採取した石に保存された記憶

島尾

石だけで思い出される思い出

 数年前、私は何の変哲もない浜辺で、平べったい石を拾った。サイズは、10円玉をゆるやかな楕円に引っ張り伸ばしたくらい。平べったいので、その面にマーカーペンで「美浜」と書いた。晴れ渡る福井県美浜町松原の大空と、おだやかにうち寄せるリアスの青波の浜辺から帰宅したあとに。


 この記憶が蘇ったのは数日前である。何にもしたくない、心の限界近辺をさまよっているようなときだった。何もしたくないときに限って、何の意味もないことならば一つ二つはできるという謎めいた行動法則のようなものが私にはある。この法則は今回も適用されたようだった。引き出しを意味もなく開けたとき、かつて訪れた土地で拾ったさまざまな形状寸法の石ころが、整然と並んでいた。かつての生き生きとしていた私が、地震などで揺れたとしても位置を変えないように、仕切りを作って石たちを束縛したのだ。ペットボトルで作ったということは、引き出しを開けるまで完全に忘却していた。


 代表して、石ころのうちの2種類をここに記す。


 膳所ぜぜ公園:拾った場所付近にちなんでその名を与え、表面にマーカーペンで記した。路傍に落ちていても誰も見ないような、特筆すべき点のない、黒めの石。小指のように細長い。ごつごつしていて、「膳所公園」の文字を書く際に手こずったのか、あまりきれいな字ではない。この石を拾った際の思い出は、当時21の好奇心の塊に帰していた愚かにして愛すべき自分が、尊ぶべき美声をもった女子高生2人とわずかな時間だけ話した記憶である。「膳所高校のひとですか?」と尋ねたのは、琵琶湖の、晴れ渡る空のもと、膳所公園の岸辺の前に広がる湖面の青波である。彼女のうちの一人が、「違います守山高校の」と言っただろうか、完全には思い出せないが、何かの大会で来ているということだった。私は「そうなんですか」というようなことをボソボソ返したか、あるいは比較的明瞭な声だったような気もする。そこで会話を終わらせるつもりだったように記憶している。しかし、彼女たちはなぜか私に「どこから来たんですか」または「どこの人ですか」という問いを投げた。私は居住地のある都市の名を表明した。そして「自分は大学生である」と、余計な付け足しを訳もなく加えた。この付け足しに食いつくように、それまでの美声が一段高くなってますます美しく変化した。大学生と聞いて声色を変えた女子高校生の、その急激な変化を今もよく覚えている。かつて私自身が高校生だったとき、大学生というのは天上で崇高な難題に挑む学徒の集合全体という捉え方をしていた。それから数年の期間が流れて、大学の校舎内部にて座る権利を得た大学在籍者になった私。女子高生がどのような見方をしたのかは分からないが、ただ、湖の北方から流れに乗って流れ着いた浮浪者のような見た目の者の正体が、実は大学生だったという一つの天から降ってきたような感激を覚えたに違いない、声の周波数の変化からそのような推測をしている。彼女たちは勢いそのまま「なぜ滋賀県に来たのか」と問うた。私は「琵琶湖があるから」と答えた。そこからよく覚えていないが何かしらの無難なことを話したような気がする。そのときにはもう、一番美しい声色のピークは過ぎ去っていたことは覚えている。今あの光景を第三者視点で見た時、次のような光景が広がっている。青をたたえる偉大な琵琶湖のほとりの、湖岸に突き出た一つの石板の上で、花のように咲く笑顔と小鳥のさえずりのように高く柔らかな美声の制服の女子二人の立ち姿と、わけもなくどこからともなく偶然に流れ着いた流木のような黒頭の挙動不審。そして彼女たちとの別れを告げる前。私は、私たちの頭上にずっと発生していた一つの悶々として振り払うべき疑念に対する証明方法を思いついたのだ。今考えたらとんでもない大恥行為を、自信満々に、己の地位を見せつけるがごとく、嬉々としてやってのけた。表向きは可憐で気さくににこやかに接しつつ裏または不可視の第三領域で警戒の信号を線香花火の火球のように常に震わせ光らせながら送っていたはずの女子高生に、我が学生証を見せびらかす、という悲劇を。そして私は彼女たちと永遠の別れを告げた。かつての恥晒しな閑人との交流が、彼女たちの頭の中で、湖面の上の靄のごとく頭のどこかに残存している可能性を否定する術を持たない。


 美浜:3つの平べったい石で構成される。このうち2つは、同じような径。10円玉をゆるやかな楕円に引っ張り伸ばしたくらいである。もう1つは、貝が波で削られたと思しき縦長の銀盤であり、紫の線状模様が入っている。いずれも平べったい面にマーカーペンで美浜と書いてある。その文字の形は面の広さに対して大人しく、凛としつつも控えめな、楷書である。こんなに綺麗な字が書けたかつての美しい自分の形跡が見て取れる。この石から思い出されるのは、浜辺の海である。石を海に向かって勢いよく投げ、平べったい石を海水面で滑らせた。水切りである。女子高生との交流の翌日、私は電車で福井県美浜町松原の海岸に訪れた。平べったい石を何個投げたかは当然忘れた。晴れた空の下、波消しのテトラ帯が切れ切れの線のように横に並ぶ海。一人で石を投げ続け、石が5回以上滑走のファインプレーを見せた際、心の底から爽快なる無邪気な幸せを感じていた。砂が靴の中に入り込むのも厭わず。

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採取した石に保存された記憶 島尾 @shimaoshimao

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