラスティさんは細かく私を指導して、ツツクラ様から評価を得られる人材に育て上げ、エバさんからの嫉妬を煽った。

 それはエバさんの不満を膨張させて、やがて大きな一線を越えさせるための罠。


 ラスティさんの目的。

 それはエバさんの失脚。後釜に自分が座ること。



「ツツクラ様から評価を得ている大切なお茶の淹れ方を私に教えたところで、過剰な優しさでは? と疑念を抱き、真実を手繰たぐり寄せることに成功しました」

「フフフ、なるほど。お前は最初から、ラスティの善意に裏があると思っていたわけだ」


「最初から? それは……そう……なんでしょうか?」

「そうだろう。普通、善意は素直に受け取るものだ。そこに疑念を挟む奴なんざいない。感謝するだけ。だがな、初めから疑い、疑念を挟むってことは……お前は普通じゃない」


「それは、評価されているのでしょうか?」

「ああ、してるぞ。だからと言って、そいつが悪い才能という訳でもない。その才は、感情の外側から物事を判断できる才能さ。こいつを持つ者たちは、貴族や王族や富豪といった支配階層。ふふ、稀有な才能を持っているもんだ」


「誰かの上に立てるような才能なんて、私には……」

「ああ、ないね。お前は甘すぎる。せっかくの才が、その甘さのせいで台無しだ。そうさな、その甘さが無くなれば、思いも寄らぬ大物になるかもしれないねぇ」

「はぁ、大物? 私がですか?」



 ツツクラ様は私の疑問の声に答えることなく、何もない場所を見つめて薄く笑っています。

 唐突に生まれた空白が、言い知れぬ不安を呼びます。

 私は問われたわけでもなく、ラスティさんに抱いた疑念を吐露します。


「……思い返せば、ラスティさんには動機がありましたし」

「なんだい、それは?」


「エバさんの給金と待遇に対して、羨む様子を見せていました。能力的に大きな差はないのに、自分とエバさんの差……主任と副主任の待遇の差に不満を持っていました」

「主任とは打ち合わせの詰めがあるから、多少優遇してるだけなんだがな。ククク、くだらない嫉妬をみせるもんさ。だが、良い」



 何故かツツクラ様は嬉しそうに笑い声を漏らします。

 何が良いのでしょうか?

 彼女はさらに話を催促します。


「他になるかあるかい?」

「そうですね……そういえば、エバさんから仕事を引き受けた時もおかしかったと思います」

「ほう、おかしいとは?」

「実はあの時、ラスティさんもそばにいました。いつもの彼女なら仕事に支障をきたさないように、確認を促すはずです。ですが、あの時は促しませんでした」


「忘れていた可能性は?」

「ないでしょう。ラスティさんはこれまで仕事の支障だけは避けていた。その口実は連帯責任を負いたくないから。ですが、真実は違いますので」


「ふむ、続けな」

「はい。真実は、下らない支障でツツクラ様からお叱りを戴き、エバさんがいじめを緩めることを警戒していたからです。ラスティさんはエバさんにストレスを与えつつ、いじめを加速させることに努めていたんです」



 そう、今まで彼女が忠告してきたのは、半端な説教で終わらせないため。

 もし、一度でもツツクラ様からお叱りを戴けば、エバさんは同じ過ちを犯さないように自身を制する。


 そうなれば、エバさんは私を細かくいじめるだけに留まり、大きな失態を犯さなくなる。

 そうならないように、ラスティさんはお叱りを回避しつつ、エバさんが大きな失態を犯すのを待った。


 そして、ついにその時が来た。

 だから、今回は敢えて忠告しなかった。

 私がエバさんの奸計に嵌まり、その結果、エバさんが取り返しのつかない失態を行うと判断して……。


 


 つまり、ラスティさんは出世のために、私を利用した。

 最悪の場合、エバさんではなく、私が罰せられる可能性があるとわかっていて……。


 彼女の優しさに疑問を抱きながらも、支えられていた部分もあります。

 感謝さえしていました。

 ですが……裏切られた。


 ラムラムここには、優しさなんてないのでしょうか?



 痛む胸をそっと押さえます。

 すると突然、ツツクラ様は笑い声を立て始めました。

「クククククク、面白いねぇ、ラスティは」

「え?」

「いいかい、ルーレン。あいつはエバとお前の性格と行動を読み切り、罠を張った。いや、私の行動さえも計算に入れている。あいつは自分の欲望を満たすために、私すら騙したってわけだ」



 そうです! ラスティさんはツツクラ様さえも騙していたことになります!!

 それも仕事に支障がきたし、ツツクラ様に恥をかかせた。

 つまり!!


「ツツクラ様!!」

「なんだい、急に。びっくりするじゃないか?」

「えっと、その、ラスティさんは……どうなるのでしょうか?」

「どうもしないよ」

「え?」


「むしろ、評価に値する」

「評価? ツツクラ様を騙して、仕事に被害を与えたのにですか?」

「それについては腹立たしいが、ラスティの才能を評価してチャラにしてやるよ。得難い人材は、常に難があるものだしね」



 これは意外な返しでした。

 私の中のツツクラ様は、自分に牙を向ける者は容赦なく処罰するイメージでしたので……。

 彼女は私の心を見透かしたのか、小さく回答を漏らします。


「人材不足でね。中も外も……」


 中は事務方。外は戦士のことでしょう。

 さらにツツクラ様は嘆きを見せます。


「足らないねぇ。ああ、足らない。こんな連中じゃ、私は生き残れない。だが、逃げる時間は稼げるかもねぇ」

「ツツクラ様?」



「ふん……………………セルガ=カース=ゼルフォビラ伯爵。あいつが出張でばってきたらわたしゃ……」

「せるが?」


「……ルーレン。いつまでここで仕事をしているつもりだい?」

「え?」

「鍛練の時間だろ。幼いからって甘えは許さないよ。そろそろ実戦に投入するから覚悟しておきな!」

「は、はい! それでは失礼致します!!」


 私は手早く仕事道具を片付けます。まだ、明日の用意は終わってませんが、それは明日の朝一番に仕上げることにしました。


 私は頭を下げて、飛び去るように事務室から出ます。

 そして、扉を閉めて、早歩きで鍛練場に向かうのですが……ツツクラ様が口にした人物の名前が頭を過ぎります。



(セルガ=カース=ゼルフォビラ伯爵。セルガ……聞いたことがある。たしか、人間族最強の剣士。いえ、世界最強の剣士)


 ドワーフの私でさえ知っている、人間族の剣士にして皇族並みの発言力を持つ大貴族。

 この方は世界に八人しかいない魔法使いを相手に、勝利できる唯一の人間。

 一人で国を亡ぼせる魔法使いを相手に、勝利できる剣士。


「そんな人が、ツツクラ様とどういった関係で?」




――事務室


 一人残るツツクラは、静謐に溶け込む音低い言葉を漏らす。

「この地域を預かるスマルト男爵には、たっぷりと鼻薬を利かせている。だが、裏で何やらセルガが動いていると聞く。まだまだ影も踏ませぬ話だが。しかしだ、何故出張でばる? 昔の意趣返しか? いや、あいつはそんな器の小さい男じゃない。だったら、何故?」


 彼女は僅かに頬を緩める。

「もし、私が目的なら……時間をかけた甲斐があった。人生を投じた甲斐があった。でもね、恐怖も心に沁みついているんだよ。だから、私はここへ逃げ込んだ」


 彼女は震える手で、杖をぎゅっと握り締める。

「ふふふ、セルガが動いてるかもという、あやふやな情報でこうまで怯え、備えるとはね。私もとんだ小物だよ。ディケードだけでは勝てないだろうね。だからこそ、貴重な猫族のドワーフ夫婦が欲しかった」



 杖から手を放し、広げ、握る。

「あいつらに子を産ませる。それを売り、資金にして軍を増強するのも良し。子を人質にして、夫婦を従わせるも良し。時を掛けて、最強のドワーフ軍団を造るも良し」


 拳をいた手のひらを机に置き、力をぐっと籠める。

「時? いやいや、もう時間はない。来るならいつだ? 中央が騒がしいから一年では来ないだろう。二年では? あり得る。それまでにルーレンを鍛える。だが、あいつはガキで甘過ぎる」


 再び拳に戻し、机を叩き静謐を砕く。

「ルーレン、壊れるかもしれないが荒療治しか無さそうだね。幸い、生贄はいるしな、ククク」

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