採取した石に保存された記憶
島尾
石だけで思い出される思い出
数年前、私は何の変哲もない浜辺で、平べったい石を拾った。サイズは、10円玉をゆるやかな楕円に引っ張り伸ばしたくらい。平べったいので、その面にマーカーペンで「美浜」と書いた。晴れ渡る福井県美浜町松原の大空と、おだやかにうち寄せるリアスの青波の浜辺から帰宅したあとに。
この記憶が蘇ったのは数日前である。何にもしたくない、心の限界近辺をさまよっているようなときだった。何もしたくないときに限って、何の意味もないことならば一つ二つはできるという謎めいた行動法則のようなものが私にはある。この法則は今回も適用されたようだった。引き出しを意味もなく開けたとき、かつて訪れた土地で拾ったさまざまな形状寸法の石ころが、整然と並んでいた。かつての生き生きとしていた私が、地震などで揺れたとしても位置を変えないように、仕切りを作って石たちを束縛したのだ。ペットボトルで作ったということは、引き出しを開けるまで完全に忘却していた。
代表して、石ころのうちの2種類をここに記す。
美浜:3つの平べったい石で構成される。このうち2つは、同じような径。10円玉をゆるやかな楕円に引っ張り伸ばしたくらいである。もう1つは、貝が波で削られたと思しき縦長の銀盤であり、紫の線状模様が入っている。いずれも平べったい面にマーカーペンで美浜と書いてある。その文字の形は面の広さに対して大人しく、凛としつつも控えめな、楷書である。こんなに綺麗な字が書けたかつての美しい自分の形跡が見て取れる。この石から思い出されるのは、浜辺の海である。石を海に向かって勢いよく投げ、平べったい石を海水面で滑らせた。水切りである。女子高生との交流の翌日、私は電車で福井県美浜町松原の海岸に訪れた。平べったい石を何個投げたかは当然忘れた。晴れた空の下、波消しのテトラ帯が切れ切れの線のように横に並ぶ海。一人で石を投げ続け、石が5回以上滑走のファインプレーを見せた際、心の底から爽快なる無邪気な幸せを感じていた。砂が靴の中に入り込むのも厭わず。
採取した石に保存された記憶 島尾 @shimaoshimao
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