美也子のパートは週二回
祐里
1.ケーキを焼いて
――ピッ――
自宅のキッチンに立つ
「ああ、今日は金曜日だったわね。今度の任務は何かしら」
この仕事も四年目に入り、既にベテランの域に入っているとクライアントのタケル――フルネームは教えられないらしい――に先週言われたが、火曜日と金曜日、せいぜい長くて三十分程度のパートなのに『ベテラン』などありえないと、美也子は思っている。
『こちらタケル。コードネーム・スミレ、応答せよ』
「はいはい、スミレでぇす。今日は何?」
『凶暴なシャークが暴れている。始末してくれ』
タケルの声も、聴覚野に直接届くようになっている。仕事を始める時に脳の側頭葉に埋め込まれたごく小さなチップがそれを可能にしていると、美也子は聞いている。埋め込む際には側頭葉を有する大脳皮質の
「シャークって、サメのこと? 日本語で言ってよ、私もう四十歳なのよ。最近
『風呂場に適した大きさだ』
「あのね、
『
「んー、まあそれくらいならいいけど……ただねぇ、シャークって言ってもいろいろな種類が……」
『ホホジロザメだ。三分後に送る。以上』
――ピッ――
再び脳内に電子音が鳴り、タケルとの通信が切れた。
「あっ、一方的に切った! もうっ、自分勝手なんだからっ!」
片手にボウル、片手にゴムべらを持ったまま、美也子は顔をしかめて見えない相手に憤慨する。
田舎暮らしをしたいという夫に付き合い農村部の土地を買って大きな一戸建ての家を建てた際、張り切りすぎて風呂場を大きくしすぎてしまった。娘と一緒に入る時はいいのだが、掃除が大変だということと、冬に寒い思いをすることが困りものだ。その風呂場を利用して、パートとはいえ金銭を得ることができるため、美也子は文句を言いながらもこの仕事を続けている。
「ホホジロザメ……ホホジロサメ……、よく映画とかに出てくるアレかな? 食べたらおいしいのかしら……って、死体は持っていかれちゃうんだった」
ここ一年ほどで、美也子の独り言はとみに多くなった。娘が帰ってくるまでは家に一人でいるのだから仕方ないのだと、本人は開き直っている。
「ちょうど生地混ぜ終わったところでよかったぁ」
ボウルの中身をケーキ型に入れ、三十秒程でオーブンの予熱が完了する。型の中でバニラ風味を振りまくケーキ生地を庫内に入れてから焼成時間を三十五分にセットすると、美也子はふう、と、一つ息をついた。
「よーし、あとは迎え撃つだけ……武器はどうしよっかなー」
美也子は玄関へ行き、シューズボックスの上のバスケットボールを下ろして手に持つと、もう片方の手で薄汚れたビニール傘を二本、傘立てから引き抜いた。
「これくらいかなー。生サメならそんなに大変そうじゃないし、いざとなったら『混ぜるな危険』があるしー?」
以前、やたらとメカニックな銀色の虎を放り込まれたことがあった。その時はたまたま風呂場近くに置いていた壁紙用の糊と幅広アルミテープ、塩素系漂白剤を用いて任務を成功に導いたのだが、タケルが吐いた「あれは地球上にあってはならない未知の素材だった。忘れろ」とのセリフを、美也子は忘れられないでいる。
「あの虎は大変だったわ。壁と床が傷付いて、私のせいになっちゃったんだから。……あら、そろそろお出迎えの時間ね」
軽い足取りでバスケットボール、透明のビニール傘二本、クエン酸という武器を持ち、広さ四畳半ほどの風呂場のドアを開ける。すると、大きめの浴槽の向こう側の幅三十センチ、高さ五十センチ程の小窓の横に、大きくぐねぐねと巻く黒い渦が既に発生していた。
「……三、二、一……来た! 私のカウントダウンもなかなか使えるようになったわね!」
ビニール製の風呂場用スリッパをはき、後ろ手でドアを閉めてカウントダウンをしながら出迎えた美也子の目の前に、タケルが言ったとおりの大きさのサメが、姿を現した。
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