第3話 砂の国へ




 水葬樹は、視界に入る部分からだけでは、とても木には見えない。


「地上の大分遠くから見ると、木の幹に見えるんだ」


 ルファにそう説明しながら、リュークは一段ずつ気をつけながら階段を降りていく。

 門からすぐの場所には雪が降り積もっていたのだが、次第にそれは消えていき、下るにつれて、ただの氷になったためだ。紺色の氷だ。この下に、恐らく階段があるのだろう。


 水葬樹自体も、横にある、今ルファが手をついているものを見れば、紺色の氷としか言い様がない。つるつるした表面をしていて、ひんやりと冷たい。


「地上まではどのくらいかかるの?」

「二週間だ」

「そんなに……」


 ルファは何も無い左側をチラリと見て、思わず震えそうになった。足下は氷、手をついている幹も氷、そして左手は落下したら雲を抜ける。恐る恐る歩きながら、命綱も何も無い状態が、少々怖くなる。だが、戻るつもりはない。


「寝る時はどうするの?」

「俺は氷の幹に愛用のシュバルツを刺して、そこに紐をくくりつけて、手首と繋いで寝てきたぞ」

「シュバルツって?」

「さっきも使った双剣だ」

「なるほど……私は刺せるようなものはなにも持っていないよ」

「双剣だからな、二つあるって事だ。片方貸してやる」


 そういう事に決まり、ルファ達は夜はそのようにして眠り、食事は立ち止まって食べた。

 勿論入浴など出来なかったが、浄化の魔石をリュークが所持していて、不思議と不快な感覚にはならなかったし、排泄欲求も感じなかった。そんな効果の魔石がある事を、ルファは知らなかった。


 こうして一週間ほど、短い睡眠のひと時以外、二人はずっと歩き続けた。


「危ない!」


 ルファが落ちそうになり、振り返ったリュークが慌てて抱き寄せてた。落下の恐怖に怯え、ルファはガクガクと震える。その細い体を右腕で庇うように抱き寄せているリュークは、落ち着かせるように、ルファの背中をポンポンと叩いた。


「大丈夫か?」

「う、うん……」

「――じゃ、行くぞ」

「っ」

「立ち止まると、余計怖くて歩けなくなる。これは、経験談だ」


 こうしてその後も、二人は歩き続けた。

 次第に階段は、氷ではなく土に変化し、木の幹もそれは同様だった。

 そして一週間と五日ほど歩いた頃には、踏み固められた砂へと変化した。


「はぁ。やぁっと地上に戻ってきたって感じがするな」


 リュークはとっくに、ルファの父親の外套は丸めて背に背負っている。今は元々彼が着ていた外套姿で、空の日射しを見上げた彼は、当然のようにフードを被った。ルファはずっと同じ外套を身に纏っているのだが――……熱い。滝のように汗が流れてくるのが、歩いているからなのか、周囲が暑いからなのか分からない。


「あと少しだ」


 振り返ったリュークの声が、弾んでいる。フードから見える口元には、弧が浮かんでいた。頷き返して、ルファは必死に笑う。彼女は右手を持ち上げて、少量の水を出現させて、舌で舐めた。凍理の街でそんな事をしたら一瞬で凍ってしまったものだが、ここでは逆だ。どころか、放っておくと温くなる始末だ。


 そうして進んでいき、やっと階段の下が見えてきた。

 そこにはルファの見たことのない風景が広がっていた。


「ねぇ、リューク? あの地面はなに?」

「砂だ」

「砂?」

「おう。大陸全土でも、ここまで砂漠だらけの国は、この砂の国だけだ。みんな怯えて近寄らん。ただでさえ、いきなり生えたとされる水葬樹まであるからな」


 つらつらと語ったリュークは、最後の二段をすっ飛ばして、砂の上へと着地した。ルファは真似はせず、慎重に降りる。初めて踏んだ砂は、さらさらとしていた。温度の無い粉雪に似ている気がしたが、温度が無かったらそれはもう雪ではないと考えなす。


「ようこそ、俺の母国へ。ここが砂の国、イグニアス王国だ」


 楽しげな口調で言ったリュークは、それからメリルの右手首を強引に取り、腕を引く。


「まずは最寄りの街に行こう。今日は宿屋で一泊だ。やーっと、ふかふかのベッドで眠れるし、温かな飯が食える。いやぁ、長旅だった!」

「宿屋……?」

「泊まる場所だ。ほれ、行くぞ」


 そのままルファの手を引き、リュークは歩きはじめた。幼子のような扱いにルファは気恥ずかしくなったが、迷うと怖いので、手を振りほどく気にはならない。時折砂に足を取られながら、ルファはリュークの後に続いた。


 すると白い石造りの門が見えてきた。ダラダラと汗をかいているルファは、繋いでいない左手の甲で、何度か汗を拭った。綺麗な銀髪が乱れて、こめかみや頬にべたりと張り付いている。真っ白だった頬は紅潮していて、露出している手にも汗をかいていた。少し、ヒリヒリする。ルファが見ればリュークは、指先が空いた掌や手の甲だけを覆う手袋を嵌めていた。これは剣士がよく使う品である。


「リューク! 帰ってきたのか!」


 すると門の前に槍を持ってたっていた茶色いひげの男が、声を上げた。


「おう。いやぁ長旅だった」

「こっちじゃ呪われて野垂れ死んだんじゃないかと、みんな心配していたんだ。ささ、中へ入れ。ん? そちらは?」

「俺の連れだ」

「連れ?」

「ああ。――言わせるなよ、アレだ、アレ」

「ああ、なるほど。そうか、お前さんにも漸く春が来たんだな、ここは年中夏しか無いが」


 そう言って豪快に笑うと、男は二人を中へと通してくれた。


「ねぇ、リューク? アレって何?」

「お前をここに入れるための口からの出任せだ」


 よく分からなくて、ルファは首を傾げたが、熱くてついに意識がかすみ始めたので、追求する気にはならなかった。その足で宿屋へと向かい、そこでも歓迎されたリュークは、手際よく客室を押さえて、ルファを連れて部屋に入った。ベッドが二つあり、リュークは左奥のベッドに飛び込んだ。ルファはフードを取り、外套を思わず放り投げる。熱い。とにかく体が熱い。外套を脱いでもまだ熱い。


 思わず両手の表面に水の膜を出して、ピタリと己の両頬に当てる。

 すると少しだけ涼しくなった。


「リューク……地上ってこんなに暑いの?」

「ああ。王宮の敷地には四季があるが、それ以外の場所は全て、年がら年中常夏だ。ただ砂漠は、夜は極寒だよ。暑いのは昼間だけだ。覚えておけ」

「そうなんだ」

「とはいえ、上の街とは質が違う寒さだからな。経験すれば分かる」


 横になり、枕の上で腕を組んで、そこに頭を預けながら、リュークはルファを見ている。その表情は本当に明るい。道中の険しい眼差しが嘘のようだ。


「食べ物は、どこで貰うの?」

「ん? 今夜は下の食堂で食べるぞ」

「そうじゃなくて、月に一度、みんなに配布されるでしょう?」

「は? されねぇよ。そんな慈悲深い国王だったら、今頃各地に水を持った騎士が派遣されてるんじゃねぇか? 残念ながら、そういった事実はぇよ」


 少しだけ瞳を鋭くして、リュークが答えた。ルファは困惑した。


「それじゃあ、みんなご飯はどうしているの?」

「どうって……――通貨という概念は分かるか?」

「なにそれ?」

「そこからかよ。ほう、今までの話を総合すると、配給制だったってことか、なるほどな。いいか、ルファ。つまりだな、食べ物を含めた物品を購入する際には、この砂の国では、『ガルス』というお金を使うんだ。全て紙幣だ。横長の紙だ。それを出すと、物が貰える」

「どうして? 紙は紙でしょう? 紙はたとえばチーズよりも価値はないと思う」

「実際はそうなんだが、まぁ、そこに価値を見いだし、信頼性を保証し、担保し、この王国は廻ってるんだ。だから食べ物を買うならば、自分で稼いでお金を得ることになる」


 鞄から布を出しながら、ルファはリュークの話を聞いていた。

 取り出して、それを冷たく濡らしてから、今度は額に当ててみる。少し熱さがマシになった。室温は、非常に暑いままだが。


「じゃあ私はガルスを貰えることをしたらいいのね? それでご飯を買う」

「お。物わかりが良くて助かった。それと言葉が通じるのが本当に助かった――……やはり、元はこの国の民だったというのが事実なのか……?」

「リューク?」


 最初は明るい声音だったのだが、どんどんリュークの声は小さくなったので、聞き取れず、ルファは首を傾げる。続いて頬に布を当てた。


「ん、いやなんでもない。まぁとりあえずそういう事だ。でもな、これからの暮らしの事は後で考えたっていいだろ、今日くらい。疲れたぞ、俺は。はぁ。夕食まで寝る。起こすなよ」


 そう言うと、リュークは壁の方を向いた。ルファはキョロキョロして、そうする内に、入り口の脇の扉を開けてみたら、浴室がある事を発見した。リュークは眠っているし、起こすなと言っていたからと、勝手に入っていいのか悩んだが、ルファは入浴する事に決めた。




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