元編集者の私が、世の作者へ送る他愛のない言葉

にーどれす

小説を書くということ

小説家を目指すひとへ

はじめまして。数年間ですが編集部の一員として職務を全うしておりました、にーどれすと申します(以下、私)。


この記事はエッセイみたいなもので、私が編集時代に培ったノウハウ、というよりも新人作家によくあった傾向や考え方、売れる作家になるひとと売れない作家になるひとの差異や文体の決め方などといった小説の基礎、応用を紹介しようという作品となっております。


第一回のお話では、小説の基礎中の基礎。


物語とはどのようにして書くか、といった視点でお話をしていきたいと思います。


あくまで私の考え方を述べているだけですので、ご意見やご質問がある方はコメント、亦もっと詳しく知りたいというかたも同様によろしくお願いいたします。


さて、本筋に戻りますが。


文体、時代設定、行間スペースの意味、句読点の打ち方、単語の組み合わせ、登場人物、専門用語、言語、etc.


ひとつの小説を作るに中って、膨大な量の情報が必要となります。年齢層に沿った文体、読者に分かり易い時代設定、書かないことによる想像力、といった風にそれぞれのパーツには意味を持たせることもできますが、ここで文豪の名言をひとつご紹介いたします。


手鎖心中でお馴染み井上ひさし氏が劇場の構想を練っていた際に放った言葉。


「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに、まじめなことをゆかいに、そしてゆかいなことはあくまでゆかいに」


私はこれを知ったときに、眼から鱗の意味を初めて痛感した次第です。

簡単にですが、それぞれの解釈を下記へ書き込んでおきますね。


「難しいことを、優しく」

読者へ真意を伝える際に小難しい理論や聞きかじった程度の知識をひけらかすのはご法度です。他者へ説明を施す際、もっとも重要なのは「知ったかぶり」をしないこと、驕り高ぶり他者を見下さず、優しく伝えること。そうすれば互いに心の余裕ができ、作品内に於いても思いやりの意を汲み取っていただけ、次の頁へと読者を没入させることができます。


「優しいことを、深く」

読者に対する配慮を行った上で、その思想を読者の深層心理まで働かせる重みを与えなければなりません。

時代によって文学や小説といったものは変化を伴います。ですが、世に溢れる作品のなかで、ご自身が好きな作品というものは必ずあります。その「好き」という感情は、あなたが深く響いた証明でもあります。その好きな作品は「作者が考えた設定を無理やり押しつけていましたか?」、「物語の根幹を小難しい思想の上でだらだらと冗長に語っていましたか?」、「登場人物の癖は見るも無残で内容のなにもない言葉だったりしましたか?」


「深いことを、面白く」

前述のふたつはなんとかクリアしても、実はここが一番の難関です。文鎮のように響いた思想を「面白く」しなければなりません。面白くということはユニーク性に溢れるということです。

優しくしても、深くしても、他者へ伝えるためには「面白く」なければ響きません。

ユーモア(Humour)とは、ヒューマン(Human)から生まれたと一説にあります。この言葉を深堀していくと、湿気や液体に源流をたどるとのこと。血液、体液、人体の約七十%は水分ですが、人間らしさの源にある液体を揺さぶるものこそユーモアであり、だからこそ腹を抱えて笑っても、こらえきれずに涙をこぼしても、ホンモノのユーモアは記憶や行動、思想に影響を及ぼすのだと思います。


「面白いことを、真面目に」

いくら面白くても、作者が書きたい「面白い作品」というものは、受けはしますが長続きしません。一発屋で終わってしまった作者のなかには、「自分が面白ければ他はどうでもいい」と豪語される方もいらっしゃいましたが、売上がよかったのは一巻目のみ、以降は売上が減ってしまったということもございました。

作者が書きたい面白い作品=読者が読みたい面白い作品、でないことは重々承知とは思いますが、常に思い続けなければいつの間にか陶酔してしまい、物語の基盤が右往左往としてしまうことがあります。

邪道とは正に邪道、王道には敵わないということです。なかには邪道を王道にされる方もいらっしゃいますが、そういった方々は別の技術を用いて対抗しています、それについては別の記事で紹介したいと思います。

小説家を目指す以上、少数を相手取るよりも多数へ注力したほうが、賢者の選択だと思います。


少し脱線しますが、私はスプラッタホラーというものを好みません、もっともいえば、「ただ気が違っている敵が、思想も意味も薄弱なまま無為無意味に殺害する映画」を好まないということです。

眼を引くものは確かにあり、衝撃的な映像を見ると記憶にも当然残ります。けれどもそれは衝撃が残っているだけで、余波なだけです。いずれ消え去ってしまう記憶の歪でしかなく、思想に絡むことはありません。

驚いて一瞬肩が震え、声も出してしまうかもしれませんが、それ以上のことはありえません。それは文学や小説といった形態になっても変わらないものです。


閑話休題。


「真面目なことを、愉快に」

真面目ということは臨機応変さがないということに他なりません。真面目真面目と書いていても、一辺倒であれば論文や辞書に近くなってしまいます。それを可逆性を用いて反転させるのが愉快という言葉。これは「ユーモア」に関して記述した通りのことです、愉快とは気持ちよく楽しいという感情の動きです。所謂ポジティヴな動きといっても同一的でしょう。ひとはなにかを記憶するとき、喜怒哀楽に感情を結び付けて記憶します。そして日常生活に於いて大きく作用されるのが喜び、楽しい、という感情です。ただただ気持ちよくさせるだけではなく、読んでいて楽しいと思わせることを第一に物語を書きましょう。

これは読後感に繋がる大事なキーパーソンです。


「そして愉快なことは、あくまで愉快に」

喜劇、悲劇と様々ある物語ですが、一様に云われるのは愉快な物語か否か。

登場人物にとって、亦は読者にとって、結末は愉快かどうか。落ち込む物語では、愉快もなにもありません。

重ね重ね云いますが、読者が了したあと、「面白かった、次の話はどういうものだろう、勉強になった」という読後感を残さなければなりません。


とまあ井上ひさし氏の言葉を勝手に拝借し、勝手な考えを吐露して参りましたが、このエッセイではこういったやり方で、少々行き詰った作品を書いていらっしゃる方、亦はこれから物語を書こうとしている方へ向けた作者へ、私なりのマッサージのような方法を伝えていこうと思います。


マイナスイメージを持つ方は読まなくて結構。あくまでこれは私の考えを発表する機会でしかなく、それ以上でもそれ以下でもない、自己満足的なエッセイとなりますので。


そして今回は第一回ということもあり、あえて深堀はせずに流し程度にすませました。


次回からは長文になり、活字だらけとなりますが、ご愛好くださることを期待しております。


次回は「発想は面白いんだけれど、書いてみたら面白くなかった」について。




更新日は、未定となります。

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