第4話 最初の夜、知らない花


 入浴を終えたルファは、持参した厚手の服を見て、悲しくなった。どう考えても、それを着たら、暑い。体が熱くてたまらなくなるはずだ。


「あ」


 その時、脱衣所の棚を見たら、限りなく白に近いクリーム色の服が入っていた。首回りが丸く、袖が二の腕までしかないという、ルファが初めて見る作り――見る者が見たならば、半袖のTシャツが畳んで入っていたのである。きょとんとしてそれを見た彼女は、下着はいつも通り身につけ、非常に涼しそうなその服を着る事にした。


「うーん、ちょっと大きいなぁ」


 首元がすぅすぅして、気を抜くと肩まで出てしまう。ただ、大きいおかげで太股まで隠れるから、これ一枚で良さそうだと彼女は判断した。長い銀髪をゴムで後ろにひとまとめにし、ルファは青い瞳を鏡へ向ける。少し頬が赤い。ヒリヒリする。これはなんだろうかと首を傾げる。彼女は知らなかったが、それは日焼けである。ルファの場合は、日に焼けるのではなく、肌が赤くなるようだった。


 ――ただでさえ、日光など出ない、凍理の街から来たのだから、耐性がなく肌も弱い。その代わりに、彼女の白磁のような肌は、きめ細かくなめらかだ。ただ少し、細すぎる。誰が見てもそれは間違いなかった。二十一歳だというのに、まだせいぜい十代後半の少女にしか見えない。それだけ栄養が足りていなかったのである。ただその割に、髪の毛は艶やかだ。これは水魔術が使えるため、他の人よりも楽に入浴出来た結果である。


「まぁいいかな」


 涼しいのだからいいだろうと判断し、彼女は部屋へと戻った。そして壁の方を向いて横になっているリュークを一瞥してから、もう一方の寝台に座ってみる。二週間、ずっと立っていたから、ちょっと横になってみたら、吸い寄せられるようになってしまい、すぐに眠気に襲われた。初めての地上で張り詰めていた気力が、プツンと途切れ、そのままルファは寝入ってしまった。



「――い。おい。ルファ、ルファ、起きろ。おーい。飯だぞー!」


 耳元で呆れたような声がした。若干苛立つような調子である。


「んっ……」

「その格好で、そういう色っぽい声を出すなこのバカ」

「へ? なに?」

「起きろって言ってんだよ」


 寝ぼけまなこで、ルファは声の方向を見て、瞼を極限まで細くし、眉間に皺を寄せているリュークを発見した。


「おはよう、リューク」

「遅いっつーの」

「ごめんなさい……」


 怒られると反射的に謝るという行為が身についているルファは、小声でそう言い、慌てて体を起こした。すると服がずれ、また肩が出てしまった。


「お前さ、危機感を持てよ。なんだよその格好。せめて下は穿けよ」

「どういう事?」

「女一人で、そんな格好をしてたら、襲ってくれって言ってるようなもんだろ!」

「……殴らないで」

「っ、そ、そういう意味じゃねぇ……――あー、もう。殴るわけ、ないだろ。俺はこれでも紳士だからな! 俺ほど優しい男は、ちょっといないぞ? 現に今、お前の貞操は守られてるだろうが。ん?」

「貞操ってなに?」


 それはルファにはない語彙だった。するとリュークは遠い目をした。


「おしべとめしべは分かるか?」

「なにそれ?」

「花の受粉の話だ」

「花? 花って何?」

「――あ! そうか。雪しかないから、花が咲かないのか。うわぁ、信じられねぇ。本当に知らないわけか、そりゃそうだな……」


 驚愕した顔をした後、納得したようにリュークは頷いた。


「とりあえず飯だ、飯。腹が減って死にそうだ。やっと温かい飯が食える。肉を食うぞ、肉! ほら、さっさと着替えろ」

「うん……でも……」

「厚手の服しかないってか? 俺が風魔術で冷たい空気を送ってやるから、とりあえずそれを着ろ」

「ううん。私……さっき教わったガルスを持っていない。通貨がないと、食べ物は貰えないのでしょう?」

「気にすんな。俺が出してやるから。今日は」

「いいの?」

「おう。前に行き倒れているところを助けてもらったお礼、って事で」


 その言葉で、初対面の日のことを思い出し、ルファは頷いた。彼女もまた空腹を感じていたので、ありがたく食べさせてもらうことにしたのである。


 こうして着替えて、二人は階段を降りていった。木の階段を一階まで降りると、右手に酒場が広がっている。壁にはフレスコ画があり、聖ロクロス教会の主神であるロクロス神と御遣い達の食事風景が描かれていた。多くの酒場の壁には、同じ画がある。


「ここにするぞ」


 リュークは、二人掛けの丸テーブルを選び、片側の椅子に座って、深々と背を預ける。対面する席に、おずおずとルファは座った。テーブルの上には、紙がある。そこにはメリルにも読める文字で、料理名らしきものが並んでいたが、いずれの料理名も、メリルは知らなかった。


「なに食いたい?」

「えっと……どれがいいと思う?」

「お前の好みなぞ知らん。せめてあっさりとか、がっつりとか、なんか言えよ」

「うーん……しょっぱい奴!」

「ほう」

「シチューみたいな食べ物が食べたい。昔一度だけ、お母さんが作ってくれたの」

「へぇ。じゃあ、ホワイトソース系なら、グラタンでも頼むか。俺は肉だ。ステーキでいいか。あとは適当にサラダでも頼んでおく。飲み物はなにがいい?」

「甘いの!」

「ジュースか? それとも酒か?」

「ジュースがいい!」

「なんの?」

「えっと……バルナファルバ」

「なんだそれは!?」

「ちょっとすっぱくてピンク色で甘いの」

「分からねぇよ! 悪いが、適当にピンクのものを頼む。間違っていてもそれを飲め!」


 こうして料理を選択し、店員にリュークがそれらを頼んだ。

 先に飲み物が運ばれてきたので、ルファはストローをグラスに刺す。


「この街はな、オアシスがあるから、こうやって飲食店にも活気があるんだ。初めてがこの街で、ルファは運がいい。ゆっくり休んでから、今後の方向性を考えられるわけだからな」

「そうなんだ……今後……」


 これまでは、街長様の言葉が絶対であり、言われたことを守らなければ罰を受けてきた。が、代わりに自分で考える必要はなく、常に思考は停止していた。徹底管理された状態だったとも言える。だからいざ自由になって、地上に来た今、どうしたらいいのか、想像できない。それに地上に何があるのかも、まだ分かっていない。砂があって暑いのは確かだが。


「あれ? 夜は寒いんじゃなかった?」

「寒いとは言え、お前の服は厚すぎるだろう……」

「た、確かに、そうだね……」


 ルファは苦笑してから、一口ジュースを飲んだ。そして目を丸くする。


「美味しい……! リューク、これとっても美味しい!」

「バルなんとかか?」

「全然違うけど、とっても美味しい!」

「そうか。それはブラックベリーの炭酸水割りだ。酒は入ってないが」

「炭酸水?」

「ほら、泡が出てるだろ?」

「あ……すごい! こんなお水もあるんだ。私も出せるかな?」

「さぁなぁ? 地上には、ごく少数の地魔術の使い手と、まぁそれよりは多い風魔術の使い手しかいない。この大陸には、地・水・風・火の属性魔術があるが、基本的に使えても一人一つだ。二つ以上や三つ以上となると、それは最早神の御業に等しいとされる。唯一全属性を使えるのが王族だ。そして、国王陛下のみが、さらに特別な属性――空属性の魔術を使える」

「そうなの? 凍理の街には、火魔術を使える人がちょっといて、水魔術を使うのは私だけだった……私は、その……水魔術を生まれつき使えたせいで……なんというか……」


 困った様子に変わったルファを見て、リュークが頬杖をつく。


「地上じゃ、この砂の国じゃ、水魔術を使えるなんてなったら、みんな大歓迎するどころか、独占しようと狙ってくるんじゃねぇか? それくらい貴重なんだぞ、水は」

「え? そうなの?」

「おう。オアシスから水を汲んで、各地に売りに行く水屋は人気の職業の一つだ。ま、体力は使うけどな。俺もよく水屋をやってる」


 それを耳にして、ルファは目を丸くし、両頬を持ち上げた。


「お水が売れるのね?」

「おう」

「私でも、役に立てることがあるのね?」

「ん? あ、ああ。まぁ水魔術は色々な面で――……ああ。そうか。水屋か」

「私、明日からお水を売って、水屋さんになって、通貨ガルスを貰うことにする。それで食べ物を買うの!」

「いいんじゃねぇか? うん、名案だな。しばらく手伝ってやるよ」

「本当?」

「おう。やり方も教えてやる」


 そう言ってから、リュークは右の口角を持ち上げて、楽しそうな目をした。


「やって行けそうか? まだ聞くのははえぇかもしれんが」

「――やっていくわ! 頑張るよ!」


 ルファもま笑顔を浮かべて、何度も首を縦に動かした。

 そこへ料理が運ばれてきたので、この夜二人は、舌鼓をうち、地上の料理を――砂の国の料理を味わったのである。




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