4-7 ギャラリー
ザルダーズが用意した新しい仮面がふたりの手にとられ、緊張でカチコチになっていたスタッフたちの表情に、ほっとしたような生気が戻る。
[『黄金に輝く麗しの女神』様とその『お兄さま』は、華美よりも、落ち着いたデザインのものを好まれる。だが、お目は高い]
心の顧客メモにさらなる……重要な一文が書き加えられる。
玄関ホールに飾られている数々の調度品の中で、あのアンティークランプに目を留めたのは流石としかいいようがない。
この待合室にもいくつかの絵が飾られているが、ふたりの視線は軽めのタッチで描かれた美しい空の絵に向いている。
無名に近い画家だが、美術愛好家からの評価は高い。
オーナーはふたりの嗜好を推測し、貴賓席の調度品変更を指示する。
今頃、スタッフたちは大慌てで貴賓席の準備を行っているだろう。
[『黄金に輝く麗しの女神』様とその『お兄さま』は、よいモノは正しく評価なさるが、今までのモノを簡単に捨てる御方ではない]
ふたりは新しい仮面を手にとったものの、今の仮面とつけ替える理由には至らないようである。
今の仮面を外そうとはしない。
良いものを正しく評価し、選んだものを慈しむ気質の持ち主は、ザルダーズにとって大切な取引相手となる。
ここでしっかりとサービスして、おふたりにはザルダーズの理念を正しく理解していただき、今後もより友好的な関係を保っていきたい。とオーナーは思った。
高額落札者よりは、ザルダーズを運営していく上での協賛者となっていただきたい。
仮面を手にとったふたりに、オーナーはたたみかけるように説明を加える。
「こちら……ささやかなものではございますが、はじめて貴賓席をご使用になられる方への、記念品でございます。おふたりの美しさを称えるための仮面をご用意いたしました」
「記念品?」
「はい。記念品でございます」
美しさを称えるという言葉よりも『記念品』という単語に少女がくらいつく。
いや、もう、ビックリするくらいの勢いだ。
「まあ! 素敵! お兄さま! 記念品をいただきましたよ! わたくしが品物をはじめて出品する日に記念品! 素敵! お兄さまとはじめてのオークション参加を記念するとっても素敵な記念品ですわ!」
「……そんなに、コレが気に入ったのか?」
若者の声に苦笑が混じる。頬を上気させながら『記念品』を連呼する少女を愛おし気に見つめる。
「そうですよ、お兄さま! 記念品ですよ? 記念品! 記念品といえば、記念のために用意された特別な品物なのですよ!」
「そうか? そうだよな。たしかに、記念品というのは、そのようなものだ。よいものをいただけたな」
……とても激しく喜んでいただいたことはありがたいのだが、記念品どうのこうのは大嘘である。
慎重な若者も女神様の勢いに飲まれて簡単に信じてしまったので……オーナーの良心がちょっぴり痛んだ。
実のところ、貴賓席参加者には手土産を用意していたが、記念品なるものは今まで渡していない。
こんなに喜んでもらえるのなら、これからは記念品も用意しようか……という気持ちにオーナーはなった。
[『黄金に輝く麗しの女神』様は、サプライズやイベントが好きだが、『お兄さま』は実利を好まれる。ただし、『黄金に輝く麗しの女神』様が喜べは全くの問題なし]
再び心の顧客メモが登場する。
ふたりが会話を交わしている間に、銀のトレイを持つ男性スタッフ以外の全員を、ギャラリー兼待合室から下がらせる。
薄暗い待合室には『黄金に輝く麗しの女神』様と『お兄さま』、オーナーと補佐の年配男性スタッフのみとなった。
これからはオーナと、補助として年配男性スタッフが対応することとなる。
賓客席には案内人が一名つくことになるが、オーナーが案内人となり、さらに補助スタッフが指定されるなど、非常に稀なことである。
事件といってもよいくらい珍しいことであった。
ありえないくらいの対応なのだが、この何気ない判断が、後々のオーナーを救うことになるのだから、直感というものはおろそかにしてはならない。
「今の仮面は、こちらのトレイにお預けください。お帰りの際にお渡しいたします」
「わかりましたわ」
「よろしく頼む。わたしは、本日、初めて使用したのだが、イトコ殿のものは……」
「はい。お磨きしておきます」
芸術品の扱いに長けたザルダーズのスタッフに任せておけば安心だ。
オーナーと年配男性スタッフが顔を伏せる。
仮面を外す気配がし、カタリと、銀のトレイにモノが置かれる音がした。
「イトコ殿……その仮面をわたしに。わたしがつけてさしあげよう」
「あら? では、わたくしが、お兄さまの仮面をつけたらよろしいのですね」
クスクスと楽しそうな笑い声が聞こえてくるが、オーナーとスタッフは微動だにせずに、床の一点を睨み続ける。
「もう! お兄さまったら! そこはくすぐったいから、触らないでくださいな?」
「少しくらいならよいだろう? わたしはここが大好きなのだよ」
「だめですわ。やん……くすぐったい」
「可愛いなあ……」
「お兄さま! もう! だめです! ああ……っ」
「もう、ずっとこうしていたい……」
「お兄さま……だめ」
オーナーとスタッフは微動だにせずに、床の一点を凝視する。
床の一点のみを……。
ふたりがどのようにして仮面をつけあっているのかはわからない。
とても仲がよろしいようで……という言葉が浮かぶ。
このやりとりがいつまで続くのかはわからない。
考えたら負けだ。
お兄さまが少女にどのような悪戯をしかけているのか……心を無にする。
妄想したらそこで人生は終了だ。
視覚をシャットダウンすると、その他の感覚が鋭くなる。
少女の無邪気な笑い声と、若者の「可愛い、可愛い」という甘く蕩けるような声が耳にこびりついて離れない。
(わ、わ、我々はプロだ! プロに徹するのだ! ザルダーズの理念を! 信念を! 貫くのだ!)
これしきのことで動揺してはならない。
このようなことは、賓客席では起こりうることのひとつだ。
なにを驚くことがあるのか。
もっとすごい生々しい修羅場……も経験している。
今、自分たちは、この部屋のギャラリーの調度品のひとつになったのだ……と、オーナーと年配のスタッフは自分自身に言い聞かせるのであった。
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